長いお話・2 (ふたつめの連載)












たっぷりと湯をはったバスタブに二人一緒に身を沈めた。

ざあっ…と溢れた湯と共に、天井に立ち込める湯気がほんわかと白く辺りを霞める。





「はーー…」

「気持ちいいねぇ…」




ソファーの上で戯れ合うみたいに結局何度も触り合って。汗やなんかで濡れた身体を清めるために二人で向かったバスルーム。
お互い髪を洗い合って、みるみる内に泡だらけになる床で子供みたいにはしゃいで。
ザッと湯をかぶると二人同時にバスタブに浸かった。

向かい合わせで暫く湯のあったかさを堪能して。目を瞑ってあたたかな浮遊感を味わっていた隆一の髪に、そっとイノランの指先が触れた。




「隆ちゃん、気持ち良さそう」

「んー…だって、あったかくて」

「眠くなる?」

「ん?ヘイキだよ」

「そう?」



ヘイキと言いつつ隆一の目はトロンとして、今にも閉じそうで。そんな様子にイノランはクスクス笑って隆一を抱き寄せた。



「濡れ髪の隆も、すっげえ可愛い」

「…そんな事言うのイノちゃんだけだよ」

「こんな事言っていいの俺だけだもん」

「っ…!ーーじゃあ俺も言う。濡れ髪のイノちゃん、すっごくかっこいい!」

「照れるから!」

「イノちゃんだって言ったくせに!」



至近距離で顔を突き合わせて、頬を膨らませる隆一は薄紅色。
風呂であったまった所為か、それとも照れの所為なのか。
どちらにせよイノランにはそれが可愛くて堪らない。
キスをしようと隆一の頬に手を添えたら、イノちゃん待って。と、恥ずかしそうに、隆一が待ったをかけた。




「待って…。その前にね?話したい事があるの」

「…話?」

「うん。さっきソファーで眠ってた時に、見た夢なんだけど…」

「!」

「イノちゃんにも聞いてほしいんだ」



いい?と、隆一は窺うようにイノランを見ると。急に真面目な表情になったイノランは、小さく確かな頷きで隆一に先を促した。

















ちゃぷ…。
少しだけ温くなった湯に揺られながら、イノランはたった今聞かされた話を反芻していた。

もうひとりの隆一。

ここ最近の出来事は、じゅうぶん不思議な部類に入る出来事の連続だったが。隆一が見たという夢の話は、それこそ突拍子もない、まるでファンタジーの世界のような感じに思えた。

〝夢〟として片付けてしまえばそれまでだが、この夢はどうやら地続きのようだ。隆一の夢と、実際のこの世界がリンクしている。その主たる証拠は、手首の痕や楽譜だろう。




「ーーーー…」

「ーーーあの…イノちゃん?…びっくりする…よね?」

「え?…あぁ…うん。ーーーまぁ…な」

「もうひとりの俺…なんて。話だけ聞いたら、俺だって半信半疑になっちゃうよ」

「ん…」

「……」

「…でもさ?」

「え…?」

「隆ちゃんの見たものなら、俺は信じるよ?」

「…イノちゃん」

「夢かもしんないけど、重要な手掛かりじゃん。もう今はどんな小さい手掛かりだって欲しいもんな」

「うん」

「ーーーその、もうひとりの隆ちゃんは…味方だって?」

「うん…。そう言ってた。なんか…これは話した印象なんだけど。ーーー彼は悪くないんじゃないかなって…。俺自身だから、贔屓目かもしれないけど…」

「ん…」

「…イノちゃん…ーーー信じてくれる?」

「ん?ーーー当たり前でしょ?」

「ーーー」

「例えばね?世界中がノーって言っても、俺だけは隆ちゃんにつく。信じて側にいるよ?」

「っ…」

「それだけ俺は隆ちゃんを信じてるし、例えばそれが間違ってて裁かれる事になっても…」

「ーーー」

「俺は後悔しないよ。それより後悔するとしたら、隆ちゃんの手を離してしまう事。疑って、離れて、隆ちゃんを失う方が、俺は耐えられない」

「イノちゃんっ …」

「隆ちゃんと一緒なら、堕ちるとこまで堕ちたって構わないよ」




迷いのない、真っ直ぐなイノランの優しい瞳。
それが嬉しくて。隆一は今にも泣きそうな笑みでイノランを見上げた。




「ーーー言ってた」

「え?」

「もうひとりの俺。夢の中で、言ってたの」

「ーーー」

「イノちゃんと離れちゃダメだって。イノちゃんは俺にとって、最大最強の騎士だって」

「ーーーっ…」

「繋いだ手を離しちゃダメだって。ーーーイノちゃんと一緒にいる事で、俺はすごく大きな力が出るんだってさ」

「ーーーーー合ってんじゃん」

「え?」

「もうひとりの隆の言う事。俺らが考えてた事と同じ事言ってる。ーーー離れないで側にいるって」

「そ、だね」

「ーーー信じられるんじゃない?もうひとりの隆ちゃんは。ーーーつか、信じてあげたい。だって、隆ちゃんだもんな?」

「っ…うん!」

「彼が色んなヒントを教えてくれるなら…言う通りに、やっぱりまずは楽譜の解読だな」

「うん。それを読み解いて歌う事でわかる事があるよって」

「じゃあ、がんばろう!やるしかないじゃん⁉」

「うん!」

「風呂上がったら作業再開な?」

「ふふっ 、うん!」




じゃあ上がろっか。と、立ち上がろうとするイノランの手を、隆一の手がクッと引き止めて。そのままするりとイノランに腕を絡ませて微笑んだ。




「隆ちゃん?」

「さっきの…続き」

「あ…ーーーキス?」

「うん、ーーーしてから上がろ?」

「ーーしたいんだ?」

「ん…したい。イノちゃんとキスすると、力が湧いてくるんだよ」

「俺も。もっと隆ちゃんが好きになるよ」

「うん!」

「ん…じゃ。目、瞑って」



「ぅん…っ…」




すっかり温くなった湯は、火照る身体を抑えるのにちょうど良かった。
奪い奪われるようなキスを続けてようやく二人が上がった頃は。
もう日が暮れて夜になっていた。











さすがに空腹感を覚えた二人は、一緒に夕食を作ってまず腹拵え。
後片付けを済ませてから、早速楽譜の解読作業を再開した。




「相変わらず…よくわかんねー譜面だな」

「ホント。でも記号が違くてわかりづらくてゴメンって言ってた。時間ないって、詳しく聞けなかったけど。…多分、夢の世界?とこっちは違う部分があるんだね」

「ん…。これを歌うと、どうなるんだろうな」

「まだ今は言えないって…。何だろうね。俺は〝世界を救う歌〟が歌えるんだって。ーーーなんの事?」

「ーーーーーなんか本格的に」

「ん?」

「ファンタジーの世界。俺今まで、あんま触れてこなかった要素かも」

「俺もそうかも…。ゲームとか小説とかでも。ーーー新たな分野に踏み込む感じ」

「いいね!知らない事に踏み込むって。しかも隆ちゃんと一緒に」

「ひとりだと躊躇しちゃっても…」

「一緒ならなんだって出来る気がするな」

「!ーーーそれも言ってた。イノちゃんと俺なら、楽譜の解読も出来るって!」

「…すごいね、もうひとりの隆ちゃん。予知?…とかできんのかな」

「ーーどんな存在なんだろうね…。俺とどんな関係…ってゆうか、俺のどの部分なんだろ」

「ほんっと、謎ばっかりだ」

「うん…」

「でも、解読でさらに進めるならさ。早く、やっちまおう」

「うん!そしたら歌おう」

「そしたら…」

「また会えるかな?…もうひとりの俺に」



遠くを見るように呟く隆一をじっと見つめて。イノランも、もうひとりの隆一に会ってみたいと。そう思っていた。











一筋縄ではいかない解読作業。
でもツアー遠征に再び出発するまでには終わらせておきたかった。ひとたびツアーに出たら、そこはライブに集中したい。緻密な作業に打ち込んでいる時間はきっと取れないだろうから。
ツアーの合間の数日間のオフで、二人は連日作業に没頭した。




「っあ~…肩凝った」

「疲れたね。ーーーもう何時間も集中してた。ちょっと休もう?」

「だな」



伸びをしながら立ち上がってみると、テーブルの上には書き上がりつつある音符におこした楽譜。周りは…まぁ、書き損じの紙やらメモ書きやらでぐちゃぐちゃに散らかっているけれど。



「とりあえず、あともうちょっとだな」

「うん。ホントにこれで歌える譜面になっていれば良いんだけど…」

「答え合わせが出来ないってのが心許ないよな」

「ーーーでも、やるだけやってるしね。大正解じゃなくても、正解の範囲には入っててほしい」




思い詰めた表情で楽譜を凝視する隆一。早くなんとかしたいという切実な想いが伝わってきて。イノランは立ち尽くす隆一を後ろから抱きしめた。




「っ…イノちゃん?」

「大丈夫」

「ーーーっ …」

「ここにいるよ?」

「ーーーうん」




隆一が振り向くと、イノランと目が合ってにっこり微笑み合う。

こうしてイノランに包まれると、安心感と愛情に満たされて隆一はいつもある曲を思い出す。
思い出して口ずさむと、イノランに守られているって心があったかくなる。




「イノちゃんは、あの曲そのものだね」

「あの曲?」

「うん。イノちゃんの名曲。まさに…今の状況にぴったり」

「ん?…ーーーあーー…」

「ーーーなにくわぬ顔で、抱きしめて、笑ってあげるーーー」




悪戯っぽい顔で嬉しそうにワンフレーズ歌う隆一に、イノランも照れ臭そう笑って。
抱きしめる腕に力を込めると、隆一もその腕に手を添えて。
こんなに安らげて、心許せる恋人に出会えた事に感謝して。
そして二人を繋いでくれたのは間違いなく音楽だから。

そんな大切な音楽を。しっかりやり切る為に。
今抱きしめて、支えてくれているイノランの為にも。



( 心を込めて歌うよ )




絶対に謎を解いて、きれいに決着を付けてみせると。隆一は決意を新たにしたのだった。

















世界に満ちた不穏で不安な空気。

一見すると気付かない、世界の端の端まで染み込んだ、その空気。

それに慣れきった人々は、それに気付くことは無い。

けれども、小さな歪みは重なって。
いつしか大きな亀裂を生んで。
小さく見えなかった〝不穏〟〝不安〟が。

ついに隠しきれなくて、人々に見えてしまうその日までに。



なんとかしなければならないと。
そうを案じたのは。

〝神様〟と呼ばれる存在だった。



実体を持たず、直接地上に降り立つ事が出来ない〝神様〟は。

方法を思案して。
探して。
さがして…さがしあてた。




救いと。祈りの歌を歌える、ただひとりのひとを。





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