長いお話・2 (ふたつめの連載)












明後日には、次なる地でのライブに向けて、また移動する事になる。



イノランと隆一は遠征に向けての準備の傍ら、ほぼ完成間近になった譜面の解読を急いでいた。

ーーーしかし、不安は残る。
二人にとって、こんな作業は初めての事だ。見たことの無い文字、記号。この譜面から読み取れる、ただ唯一わかる事といえば、五線譜に乗っているという事だけ。五線譜すら無かったら、これが譜面だって事もわからなかっただろう。






「やっと…ここまで出来たね」



隆一は、音符に書き直された譜面をしみじみ眺めながらため息をついた。
イノランも、元の譜面を目で追いつつ。鉛筆を走らせる手を休める事なく返事をした。



「ーーーこれが正解で…あってほしいけどな」

「うん…」



そうでなければ、この数日間の苦労が水の泡だ。ライブとライブの貴重な隙間の日々で進めてきた、この作業。
是非ともこれが解決への足掛かりになって欲しいと、二人の想いは切実だ。



「でも…出てこないね」

「ん?」

「もうひとりの俺」

「ーーーあぁ」

「あれ以来夢に出ない」

「ーーー」

「ーーーーーーーもしさ?」

「…うん?」

「彼が今現れないって事が、肯定の意味なんだったとしたら?」

「ーーーリュウイチ…って呼ぼうか。ーーーそのリュウイチが言ってたんだよね?楽譜を完成させたら何か起こるって」

「うん。ーーーこの楽譜の作業、これで合ってるから出てこないのかな。このまま進んで大丈夫だよ…ってメッセージなのかな」

「だといいな。ーーーだって隆ちゃん言ってたもんな。リュウイチは悪い感じしないって」

「うん。夢で会うのも内緒…って言ってたから。なんか堂々と俺と会えない理由があるのかも。だとしたら、あれ以来夢に出ないって事は…」

「無言の肯定…ってヤツ?」

「うん。あとほら…」

「ん?」

「便りがないのはいい便り。ってのも」

「ハハハっ …!ーーーだな」

「なんか、そんな気がする」

「うん。ーーーきっとそうだよ」

「ーー勘みたいなものだけど」

「いいんだよ」

「え?」

「言ったじゃん?ーー勘って大事だぜ?って」



そう言って、微笑みながら書き進めたイノランの手元の譜面が。
いよいよ最後の一行を残すのみとなっていた。









その日の昼下がり。
書き上がった、真新しい楽譜がテーブルに鎮座していた。
ずっと集中して作業していたから。こうして書き上がったものを目の前にすると、急に肩の力が抜けて呆けてしまう。





「ーーーできたな」

「うん」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーーーーどうする…歌う?」

「ーーーー…歌う?」

「……」

「……」

「……それかさ。ーーーーー先に、話す?…アイツらに」

「!」

「話して、それから歌う?」

「ーーーその方が…いいかな」

「どのタイミングでも、いつかは話さなきゃ…だし。歌う時が来るし。だったら…もう、はじめっからルナシーで演るのもいいんじゃないかなって」

「ーーーうん」

「まぁ、アイツらが俺らの話す事を、受け入れてくれる事が前提になっちゃうけど…」

「そうだね」

「ーーー平気だよな?」

「平気だよ!ーーーそこは、きっと」

「ん!」




そうだな!って頷き合って、確認しあうと。イノランはスマホを取り出して、もう一度隆一を見た。




「早速だけど、アイツらを呼ぶよ?結局ライブ直前になっちゃったけど、早い方がいいと思う。今日なら多分…遠征の前だから大きな仕事も入ってないはず」

「ーーうん。イノちゃん、俺も電話かける」

「うん、じゃあスギちゃんにかけてくれる?俺はJのあと真ちゃんに電話する」

「うん!」



急に進み出した事態の速さを肌で感じながら、メンバー達にかけた電話はすぐに繋がって。突然の呼び出しにも関わらず、三人はこれからイノランの自宅へと集まってくれる事になった。









こんなライブ遠征の直前に呼び出すなんて今までなかったから。電話で呼び出した時の三人は、どこか緊張感を帯びた声をしていた。
そりゃそうだろう。と、二人は思う。
ライブ前というのは、楽しみな反面、気を張っている時期でもある。
本当ならイノランと隆一だって、こんな差し迫ったタイミングは避けたかった。
ーーーでも隆一のこの事態は、このライブにも影響する可能性があるから。この際、メンバー達のライブ前におけるメンタル面はきっと大丈夫だろうと割り切って。
今日これから、三人に話すのだ。



ほぼ同時に到着した三人は。玄関に迎えに出た隆一に通されて、リビングのソファーへ腰を落ち着けた。

初めてでは無いはずのイノランの家。
それなのにどこか落ち着かない様子の三人に、イノランは苦笑いを浮かべて言った。



「何飲む?ーーーコーヒーでいい?」

「ん?…あぁ」



三人同時に頷く様子に、イノランはますます苦笑いを濃くして。傍らに立つ隆一に微笑んで言う。



「隆ちゃんは紅茶でいい?」

「うん、俺も手伝うよ?」

「ん。ありがと」



そんな仲睦まじいイノランと隆一の姿に、三人は首を捻って。キッチンからトレーに乗せたコーヒーを持って来たイノランと隆一が、ソファーの前のローテーブルの周りに座ると。

待っていたように、まずスギゾーが口を開いた。




「ーーーなんかあったのか?」











スギゾーの問いかけに、真矢もJも真剣な眼差しを向ける。

ーーーライブ前に、メンバー五人でこんな風に集まるなんてな…。と、一瞬、この状況を微笑ましく思いながらも。
向けられた疑問と、滲み出る不安の表情に頷いて。



「ーーー何から話せばいいかな」

「はじめからでいいよな?ーーーちょっと長くなるけど」

「ん…」

「ーーーあのさ?信じ難いような要素も入ってくると思うけど。ーーー実際俺らも混乱してるところがあるんだけど…」

「ーーー」

「隆と俺は、信じて打開していくって決めたから。…だから、今から話す事…聞いてほしいんだ」

「上手く説明できないかも…ごめんね?…でも、ちゃんと全部話すから」



イノランと隆一の覚悟を決めた、静かな瞳に。スギゾーも、真矢もJも。
語り出される話に、じっと耳を傾けた。





















時計を見ると。
もう一時間は経っていた。
三人が集まったのは夕方だったから、もう空は暗くなり始めていた。

テーブルの上のイノランが淹れた三人のコーヒーは全然減っていなくて。
すっかり冷え切って、寂しそうに見える。




「ーーーーー以上。とりあえずは、ここまで」




イノランの明るさを含ませた声が、静まり返ったリビングに響く。
イノランがチラリと横をみると、隆一は落ち着いた様子で三人を見ていた。



「ーーー」


急にスギゾーが立ち上がって、テーブルの横に座る隆一の前で止まると。
しゃがんで、隆一の左手をそっと掴んだ。その一連の様子を、隆一はされるがままに見つめて。スギゾーの指先が、隆一の左手首につけられたブレスレットを上にずらした。



「っ …!」



手首に現れた痕に、スギゾーも二人も目を見開いた。



「ーーーずっと消えないの」

「ーーーーー」

「イノちゃんがね、包帯だと逆に目立つって。こっちの方がいいよって、つけてくれたんだ」

「ーーーーーーそっか…」

「なんでイノのつけてんだろ…って、思ってはいたんだよな」




スギゾーはブレスレットを元どおりに戻してやって。隆一を見つめる目には慈愛が滲んでいて。隆一はなんだか湿っぽい雰囲気を感じてしまって、ここぞとばかりに明るい声で言った。




「ライブをちゃんとやり切る事を、まず考えたいんだ。ーーー色々よくわかんない事になってるんだけど、それは俺個人の問題だから。ファンの子もスタッフも、巻き込んじゃいけない。ーーーでも、みんなの事は、巻き込ませてもらった」

「メンバーには言おうって言い出したのは、俺。ーーーホントは、はじめは二人でなんとかするべきだって思ってたし、したかった。でも俺だけじゃ、隆を完全にフォロー出来ないって思い知った。ーーー隆を。隆だけを危ない目に遭わせるなんてできないから」

「ーーーツアー中の、こんな時にこんな話。本当に申し訳ないって思うけど…ライブを成功させたい。ファイナルまで。ーーー力を貸してほしいんだ」



話だけ聞いたら、多分…信じ難い話。
三人にとっても、そんなのは物語の中だけのものだって思ってきたから。

ーーーでも。
目の前にいるイノランと隆一は。それを信じて、なんとか乗り越えようとしている。
消えない痕を抱えながら、先が見えない道を二人で進もうとしている。

怖くて、怯んだりしないのだろうか…?と、不思議に思う。

ーーーでも、イノランと隆一と話してみて、その根底にある強さの源が見えた。

〝ライブを良いものにしたい〟

ただその一心で突き進んでいるのだとわかったのだ。



「ーーー俺らはなにをすればいい?」



スギゾーが真矢とJに一瞬視線を向けると、今度は隆一とイノランに向かって言った。




「もちろん俺らだって協力するよ。ーーーそんな事態になってたなんて知らなくて…なんか逆に…悪りぃな」

「言ってなかったし、バレないようにしてたから。そんなの全然気にしないでよ」

「ーーーしっかし…こんな事が実際にあるんだな」

「実際こうやって見なかったら、確かに信じらんねーな」



ずっと聞きに徹していた真矢とJも、自分自身に言うように率直な言葉をもらす。
その二人の意見にもっともだと、隆一もイノランも頷いた。



「ーーー今までもあったんだよな?俺らが知らなかっただけでさ」

「ん…。色々ね。変な夢見たり、意識を奪われたり、ライブ中にそうなった時はホントに焦ったけど」

「変な歌うたってたもんな」

「みんな覚えてない?ーーー俺、よくわからない歌詞で歌ってた時あったでしょ?」

「え?」

「…ん?」

「ーーーん…?…あ。あった!」

「そう、それ」

「あん時か!ついこないだのライブ」

「ーーーライブ中はね…ホント、勘弁してほしいんだけど」

「隆、なに歌ってんだぁ?って思ってた」

「でも妙にマッチしてたから、アドリブか?って…」

「ーー焦ったよな」

「うん。イノちゃんがいなかったら、あのままずっと変な歌うたい続けてたと思う」



隆一とイノランは顔を見合わせて微笑み合うと。それを見た三人は不思議そうに首を捻った。




「ーーーイノ?」

「うん」

「イノがなんか…関係してんの?」

「…っていうかね、元に戻してくれんの。意識を奪われた俺を、イノちゃんがね」

「え?」

「ーーーそう出来るって発見したのは…なんかそれしか方法思いつかなくて…だったんだけど。初めて隆ちゃんが変になった時は俺も焦ってたしさ。ーーーでも、毎回同じように元に戻せるってわかったから…」

「ね。イノちゃんがいないと」

「ーーー戻すって、どうやんの?」

「まさか引っ叩くとかじゃねえよな?」



…引っ叩く…。そんな会話もずっと前にしたっけ。…と、なんだか可笑しくて二人は笑みをこぼす。



「えっとね?ーーーちょっと恥ずかしいんだけど…」

「?ーーうん?」

「ーーーイノちゃんにキスしてもらうと…戻るんだ」

「…」

「…」

「…」

「目覚めのキスみたいな感じだよね?」

「うん。実はあの時のライブでも、暗転中にステージでキスしてたんだよ」

「!」

「!」

「!」

「戻ってよかったよな」

「うん」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」



三人の混乱気味な顔に苦笑して。でもここまで打ち明けたら、ちゃんと全部言わないと…と。イノランと隆一は頷き合って、三人に言った。



「俺たち、恋人同士になったから」












「ーーー恋人?」



これ以上、目が開かないんじゃないかってくらい。三人の目は真ん丸に開かれて、目の前に並んで座る二人を見つめた。



「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」




沈黙が流れる。
この五人でいて、こんなに静かな事ってあったっけ?と、この静けさにもちょっと慣れてきた頃。
とうとう隆一が痺れを切らせて、三人に向かって口を開く。



「ーーーなんか言って…」



隆一の何となく恥ずかしそうな声に、三人はハッとして。
そしてJが、思い出したようにイノランに言った。



「あの昼の電話の時…」

「ん?あぁ、まだ隣で寝てたよ?隆ちゃん」

「ーーーそれってやっぱり…そーゆう事?」

「まぁ、な。ーーーだって好きなら、したいって思うだろ?」

「んー、まぁな」


「ーーー俺の事みんなに話すなら、俺とイノちゃんが恋人同士って…ちゃんと言わなきゃねって。ーーーごめんね、立て続けに…色々」




隆一の身の上に突然落ちてきた、このよくわからない事態。
それにいち早く気付いて、誰よりも先に手を差し伸べたイノラン。
それが偶然なのか必然なのか。
三人には、それはわからないけれど。

今目の前にいる二人を取り巻く空気。
お互いを気遣って、柔らかな、あたたかい空気だ。

それを見せられたら。
二人の覚悟を見せつけられたら。

認めない訳にはいかないじゃん?
…と。
三人は微笑みを浮かべる。


みんな隆一が好きだった。
その中枢にある気持ちは、みんな様々だけれど。
共通するのは同じ。

隆一が気持ちよく歌えればいい。
幸せであればいい。
いつだって笑っていてほしい。

それを持続こそすれ、それ以上をいけるならば。
反対する理由はどこにも無い。
相手がイノランならば、尚更だ。
イノランが隆一を好いている事など、皆、遠の昔から知っていたから。
ここに来て、やっと自分の気持ちに正直になったという事だろう。

ーーーただ。ほんの少しだけ胸を掠めるのは、誰かのものになってしまった小さなさみしさ。
でもそれもすぐに慣れるだろう。
隆一の幸せそうな姿を見ていれば。





「ーーーーー応援するよ?」

「そうそう!隆ちゃんの妙な事も、イノランとの事もな!」

「…つか、今更もう離れらんねーんだろ?」

「うん!」

「ーーー即答かよ!」

「みんなありがとう!」



溢れんばかりの隆一の笑顔。
それを見て、出てくるのはため息ばかり。ーーーそれも、微笑ましいーーー。



「隆ちゃん良かったね」

「うん!でも、ここまで関わってくれたんだから」

「早期解決だな」



そう言って。イノランは先程書き上がったばかりの楽譜を三人の前に差し出した。それから、元になった奇妙な楽譜。
示されたそれを見た三人は、たった今まであった朗らかな表情を潜めて、じっとその紙片に視線を向けた。




「ーーーこれが、例の?」

「そう。意味不明でしょ?」

「五線譜があるから、かろうじて…」

「譜面なのかな?ってわかるな」

「ーーで、これが…二人で書き起こしたもの?ーーーよく出来たな」

「いや。俺たちだってわかんないよ。これで合ってるかどうか。ーーでもね」

「もうひとりの俺がね…?」

「あぁ、さっき話に出てきた?」

「そう。そのリュウイチがね…あれ以来夢に出てこないの」

「出てこないって事は、〝無言の肯定〟じゃないかって、隆ちゃんと話してたんだ」

「ーーーなるほど」

「よくわからないけど…制限のあるところにいるみたいな感じだったんだ…彼。ホントはリュウイチともっと話して、色々教えてもらいたいんだけど」

「まずは楽譜の解読。そしたらわかることがあるって言われたってさ」

「ーーーそっ…か」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーーーー…なんか言って?」



またもや沈黙が流れ、それに痺れを切らした隆一の呟き。
イノランもつい、その空気感に飲み込まれてしまって。苦笑をこぼしつつ肩を竦めて言った。




「コーヒー、淹れ直そっか」

「ん?あぁ、悪りぃな」

「イノちゃん手伝う…ーーーー」



ーーーーーーーその時。


なんの前触れも無く、イノランの後を追って立ち上がろうとした隆一が。

カクン。…と。

膝から崩れ落ちるように、床面に引き戻された。




「隆っ ーーー」



咄嗟に手を伸ばしたイノランが、顔面から床に倒れそうな隆一を受け止めた。



「隆ちゃん!」

「隆っ ⁉」




くたり…。と力無く落ちた手をイノランは握ってやって。肩を支えて抱いてあげると、か細い隆一の声がこぼれ出た。



「ーーーーイノちゃん…」

「隆…どうした?」

「ーーー…俺…」

「ん…?」

「ーーーーーーーーー眠………ぃ…」

「え?」



言い終わる前に、隆一の瞼は閉じて。
四人が見守る中。イノランの腕に抱かれた隆一が、規則正しく寝息をたて始める。
上下する肩や胸が、隆一が深い眠りに落ちたことを知らせていた。






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