黒猫













帰る頃。
外はもう夕闇で。
暗くなりきっていない濃紺の空に、一番星がピカリと輝きだした。



陽が沈んだ途端に冷え込んできた車内。緩く暖房をつけると、あったかいのか。隆は助手席の丸めたブランケットの上で眠ってしまった。



「ーーー」




〝イノランさんと一緒にいて幸せそうな感じ。この子も隆一さんもおんなじです〟


ーーー葉山君が言ってた言葉が、頭からずっと消えない。



「ーーー幸せそうな感じ…か」



そうだったなら。
こんなに嬉しい事ってないと思う。

だってそれは、俺も同じだから。



「ーーー葉山君…。やっぱすげえなぁ…」


観察眼…というのか。渦中にいる俺では全く見えない事を、教えてくれた。











赤信号で停まったから。
俺は傍らの隆に目をやった。
小さな黒い、愛おしい存在。

守ってあげたい。
愛してあげたい。
こんな時、いつも思う。

ひとである隆が、こんな風に助手席で眠ってしまった時と。俺は今、同じ事を思っていると気付く。



「やっぱりさ。ーーー好き過ぎだ。…隆」


青信号に目を移した視界の端に。
スー…と。
一筋の流星が見えた。

三回言うのは無理だけど。
心を込めた願いを一度だけ言った。


明日の流星群がやってくる夜。


「どうか願いが叶いますように」






家に着いたのは19:00頃だった。

駐車場に車を停めて部屋に向かう間に、俺の腕の中でまだ眠っていた隆が目を覚ました。



「…みゅぅ」

「あ、隆起きた?おはよ。もう着いたよ」

「にゃーあ」

「腹減ったな。今夜はさ、カレーにしようと思うんだけど…食えるよな?」

「にゃん!」



俺の腕の中で、また耳をピーン!とさせて。大きな目をぱっちり開けて。
たっぷり寝たからな。元気いっぱいなんだ。


「いつもは一緒に作るけど…今日は火傷するといけないから、隆一さんは見ててください」

「ーーーにゃー…」


…あ。なんか…残念そう?



「ーーーん。じゃあ、わかった。隆一さんは、カレーを作る俺の応援をしてください」

「にゃあ!」



楽しいなぁ。







そんなわけで出来上がったカレー。
猫舌の隆には、ちょっと冷ましたカレーを小皿に盛って、ミニカレーライスを作ってやった。

美味そうに食べる姿を見ると嬉しくなるもんだ。
隆はすっかり綺麗に食べ終わると、ペロリと舌舐めずりをして満足そうに鳴いた。



〝美味しかった!イノちゃんご馳走様〟



そんな隆の声が聞こえてきそうだよ。



食べ終えたら、片付けをする俺の傍らで。隆はじっと俺の事を見てた。
動作に合わせていちいち動く隆が可愛くて、時折スポンジをめいっぱい泡だててシャボン玉を飛ばしてやった。


「みゃーあ」


ふわ~…と舞うシャボン玉を追いかける隆。
小さな仔猫の手がシャボン玉に触れて、ぱちんと弾けた。



「ーーーっ…~~」

「にゃ?」



ーーーこの絵面…可愛すぎる。
隆好き、猫好きの俺としては正直堪らない光景だ。



「隆ちゃん」

「?」



なぁに?って顔で振り向いた隆を。
なでなで。

もう何度も思ってるけど。
大好きだよって気持ちを込めて、隆の頭を撫でた。







昨夜はタオルで拭いただけで済ませた隆の風呂。
今日になって、俺も隆の対応に慣れてきたから、今夜はちゃんと風呂に入れてあげようと思う。

入る前に部屋を暖めて、隆用のタオルもしっかり準備して。
それから大きめの洗面器。
俺も隆と一緒に入るから、もちろん俺用のタオルと着替え。


湯が溜まった音声を聞いて、いざ。
風呂へ。



とにかく小さいから。
間違って湯船に落としたりしないように気を付けないと。
自分の事は後回しでいい。
まずは隆だ。

手桶でちょっとづつ、足元から湯をかけてやる。様子を見つつ、平気かな?ってところで、湯を満たした洗面器にそっと入れた。



「ーーー気持ちいい?」

「にゃー」

「そっか!良かった」


平気そうだ。
耳をぺたーん。なんかリラックスしてる感じがする。
専用シャンプーが無いから。ちょっと迷ったけど、ひと用の石鹸を泡立てて使う。それからコンディショナー。これもひと用のを湯で薄めて、なるべく地肌につかないように馴染ませた。

弱めのシャワーでシャワシャワ。
濡れた隆はひと回り小さく見える。



「隆、小っちゃい」

「にゃ」

「ははっ、出たら乾かしてあげるからな」

「にゃん」



洗面器で遊ばせながら、俺も手早く自分を洗う。湯船に浸かって、ホッとひと息。
すると洗面器からじっと見上げる視線。
ーーー隆が、訴えるような目でこっちを見てる。



「ーーーこっち入りたい?」

「みゃう!」

「来るか?ーーーでも、落っこちるなよ?」



ずぶ濡れの隆をそっと持ち上げて。

とぷん。

乳白色の入浴剤の入った湯船に、一緒に浸かる。
隆は俺の腕にしっかりしがみ付いてるけど、身体がぷか…と浮きそうになる度、慌てたように小さな爪をたてた。



「ーーー」



全然、痛みなんて無いんだけど。
俺の肌に隆の爪が触れる度に、呼び起こされる感覚がある。

いつも隆を抱く時。
快感に耐えるように、隆は俺に爪をたてる。
きっと無意識だろうけど。
眉を寄せて、涙で潤んだ目で。
頬を染めて。
唇を噛み締めて。

でも隆のあまい声が聞きたい俺は。
キスをして、固く結んだ隆の唇を解く。

そんな時に隆は。
噛み締めていた唇の代わりに、もっとキツく俺に爪をたてる。



「ーーー…」

「みゅう」

「っ…おっと」

「にゃ」

「ーーーごめんごめん。ボーっとしてた」



危なかった。
落っこちるとこだった。


ーーーはぁ…。


重症だ。
改めて…ってゆうか。
隆が猫の姿になってから、ずっと思ってる。

どれだけ隆のことが好きか。


こんな小さな仔猫の爪の感触にすら、呼び起こされてしまう程。
隆との、愛の時間を。



「にゃう」

「ーーー上がろっか」

「にゃー」

「のぼせる前にな?」



上がったら、何か冷たいものでも飲もう。
俺はミネラルウォーター。
隆は…やっぱりミルクかな。

すっかりあつくなった身体を、冷まさないと。




朝陽を受けた黒猫が。
すやすや…



「ーーー」


今朝は俺の方が先に目覚めたようだ。
隆はまだ、俺の胸のあたりで丸くなって眠ってる。
カーテンの隙間から入り込んだ朝陽が、仔猫の毛並みの縁を金色に包んでる。
じっと視線をぶらさずに見つめると。
確かにわかる、呼吸の小さな動き。

どんな姿であれ。
隆は今、ここにいてくれている。




「ーーー小さいなぁ…」



小さいのに。その存在は大きい。
俺にとっては、誰よりも。



「ーーー…」


窓の外は快晴。
今夜はきっと、たくさんの流星が見られるだろう。
だから今夜は、隆と一緒に星を見る。
隆を元に戻す方法なんて、もう正直これくらいしか思い当たらない。…本当に。
このままずっと、仔猫でいる訳にはいかないから。

ーーー今夜の流星群にかかっているんだ。



「ーーー…戻ろうな?元の隆に」



…けれど。
心の内をほんの少しバラすなら。
隆には内緒。
絶対に言えないけれど。

ーーー仔猫の隆に、情が湧いていないといったら、嘘になる。



「ーーー贅沢で…我儘だ。…俺」


隆が欲しい。
どんな姿の隆も、全部。



「スギゾーあたりに、叩かれそうだ」


欲張り!
我儘!
贅沢!
お前ばっかり独り占めすんな!

ーーーって。

…いや、真ちゃんとJにも…だな。
なんたってメンバー皆んな、隆が大好きだからさ。
思わず苦笑が溢れて、くっくっ…と笑っていたら。



「ーーーに…ぁ…」

「あ、起きた?」

「みゅう」



丸い小さなふかふかが。
手足を伸ばして、欠伸して。
俺が喉の下を撫でてやると、ゴロゴロ…。
喉を鳴らして、擦り寄った。



おはよう、隆。





今日の仕事は午後から夜までだったんだけど。
今夜は隆にとって大事な夜だから。
夜はゆったり時間をとって、流星を待ちたいと思って。
時間を早めて、午前中に家を出た。

事務所でFC関連の仕事。
ここでも隆は、スタッフ達に大人気。
(もちろん隆だって事は内緒だ)
仕事をささっとこなすと、昼過ぎにはもう車に乗り込んで外に出た。



「にゃん」

「ん?…ちょっと歩く?」

「みゃーあ」



車窓の外をじっと眺めて鳴く隆に。
俺はハンドルをきると、海沿いの方へと車を走らせた。
しばらく高速を走って着いた先。
そこは隆といつも来る海岸だ。



「ほら。着いたよ」

「にゃー」



砂浜にそっと降ろしてやると。
大好きな海岸だって、わかるんだ。
ぴょんぴょんと、砂浜ではしゃいでる。
砂の上を転がって、まるで砂団子みたいだ。



「隆ちゃん、すっげえ!砂まみれ」

「にゃ!」

「柔らかい毛並みなんだから、砂が入り込むぞ」

「にゃにゃにゃ!」

「っ…ははは」



お構いなし。
ホント、楽しそうだ。
そんな隆を見ていると、俺まで転げ回りたくなってくる。



「にゃーん」

「あんま、遠くまで行くなよ!」



ーーーそうだ。
隆もいつも、そうだ。
一緒に来たこの海岸で。
砂浜で、波打ち際で。
存分に遊んで。
一緒にいる俺なんて忘れてるみたいに。

…で。

俺がいい加減、ひとりじゃつまらなくなった頃。
隆はまるで知っていたように。
振り向いて。
俺に最高の笑顔を向けて。
それで…



〝イノちゃん!〟

〝イノちゃん、大好きだよ〟



そう言って、駆け寄って。
俺に両手を伸ばして。
砂だらけの身体で。
それでも俺が受け止めるって、ちゃんとわかってて。
俺に。
躊躇いもなく。
抱きついてくれる。



「…ーーー隆」


「隆…」


「隆」


「にゃん!」



振り返って。
駆け寄って来る隆。


その瞳は、紛れも無く。
俺だけを見てくれていて。

駆けて来た小さな仔猫を。
両手で受け止めた。



「隆」


ぎゅっと、胸に抱きしめる。
ひとの姿の隆を抱く時と、おんなじ気持ちで。











「大好きだよ…隆」



いつも一緒にいて欲しい存在は隆だよ。
それが、〝ひと〟でも〝仔猫〟でも。
仕事やなんかで、毎日会えない〝ひと〟の隆でも。
毎日一緒にいられるけど、出来ることが限られる〝仔猫〟の隆でも。
そうゆうの全部ひっくるめて、隆が欲しい。
我儘でもなんでもいい。
俺は隆に関しては我儘だし欲張りだ。
誰にも譲れない。



「ーーーにゃぁ…」

「隆」


小さな隆をぎゅっと抱き込んで。
心の中で強く想うのは…



「俺の願いも同じだ。隆とずっと、一緒にいたい」


そしてもう一度。
一緒に音楽ができる、元の姿に…








ーーーーー……˚✧₊⁎




「ーーー」


「ーーー…」


「ーーーーーイノちゃん…?」


「ーーーーー…え」




声が聞こえた。
まるでそれが、久しぶりの声に思えて。
…そういえば。
抱いている小さな身体が、いつの間にか…

ゆっくりと、腕を解いた…ら。
胸に抱きしめていた筈の仔猫が。
びっくりしたカオで。

俺をじっと、見つめてた。

仔猫じゃない、隆の姿で…




約二日ぶりに隆の顔を見たってのに。
思いもよらず、急に元に戻れた事を心から喜ぶべきなんだろうけど。

ところがそうもいかないのは、どうも俺ららしい。



「っ…あ…ーーー」

「りゅっ…」

「わ…っーーーわぁあぁっ‼」



なんてこった!
ここは砂浜。
人影少な…とはいえ、もちろん人の姿は遠くの方にチラホラあるんだ。
それなのに隆が!
急に元に戻ったもんだから、隆の格好が!


「っ…俺っ…ーーーはだか‼」

「!!!!!」


その時の俺の素早さは自分でも褒めてやりたい。
着ていたジャケットを隆に羽織らせて。それでも隠せない身体はどうにもなんない。歩いて車までなんて隆が(いや、それ以上に俺が!)無理だ。
涙目の隆をお姫様抱きで抱えあげると。
足場の不安定な砂浜にもかかわらず、俺はダッシュで車まで走った。




「っは…ぁ…」

「ーーー…っイノちゃん」



車の後部座席に、取り敢えず隆を(半ば放るように)押し込んで…ーーホッ。
俺はドッと脱力して、隆の隣でひと息。



「ーーー大丈夫?」

「…うん、俺はヘイキ。ーーーイノちゃん…」

「ん?」

「ごめんね?重かったでしょ」

「そんなの」

「…ん」

「全然、気になんないよ」



寧ろ、隆が戻ったんだって。
実感できたよ。

仔猫用に、助手席に置いていたブランケットを隆に掛けてやる。
隆はちょっと恥ずかしそうに、ブランケットに包まって。それで。
じっと、俺を見た。



「ーーー戻ったな?」

「うん」

「ホント、びっくりだよ。今夜の流星が唯一の戻れるキッカケだと思ってたからさ」

「ーーー俺もよくわかんないや。ーーーわかんないんだけど…」

「うん?」

「流れ星が見えたよ?」

「ーーーホント?」

「うん。でも、だって…夜じゃなくてもさ?ーーー星は出てるんだもんね」

「ーーー見えないだけ…か」

「うん。ーーーさっき、イノちゃんが言ってくれた瞬間にね」




〝俺の願いも同じだ。隆とずっと、一緒にいたい〟




「ーーーああ」

「俺もだよ。イノちゃんと一緒がいい。ずっと一緒に音楽がやりたい。一緒にいたいよ。…って、思い切り言いたかった。猫の言葉じゃなくて、俺の言葉で。ーーーそしたら…」

「ーーー」

「昼間の空だけど。見えたんだ」

「ーーー流星?」

「うん」



そうしたら、次の瞬間には視界が高くなってたって。
戻れたんだって、気が付いたらしい。

元に戻れた安心感…からか。
隆はまた、恥ずかしそうに微笑むと。



「イノちゃん、ありがとう」

「ん?」

「猫になってた俺をお世話してくれたでしょ?」

「や…ーーー世話っつーかさ。…そんなんじゃなくて」

「?」

「一緒に暮らしたんだよ。…暮らしてみて、やっぱり猫になっても隆は隆だなって。色んなフトした場面で、姿はどうあれ隆を感じられて。ーーーめちゃくちゃ楽しかったよ?」

「ーーーイノちゃん…」

「それにやっぱり、めちゃくちゃ可愛かったし」



ついさっきまで、俺の腕に小さくおさまってた仔猫を思い出して言ったら。
隆は。
また、にっこり微笑むと。



「ーーー俺もね。不思議と全然、不安じゃなかった。ーーーきっとね」

「ーーー」

「イノちゃんがずっと一緒にいてくれたからだね」










家に着いて、隆は風呂に入って(砂浜で転げ回ってたからさ)。
一緒に夕飯を済ませて。
今夜はせっかくだから、流星群を見ようかって。
まだピークの時間にはちょっと早いけど。
リビングの照明を落として。
テラス側の窓辺に、二人並んで座って。
夜空を見上げた。



「ーーー」

「ーーー」


ーーー…なんてゆうか。
こうしていざ見ようと思うと。
意外にも見つけられないもので。
目の前の夜空には、今の季節お馴染みの星が見えるばかり。



「ーーー…来ないな」

「んー…。やっぱ、まだ時間が早いからかなぁ」



隆も首を傾げてるけど。それでもなんか…嬉しそう。



「ーーー」



…実は俺もそう。
隆がこうして無事に戻れた今。
絶対に見たいっていう、切実な思いは薄れて。純粋に、滅多に訪れない天体風景を楽しみにしている今だ。



「ーーー…隆ちゃん」

「ん?」


ーーーそれから。
隆が仔猫の間、ずっと思っていた事。



「ーーーくっついていい?」

「…え?」

「くっつくね?」

「あ…っ」



隆の返事を待たずに、身体をずらして。
隆を後ろから抱きしめる。
…身体が、きゅっと固くなるのを感じたから。解すように、隆の首筋に顔を埋めた。

ーーーふたりの間の、空気が変わる。



「…触りたかったよ。隆に」

「ーーーうん」

「仔猫もふかふかで可愛かったけどさ?」

「ふふっ…ーーーうんっ」

「でも。ーーーこうゆうのは、この身体じゃなきゃできないもんな」

「ーーーん」



隆は。
くるりと向きを変えて、俺の方を向いて。
両手を俺に絡ませると、じっと俺を見て。



「ーーー俺も」

「ん?」

「仔猫の手をどんなに伸ばしても、抱きつく事は出来なかったし。それから…キスも」

「!」

「小さな舌で舐めてあげるしか出来なかったから…」

「ーーー」

「ちょっと…もどかしかったんだ」



ちゅっ…

隆の唇が重なって。
触れて、一瞬。
目と目を合わせて。

待ちわびた時間。
ふたりの愛の時間。

もう我慢できなくて、次に重なった唇は。深く甘く。



「ーーーっ…ん」

「っ…」

「ん…っは…ぁ」



ちゅっ…ちゅ…
キスは首筋に移動して、せっかく着た隆の寝間着のボタンは、あっという間に外してしまって。



「っ…あ…ーーー」

「りゅう」

「イ…ノっ…ちゃ…っあん」



求めていた触れ合いは、すぐに激しさを増して。
いつもよりももっともっと隆が欲しくて。隆もきっと…


抱き合う俺たちの目の前の空を。
スー…と。
流星が見えた気がした。
でも、よくわからない。
よそ見なんてしてられない。



「んっ…ぁん…あ…ーーーねぇ」

「…っ…ん?」

「流れ…星」

「ん…」

「きっと…流れてるよ?」

「ーーーん。」



もうじゅうぶん。
願いは叶えてもらった。
隆が元の姿に戻れたんだから。
でも。
もうひとついいかな。

俺と隆と、同じ願い。




「隆ちゃん」

「ん?」



「一緒に暮らそう?」





end





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