短編集・1













見下ろす君は、美しく健やかな人魚のよう。












〈人魚の歌〉














二人揃ったオフ。

俺は隆と家でごろごろしてるのが大好きなんだけど。
もちろん隆も好きらしいけど、夜も一緒に過ごす俺たちだ。昼間、特に今日みたいに心地いい青空の日は 、やっぱり外に心惹かれるらしい。




「隆ちゃん、どこ行きたい?」

「んー…」




外に出たい。という漠然とした願いはあるものの。どこ?と聞かれると言葉に詰まるのはいつものこと。
しばらく頭を傾げて考える素振り。

そして行き先に詰まると、いつも行く場所を提案してみる。
この後の俺のセリフもいつもどおり。





「ーーーいつもの海、行こっか?」

「うん!」




ーーー即答。
はじめから海に行きたかったんでしょ?



そんな訳で訪れたいつもの海岸。
砂浜に直に設置された、ラフな駐車スペース。大きな板切れに黒のペンキで〝駐車場〟と書かれて掲げてある。
それももう、だいぶ潮風で脆くなっている。
そこにザザッと、気楽な感じで車をとめて。エンジンを切った途端、隆は待ちきれない様子で外に飛び出した。

見るともう、足は裸足だ。




「あー…!気持ちいいねぇ」




靴だけ片手に持って、サクサクと砂浜を駆け出す隆。
この様はホントに仔犬か子供。
もうこうなると追いかけるのは困難だから、ゆっくり隆の後を追って付いていく。




砂浜の所々に刺さっている長く青い柱。おそらく何かの地点の目印。
その柱の下に、隆は持っていた靴を放り出した。俺ものんびりそこにたどり着くと砂浜の上に腰をおろす。




「隆ちゃん、遊んできていいよ」

「イノちゃんは?」

「俺はここで。隆ちゃんの靴の番をしてる」

「ーーーここにあれば無くならないよ。イノちゃんも遊びたかったらおいでね?」

「うん」

「じゃあ、ちょっとだけ波打ち際行ってくるね」

「はいはい、行ってらっしゃい」




手をひらひらさせてにっこり笑って見せると、隆も笑い返してくれて。でも足は早く波打ち際に行きたいようで、そわそわした感じが可笑しくて吹き出してしまった。





「平和…」




あったかさと涼しさの混じった、心地いいそよ風。

静か…
波と鳥の声しかしない。
隆が行ってしまったら、急に静かになった。

周りを見渡しても、人影は…ゼロ?
ん…?いや。すげえ遠くの方の岩礁に人がいるように見える。ーーー釣りしてんのかな?
ーーー釣りかぁ。まだガキの頃、隆と釣りした記憶がある気がする。なんか釣れて、一緒に食べたような…。

そんな事をつらつら考えていても、相変わらず、静かな海だ。

そしたら、フト。
思った。





「隆とこうなる前…」




俺の日常は、こんなに静かだったのかな…。




「どうだったっけ…?」




隆と一緒にいる毎日。
とにかく、笑い声が絶えない。
もちろん日々の中では、ケンカしたり、泣いたり…ってのもあるけど。

俺ってこんなに笑う奴だったんだ。って感心するくらい、笑ってる気がする。
それから。歌。
隆がもう歌声の塊みたいな奴だから。気付くと耳を掠める、微かな隆の歌声。
マジ歌いから、鼻歌まで様々だけど。

いつも隆の歌声聴いてるって、前にJに言ったら。

〝どんな贅沢だ。それ〟

って。苦笑気味に言われた。




「贅沢か…」




っていうか、贅沢が過ぎる感じだ。


渦中にいると、わからなくなる事がある。
もし隆が俺の前からいなくなったら。
また。
静かなひとりの日々を過ごすのかな。




「……」




…ヤバイ。
想像しただけで。
ちょっと、辛すぎる。




この世界から。
君が消えたら。
全ての事が色褪せてしまう。



…って。

「俺も自分でそう歌ってんじゃん」




堪らない気持ちになって、波打ち際に視線を移すと。
ちょうど隆がこっちに向かって駆け寄ってくるところだった。

隆が俺の前に立つと、濃い潮の香りがふわりと通り過ぎる。
飛び散る水滴と、隆の溢れる笑顔。

静かだった空気が、途端に動きだす。





「も~!ずっと呼んでるのに、イノちゃん返事してくれないんだもん」

「ごめんごめん、考え事してた」




どしたの?って聞くと、隆は俺の隣に座りながら顔をパッとあげて、手に持っていた物を見せてくれた。




「見て見て!カニのぬけ殻~。全然壊れてないの!すごいでしょ⁉」

「ホントだ。なんか…動きそうだな」

「動かないけどね!」



…身もふたもねぇな…。



「あとね?これ見て!」

「ん?」

「大きな貝殻~!白くて大きくて綺麗な巻き貝でしょ?」

「わぁ、ホントだね!よく見つけたね」

「ね?ーーーこうゆう貝殻ってさ、耳にあてると波の音がするって良く言うよね」




やってみよう。
そう言って、手のひらに乗るくらいの白い貝殻を。隆はそっと耳にあてた。

はじめはあれこれ手の位置を変えたりしていたけど。しばらくすると、あ、なんか聴こえるかも…。と言って、隆は目を閉じて聴き入った。





「あ…ーー、水中の音…」





消え入りそうな微かな声で呟いた隆。

ーーーその姿が。



多分だけど。
もしも人魚が本当に存在するとして。
物語の王子が、波打ち際で初めて見た人魚の姿。それって、こんななのかなって。
この時の隆の姿を見て。
そう思った。

それくらい。
艶やかで、潤いにみちて、明るい。
そんなパワーに包まれて、隆はそこに存在していた。














…………………





「それ、持って帰る?」



そろそろ帰ろっか。と、どちらからともなく声を掛け合って、立ち上がる。

ずっと手のひらに乗せたままのカニのぬけ殻と貝殻。どうするのかなって思って隆に尋ねたら。ふるふると、隆は小さく首を振った。




「海に戻してあげる」

「ん」

「イノちゃん、一緒に波打ち際行こう?」



俺の方を見て微笑む隆に頷いて、先に進む隆の後を追いかける。

目の前には、午後の柔らかな光と、青い海。フッと視線をさっきの岩礁に移すと、あの釣り人はもういなくなっていた。
ーーーもう完全に、俺たちだけしかいない海岸。



波打ち際でしゃがむ隆の後ろに立つと、隆がぽつりと言った。





「生まれた場所にいるから、ぬけ殻になっても生きてるみたいに見えるのかな」

「ーーーーーーーそうかもな」




俺の肯定の言葉に、隆は頷いて。
手のひらの二つのぬけ殻を、波打ち際にそっとかえした。
すぐに波が、軽いカニのぬけ殻を攫って行って。貝殻はコロン…と、砂の上を転がった。





「ーーー帰ろう?イノちゃん」



しばらくじっと波打ち際を見つめていた隆は。思い切るように立ち上がると、晴れ晴れと笑って見せた。
俺の手を引き寄せて、指先を絡ませて。
手を繋いで行こうって思ったんだろう。
ーーーーーでも。




「っ…イノちゃ…」



誰もいないからいいよな?


ひとりの静けさとか。
隆といられる事とか。
人魚みたいに、綺麗な隆とか。
生まれた場所にかえる、命のカケラとか。
今日ここへ来て感じたものが、一気に俺に押し寄せて。
めちゃくちゃ切なくなって、隆を抱きしめた。





「イノちゃん…?」

「…ん?」

「ーーーどうしたの?」



隆がいなくなったら俺は…
とか。
隆がいない世界では俺は…
なんて。
そう叫び出しそうだったけど、そんなの。
束縛とか、押し付けみたいに思えて。
言えなかった。ーーーとてもじゃないけど。



「イノちゃん…」

「隆」

「なぁに?」

「ーーーごめん。もうちょっとこのまま」

「!」

「もう少しだけ」

「ーーいいよ?」

「ん…」

「ね、イノちゃん?」

「え?」



隆の悪戯っ子のような笑みが近付いたと思ったら。
ドサッと、勢いよく砂浜に倒れ込んで。俺の上から、隆が覆い被さって見下ろしていた。




「隆っ…」

「ふふっ」

「ーーー俺ひょっとして、押し倒されてる?」

「そう。なんかイノちゃん元気ないなぁ…って思って」

「それは…大サービスだね」

「でしょ?でね、もっとサービス」

「え?」

「歌ってあげる。ここで。イノちゃんのためだけにだよ?」

「ーーーえ?」




呆然とする俺を楽しげに見下ろして。隆は俺のすぐ目の前で、歌ってくれた。
本当に楽しそうに。艶やかに、美しい声で。
それを見て、ある映画のワンシーンを思い出した。
王子を助けた人魚が、波打ち際で歌うシーン。まさに今の感じだ。

あの映画の二人はどうなったんだっけ?人魚はヒトになれて、王子と結婚したんだったかな。

ハッピーエンドじゃん。

俺だって、どうせなら幸せになりたい。隆と一緒に。


歌う隆の髪に触れて、そのまま頭を引き寄せる。
隆はすぐに察して、目を閉じる。
小さくなった歌声も一緒に味わうように、隆と唇を重ね合わせた。




「ん…っ…いの…」

「隆ちゃん…」

「…元気、出た?」

「ん…。出た。…出たけど」

「うん?」

「ーーー足りない」

「っ…‼」

「もっとしたい」

「イノちゃんの欲張り。えっち。意地悪。寂しがり屋。ヤキモチやき」

「当たってんじゃん。全部」

「開きなおり‼」

「だってそうだもん。ーーーどうする?ここでする?誰もいないけど」

「やっ…こんな砂浜で!やだよ‼」

「いいじゃん。人魚は裸でしょ?」

「はぁっ⁉」

「俺の知ってる人魚姫はハッピーエンドで終わるんだからさ」

「だからなんの話っ!!!?」




隆を抱きしめて、砂浜を転げまわる。抵抗は意味を成さない。
たまにはこんなのもいいよね?


静かな空気も好きだけど。
隆と一緒のこんな感じが大好きだ。
無色の世界も、カラフルな世界に。
アンハッピーもハッピーに。

隆を抱きしめながら想う世界は鮮やかだ。


「また歌ってくれるか?今日みたいに」

「っ…え…?」

「俺だけに」



人魚の歌を。





end



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