長いお話・2 (ふたつめの連載)
キリキリと切なさで締め付けられていた気持ちが。その瞬間、ふわっと和らいだ気がした。
「!」
イノランが隆一に再びキスを落とした途端、やはり変化があらわれた。
涙の滲んでいた閉じた瞼が小さく震えると、ゆっくりと目が開かれた。
「ーーー隆ちゃん?」
イノランは驚かさないように隆一を呼びかける。すると数回の瞬きを繰り返して、その視線がイノランをとらえた。
「…イノちゃん」
「隆ちゃん。ーーー大丈夫か?」
「ーーうん」
小さく頷いた隆一は、起き上がろうと身体を身動がせたから。イノランは手を差し伸べて、それを助けた。
「ーーー身体。おかしいとこ…無い?」
「ん…。平気だよ」
「そっか。ーーーーー良かった」
「……」
隆一の口数が少ない。
リュウイチとの会話を、隆一もちゃんと聞いていると言っていたから。
その事で、思うところもあるのだろう。
イノランはしばらく隆一の様子をじっと見ていたけれど、伝えなければ…と思う事もあったから。
無言の空気を打ち消すように、ぽつりぽつりと語りかけた。
「アイツらはね、リビングで寝てるよ」
「うん…」
「ーーーアイツら初めてこの事聞かされたから、まぁ…ちょっと混乱してたっぽいけど」
「…うん」
「真剣に聞いてたよ?ーーーリュウイチの話」
〝リュウイチ〟という名がイノランの口から出た途端、隆一の肩がビクリと震えて。きゅっと、下げた眉を寄せた。
「ーーーっ…イノちゃん」
「ん?」
「ーーーーーっ…」
「ーーー隆?」
「ーーーリュウイチを、悪く思わないで…あげて」
「ーーー」
「リュウイチの意思じゃないんだ」
「ーーー」
「ーーー非常階段に…いた男も。ライブに来ていたり…楽譜を届けた…のも。ーー全部、リュウイチだけど…」
「ーーー」
「確かに、姿を変えたリュウイチだけど。ーーー彼の意思じゃないんだっ…」
ーーー〝だから俺がコマになった。時には姿を変えて、時には俺が〝神様〟の器になって動いたり。隆一に手首の痕をつけたのも、楽譜を届けたのも、夢を見せたり、意識を奪って歌を歌わせたり…〟ーーー
全部…俺なんだよ。と。
どこか苦しげに言った、先程のリュウイチの言葉を思い出す。
ーーーこの地上を救うための、これが最後に残された方法なのかもしれない。
あらゆる手を尽くしても、〝神様〟ですら抑えきれない、地上の侵食。
手遅れになる前に、何としてでも抑え込む。その為には、〝神様〟としても躊躇ができないのかもしれない。
ーーーけれど。
そのために目覚めさせられたリュウイチ。
ーーー各地に眠っていた、隆一の歌声の記憶。
集められて、具現化されたリュウイチは。ーーーフトした時に、寂しそうに笑っていた。初めての事を体験して嬉しそうにしていた。
ーーーそれは、つまり。
「リュウイチはひとりなんだ。俺の周りには皆んながいてくれるけど…リュウイチは違う」
「ーーー」
「あの真っ白な空間に…いつもひとりなんだ…」
ぽろぽろと、隆一は再び涙を溢す。
どんな思いだろう。
自分の意思では無いとはいえ、声の主である隆一を巻き込んでいかなければならないリュウイチは。
たったひとりで、全てを担っていた重圧は。
本当は。
帰りたいと願うのだろうか。
本来あるべき、歌声の記憶の蒔かれた場所へ。
「ーーー隆ちゃん」
「っ…うん」
「ちゃんとわかってるよ?リュウイチの事」
「っ…」
「俺らの知らない間に、こんなデカイ事に対抗してくれてたんだよな」
「ーーー」
「たったひとりでさ。〝神様〟の言われる通りに」
「ーーー」
「ひとりで頑張ってくれてた。ーーー悪くなんて、思うわけねぇって」
「!…」
「それに。ーーー元は隆の歌声だろ?」
「っ…ーーーん」
「なんかもう、他人事じゃないよな」
「っ…うん!」
それならば、もうここまで関わったのならば。
〝リュウイチ〟の存在する理由を、知ってしまったから。
いよいよもう後戻りはできない。
「隆ちゃん」
「え?」
「あのあと、リュウイチは何か言ってた?」
「ーーー」
「リュウイチが…多分。俺らの前からいなくなって、ソッチに…戻ったのかな?」
「ーーー」
「夢の中で、リュウイチは何か言った?」
涙で濡れた隆一の目元を拭ってやりながら。イノランはじっと隆一を見て問いかけた。
全てを聞く前に、リュウイチは夢?の中に戻ってしまったから。
ーーーもちろんたくさんの事をリュウイチは教えてくれたけれど。
「教えてくれたよ」
「!」
「リュウイチが戻ってしまったのは、俺のせい。俺が…つい、向こうで口出ししてしまったから。リュウイチが俺の表面上に出ている時に俺が言葉を発すると、オリジナルの俺の方が力が強いから、リュウイチは表に出ている事が保てなくなるんだって」
〝ーーーリュウイチが、可哀想だよっ…〟
隆一は耐えきれずに、リュウイチから受けた注意を振り切ってしまったのだ。
「だから、続きは俺に話してくれた。だから、イノちゃんにも話すよ」
「〝0520〟って数字があったでしょ?」
「ああ」
「あれはやっぱり、俺の誕生日なんだって」
「ーーーツアーファイナルじゃん。その日に、何か起こるのか?」
「俺の力が最大限に発揮できる日」
「え?」
「生まれた日。そこからまた一年が始まる日。ーーー歌に込められる力も、いつも以上になるんだって」
「ーーー」
「その日にあの歌を歌えば、この地上の侵食を一気に消す事ができるだろうって…〝神様〟の予測なんだってさ」
「ーーー〝予測〟かよ」
「ふふっ 、ねぇ?ここまできたら、断言して欲しいよね」
「ホントだよ。どんだけ振り回されてんの?って…ーーーまぁ、もう今更いいけどさ」
「うん。協力して、なんとか…ね?」
「ーーーーーリュウイチも…どうにかしてあげたいもんな」
「うんっ」
どうしたら、どうにかできるのかは、わからないけれど。ーーーでも。
この時イノランは、ある可能性が頭の端に浮かんでいた。
「じゃあ、5月20日のツアーファイナルで…あの歌?」
「う…ん。そう、言ってた…けど」
「ーーーうーん……」
「……」
「ーーーアレンジとかしていいのかな」
「え?」
「まだ一度も演奏も歌ってもいないから、どんな曲か分かんねーけどさ。ライブで演るなら、ちょっとくらいアレンジ加えないと…」
「ーーーだよね」
「メンバー全員、この話を知った以上。やるならバンドとして曲やった方が…いいよな?」
「うん。俺もその方がいい。前にイノちゃん言ってくれたもんね?ーーーその方が心強い」
「ん。ーーーそれにね。…あの曲に込めた力ってゆうのが…なんかなぁ…って思うんだよな」
「〝神様〟作曲の?」
「うん…。リュウイチの話では〝神様〟は、負の感情を完全否定…みたいな事言ってたじゃん。もちろん地上から〝負〟を完全消去したら、そりゃ手っ取り早いと思うよ。…でもさ」
「あの後みんな、その話で盛り上がってたもんね?」
「あ。聞こえてた?」
「うん!ーーー俺もね?その通りだって思ったよ」
「うん」
「〝乗り越えよう〟って勇気の出るメッセージを込めたいよね」
「そう。ってか、そうじゃなきゃダメだよな」
「うん!そうじゃないなら、あの歌は歌えない。だって、思ってない事を歌うことになっちゃうもん。それじゃあ、歌の力は発揮されないよね」
「何より、隆の気持ちがこもってないとな」
「そうだね」
ファイナルまで、まだ時間はある。最終日まで、ツアーを進める中で。もちろんリュウイチに相談はするけれど、せっかくだから良い曲に仕上げたい。
〝神様〟と、リュウイチと、ルナシーの力が込められた曲。
上手くアレンジできたら、それこそ最強の音楽になるんじゃないか?
イノランも隆一も、ここに来て。初めてこの曲に心踊る予感がした。
ーーーそれから。
「ね、隆?」
「ん?」
「俺は聞きそびれちゃったんだけど…なんか言ってた?リュウイチ」
「?…なにが?」
「ーーーだからさ。…」
「うん?」
「…隆に、俺のキスが効く理由」
「っ…!」
「ーーー聞いた?」
ぼぉっ…と顔を赤らめる隆一。
たった今までの、真剣さを含んだ空気がどこかに行ってしまった。
今ここにあるのは、恋人同士の周りを包む、どきどきしてあったかい空気だ。
「ーーー俺も、聞くの忘れてた」
「ーーーそっか。」
「うん…ごめんね?」
「なんで?…謝る必要ないよ」
「ん…。」
「ーーーでも。わかんねぇけど…効くから良いよな?」
「ーーーっ!」
「変な呪文とか、妙な苦い飲み物とかでじゃないと隆が治らない!じゃ困るけど」
「俺だってヤダ‼」
「だからさ。キスで治るなんて、良いよな」
「っ…うん」
間近でこんな会話して、平気でいられるほど二人に余裕なんか無い。
だって、好きなひとが目の前にいる。
触れたくなってしまうのは仕方ない。
イノランの手が伸びて、ベッドの上で隆一を抱きしめる。
泣いていた隆一の睫毛がまだ濡れていて。イノランは唇を寄せて目元にキスした。
「っ…」
「隆、アイツらの前で、泣くんだもんな」
「だっ…て」
「ん?」
「っ…ーー仕方ない…じゃ ん…」
「そうだけどさ」
隆一の顔中にキスを散りばめるイノランは、何と無く面白くなさそう。
泣き顔なんてものは、自分以外には見せて欲しくないという…独占欲。
「んっ…」
「っ…ーーー」
「…は ぁ…っ…ぅん」
隆一をしっかりと抱いて、唇を堪能する。片手で黒髪をくしゃくしゃと弄ると、気持ちよさそうに目を細めた。
向こうのリビングには三人が寝ている。いくら扉があるとしたって、静かな夜だ。声を立てたら聴こえてしまう。
でも。
「っ…イノちゃん」
「ん…」
大きな覚悟を決めた後は、欲しくなる。確かな、ここにいてくれる存在。
何度でも。
欲しくなる。
「ーーーしたい よ。」
三人がいるのに。
来てくれた皆んなに、悪いなって、思うけど。
でも。
今だけ、どうか許してほしい。
服は既にお互い肌蹴て。
ベッドの上に、隆一は沈められて。
「声。我慢する隆ちゃんも…ヤバイね」
「っ…」
「俺の肩でも腕でも、噛み付いていいから」
「ぁっーーーー」
せめて声を我慢して。
暗闇に紛れて、密やかに愛し合う。
それでも軋む音。
衣擦れの音。
吐息と、濡れた音は隠せない。
「っ…ーーーーん…」
「隆ちゃん、だめだよ。そんな…唇噛んじゃ」
血、出ちゃう。
そう言って、イノランは舌先で隆一の唇を舐める。
舐めると、強張った隆一の身体が緩んで。爪を立てていた指先も、滑るようにイノランの背中に縋った。
「ぁ っーーーー…っ… あ」
「声、出して?少しくらいは、ヘイキだよ」
「ん…っ…んっ…」
ふるふると頑なに首を振る隆一が可愛くて。そんな姿を見ると苛めたくなるのもいつもの事。
肌蹴たシャツの隙間から見える隆一の胸の先端に、イノランはいきなり吸い付いた。
「や ぁっ…ん」
口内で舌先で刺激されて。思わず溢れた声に、イノランは嬉しそうに微笑んだ。濡れた音が響く度、隆一は更に首を振って抵抗する。
「っ…音 …やぁっ…」
「なんで?」
「皆…な ーーー起きちゃ…」
「平気」
ちゅっ…と、唇を離すと。隆一の脚を開いて身体を押し入れる。
これから先の快感を知ってしまったから、期待で鼓動がうるさいくらいだ。
重なり合うように、隆一とくっついて。視線を離さないで。
「っ…いい?」
「ーーーうんっ」
挿れたら、隆一と繋がった満足感で、胸がいっぱいになる。
ゆっくりと揺すると、はじめはぎゅっと口を引き締めて我慢していた隆一も。もうだめで。
「ん…んっ…ーーーっ…」
「りゅうっ…」
「ぁんっ… んっ…ーーー」
イノランは隆一の頭を自身の肩口に寄せる。突かれながら、優しく抱き寄せられる心地よさに。
声も我慢できなくて。
隆一は目の前にさらされた肩に噛み付いた。
イノランが一瞬、痛みに耐えるように息を詰めたのがわかったけれど。
気持ちよくて。
やっぱり、どんな事が待っていようとも。このひとが側にいてくれたら大丈夫って。思えて。
霞んでいく視界と思考の中で。
隆一の頭をよぎったのは、リュウイチの事。
こんな風に、誰かに愛されて。めちゃくちゃに繋がる幸せも。
きっと知らずに。
あの白い空間で、ひとりきり。
そう思ったら、胸が軋んで。
縋るように、隆一も自らイノランを求めた。
リュウイチに、ちゃんと教えてあげたいって思う。
君は、俺の歌声。
俺は歌う事を愛してるよ。
だから。
君の中にも、ちゃんと入っているよ。
愛を込めて歌った、俺の想いが。
…って。
………………
「お、イノ。はよ~」
夜更かしが過ぎたイノランが、なんとか朝目覚めてリビングに向かうと。
そこには三人が、朝のニュースを見ながら寛いでいた。
「はよ。皆んないつ起きたの?」
「や、でもついさっきだよなぁ?」
「さすがに腹減ってさ。そこのコンビニ行って来た」
「イノと隆にもテキトーに。何食う?」
「ーーーサンキュ。でもまず」
「あっ ‼?」
「え?」
「ーーーーーーイノ…肩?」
「ーーー」
「ーーー」
「ーーーあー…。これね」
隠したつもりだったのに、見えてたらしい。情事の痕。
そのタイミングで。
イノちゃ~ん。という、隆一の寝惚け気味の舌ったらずの声。
「隆ちゃっ…」
思わず慌てたら。
「!」
「!」
「!」
「ーーーあぁ…」
肌蹴たままの姿で、身体に散った赤い痕もそのままで。
三人が来ているをことを失念していたのだろう。
「っ…!!」
目を見開く三人の横で、苦笑いのイノランと、赤面の隆一。
「まぁ、仕方ないか…」
この際、全て曝け出してしまえばいい。どれだけお互いを想っているか。
この三人には、遠慮なく。
「オマエら…。取り敢えず…風呂入ってきたら?」
こちらも苦笑い。
三人に背中を押されて、二人はまとめて、風呂に向かった。
仕切り直して。
揃って朝食を摂りながら。
隆一とイノランは、三人に言った。
「決戦は、5月20日。ツアーファイナル」
「その日に、あの曲をやりたい。もちろん、ルナシーで」
「!」
「!」
「!」
「どんな事が起こるかわからない。ーーーでも、歌うって決めたから。だから、力を貸して欲しいんだ」
「曲も、できたらアレンジしたい。あのままじゃ、込めたいメッセージが入っていない。あれをベースに、俺たちのメッセージも込めたいんだ」
「ツアー進めながらになっちゃうから…慌ただしくなると思うんだけど」
「まだ時間はあるから。いい曲にしたい。どうせやるならさ?」
「スギちゃん、J君、真ちゃん…いい?」
じっと見つめる隆一とイノラン。
その真っ直ぐな視線を受けて、三人の表情が煌めいた。
「もちろん!すっげえ良い曲にしよう」
「時間無えのは、慣れてんじゃん?」
「イイね‼やる気でるね‼〝神様〟もびっくりするアレンジしよーぜ!」
一瞬の間にミュージシャンの顔になった三人に。二人は心強さに微笑んで頷いた。
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