長いお話・2 (ふたつめの連載)
明日はまたツアーに出発する。
スギゾー、J、真矢は。
朝食を終えると、それぞれに帰宅した。
ひとたびツアーに出れば、目の回るような忙しさに身を置くことになる。
ライブの準備や、それに並行して、現地ラジオ局での出演もある。
その最中での、突如湧き出た曲のアレンジ作業。
とりあえず、イノランと隆一が書き起こしたばかりの譜面を、三人分コピーをとって渡した。
各々出来る時にアレンジを考えられるようにだ。
今は4月の下旬。
また休みを挟みつつ、残りのライブ日程をこなして。
5月20日。
ツアーファイナル。
隆一の誕生日まで。
もう、あと。ひと月も無い。
時間は、無駄にできなかった。
「隆ちゃん、お待たせ。準備できた」
「待ってないよ。ーーじゃあ、行こっか?」
三人を送り出した後。
二人は片付けを済ませて、イノランは明日からの遠征の準備をした。
3泊4日の日程。
大きめのバッグを持ったイノランは、リビングで待っていた隆一に声を掛けた。
隆一はついていたテレビを消すと、目の前のテーブルに置いた例の楽譜を取り上げて、自身のカバンにしまった。
「もう、アレンジ考えてたの?」
「ん…?ーーーまぁね?…全然まだだけど」
「この週末で、少し進めるといいな」
「今日もこの後、俺の家に移動したらやろうよ」
「だな。ーーーアイツらも張り切ってくれてたから、もう明日には何かしら出てきてそう」
そんな話をしながら。
呼んでおいたタクシーの迎えが来ると、二人は揃って乗り込んで。
この後目指すのは、隆一の家。
今夜一緒に夜を過ごして、翌朝移動が待っている。
タクシーの中で。
イノランは思い出したように、明るい口調で言った。
「そういえばさ?こないだ隆ちゃんに、ファイナルでギター弾けばいいよって言ったじゃん」
「え?あ、うん」
「新幹線の中で、スギちゃんに話してみたんだ」
「!…スギちゃん、なんだって?」
「賛成してたよ?しかも俺らが考えてたのと同じ様なビジョンが浮かんだみたい」
「嬉しい!…けど。もういよいよ頑張らないと~」
「しかも例の曲もやるしな?」
「そうだよ!忙しいじゃん俺」
困ったように笑う隆一を。イノランは微笑みを浮かべてじっと見る。
思えば。ホテルの非常階段で、あの出来事が起きてから、今日まで。
初めは何も解らずに、ただただ不安と恐怖ともどかしさで身を固くしていた隆一。
非現実な事柄と、急に付き合わなければならなくなった事に。
きっと隆一は。
言わないだけで、心の奥では。
納得し難い感情もあるはずなのに。
今では、日々起こる事柄を受け止めて。
不安も恐怖も。
そんなもの、何処かに置き忘れたみたいに。
目の前の出来事を、真正面から受け止めている。
ぎゅっと。
イノランは隣に座る隆一の手を握った。
「っ…?」
反射的に隆一はイノランの方を見たけれど。
そのイノランは穏やかな表情を浮かべたまま、前方に視線を向けている。
「ーーー」
視線を交えなくても。
言葉を通わさなくても。
もう、わかるようになっていた。
〝好き〟と〝大切〟
お互いを表す気持ちは。
これだけで、事足りた。
一夜明けて。
出発の朝。
二人で朝のニュースを観ながら、朝食を摂って。
片付けと、荷物確認と、身支度を同時並行で行なって。
あと20分程で、隆一のマネージャーが迎えに来る時間。
今日はイノランも一緒に同じ車で移動する。
出発前というのは、どうにもそわそわして落ち着かないものだ。
この先に待つ、ライブへの大いなる期待や。
あとは、まぁ。例の事も。
たくさんの事を抱えて挑む、ツアー後半戦。
出発前のこんな時から、もう胸の高鳴りは始まっている。
「隆。マネージャー来るまで、ゆっくりしてようよ」
「ん…。」
「あはは、隆ちゃん、そわそわし過ぎ」
「だっ…て」
「まぁ、わかるけどさ?」
「…うん」
「俺もそう。早くギター掻き鳴らして、暴れたい。あの空気に身を置きたいよ」
「ふふっ、なんだ。イノちゃんも、そうなんじゃん?」
「ライブで呼吸してるようなもんだからさ。どんな状況であれ、あの感覚を手放しちゃダメだよな」
「ーーーなんかね。時々あのライブ思い出すの」
「ん?」
「大風と、セット倒壊と」
「ああ~」
「あの時も、俺たち言ってたもんね?」
「ーーーうん」
「楽器さえあればいいって。」
「楽器と、隆がいれば。ライブは出来る」
「もちろんサポートしてくれる皆んなの存在ありきのライブだけど。その意気込みは忘れちゃいけないね」
イノランは隆一の言葉に大きく頷いて。
隣に座る恋人の肩を引き寄せた。
「ーーー隆と。色んなこと、乗り越えてきたな」
「色々あったねぇ…」
「いい事も大変な事も色々あったけど。ーーーまさか。まさか!ーーー隆と恋人同士になれるなんてさ」
「出会った頃の俺らが知ったら…驚きだよね」
「驚きなんかじゃ済まないよ。だって時々、今でも信じられない」
「えぇ?」
「隆と恋人同士…なんて。俺にとってはこの上ないご褒美なんだからな?」
「イノちゃん…」
「今まで。頑張ってきた、最高の」
初めて出会った時に。知らず知らずに抱いた好意も。
隆一の隣にい続ける為に、絶え間無く続けてきた努力も。
隆一をこの腕に抱いて。
報われたと思った。
そして。
これからも、研ぎ澄まさなければ…とも思った。
隆一の両手が絡んできて。
イノランの耳元で、密かに囁く。
「ーーー俺もだよ?」
イノちゃんといられる事は、最高のご褒美だよ。
って。
甘さを含ませた、隆一の声。
「隆」
それだけで、最上級の嬉しさに襲われて。
もう、待ってる隆一の頬に、手を添えて。甘やかな、恋人同士のひと時を。
唇を重ね合わせようと、イノランが顔を寄せた時だった。
ピンポーン♪
「!」
「!」
「ーーーーーーーーーーーあ」
「マネージャー…」
微妙な間の後に訪れる、可笑しさ。
お預けをくらったのに、笑いが止まらなくて。二人で肩を揺らして笑った。
「ま、お楽しみはこれからだからな?」
「ん?」
「ホテルでも一緒に過ごすだろ?」
「っ…イノちゃん」
「はははっ」
隆ちゃん、カオ真っ赤。
そう言ってイノランは、ソファーから立ち上がった。
マネージャーの車で駅まで行って。
他のメンバー達と合流して、そこから新幹線。
到着したら、また車でホテルまで移動。
各々荷物を置いたら、また車に乗って。
いよいよ、ライブ会場へ。
ここまでで、既に陽は高くなっていた。
早速メンバー達は、会場設営中のステージへ。セット、効果、照明、音響のスタッフ達の掛け声が飛び交う中。
その現場に足を踏み込むと、身が引き締まる。
自分達の身体の中で響く音楽が、だんだん大きくなっていくのを感じた。
「早く歌いたい」
「な!この会場、久しぶりだ」
「いいね。めちゃめちゃ楽しみ」
そんなメンバー達の会話をかき分けて。マネージャーから今日これからの予定が割り振られた。
いつものJRチームとISSチーム。
この二つに分かれて、午後はラジオ収録だ。
「J」
マネージャーがその場を去った後、イノランはJを呼び止めた。
Jは自分を呼んだ幼馴染に視線を向けると。はじめは首を傾げていたが、真剣なイノランの表情にすぐに心得て。
口の端をきゅっと上げて、頷いて見せた。
「わかってる、隆一のコトだよな?」
「もしかしたら、前みたいな事になる可能性もあるから…」
「ーーーあん時は、たまたま俺らの新曲聴いてハッとした感じだったんだよな」
前回のラジオ収録の時、Jも隆一の異変を目の当たりにしている。
恐らくその時偶然流れたルナシーの曲が、我に返るきっかけになったのだと思うが。
「いざとなったら、大音量で新曲聴かせるから」
「ーーん。頼む」
やけに神妙な表情のイノランに。Jは冗談で、戯けて言ってみせた。
「俺がキスしても効くのかな」
「!!!!!」
ギッ‼っと、鬼気迫る程の視線を向けられて、Jは肩を竦めた。
「ーーーあの、冗談だから」
「冗談でも」
「はいはい。ーーー隆も怖えー彼氏できちまったな」
「だって普通、そうだろ?」
Jは違うの?自分の恋人が他のヤツにキスされて平気?
って、首を捻りながら言うイノランの言葉に。ーーー確かに、それは嫌だな。なんて、納得する。
それに…。
「多分…つか。きっとさ、イノじゃなきゃダメなんだよな」
「ん?」
「お前のキスじゃなきゃダメだし、隆だって、お前以外は拒むだろ」
「ーーー」
「ホントはお前が一緒に付いていてやりたいって気持ちはわかってるよ。ーーーなんかあったら連絡するし、任せてくれ」
目の前の幼馴染の真摯な声音と言葉を受けて。隆一を守れる戦力を得られてーーー話して、メンバー達に打ち明けて良かったと。改めて思った。
「よろしくな」
昼食を摂った後、メンバー達は二手に分かれて出発した。
今回は遠くまで赴くキャンペーンではない。地元の、度々ライブで訪れる際に出演させてもらうラジオ局だ。
それぞれ、車で1時間前後の行程。
Jと隆一が訪れたラジオ局は、観光地の真っ只中にある。
寺社仏閣が点在する街に、ここ10年近くで増えてきたのが、個人の営むハンドメイド一点物の品が並ぶアーティストショップだ。どの店舗も、規模は小さいながらもお洒落な佇まいで。
その並ぶ品々も。服やバッグなど布製品から、アクセサリー、靴、傘、インテリア、食器、楽器、スイーツなどなど。
参拝に訪れる観光客にも、今では人気のスポットになっている。
マネージャーの運転する車でラジオ局に向かうJと隆一。
とりわけJは、その店舗達を興味津々で車窓から眺めていた。
「すげえ面白そう」
「お店いっぱいだね」
「アーティストの一点物とか、見るの超好き」
「うん、そうゆうとこで出会っちゃうとね」
「運命感じて、即買いするよな」
そんな会話を聞いていたマネージャーが、笑いながら後部座席の二人に言った。
「収録終わったら、寄ります?」
「マジ?行ける?」
「今日は収録と、夜はファンクラブ向けの動画配信とミーティングだけだから。ちょっと寄れますよ?」
「やった!行きたい」
「良かったね、やっぱツアーはこうゆう楽しみもね」
「そうそう!」
仕事後のお楽しみが出来て。二人はにこやかに頷き合う。
既に窓の外に釘付けのJにならって、隆一も外を眺めた。
その時。
「ーーーあ」
あるひとつの店が、隆一の目に留まった。流れる車窓からの景色で、その店はすぐ後ろに見えなくなったけれど。
ーーーしっかり覚えた。今の店。
隆一の口元に、微かな微笑みが浮かんだ。
あとでここへ寄ったら。
是非、見てみたいと思ったのだ。
「お疲れ様でした‼」
「隆一さん、Jさん、明日、明後日のライブ観に行きますよ!」
「わぁ、2days参加?ありがとう!今日流してもらった新曲もね、明日やるからね!」
「深夜放送楽しみにしてます‼」
ラジオ局のロビーで、スタッフ達と語り合う。収録も滞りなく終わって、楽しい時間を過ごせた事に。皆、笑顔で手を振った。
杞憂していた事態も起こらずに済んで、思わず溢れる安堵のため息。
収録中に何かあったら、それこそ皆んな混乱するだろうから。
隆一もJも、ほっと肩を撫で下ろした。
再びマネージャーの車に乗り込むと。
行きに話していた、あのショップ街へ。無事仕事を終えられた安心感も相まって、二人は心弾んだ。
ラジオ局から10分少々車で走って。あちらこちらにある駐車場に車を停める。今は隆一とJとマネージャー二人の四人だから。ライブ直前でもあるし、あまり大っぴらに歩く事は出来ないけれど。眼鏡や帽子で、自然な感じで誤魔化して。
いざ。お楽しみの街へ。
「J君、気になる店あった?」
「おー。さっき車から見てて、いいなって思った。Tシャツ屋」
「そっか」
「隆は?」
「ん?…うん。俺もさっき見て、気になったとこある…かな」
「じゃあ、行ってみようぜ」
「ーーーJ君も一緒に来てくれんの?」
「別にいいぜ?…つか、お前から目離すと、怖えーもん」
「え?ーーーあ。…イノちゃん?」
「アイツ気にしてたしさ。お前を心配してたし。イノがいない間は任せろって約束したからな」
「ーーーもぅ」
イノちゃん、心配症。…そう言いつつも、隆一ははにかんで、嬉しそうで。
Jはなんだか、見ているこっちが照れてしまった。
先にJの行きたい店に行こうと譲らない隆一。一緒に連れ立って向かったTシャツ屋は、なるほどJの好きそうな品揃えだった。
熱心にあれこれ選んでは、時折、隆一にもどっちがいい?なんて聞いたりして。結局短い時間で三着のTシャツを購入して、Jは満足そうだ。
「次は隆の行きたいとこな?」
「うん」
「何の店?」
「ん?ーーーえっとね」
Tシャツの店から数件隣の、落ち着いた店。隆一はその前で足を止めた。
「アクセサリー?」
「うん」
珍しい。…と、Jは思った。
アクセサリー好きが集まるルナシーで、隆一はそれほど身に付ける事は無い。
ーーーまぁ、今は例の事情で、左手にブレスレットを付けているが。
意外そうに見つめるJを余所に、隆一は店の中に進んで行く。
白を基調とした綺麗な店内だ。
隆一はくるりと見回すと、最初から目当ての物を決めていたようで、迷わずその物が並ぶ場所に向かって行った。
「ブレスレット?」
「うん」
「珍しいな、お前が」
「ーーーうーん…。俺のじゃなくてね」
「?…ーーーあ。…イノ?」
「ーーーうん」
「ーーー」
「イノちゃん。俺に大事にしてたブレスレット、くれちゃったから。ーーーお返しに、ひとつプレゼントしたいなって」
「ーーーうん」
「うん…。えへへ」
「うん。喜ぶんじゃね?イノのヤツ」
「ん…。だったらいいな」
( …へぇ。ーーーこいつ )
「どんなのがいいかなぁ」
( こんなカオもすんだ )
並んでいる。ひとつとして同じ物が無いブレスレットを。隆一は手に取ったりしながら、さも楽しそうに選ぶ。
ここにはいない、イノランの姿を思い浮かべているのか。愛おしさすら、滲み出ているようだ。
「ーーー」
好きな相手に懸命に何かを選ぶ様というのは、こんなにも健気で、可愛らしく見えるのか…と。
Jは正直、目の遣り場に困っていた。
( イノは…堪らないんだろうなぁ )
微笑まれて、縋り付かれたりしたら。
( プレゼントなんか渡されたら、アイツ明日ギター弾けんの? )
骨抜きになって、でれでれになりそうだ。
ーーーそんな幼馴染の姿を想像して。ちょっと不憫になって。Jは心の中で手を合わせた。
「ーーーこれにした」
「ん?決まったの?」
「うん!ーーどうかなぁ。J君から見て、イノちゃん好きそう?」
シルバーの、細身のシンプルなブレスレット。普段イノランが選ぶ物より華奢な印象だけれど、そこが隆一らしい。
「いいじゃん?」
「ホント?」
「うん。つか…。隆からなら、アイツは喜ぶさ」
「ーーーうん」
…だといい。
頬を染めて、そう小さく呟いた隆一が。
やっぱりJから見ても、可愛く思えて。
アイツに内緒。…そう自分に言い訳して。隆一の髪を、くしゃっと撫でた。
五人全員が戻ったのは夕暮れどきだった。
顔を合わせて早々に、大丈夫だった?と寄ってきたイノラン。
何も無かったよ。
無事に仕事して来たよ。
そう伝えると、イノランは安心したように笑った。
でも。
J君楽しかったね!
また行きたいね。
そうだな!
隆一とJの、そんな会話を耳にした途端。
眉間を寄せて面白くなさそうなイノラン。
そんな様子を見て茶々を入れるスギゾーと真矢。
仲良しなんだ。
夜の仕事と、ミーティングを終えて。
ホテルに戻ったルナシー一団。
まず明日のライブ一日目。怪我をしないように迎えましょう!
そんな掛け声と共に解散した。
自室でシャワーを済ませた隆一は、今宵はイノランの部屋を訪れていた。
イノランもシャワーを済ませて、ソファーで寛ぐ隆一の隣に座ったのを見計らって。
隆一は今日購入したプレゼントを、はにかみながらイノランに差し出した。
「俺に?」
「うん!」
「ーーいつのまに…」
「ラジオ局の近くのお店で。ね、見てみて?」
「うん」
かさかさと包装を解くイノラン。
あの店内のように、白い包みの中から出てきた物。
「ブレスレット!」
「うん!ーーーイノちゃん、俺にお気に入りくれちゃったから」
「そんな…気にしなくていいのに」
「違うよ。俺があげたかったから。ーーー気に入ってくれた…かな」
「もちろん!だって、隆ちゃんがくれたんだよ?」
綺麗だね。って、惚れ惚れと眺めるイノランを、隆一は嬉しそうに見つめた。
「イノちゃん、付けてあげる」
「うん。おねがい」
「ーーー明日」
「ん?」
「ライブでも…」
付け終わって、恥ずかしそうに潤む瞳を向ける隆一。言わんとしている事が分かって、イノランは優しく隆一を抱きしめた。
「ずっと大事にする」
「うん…」
「もちろん明日もステージで付けるよ?」
「ーーーうんっ 」
こんな嬉しいプレゼントを渡されて。
何もしないでいられる程、イノランは我慢強くない。
早速、触れ合うだけのキスから。それもすぐに物足りなくなって、ソファーに沈んで唇を重ねた。
「んっ…」
「ーーーしたいけど…明日からライブだから」
「っ …ぅん」
「帰ったら…っ …な」
「ーーーイノっ …」
つかの間の、安息の時間。
奪い奪われるようなキスの合間で、隆一が聞いたのは。
吐息を含んだ、イノランの嬉しそうな言葉だった。
「ありがとう…隆ちゃん」
愛してるよ。
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