宝石姫












ねぇ、知ってる?

大切なひとを、想って。
想って…想って…。

見返りも求めない程に、想い抜いたら。

その時溢れた最初の涙はね。

ひと粒の綺麗な宝石になるんだって。











《宝石姫》




















「…ぁっ…んーー」

「ーーーっ …は…っ あ」

「いゃっ …あ…イ…ノちゃ…」


「りゅ…うっ…りゅう」










何度も何度も身体を割り開かれて。
甘い痛みと耐え難い快感で。
いつの間にか、俺は眠りにおちてしまっていた。

でも脳裏に残るのは。
大好きなイノちゃんが、この時は辛そうで。抱かれている間、俺はずっと。
悲しい気持ちの涙を流していたんだと思う。








………………

この日俺は夕方までの仕事を終えて、マネージャーの車に乗って家に帰って来ていた。

いつもと何ら変わらない日常。仕事の内容は日々違うけど、まあ大体こんなもんだよね。

朝は慌ただしくて家事も出来ずに家を出たから、洗濯機を全自動で回して、その間に掃除機もかける。

掃除機をかけながら、そういえばと思い出して、スマホを取り出した。
仕事中にメッセージが届いてたんだ。取材中だったから、画面の差出人の名前だけチェックして後で見ようと思ってて忘れてた。




「イノちゃんから届いてたんだよね」



イノちゃんの。恋人の顔を思い浮かべて、思わず顔が緩んでしまう。
だって、大好きなひとだから。
大好きなひとからってだけで嬉しいのに、イノちゃんのメッセージは面白い事が多い。時々思わず笑ってしまうような画像も一緒に送ってくれる。

今日はどんなの?とわくわくしながらメッセージを開いた。




「!」





《夜、行くから。》




たった一行の短い文が、そこにあった。



「ーー…」



ーーーなんか…珍しいなって。この時確かに思ったんだ。
すごくシンプルで。…悪い言い方したら、ちょっと素っ気ない感じのメッセージ。

イノちゃんからのメールはいつもその裏側にある、あったかさみたいのが伝わってくる。
そこそこ長い文も、すごく短い文も。もちろんコンディションの悪い時だってあるだろうけれど、そんな時はそのままの雰囲気が伝わってくるから。俺もそれを感じ取れて、ちゃんと心配したりする事が出来るんだ。


でも。ーーーこの一文は。
なんでかな。
すごく、無機質な感じだ。

どうしたんだろう?
具合悪いのかな。何か悩みでもある?
それか、ただゆっくりメール送る時間が無かっただけ?

色んな可能性が頭を駆け巡ったけどわからなくて。
さっきまでのわくわくした気持ちは何処かに行っちゃって。

壁時計に目をやると、もう18時半過ぎ。
仕事から帰ったから、待ってるね。ってイノちゃんに返信して。
今はとにかく、彼が来るのを待つ事にした。
















19時を少し過ぎた頃。
ピンポーンと、チャイムが鳴った。
合鍵も持ってるイノちゃんだから、いつもみたいにすぐ来ると思って待ってたけど。なかなかイノちゃんは部屋に来ない。
あんなメールの後だから、おかしいなって。ちょっと心配になって。そっと玄関のドアを開けてみた。




「!」




ドアを開けると、そこにはイノちゃんが立っていた。

合鍵持ってるのに、なんで?って言葉が出る前に、俺はイノちゃんの顔色の悪さにびっくりして駆け寄った。




「イノちゃん…?」

「ーーー」

「ね、どうしたの?ーーー具合悪い?」

「いや…。」

「嘘!だって元気ないもん」

「ーーー…」

「いいから、とりあえず入って」




イノちゃんの手を掴んで玄関に招き入れる。無言で靴を脱いで、相変わらず俯いて元気が無いイノちゃん。

こんな事は、多分初めてだ。

イノちゃんは俺の事を〝気遣い屋〟って言う。でもそれはイノちゃんだってそうだよ。ひとを不快にさせたり心配させたりしない。例え体調があんまり良くない時でも、気分が落ちてるときでも。さり気なく場を離れて、コンディションを整えて戻ってくる。イノちゃんはそんなひとだ。




「ーーー」



だから心配なんだ。
今みたいな、ネガティブな雰囲気を全開に押し出してるイノちゃん。
よっぽどの何かがあったのかな。




立ち尽くしてるイノちゃんの手をもう一度掴んで。俺はぐいぐいと引いてリビングに連れて行った。
まずはイノちゃんをソファーに座らせて、あったかい飲み物を持ってきて、それからゆっくり話を聞いてあげよう。
そう思って。イノちゃんの手を離してキッチンに向かおうとした。
ーーーそうしたら。




「っ …!」




離そうとしたイノちゃんの手に逆に掴まえられて。ぐっと手を引かれて、そのまま抱きしめられた。




「イノちゃんっ …」

「ーーーっ…」




イノちゃんの抱擁は大好きだ。
あったかくて、優しい。
気持ちいい腕の中。

ーーーでも、今のこの抱擁は。
力任せに抱きしめて。
ぎゅうぎゅうと苦しい程で。
苦しくて、俺もつい身体を固くしてしまった。



「っ …イノちゃん、苦しいよ」

「っーーー」

「ーーーーーね、イノちゃん!ちょっと…緩めて…」

「ーーーーーーーーーー隆」

「え?」

「ーーーー……」

「?…ーーーイノ?」

「ーーーーーーーーーーせて…」

「ぇ…?ーーーーーーなに?」




「抱かせて」



「ーーー…っ …」





俺を強く抱きしめたまま、イノちゃんはソファーに倒れ込んで。
状況が上手く飲み込めない俺に、噛みつくようなキスをした。

















「…ぁっ…んーー」

「ーーーっ …は…っ あ」

「いゃっ …あ…イ…ノちゃ…」


「りゅ…うっ…りゅう」





もう何度、突き上げられたかわからない。

こんなのは初めてだ。

いつもみたいな。
柔らかなキスも、焦らすような優しい愛撫も、戯れ合う甘い言葉のやり取りも無く。

力任せに、欲望だけを満たすようなセックス。

聴こえてくるのはお互いの荒い息遣い。衣擦れの音と、激しく軋むソファーと、繋がった部分からの濡れた音。

朦朧とした視線で見上げると。
イノちゃんの顔がすぐそこにある。

いつもはこんな時。セックスの最中に目が合うと。
イノちゃんは微笑んでくれる。汗を滴らせながら、快感を滲ませた表情で、幸せそうに笑ってくれる。

ーーーそれなのに。

今のイノちゃんは違う。
眉をキツく寄せて、歯を食いしばって。…なんでそんな顔するの?
どうして今にも泣きそうに、辛そうな顔するの?

そんな顔しないでよ。

どうしたの?

何があったの?

教えてよ。

話してよ。

力になりたいの。

こんなセックスは嫌だよ。

愛し合うためにしたいのに。




「っ …や…ぁん…」

「ーーーっ りゅう…」

「ぃやっーーー…イノちゃんっ …」

「っ…ーーー」

「こ…なの…っーーーゃだあ!」




初めてイノちゃんにした、全力での抵抗。
その時のイノちゃんの瞳は、悲しみで歪んでいて。
それを見たら。
悲しくて、悲しくて。

涙が溢れて。
俺は気を失うまで、涙を零し続けたんだ。





















朝になっていた。

いつの間にかベッドで眠っていて。
カーテンの隙間から射す朝陽で目が覚めた。

力無く横たわる自分の手に視線をやると。服は脱がされて、ちゃんと寝間着を着ていた。




「ーーー着せてくれたんだ」



呟いた声は少し枯れていて。
昨夜の激しい行為を思い出す。
起き上がろうとすると身体が軋んで、鈍い痛みが走った。




「痛っ…」



それでも無理矢理に起き上がる。
片手でカーテンを開けて光を採りこんだ。




「ーーーーーーあれ…」


「……イノちゃん?」




明るくなった部屋を見渡すも、恋人の姿は無くて。その瞬間、心の中がザワリと騒めいた。

寝室じゃなくてリビングかもしれないと思って。痛む身体に鞭打って何とか起き上がる。
壁に手をつきながら、ふらふらとリビングまで進む。
ーーーでも。




「イノちゃん?」


「ーーーーーーどこ?」




リビングにもイノちゃんはいなくて。
情け無いけど、泣きそうになる。

潤み始めた目元をぐいっと拭って、テーブルまで進むと。
その上に小さな紙があるのを見つけた。

白い小さなメモ用紙に、イノちゃんの丸っこい字で。
そこには。






ごめんな。
でも、愛してる。







「イノちゃん…」




じゃあ、何で?
それなら尚更。
あんな抱き方して、何も言わないで。

愛してくれているなら教えてほしい。
最初から最後まで。
何であんなに辛そうだったのか。

俺だってイノちゃんを愛してるんだよ?
愛してるから支えたいの。
守られるだけじゃなくて、俺も力になりたいの。

それが一緒にいるって事じゃないの?

いつもイノちゃんが言ってる事じゃん。

そんな事も見失うくらい、貴方の心は今、塞いでいるの?



くるっと踵を返して寝室に戻って。クローゼットから服を引っ張り出す。
財布とスマホと鍵だけを持って、俺は外に飛び出した。

歩くたびに鈍痛が響いて、つい顔を顰めてしまうけど。
そんなの気にしてらんない。
それどころじゃない。

今はとにかく、会いに行くんだ。
イノちゃんの元へ。






















「あぁ…もう。お腹空いた…」


足の赴くままに探しまわって約一時間。歩みを止める程の空腹感に立ち止まった。
思い起こせば昨日の夕飯から今朝の朝食まで食べてない。
…それどころじゃなかったんだけど…。

ぐう…。と鳴るお腹をさすって誤魔化して。それでも鳴り止まないお腹が不憫になって。自販機で買ったあったかいミルクティーを持って、人通り少ない朝の公園のベンチへ。


ひとくち飲んでホッとひと息。優しい甘みが広がって、自然と肩の力も抜ける。



「……」


「どこ行っちゃったんだろう…イノちゃん」



家にも、馴染みのスタジオにも、思い当たる知人にもそれとなく連絡してみたけど見つからない。
まだ朝だから店って可能性は薄そう。
でも珈琲店とかファストフード店は早朝から開いてるか…。

うんうん唸ってたら、通り過ぎた登校中の小学生が首を傾げてこっち見てたけど。
まあいいや。

それよりも。
イノちゃんの行きそうなところ。
イノちゃんの行きそうなところ。
んー…どこだろう?

俺だったら。
もし、俺だったら…ーーー?


ーーー見つけてほしいって思う。
出て行ったのは自分だけど。
探してって。
ちょっと頭を冷やしたら。
別の想いが込み上げてきて。
会いたいって思うんだ。



「ーーーー‼」



ーーーそうだ。
きっとそうだ。
だって俺だって、似たような事した事あるじゃない!

気遣い屋さんのイノちゃんのする事。
そっと居なくなって、心を落ち着けて。

それからきっと、もう一度会いたいって思うんだ。






.
1/2ページ
スキ