涙。
これだけは見失うまいとしている事が。
ふとしたきっかけで、脆く崩れる。
そうなって、初めてわかった。
取り戻す方法は、痛みを伴うものだった。
◾SUGIZO
pipipi…pipipi…
仕事中にけたたましく鳴った俺のスマホ。
ちょうどメイク中。すぐに出られる状況じゃなかったから一度はスルーしたんだけど、その後も何度も鳴るコール音に、周りにいたスタッフ達もこっちを気にしてるから。さすがにテーブルに置いた端末に手を伸ばした。
誰だろう?緊急だろうか?
場合によっては後で掛け直そうと思ったら。
「あ、」
画面に表示される相手は隆一で。
この時にすでに、なんかおかしいって思ったんだ。
だって常の隆一なら、相手の都合も考えて行動するはずだから。こう何度も何度も、出ない相手にコールする事はあまり無いから。
「はい、隆一?どうかした?」
何度目かのコール音の後に通話をオンにすると、すぐさま返ってきた応えに俺は息をのんだ。
『スギちゃん…っ…⁈ごめん!忙しい時に…』
「いいよ、どうしたの?」
『ーーーっ…スギちゃん、どうしよう…イノちゃんが……』
電話の向こうの彼が取り乱しているとすぐに理解して。
こっちは冷静になんなきゃって、勤めて落ち着いて喋る。
ーーーけど。
隆一が狼狽えた声で。
振り絞るような声で。
例えば何かあった時に一番に彼が相談する筈の、彼の最愛の人物の名前が出てきたことで。
これは一大事が起きたんだと、すでに俺の思考も冷静さを欠いていたんだと思う。
「イノ?隆、取り敢えずまず落ち着いて。上手く話せるか?何があった?」
『ーーーっ…スギちゃん』
「いいよ。ゆっくりでいい。ホントは今すぐにでもお前んとこ駆け付けてやりたいけど…。まず、話せるか?」
ーーー落ち着いて…って言葉は、そのままそっくり俺自身にも言い聞かせてる。
こんな隆一の様子は滅多にない。…というか、知らないに等しいかもしれない。
もしかしたらイノならば、こんな隆一も知っているのかもしれないけれど、そのイノに…何かあったのか?
「ゆっくり、ゆっくりでいい」
『っ…ん、ぅん」
「ーーー何があった?」
『ーーーーーイ…っ…イノちゃ…が、』
「ーーーん、」
『イノちゃん…っ…ーーー俺の…こと』
「ーーーーー」
ザワ…
ああ、どうしよう。
すげえ嫌な予感がする。
『イノちゃんっ…!俺との…こと…ーーー覚えてな…』
「は、?」
〝覚えてない〟…?
『忘れちゃった…っ…』
最後はもう、隆一の声が掻き消えていた。
◾隆一
いつもの朝。
いつもの平日。
アラームの音で目が覚めて。
カーテンの隙間から射す光が眩しくて。
思わず目を細めながらカーテンを開けた。
「ーーーっわ、いい天気」
昨夜雨が降ったのかな。
窓枠や、窓の外の木の葉っぱがきらきら光ってる。
空気も、洗われたみたいに澄んでいて。
青空が気持ちいい!
うーんっ!って、伸びをして、ベッドから降りる。
春本番だけど、朝夕はまだ少し肌寒い。
寝室の椅子に掛けておいた部屋用のカーディガンを羽織って、スマホ片手にリビングへ向かった。
「ふふふっ、今日はイノちゃんと会う日!」
お互い忙しくて、ちょっとここ一週間ほどご無沙汰だったイノちゃん。
一昨日いよいよ我慢できなくなって、仕事の合間に電話したら、ちょうど。
『俺も今隆に電話するとこだった!もう我慢の限界だったー』って。
重なった偶然に、電話越しに二人で笑い合ったっけ。
その時に約束した。
今日はスケジュールの合間に会えそうな貴重な日。
だから会おうねって。
俺はオフ。
イノちゃんは昼過ぎまで仕事だけど、その後は大丈夫だからって。
ーーーじゃあ、イノちゃんが終わる頃スタジオに行ってもいい?
ーーーもちろん!そのまま飯でも行こうよ!
ーーーうん!
ーーー…その晩はさ、
ーーーうん?
ーーーうち、泊まれるだろ?
ーーーっ…うん!
電話越しに顔を赤くして、楽しみで、嬉しくて。
隆ちゃん、今笑ってるだろ?ってイノちゃんに見透かされて恥ずかしかったけど。
でもいいんだ。
好きなひとに会える。
それだけで、気持ちはこんなに舞い上がりそう。
そんな約束をした、今日。
お昼過ぎに着くようにタクシーで出掛けよう。
それまでは、家の事を手早く済ませよう。
俺はこの時、嬉しい気持ちばっかりで。
想像もしてなかった。
誰が想像できる?
この後に、あんな事になるなんて…
◾◾◾
実際、イノランはこの日はいつも通りだった。
いつものように朝起きて、途中のカフェでコーヒーを買い、いつものようにスタジオに向かう。
通い慣れたこの場所でギターを弾き、制作途中の曲達を完成へと導く。
ただここ数日と違うところがあると言えば、それは仕事の後に心浮き立つ予定がある事。
恋人である隆一と、約一週間ぶりに会えるという事。
もちろん日々、電話やメールでコンタクトはとっているものの。やっぱり直接会うのとでは、気分が全然違うのだ。
手を伸ばせば触れ合える。
目の前に、自分だけに向けられる恋人の微笑みがある。
それは何物にも代え難くて。
その約束をした瞬間から、イノランは今日の午後が待ち遠しくて仕方がなかった。
「お疲れ様です!」
「イノランさん、おはようございます!」
ドアの外が騒がしくなったと思った途端に入って来た数名のスタッフ達。
一緒に楽曲制作に携わってくれる頼もしいメンバー達だ。
イノランは彼らの挨拶を受けて、笑顔で朝の挨拶を返した。
「おはよう!今日もよろしくね」
よろしくおねがいしまーす!と、活気付くスタジオ内。
各々、自分の使用する機材を準備する。
そんな中で、イノランはひとりのスタッフの様子を見て訊ねた。
「ねぇねぇ、なんかすっげえ、どうしたの?」
「え、?」
「めちゃくちゃ、良い顔してる気がする」
常ににこやかな印象の彼だが、イノランには今日の彼がいつも以上に輝いて見えたのだ。
すると彼は照れくさそうに笑うと、実は…と口を開いた。
「ーーー近々皆さんにもご報告するつもりだったんですけど…。ずっと付き合ってきた彼女と、結婚する事になりまして…」
その言葉に、近くにいた全員がワッと彼の周りに集まって。
おめでとう!やったな‼と、口々に祝福の言葉を贈った。
結婚。
眩しいくらいに幸せのオーラを纏ってそこに存在する彼。
それはそうだろう。
好きなひとと一緒になれる幸せ。
他人事でも、そんな彼を見ていると心が和むだろう。
しかしその言葉に、その時イノランは自分だけが遠くからこの光景を見ている気がした。
おめでたい事、祝福したい気持ちだってもちろんある。
一緒に仕事をしてくれる彼の幸せなのだから、尚更だ。
ーーーけれど。
祝福の花が咲くその人垣から、イノランは確かに一歩も二歩も引いている気がしてならなかった。
何故なのだろう?
すぐさま、そう思ったけれど。
一先ずこの場では上手く笑って見せなければと。
イノランは祝福の中心に向かって歩を進めた。
しかしその歩みは進む足とは裏腹に、気持ちは反発する磁石のように上手くいかない。
鈍く重い。
ーーーでも、これだけは伝えたいと…
「おめでとう。ーーー良かったね」
「はい!ありがとうございます」
なんの疑いも無く、無邪気にかえしてくれる彼の笑顔に、イノランはチクリと胸が痛んだ。
申し訳なくて。
心からの祝福ができない自分に。
それが何故なのか、わからない自分に。
彼はイノランからの祝いの言葉に嬉しそうに頷くと、再び周りのスタッフ達と和気あいあいと話し始めた。
話題は結婚。
これからの二人の事。
馴れ初めや、プロポーズの言葉は⁇なんて聞かれて。
それすらも、幸せそうで。
イノランは、そんな彼の隣に見える気がした。
純白のドレスに身を包んだ、幸せそうな花嫁の姿を。
◾INORAN
スタジオでの仕事の終わり間際、片付けを始めるスタッフ達は、引き続きさっきの話題で盛り上がる。
俺はそんな彼らに微笑んで、手早く自分も片付けを済ませて。ーーー何となく…その場に自分がいる資格が無い気がして、煙草行ってくんね。今日もありがとう、お疲れ様!…って言い訳みたいに言うと、俺はひとり屋上に出た。
資格っていうのは、つまり。
心からの祝福がしてあげられてるのか?って疑問を抱いてしまったから。
そもそもなんで、ひとの幸せの瞬間を見てこんなに捻くれてんだって事で。
その理由すら、今の俺にはきちんとわかってないから。
いちゃいけないって、思った。
「ーーーふー…」
結局煙草は吸ってる。
手持ち無沙汰なのと、やっぱり屋上に出ると吸いたくなるんだ。
朝よりも気温が上がってきた。
それでも風が吹くと僅かな肌寒さはある。微風に流されて、煙草の煙は頭上ですぐに霧散する。
「結婚…か」
それまでの恋人同士という関係は、夫婦という形に変化する。ずっと一緒にいると、手を取り合って誓いを交わす。
病める時も、健やかなる時も、共に…と。
上手くいかない時期もあるだろうし、逆にもっと強固な絆で結ばれる瞬間もあるんだろう。
「ーーー結婚か…」
俺には、隆一という大切なひとがいる。
それこそ、病める時も健やかなる時も…繋いだ手を離したくないと思える相手だ。
…まぁ、色々特殊な関係だとは自覚してるけれど。
ーーーでもさ。
「ーーー」
俺の隆に対する気持ちは、結婚する彼みたいに綺麗なものなんだろうか?
純白のドレスの花嫁が隣にふわりと舞い降りても、気後れしない位の、そんな綺麗な愛情を、俺は隆に対してもっているのだろうか?
「ーーー俺は…」
もっともっと、愛欲にまみれている気がする。
隆を目の前にしたら、欲しくて、欲しくて。
その笑顔も、泣き顔も、戯けた顔も、怒った顔も。
俺を呼ぶ声も、軽やかな話し声も、美しい歌声も。
甘く濡れた、喘ぐ声も。
全部全部、欲しくて堪らない。
本当は目隠しして、閉じ込めたい。
鎖で繋いで、誰にも見せない何処かに閉じこめて。
ぐちゃぐちゃに隆を抱いて、愛して。
隆と二人きり、一緒にいる事だって望んでいないわけじゃない。
「…っ……」
汚い。なんて独占欲だ。
あんな幸せそうな彼を見たら、自分はなんて汚い奴なんだと思う。
「…そんな事しないけどさ」
隆を鎖で繋いで、閉じこめて、俺だけを…なんて。
しないけど。
絶対にしないけど。
思わず身震いした。
心の端にそんな気持ちがあるって事はさ。
何かの拍子に、そんな事をしてしまう自分だっているかもしれないんだ。
ーーー自由な隆の羽を捥いで、泣かせてしまう事だってあるかもしれないんだ。
「ーーー…それって…」
…ヤバい。ーーーそれは、怖い事だ。
隆を傷付けるって事は、俺にとってはどんな事よりも怖過ぎる事だ。
「くそっ…!なんだってよりによって、今日このタイミングでこんな思考…」
隆と会えるって楽しみにしてたのは確かに俺なのに。
今アイツと会ったら、俺は一体何をしでかしてしまうだろう?
〝イッソ、自分ガ目隠シスレバ、イインジャナイ?〟
「え、?」
〝抱エル気持チヲ忘レテシマイナ〟
〝隆ヲ愛シテイル事。隆ト恋人同士ダッテ事ヲサ〟
〝ソウスレバ、傷付ケナイヨ?ーーー俺ノ大切ナ隆一ヲ〟
〟ーーー俺モ、傷付ク隆ヲ見テ、傷付カナイヨ?〟
「ーーーーー……。」
はらりと。
長くなった煙草の灰が、地面に落ちた。
◾SUGIZO
自分の仕事を終えた俺は、マネージャーとの翌日以降の確認もそこそこ。一目散に隆一の居る場所へ急いだ。
撮影用に結構しっかりメイクもしてたんだけど、構ってらんない。落としてる時間も惜しい。
そのままフルメイク、衣装のままタクシーに乗り込んだ。
運転手はさぞかし不審に思っただろうけど、やっぱりそれどころじゃなかった。行き先を告げると、俺はスマホを取り出して隆一にメッセージを送った。
ーーー今向かってるから。そこで待ってんだぞ?
しばらくすると、返信。
『うん。スギちゃん、ごめん』
ーーーいいって。すぐに着くから。
『ありがとう』
ーーーイノは?そこにいるの?
『、、、いない。どこかに行っちゃった』
ーーーそっか。わかったよ。
車窓から外を見る。
幸い、渋滞につかまることなく進んでいる。
良かった。
すぐに隆一に会いに行ってやれる。
だって放っておけない。
あんなに弱々しい声の隆一。
そのまま消えてしまうんじゃないかって、怖くなる程の。
そして俺は、彼の最愛の相手に思いを馳せる。
常のアイツなら、こんな事はあり得ない。
隆一をこんな状態にさせて、放置するなんて。
誰よりも隆一を愛して、見ているこっちが呆れるくらいに隆一を大切に思っているアイツが。
しかも、隆一を忘れたとは一体どういう状況なんだ?
メンバーとしての隆一すら覚えてないって事なのか?
それは記憶が無いという事なのか?
「何があったんだ…」
何らかの事故に巻き込まれたのだろうか?
それとも別な理由がある?
どちらにせよ、早く隆一に会わなければならない。
きっと心から傷付いている彼の話を聞いてあげなければ、ひとり抱え込んで、良くない方へ事は進んでしまうだろう。
程無くして、隆一がいるスタジオに到達した。
代金を支払う間も、俺の方をちらりと気にしている風な運転手。ーーーそりゃそうだよね。駆け乗ってきた客がこんな日常とかけ離れた派手なビジュアルしてたら気にもなるだろう。
でも去り際、気さくな感じで彼は言ってくれた。
「間に合いましたか?」
ーーー間に合いましたか?
「っ…」
そんな些細な一言で、強張っていた力がフッと抜けた気がした。
ーーーそうだ。
間に合わせなきゃいけない。
第三者の俺がどうにかして、風向きを変えてあげなきゃいけない。
何かが起こる前に、俺にとっても大事な二人の間に吹く風を。
「ありがとうございます!間に合いました」
「そうですか。それは良かった。ご乗車ありがとうございました。」
それから、領収書は?と聞かれたから丁寧に辞退すると、彼はドアを開けながら会釈してくれた。
見ず知らずの誰かから貰う小さな力って、こうゆう時に有難いと実感するんだな。
優しさ、清々しさ、明るさ、そういうの。
ーーー俺も、二人にとってそうなれたらいい。
メンバーとか、仲間とか。そうゆうのすら飛び越えて。
スタジオに着くと、隆一がいる二階の部屋へ。
階段を登りきって、通路を進む。
すると途中にある自販機エリアのベンチに隆一は座っていた。
「ーーー隆」
ちょっと俯き加減で、傍らにまだ開けていないミルクティーの缶を置いて。
「…スギちゃん」
俺の気配でゆっくり顔を上げた隆一は。
泣き腫らしたのか、目元が赤く霞んでいた。
◾隆一
ステージからそのまま飛び出して来たの?って姿で現れたスギちゃんに、ぐちゃぐちゃになってる気持ちをその瞬間だけは忘れて。…少し、気持ちが解れた。
慌てて駆け付けてくれたんだって思ったら、嬉しかった。
温くなったミルクティーを、えらく時間をかけて飲み終える頃。
今日イノちゃんとあった事全部、スギちゃんは丁寧に、真剣に聞いてくれた。
イノちゃんと約束した時間に向かったスタジオ。
お昼ちょっと過ぎに着いて、ちょうどいいやって、いつもイノちゃんが篭ってる二階のスタジオへ。
部屋の前に着いて、ノックをする。
はーい、どーぞー!
って、そんな呑気な返答があるのはいつもの事だから。今日もそれを待っていた。
「?」
…でも。いつまで経っても返事が無くて、それにじっと中の様子に耳を傾けても何も聞こえない。
「もうスタッフ達は帰ったのかな…」
予定より早く終わったのかな。
そんな事を考えながら、俺はゆっくりドアノブを回してみた。
キ…
「あ、開く。ーーーイノちゃんいるの⁇」
そうだよ。
彼に会うためにここへ来たんだもの。
ドアの向こうにイノちゃんがいる?と思うと心が高鳴った。
「イノちゃん…?」
室内はやっぱり、スタッフ達の姿は無い。
もう帰ったんだ。って、部屋を見回す。
ーーーでも、じゃあ。イノちゃんは?
「いないの?」
高価で貴重な機材がいっぱいに詰め込まれているスタジオだから。無人になる場合は、基本的に施錠する事がほとんど。
ドアが開くって事は、イノちゃんはいる筈だけど…
「ーーーイノ…」
部屋に足を踏み入れると、奥のソファーに、彼はいた。
脚を組んで、ゆったり身体を弛緩させて。背もたれに寄り掛かって、緩く目を瞑ってる。
「ーーーーー眠ってる?」
返事は無い
疲れているのかも…。
それなら今は寝かせてあげようと、足音を潜ませて俺もソファーの端にそっと座った。
「ふふっ」
ソファーの反対側の端で眠る彼を見る。
綺麗な髪。
薄茶色の、特に毛先の方は光に透けて光ってる。
伏せた瞼。
眠ってても秀麗な眉。
少しだけ開いた唇から溢れる声を知ってる。
時には意地悪く、時にはちょっと卑猥だったり…。
でもね?どんな言葉の端々にも、優しさが込められているって知ってるよ。
ギターを抱きかかえる時も、俺を抱きしめてくれる時も。
その腕が見た目以上に逞しいって事も。
全部全部、大好きなんだ。
そっと手を伸ばす。
起こさないように、その髪に触れたくて。
ーーーでも、ソファーの端とはしは、案外距離があったみたい。
ちょっとバランス崩して、わっ!と、勢いよく手をついてしまった。
きしっ…
「ーーーん、」
あ、振動で目が覚めちゃったかな。
ごめんね、まだ寝ててもいいよ?
でも彼は、数回瞬きをすると、寄り掛かっていた姿勢をなおして、じっと俺を見た。
ーーーちょっと、照れるんだけど…。
そんなにじっと。
嬉しいけど見つめないでよ。
「イノちゃん、おはよう」
「ーーー」
「ーーーね、なに?じっと見て」
「ーーー」
「…?」
「ーーー」
「ーーーーーイノちゃん…?まだ寝ぼけてる?」
「ーーー」
「ーーー…ぁ、あの…」
言葉無く、じっと見つめられるのに恥ずかしさで耐えられなくなって。
俺はついに俯いてしまった。
ーーーそしたら…
「何でここにいんの?」
「ーーーえ?」
「お前もここで仕事?」
「ぇ、イ…イノちゃん?ーーー」
「偶然。俺もさっきまでここで仕事」
「し…仕事じゃ、ないよ?」
「ん?」
「え…。約束…したよね?日にち間違ってないよね?」
「約束?…俺と隆一が?」
(ーーー…隆一?って呼び方…)
「ーーーなんか予定あったっけ?」
「ーーーーーっ…」
ざわ…っ…
背筋がひんやり。
耳がキン…と痛い。
ーーーえ。約束の事…忘れてる?
だってあんなに楽しみにしてたのに。
「イノちゃんおぼえてないの⁇俺との約束…」
「だから何だよ?約束って」
「今日は久しぶりに会おうねって!イノちゃんの仕事が終わったらデートして、今夜は一緒にいようって…!」
「ーーーデート?」
「約束したでしょ?」
「知らないよ。そんな…恋人同士みたいなさ」
「ーーーっ…ぇ、?」
何、言ってるの⁇
「デート…ってか、一緒に飯とかじゃなくて?だって俺らメンバー同士だろ?」
「っ…イノちゃ…」
「今夜は…って。恋人じゃないんだからさ」
何言ってるのか、わからなかった。
呆然としてしまって。
まだこの時は悲しさよりも、まず。
彼の言う意味がわからなかった。
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