短編集・1
イノちゃ~ん、と。
両手で楽譜の束を抱えた隆一が、朗らかな笑顔でトテトテとスタジオの通路の向こう側から走って来た…と思ったら。
びったーんっっ‼
豪快な音を立てて、持っていた紙片を撒き散らして。
隆が転んだ。
「隆ちゃんっ!」
「痛っ …たぁ…」
むく…と身体を起こして、床に座り込んで膝をさする隆。
目に涙をためて、ホントに痛そう。
つか、こんな豪快に誰かが転んだ場面、久々に見たかも。
「隆ちゃん大丈夫?膝打った?」
「ん…大丈夫」
「ずいぶん…勢いよく転んだねぇ」
「だってなんか、足が…」
「足?」
「なんか引っかかった」
「え?」
言われて、紙片が散らばった通路の床を見る。
でも…。
「何に引っかかったの?」
「え?」
「なんも無いよ?」
「ぇ…だって」
俺の指差す方を隆も目線を向けて通路を見渡すも。
隆はぽかんとした顔で口を開けてる。
「ーーーホントだ」
「ね?足引っかけるような物なんて無いっしょ?」
「ーーうん…」
「ーーーつまずいたんじゃないの?」
「ぇえ~?ーーー確かに、なんかに引っかけたと思ったんだけどな…」
納得できないって顔で隆は通路を睨みつけて、そのまま俺を見上げる。
ーーー潤んだ目で。
かわいい…。
だから今まで何度も言ってるけど、そんな目で他のヤツ見るんじゃないよ。と、心の中で大きなため息をついて隆に手を差し伸べたところで。
「出たんじゃない?」
俺らの背後から聞こえてきたのは、隣の部屋で作業していたスギちゃんの声。
振り向くとドアに寄りかかって、腕組みして神妙な表情でこっちを見てる。
「スギちゃん、出た…って…?」
「決まってんだろ?」
「幽霊だよ」
「‼⁉⁇!⁉」
「……」
まるで毛を逆立てた猫みたいに、隆は肩をビクッと震わせて。
近くにいた俺にぎゅっと抱きついて離れない。
「隆ちゃん?」
「っ …やっ!やだ」
「…怖いの?」
「怖いよっ‼」
「ーーだってさ?スギちゃん。俺ここで幽霊なんて聞いたことないよ?」
「通りすがりの幽霊かもしんないじゃん。隆が楽しそうだったから一緒に遊びたいってタイプの」
「浮遊霊ってやつ?」
「それでも怖いよ!」
「隆、怖がりなんだ?」
「スギちゃんが変な事言うから!」
もうヤダ!
ここ大好きなスタジオなのに、スギちゃんのバカ‼
気になって通うの怖くなっちゃうじゃんか‼
またまたキーッ‼と猫みたいにぎゅっと身体を丸めて、抱きついた隆はますます離れない。
ーーーかわいい…。
手を回して、隆を宥めるみたいに背中をさすってあげていたら。
今度は向こうから、コンビニに買い出しに行っていた真ちゃんとJが帰って来た。
そしてこの惨状を見て、数秒の間の後やれやれといった表情。
まぁ。スギちゃんが隆にちょっかい出して俺が宥めるって、いつもの事かって思ったんだろう。
事の顛末を二人に話して、なるほどって事をのみ込んだ様子。
そしたら今度は真ちゃんが、無邪気ないつもの感じで笑いながら言った。
「なぁんだ、じゃあ隆ちゃんはお化け映画とか無理なんだな!ほら前にさ、演ってたじゃん?すげえの」
「ああ、最近DVDになったヤツだろ?俺も知ってる。観に行ったヤツらが皆んなコエ~って」
「え、どの映画の事?俺それ観てないかも。そんなすごいの?」
談笑する真ちゃんとJにスギちゃんも混じって、隆からしたら悪魔の会話みたいなのを繰り広げる三人。
俺は相変わらず隆を抱きしめて、至福の時を過ごしていたら。目の前の三人がとんでもない事を言い出した。
ずっとレコーディング漬けだったから、気分転換に今から借りて観てみようと。
「絶対、ぜーったいイヤ‼俺は観ないからね!」
隆は首を振ってものすごい抵抗。
案外面白いかもよ?だから隆も観よう!五人で映画なんてなかなかないぜ?と三人も引き下がらない。
でも、それ以上に怖がる隆を見ていたらちょっと気の毒になって、俺も隆を擁護する。
「三人で観たら?隆ちゃん怖がってるし」
俺の言葉にコクコク頷く隆。
俺のみならず三人にも涙目を向けて。
そんな隆に三人もぐっと息を詰まらせて。
…お前ら。今、絶対隆がかわいいって思っただろ。
ーーーだから。俺以外にそんな顔すんなって言ってんのに。
そうしたら、なんか。俺の意地悪な部分が顔を出して。三人にクギ刺すわけじゃないけど、見せつけてやりたくなって。
隆の顔を覗き込みながら、あのさ、隆?と。微笑んで言った。
「観るのはスタジオのあの小さいテレビでだし。映画館じゃないから我慢できなくなったらすぐ止められるし。ーーー観てみる?」
「ーーー…え…」
「一番後ろで観よ?俺が隣にいるし。意外とこれで怖がり克服できちゃうかもよ?」
「う…ーーぅん…」
「そうだよ!イノが隣にいれば隆ちゃんも安心だろ?」
「隆も一緒に観ようよ!」
「っ…ーーうん」
「よし決まり!」
渋々だけれど、小さく頷いた隆を見て。三人は満足そうに笑った。
ちょうど真ちゃんとJが買い込んできた飲み物を傍らに。
スタジオの三人掛けソファーを二列に配置して。
カーテンを引いて電気を消して。小さな即席の映画館が出来上がった。
前列のソファーにスギちゃんと真ちゃん。Jは狭苦しいって言ってパイプ椅子を引き寄せて座ってる。
俺は後ろのソファーで隆とゆったり腰掛ける。
DVDをデッキにセットするスギちゃんを横目に、俺は隆にコソ…と声をかけた。まだ始まってもいないのに、すでに俺にぺったりくっついてる隆。
今日何度目かの、かわいいな…って気持ち。それをバレないようにひた隠す。
「隆ちゃん、ヘイキ?」
「ん…。まだ、平気」
「もうダメだって思ったら教えろよ?」
「うん、ありがとう」
「ん。」
「ーーー…ねぇ、イノちゃん?」
「ん?」
「…ずっとこうやって、くっついてていい?」
「!」
「いい…?」
「ーーーいいよ。」
くしゃ…と隆の髪を撫であげたら、隆は嬉しそうに目を細めて。
まるで本物の猫みたいに擦り寄った。
(ーーーっ…かわいい… )
なんだか幸せいっぱいで。映画なんて何かもうどうでもいいやって気分になってくる。
そんな俺らを見ていたのか。三人は呆れ顔で、はいはいお二人さん始まるぞ。と、画面を指差した。
なるほど話題になるだけあって、なかなか背筋がヒヤリとする場面が通り過ぎる。洋画だけど、日本のホラーっぽいおどろおどろしさもあって、目の前の三人も時折息を詰める気配がする。
ちらっと。
俺は傍らの隆を見た。
もうまるで俺と一体化しているみたいに、隙間無く張り付く隆。
よく見ると小さく震えているのがわかって、俺は隆の肩を抱いた。
「…隆ちゃん」
「っ…」
「大丈夫?」
「も…ゃだ…」
音声すら聞きたく無いのか、耳を塞いで首を振る。ぎゅっと瞑った目は涙で濡れて、唇を噛み締めている。
ホントに怖いんだなって、隆を見て思って。観てみる?なんて誘ってみたものの、急に可哀想になってしまった。よくお化け屋敷で、恋人同士の仲が進展するって聞くけど。
それってこういう事かと実感する。
こんな隆を見ると、庇護欲っていうのか。守ってあげたい気持ちが膨らんでくる。
かわいい隆が ( いつだってかわいいよ? )いつもよりもっとかわいく思えて。今隆が頼れるのは俺だけなんだって思えたら、気分はもうスーパーマンだ。
コソ…と、俺は前方を見る。
三人は画面に釘付けになったみたいに集中してる。
( これなら平気だな )
俺はもう一度隆の肩をぎゅっと抱いて、耳元で囁いた。
「隆?」
「っ…?…なに?」
「立てる?」
「え…?」
「ーーーこっそり、抜けよう」
「え…ーーでも」
「平気。アイツら集中してる。ーーーごめんな?隆ちゃん」
「イノちゃん?」
「観ようなんて言って。ーー怖いもんは怖いんだよな?」
「ーーーうん」
「反省。ーーー三人には後で俺が謝るから。…とりあえず抜けよう?」
「っ…ーーーうん」
「ん」
「イノちゃん、ありがとう」
そっと音を立てないようにソファーを立って、静かにドアを開けて外に出た。
明るい午後の陽射しが溢れる通路に出て、やっと隆がホッと肩を落とす。
その表情も安堵が広がって、俺を見て微笑んでくれた。
「怖かった」
「ごめんね、もうこうゆう事しない」
「…こうゆう?」
「うん。まぁ、色々ね?もっと隆ちゃんに寄り添えるように精進します」
「ーーーイノちゃん…」
「ーーー怖がる隆ちゃんはかわいかったけどさ?」
「っ …!」
「ぺったりくっついてさ。めちゃくちゃかわいいの」
「ーーーーーーーーーー………俺も…」
「ん?」
「…俺も。ーーーーちょっと良かった…かも」
「ーーー」
「皆んなの前で、堂々とイノちゃんに…くっつけたから…」
ちらちらこっちを見て、ほっぺたはもう色づいて。
それだけで、強請ってるってわかる。
「ーーーかわいい」
「っ…くないよ」
「じゃ、怖がり」
「イノちゃんがいれば平気だもん!」
「ホントかなぁ?」
クスクス笑いながら、隆のこめかみから頬に指先を這わせたら。隆は待ちきれないみたいで、早くっ…と、唇を薄く開けた。
馴染んだキスはすぐに深くなる。
隆の吐息がダイレクトに耳に届いて、もっともっと欲しくなって。
三人が映画を観ている部屋の外壁に、隆の身体を押し付けて。
手首も壁に押さえ付けて、隆と夢中でキスを交わす。
「っん…」
「ーーっ」
「ん…っーーー…ふふ…っ…」
「ナニ笑ってんだよ?」
「だって…さっきと、全然違うなぁって…」
「違う?」
「怖くない…し、」
「ん?」
「イノちゃんに、集中できる」
「ーーー」
「ーーーホラー映画、怖かったけど。…でもね」
隆はまた、俺の胸に擦り寄って。
ね、イノちゃん?と俺を呼ぶ。
「もっと好きになっちゃった」
「え?」
「ーーーイノちゃんのこと」
顔を上げて見つめる隆。
はにかんで、桃色で。
それが。
どうしようもないくらい、かわいくて。
絶対言えないけど、少しだけ。
今日の出来事に感謝してしまった俺は。大概いい性格してんな…と、またまた反省をして。
物足りなさそうに目を閉じて、唇を触れ合わせてくる隆に応えるように。
俺たちはいつまでも、お互いの唇を追いかけた。
end?…
↓
翌日。
今日も昨日に引き続き、同じスタジオでのレコーディング。
俺は淹れたてのコーヒー片手に通路を歩いていた。
ーーーそう。
昨日隆が転んだ、あの通路。
幽霊云々…の会話を思い出しつつ進んでいたら。
「っ…‼」
「あっ…ぶね…」
何かに足元をとられて、危うくコーヒーをぶち撒けるところだった。
「え?」
昨日と全く同じ場所。
でも振り向いても、床には何も無い。
よーく見ても、何も無い。
「……」
幽霊?
まさかそんな…と。
何も無い床をもう一度じっと見る。
何も無い。
やっぱり、何も無い。
ーーー何も…
ーーーーーーーーなにも?
「ん?」
しゃがんで、床の一点をじっと見る。
そしたら。
「あ。ーーーもしかして、これ?」
床のタイルの角が一箇所だけ。
少しだけ、浮いていた。
end
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