長いお話・2 (ふたつめの連載)












抗えない程の眠気に襲われて。
隆一は、夢の中におちていった。

深く。深く…










白い空間にひとりぼっち。

目が覚めると、隆一は何も無い空間に横たわっていた。




「ーーーーーここ…」



数回の瞬きの後、ここは来たことがあると思い出して。ゆっくりと身を起こした。

ここは以前、もうひとりの隆一と初めて出会った場所だ。
今回で二度目。初めてでは無いから、恐怖心は無かった。
それよりも、また会えるかもしれないと。
もうひとりの隆一…リュウイチに。
そう思ったら、早く出て来てくれないかと。気持ちがはやる自分を自覚した。

リュウイチに、聞きたい事がたくさんあるから。




( ーーーお願い…)



楽譜の書き起こしも、なんとか終わらせた。それが合っているかどうかは分からない。
だからこそ、教えてほしい。

足りないものは何なのか。
この後何が起こるのか。
今、自分は。何に巻き込まれているのか。
進むべき道は何なのか。
そして。
リュウイチ。もうひとりの自分は、どんな存在なのか。

こうして疑問を挙げると、知らない事だらけなんだ…と。思わず苦笑がこぼれてしまう。
それにも関わらず、協力を惜しまず側にいてくれるイノランや。それからメンバーたち。
文字通り、見返りも求めずに。



( 心強いよ。みんな…ありがとう )



こうして非現実的な空間に、ひとり立っていても。足が竦む事が無いのは彼らのお陰だ。
ただの四人ではない。
長い間、本心をぶつけ合ってきた彼らだからこそなのだ。










ーーーーーコツ…



「!」



思考の奥にいた隆一の耳が、微かな音を拾い上げた。




コツ…コツ…コツ…




( ーーー来た )




やはりもう、恐怖心は無い。
聞き覚えのある靴音は、確かに隆一の後ろから近付いてくる。




コツ…コツ…コツ…。



靴音が、ピタリと止まったところで。
相手に背を向けたまま、隆一ははっきりとした口調で言った。




「リュウイチでしょ?」




背後の空気が揺らぐ気配を感じて。隆一は、ゆっくりと後ろを振り返った。
また、足先から。視線を上げる。
クラシカルな綺麗な靴の上に、白と黒の服。
ーーーそこには、柔和な微笑みを浮かべた。
リュウイチがいた。




〈こんにちは〉




俺ってこんな風に笑うんだ…と。もうひとりの自分を見て、隆一は思う。




「こんにちは」

〈ーーーなんか…慣れた?この空間〉

「そりゃあ…最近こんなのばっかりだもん。非現実で…逆に慣れてかないと、疲れちゃう」

〈ーーーいちいち驚いてたら?〉

「そうだよ」




ちょっと拗ね気味に、相手に皮肉を込めて言うと。リュウイチはクスクス笑って、肩を竦めた。




〈さすが俺。強気だね〉

「俺だけじゃ無理だったよ?イノちゃんが…。みんながいたから、こうして立っていられるの」

〈ーーーそっか…〉

「うん」

〈ーーーーー羨ましい〉

「え?」




ぽつんとこぼした。リュウイチの小さな声。独り言みたいな、微かなもの。
隆一はそれが気になって、どうしたの?…と聞こうとしたら、リュウイチは何でもないように笑って。そして。




〈楽譜の解読。終わったんだね〉

「っ …う、うん」

〈すごいよ、ちゃんと書き上げられるなんて。やっぱり君とイノちゃんは最強だよ?〉

「でも…合ってるかわかんないよ」

〈大丈夫〉

「え?」

〈教えてあげる。これで良いかどうか。ーーーそれから〉

「ーーー」

〈隆一。…君が疑問に思ってる事…全部〉

「っ …!」


















……………………



規則正しい呼吸を繰り返して、眠る隆一。
メンバーたちの前で、突如深い眠りにおちた隆一。しばらくソファーに横たえて様子を見守っていたけれど、起きる気配が無く。隆一の身体を気遣って、寝室のベッドに移動させたのは先程の事だ。




「今夜、どうする?泊まってく?」



気付くと外は暗くなって。それでも心配そうに隆一を案じるメンバーたちに。イノランはこれからどうするか、泊まってっても平気だよ。と、打診した。
メンバーたちはイノランに視線を向けると、皆それぞれ頷いた。



「俺らはリビングで雑魚寝でいいよ」

「布団あるよ?」

「ヘーキ。そんなヤワじゃねえよ。あ、シャワーは浴びたいけど」

「もちろん、いいよ」

「ーーーイノ…逆に、いいの?」

「え?」

「俺ら、ここにいてさ。だって恋人たちの愛の巣…」

「いいの。そーゆう気の回しは今はいいから。ーーーそれより」

「ん…」

「隆ちゃん。みんなだって、心配だろ」

「ん…。ーーーサンキュ」

「ーーー掛けるものだけ持ってくるよ」



イノランはそう言って、寝室の隣の部屋の収納部屋へと向かう。ーーーでも、その前に。
寝室のドアをそっと開けて、眠っている隆一の側に歩み寄った。



「ーーー」



さっきと同じ。
安らかな寝息。胸まで掛かった掛け布団が、僅かに上下している。ーーーその穏やかな寝顔が、悪い夢を見ているのではない事を裏付けているようで。
今はそれだけで、安心する。




「睫毛…長いなぁ…」



前髪がかかった目元に目がいって。こうしてじっと見つめると、改めて気付くことがある。

長い睫毛とか。無造作な黒髪の幼さとか。…何度も重ねてきた、唇の艶やかさ…とか。
そんな事を考えたら。




「……」




眠る姫と。それに見惚れる王子。
歌姫とか、騎士とか。今回のこの出来事は、やけにそんなワードが出てくるな…と苦笑い。

さっきまで向こうの部屋から聞こえていた三人の声は、最早聞こえない。
こんな時、いつも思う。
二人きりの世界に浸ると、全ての音が遠くなって、なにも聞こえなくなる。聞こえるのは、加速する鼓動の音だけだ。




「ーーー隆」



キシ…と。ベッドに手をついて、隆一を見下ろして。
やっぱ可愛いな。…なんて、微笑みがこぼれて。

どんな事になったって。
俺はここにいるよ?
ーーーお前を、愛し続けるよ。


そんな想いを込めて。
眠る隆一の唇に。
イノランは、優しいキスをした。









ぱちっ 。

そんな音が聞こえそうな勢いで。
まだ唇が触れ合った状態で。
隆一が、目を覚ました。




「イノ~?なあ、ちょっくらコンビニ買い出し行くけど、なんか…」



Jがのっそり寝室に顔を出して、なんか買うモンある?と言ってきたタイミング。



「!」



のちのJの証言によれば、某アニメーション映画の目覚めのキス。まるでSleeping Beautyの、眠り姫と王子の構図そのまんまだったと言う。
俺も見たかったー‼と悔しがるスギゾーを、真矢とJは宥めるのが大変だったとか、なんだとか…。


それはさておき。





「隆!」



目覚めた隆一の顔をじっと見て。イノランは視線を合わせてくれる隆一にホッとして。
アイツら呼んでくると言って、慌ててリビングに戻るJの声を聞きつつ。イノランはゆっくり、隆一の身体を起こしてやった。



「どっか…具合悪いとこ無い?」



心配そうに顔を覗き込むイノランを、隆一はじっと見つめる。
そんないつもと違う雰囲気を、イノランはすぐに感じ取って。
隆一の手を握ってやって、もう一度尋ねた。



「隆ちゃん?…平気?」



バタバタと、リビングから駆け付けた三人が見守る前で。さっきから何も言わずに、じっとイノランを見つめていた隆一が。ここで漸く、イノランに微笑みをこぼした。





〈はじめまして。リュウイチです〉



「ーーーえ?」




にっこりしたまま挨拶する隆一…?…リュウイチは。
隆一と同じ微笑みで、四人を見て。そして、続けた。




〈ーーー…大丈夫?〉



呆然とする四人の様子にちょっと不安になったのか、リュウイチは窺うように首を傾げた。
それにハッとした面々は。今度は逆にリュウイチをまじまじと見つめた。



「隆ちゃん…じゃなくて。…もしかして、もうひとりの隆?」



一番に口を開いたのはイノラン。
その姿形と声は確かに隆一だけれど。どうしてか、ピタリとはまり込むようなしっくり感が、この隆一には無い気がしたのだ。



〈そう、もうひとりの隆一。隆一は、リュウイチって呼んでた〉

「隆一がリュウイチって…混乱するな」

「じゃあ、身体は隆だけど中身はリュウイチって事?」

「え、じゃあ隆は?」



一緒にいた三人も混乱。つい先程、予備知識として聞かされたばかりなのだから無理は無い。



〈大丈夫、隆一は無事。俺は実体が持てない空気みたいな存在だから、隆一の身体を今だけ借りたんだ。今もちゃんとこの会話を俺の中で聞いてる。ーーー俺の話を皆んなにも一緒に聞いて欲しいって。だからこんな形になってるんだけど…〉

「そっか、この出来事を教えてくれるんだな?」

〈うん〉

「ありがとう、隆ちゃんも俺も。それからコイツらも、皆んな君に会いたいって思ってたよ?」

〈うんっ 〉







聞かせてくれる?と、イノランに請われて。全員でリビングのソファーまで移動した。
どうぞ。と言って出された紅茶に。リュウイチはぱあっと目を輝かせた。



〈初めて…。こうやって、目の前に飲み物を出してもらったの〉

「え?」

〈ソファーに座るのも初めて!〉

「ーーー」



心底嬉しそうに、楽しそうに言うリュウイチ。紅茶を飲むのも、ソファーに座るのも初めて。…それでは一体どんな過ごし方をしていたのか。なまじ隆一と見かけは同じだから、どうしてもいちいち困惑してしまう。

それでも、なんとか割り切って理解しながら進まなければならない。そうでなければ、こうしてリュウイチが出てきてくれた甲斐が無い。



「リュウイチ。じゃあ、早速だけど、聞いてもいい?なんかさ、話の後リクエストとかあったら言ってよ。Jとスギちゃんの間に座りたい!とかさ。真矢君とこのラーメン食いたいとかね?」

「あっはっは!そりゃいいな!」

「俺とJの間に座って良いことあるか⁇」

「まぁ…初めて体験だから…リュウイチが望むんなら」



イノランの言葉で、緩む空気。
張り詰めたままじゃ、息が詰まるだけだ。
隆一だけどリュウイチ。
リュウイチだけど隆一。

イノランにとって誰より愛しいのは隆一だけれど。隆一の中の、純粋な結晶みたいなリュウイチが、放っておけなかった。




〈何から話せばいいかな。…順番に話せばいいかな〉

「いいよ。リュウイチが話しやすいように話してよ」




四人の視線を受けながら。リュウイチははにかみながら、口を開いた。




「じゃあ、まずは。今この世界で起こっている事」




静かな空気の中で。
聞き慣れた、静かで甘い、隆一…リュウイチの声が。
心地良く、流れていった。










地球が生まれて。長い長い時の中で。
人類が初めて誕生した頃。
この世界は、生命が溢れていた。

不平も不満も無く。
ただただ、その瞬間を精一杯生きていた人類。

そこから進化も文明も進んで。
豊かな暮らしと引き換えに生まれたのが、不穏。不安の種だった。
歪み、憎しみ、絶望…。
個々の生み出すそれらの種は、とても小さなもの。もしかしたら、その本人すら気付かない程の。



〈負のエネルギーってね、引き合って、呼び寄せてしまうんだ。それでいつの間にか、負のエネルギーの塊は、どんどん大きくなって…〉



負のエネルギーは目に見えないもの。
地上の人々は、その存在に気づかない。
それでも刻々と地上を蝕んでいく負のエネルギーは。遂にこの地上の端を、黒く染めてしまった。
ここにきて、可視化できる程に大きくなって。これ以上侵食が進んだら、取り返しがつかないと…。



「ーーー侵食って…具体的には、どんななの?」

〈生命の存在しない場所。光も通さない。人間はもちろん、動物も、植物も、水も、微生物すらいない場所。ーーーそんなところが生まれてしまった〉

「あっ !」

「スギちゃんっ 、今の話…」

「新幹線で読んだ、あの雑誌の記事の…⁉」

「ーーーまさか…ここと繋がってたなんて…」

〈ーーー知ってたの?〉

「スギちゃんが読んでた雑誌に、それに関する記事が載ってたんだ」

「そんな事があるんだ。ちょっと怖いよな…ってくらいの認識だったけど…」

〈もう…そんな明るみに出てるんだね〉



リュウイチは唇を噛んで、焦りの色を浮かべる。ここまで事が進んでいるとは。もしかしたら想定外だったのかもしれない…と。イノランは思った。




〈ーーーそれでね、それを案じた…〉


その事態をどうにかしなければと動いたのが。
〝神様〟と呼ばれる存在だった。

〝神様〟は。あらゆる方法で、地上の浄化を試みた。しかし侵食のスピードは想像以上に早く。



〈浄化しても浄化しても、すぐ次の瞬間に次が生まれる〉



万物を創り上げる〝神様〟の力をもってしても。既に地上に生まれ落ちた人々の心を変える事は出来なかった。
どんな感情を心の内に抱えていようと。個々の心は、個々でしか変えられない。
他人が力づくで変えるものではないからだ。
ーーーそして、それならば…と。
〝神様〟が考え出した、最後の方法。



〈歌だよ〉



「ーーー歌?」


〈そう。世界を包む、祈りと救いの歌〉

「ーーーーーもしかして…それって」

〈そうだよ。隆一とイノちゃんが、一生懸命解読した、あの楽譜〉

「あの楽譜が…世界を救う?」

〈あれはね、〝神様〟が作曲した、特別な曲なんだ。あのメロディーには特別な力が込められてる〉

「特別?」

〈ーーーこの地上にある、負のエネルギーを失くす歌。人々の心から不安を失くす歌〉

「え…?」

〈人々の中の不安の種を摘み取って。もう二度と、負のエネルギーが生まれないように…って〉

「ーーーーー」



ツキン…。と、イノランの心の琴線に、何かが引っかかる。
ーーーいや。イノランだけではなかった。スギゾーも真矢もJもだ。
そして今ここには居ない隆一も、きっと。



「ーーーそれってさ。負の感情を、完全否定するって…事なの?」



イノランは、思った事を言った。
そこには思惑とか、疑心とか、そんなものはなくて。ただ確かめたかったから。
しかし周りを見ると、三人も深く頷いて。リュウイチをじっと見る。


〈ーーー〉


ルナシーというバンドを組んで、もう何年も経って。その間には、色々な事があった。
辛い事、苦しい事、悔しい事、悲しい事、憤った事。そして、良かった事。
こうして羅列すれば、良い事以上に目立つのが負の事柄だ。

でもだからこそ、引き立って見えてくる。陰があるから、光はますます輝いて見える。
光があるから、陰ができる。
そんな多くの経験が、たくさんの曲を生んできたし、音楽にも重厚さをもたらした。



「俺らの音楽から負の感情取ったらさ、なんか…」

「薄ーい、音楽になりそう」

「つか、多分皆んなそうだよ」

「音楽だけじゃないよな。どんな職業でも、誰の人生でも…だよ」

〈ーーー〉

「リュウイチを責めてるわけじゃないよーーーでも…」

「負の感情は、あって当然。それを持ってても、平気な事だってあるじゃん。…寧ろ大事なのは、そっちだと思う」

「〝俺は今ネガティブだよ。でも平気。それと向き合って、味見して、飲み込んで出してるところだから〟って。そうやって堂々と言えればいいんだよな」

「ははっ!そうだな」

〈ーーーーーー〉



いつの間にか盛り上がる四人。この手の話になると、ついつい熱くなる。

フト見ると。
眉を下げて、そんな四人を見つめるリュウイチに気が付いて。イノランは慌てて苦笑いをこぼした。



「ごめんな?ーーーなんか…まだ話の途中なのに」



イノランの言葉に、リュウイチはふるふると首を振って。そして、眉を下げたまま微笑んで言った。



〈ーーーやっぱり、思った通り〉

「え?」

〈皆んな…強いね〉

「ーーー」

〈強くて、優しい。そんな皆んなに囲まれているから…〉

「ーーー」

〈隆一の歌声は、力があるんだ〉

「隆ちゃんの…?」

〈この歌はね、隆一にしか歌えないんだ〉







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