黒猫
だって、まさかさ。
あんな事が起こるなんて、誰が想像する?
あり得ないだろ…
原因なんてわからない。
わからないけど、いつもと違う事が事の発端なんだとしたら俺が悪い。
もう全部俺が悪い。
仮に隆が悪いんだとしても、もう俺が悪いって事でも全然いい!
あんな態度とった事、心から謝るから。
ちょっと隆を困らせたかった…なんて二度と思わない。
ちょっと困らせて、泣かせてみたかった…なんて僅かでも思った数時間前の俺は隆に叩かれればいい。
隆が望むなら何度だって謝る。
だから。
ーーーだから!
元の隆に戻ってくれよ‼
「ーーーにゃあ…」
「…嘘だろ?」
「?…にゃーん」
「ちょっと待て。落ち着け俺。冷静に考えて、こんな事が現実に起こると思うのか?漫画とかの話の上での出来事だろ。こんなの…」
「みゃあ」
「ーーー」
「にゃ?」
「ーーー」
「にゃにゃ」
「ーーー」
「?」
「ーーー…」
「⁇」
「ーーーーーーーーー隆?」
「にゃ‼」
「っ…ーーー~~~マジか…」
「にゃあん」
今ので確信してしまった。
〝隆〟って呼んで、その後の反応に。
姿は違えど、今俺の目の前にいるのは誰でも無い。俺の大切な愛おしい隆だって事。
甘さを含んだ声とか、茶色がかった大きな目とか。艶々な柔らかい真っ黒な毛並みとか。今まで何度か付けた事のある猫耳とそっくりのピンとした耳。どのパーツをとっても隆そのものなのに!
でも違うんだ。
今の隆の姿。
「にゃあ?」
「なんで黒猫⁇しかも仔猫!」
もうわけがわからない。
頭では落ち着こうと思っても全然整理されない俺の思考。
さっきからスタジオの部屋の中でウロウロウロウロして、さぞかし変なヤツだろう。
現に隆(猫!)も俺の動きを面白そうに目で追って。挙げ句に遊んでると思ってんのか、俺の脚に戯れてきた。
「…あのね、隆?俺、遊んでんじゃないの。混乱してんの」
「…にゃーん」
「お前がこんな姿になって…って。つか、まだお前ってゆうのが半信半疑なんだけど…。ーーー隆…なんだよな?」
「っ…にゃう!」
「ーーーっ…ーーーーーわかった」
やっぱり隆だ。
真っ直ぐに見つめた瞳は隆そのものだ。
もうこうなったら腹括るしかない。
なんとか隆を元の隆に戻すんだ。
「ーーー隆?…ーーー俺さ、絶対お前を元に戻してあげるから。どうしたらいいかわかんないけど、出来るだけ早く。…だからさ」
「?」
「それまで隆を野良猫にしとくなんて無理だから。隆が戻るまで責任もって守るから」
「ーーーにゃあ」
「それまでさ。…一緒にいよう?」
黒猫の頭をそっと撫でると。
黒猫…隆は、安心したように。
俺の腕に柔らかく擦り寄ってきたんだ。
腹括った俺は。
とにかくもう夜もいい時間になってきたし。
ようやく落ち着いてきたところで腹も減ってきたし。(隆もそうだろう)
まずは家に帰ろうと。
スタジオの床に散らばった隆の服と靴を掻き集めて。隆の手荷物と俺の荷物とギターケース。
それから忘れちゃいけない、黒猫…隆を。
全部一纏めにするとそこそこの荷物だけど。そんな事はどうでもいいんだ。
小さな仔猫隆を落っことさないように。被って来た黒いハットをひっくり返して。そこへ隆を入れてやって。
全ての荷物を抱えて、いざ。
スタジオの地下駐車場へ。
隆が今日は自家用車で来ているんじゃなくて良かった。いつまでこのままなのかはわからないけど。さすがに何日も自家用車をスタジオに置いておくわけにはいかないだろうから。
不幸中の幸いだ。
荷物を全部後部座席に入れて。
隆は…。取り敢えず俺のハットに入れたまま、助手席に置いた。シートベルトも着けようがないし。転がり落ちないように、いつもよりも丁寧に丁寧に運転した。
「にゃー」
「ん?どうした?腹減った?」
「みゃあ」
「そっか。俺ももうさすがに…。今日は外食は無理だから、なんか買って帰るか」
「にゃ」
ーーーコイツは何を食わせればいいんだろう?さすがにキャットフードを隆に食わせるのはなぁ…
隆の好物でいいんだろうか。
ーーーだとしたら…
「パンケーキとか。どう?前に隆、美味いって言ってたファストフード店のリンゴジャムの…」
「!」
耳をピーン!とさせて。
目をキラリと輝かせて。
その後に鳴いた、甘えたような声。
…これは。
「OKって事?…で、いい?」
「にゃあ!」
ーーーなんつーか。
意思疎通が取れてる気がする…。
俺の言う事もわかってくれてるっぽいし。
逆に俺も、隆の感情とか気持ちがわかる気がする。
「ーーーなんとかなるかな…」
全く気持ちの交流が出来ないんじゃ解決の糸口を見つけるのも大変そうだけど。
やっぱり恋人同士?
姿は違えど、わかる部分はある。
ーーーそれにさ。
困った事に。
どんな姿であれ、隆は隆で。
可愛いとか。
愛おしいとか。
そうゆう気持ち。
それは俺の中に。
ちゃんと仔猫隆を相手にも、存在してるんだ。
通い慣れた某ファストフード店。
いつもは空いてる時間に隆と店内で食べるけど。
「今日はドライブスルーでな?」
「にゃあ!」
「飲み物は…紅茶?」
「ーー…にゃ」
「確かミルクもあっ…」
「にゃあにゃあ!」
「ミルクね」
ーーーそこは猫っぽいな。…あ、紅茶じゃ猫舌で辛いって事か?
「ーーーにゃーん?」
「なんでもないよ。じゃあサッサと買って帰ろっか」
「にゃー」
こうして。
俺と、黒猫仔猫の隆の数日間が。
始まったんだ。
「さ、着いたよ」
再び大荷物と隆を抱えて。
駐車場から部屋へとたどり着く。
ギターケースの上にちょこんと乗っかっていた隆は。玄関に入るなり、ぴょんと玄関マットに飛び降りた。
「にゃあ」
「ん?なに…。おかえりって言ってくれてんの?」
「にゃん!」
「ははっ、ありがと。ーーーじゃあ隆も、おかえり」
「みゃう」
〝おかえり〟と〝ただいま〟は。隆といるようになってからするようになった、大切な習慣だ。大袈裟かもしんないけど、無事に一日を終えて帰宅した恋人と顔を合わせる喜び。挨拶と、愛を込めてキスをする。
そんな習慣だ。
ーーーさすがにキスは無理だよな。
挨拶?が交わせた事だけでも嬉しいことだ。
…なんて思っていたら。
今度はぴょんと、しゃがんでいる俺の膝に飛び乗った隆。
ちょいちょいと小さな手を動かすから、腰を屈めて視線を落とした。…ら。
ぺろっ…
「!」
「みゅう…」
唇にほのかに感じた、小さな温もり。
思わずびっくりして、目の前の仔猫に目をやると。小さな小さな舌がチロリと覗いて。その大きな瞳が、俺をじっと見つめてた。
「ーーーにゃ…あ」
「隆…。おまえ」
「にゃー」
「ーーーっ…はは」
完全に俺の負けだ。
…いや、別に勝ち負けじゃないんだけどさ。
こんな小さな仔猫になってすら。隆は俺を翻弄…虜にするんだ。(…っても、仔猫相手にこれが恋愛感情なのかどうか?…は、ちょっと違う?のかなぁ…?よくわかんないや…)
でも。
仔猫の隆が大切なのに変わりはない。
可愛くて愛おしいんだ。
今は隆を守ってあげたい気持ちが溢れてる。
「ありがと、隆。ーーーじゃあ、俺もお返し」
「みゅ?」
まん丸な瞳で見上げる隆を。
俺はそっと両手で掬い上げて。
温かい小さな仔猫を、胸に抱いた。
夕飯にしよっか!
ーーーって、買ってきたファストフード店の包みを開ける。
隆用に買ったプチパンケーキとミニパックのミルク。
パンケーキは平皿に盛って、リンゴジャムを添えて。ミルクはストローじゃ無理だろうと思って、浅めの小鉢用の皿に注いでやった。
テーブルの上にそれらを並べて、隆の食卓を作ってやったら。キラキラした目で凝視してる。
はいはい、腹減ったね。
俺も自分用のを広げて。
「いただきます」
「にゃあ!」
早速リンゴジャムをぺろぺろ舐めてる。
ひとしきり舐めて、にゃあん…と、満足そうにひと鳴き。美味い?
齧り付いたパンケーキには小さな歯型。ミルクも溢さずに丁寧に飲んでいる。
ーーーさすが。やっぱ隆だ。
品良く食べる、美味そうに食べるのは隆の良いところ。それが仔猫になっても、変わることはない。
姿は違うのに、こんな時、思うんだ。
隆の事が、大好きだって。
「美味い?」
「にゃ!」
「そっか。良かった」
食欲旺盛な仔猫の前で。俺も食欲を刺激されて、買ってきた夕飯に手を伸ばした。
風呂は取り敢えず。今日は湯で絞ったタオルで身体を拭いてやった。平気そうなら明日は風呂に入れてあげようと思うけど、まあ様子を見てだな。
俺がシャワーの間、テレビをつけていったら。隆はその前で大人しく画面を見てた。
ーーーニュースだけど。ちゃんと理解してるって事?身体は仔猫だけど、意識は隆なのかな?…と、ちょっと思った。
「隆、おいで」
「にゃー」
今日はなんだかんだで、やっぱり疲れた。
まだちょっと早いけど、今夜はもう寝ようと思う。
寝室に向かって歩き出すと、隆はちょこちょことついて来た。
暗い寝室。ベッドに横たわると、隆が枕元に寄って来る。
どうしたらいいのかって感じで、じっとしてるから。手を伸ばして、隆を懐に抱き寄せた。
「ここでいいよ、一緒に寝よう?」
「にゃ…」
モソモソとしばらく動いていた隆だけど。
落ち着きのいい場所を見つけたみたいだ。
俺の胸の辺りに擦り寄って丸くなった。
ーーーあったかい。
こんなに小さいのに、まるでいつもの隆を抱いてるみたいだ。
「隆?」
「ーーーにゃ…ぁ」
「おやすみ」
〝ーーーおやすみ、イノちゃん〟
目を閉じて、小さな存在に意識を向けたら。
隆の声が、聞こえた気がした。
そもそも何で隆が仔猫になってしまったのか。
実際こんなの目の当たりにしなきゃとても信じられないような事。
心当たりがあるとしたら…あの事しかないんだ。
この日のスタジオは、ルナシー五人が揃ってた。
今や皆んなそれぞれ忙しい身だ。
こうして全員揃う日ってのもなかなか貴重で。ここぞとばかりに、FC向けの動画収録、会報用の対談、撮影、プレゼント用の五人集合のサインetc…
スタッフも次から次へと忙しい。
それでも待っていてくれるファン達へ。こうしてメッセージを発信できる機会は、楽しく有意義な時間になる。
お疲れ様!って、全てが終了したのは、もう暗くなった頃。
真ちゃんやJが早々に帰宅する傍で、スギゾーが何やら楽しげに何かを組み立てている。
今日も俺と一緒に帰る予定の隆も、スギゾーの持っている物に興味があるようで。
「ーーースギちゃん、それなあに?」
隆の問い掛けにスギゾーはよくぞ聞いた!と言わんばかりに目をキラリと光らせて。まるでドラ○もんの、秘密道具登場!なノリで持っていた物を高々と掲げた。
「簡単組み立て☆超ミニサイズ天体望遠鏡‼」
「え?ーーー望遠鏡?」
「へえっ、そんな小さいのもあるんだな」
「そう!いいだろ?」
「スギちゃん、そうゆうの好きだもんね。…でも、何で望遠鏡?」
「決まってんじゃん!ほら!もう数日後に見られるだろ?流星群」
「ああ!」
「そういや、天気予報で言ってたな」
「もうチラホラ流れてはいるけどさ。ピークはこれから!その瞬間は、やっぱりハッキリ見たいじゃん」
「そっか!いいねぇ…。星に願いを…って感じだね」
「流れ星が落ちるまでに三回…だろ?ロマンだねぇ…。実際三回言うなんて無理だけどさ」
「まあ、いいじゃない。言えなくても、流れ星を見ながら思うってとこが重要なんじゃない?」
「ーーー隆ちゃんは願いがあんの?」
「あ!俺も知りたい!隆の願いってどんななの?」
「ーーーそれ誰かに言ったら叶わないんじゃないの?」
チラッと俺の方を見た隆。
その表情がどこか恥ずかしげで。
それを見たら…何となくだけど、隆の願いがわかった気がした。
俺らの雰囲気を察して?じゃあ後はお二人さんでどうぞ~って。スギゾーは望遠鏡を大事そうに抱えてスタジオを出て行った。
…早く帰って天体観測がしたいだけだと思うけどさ…。
急に二人きりのスタジオ。
さっきの話に戻るけど。
度々、隆が口にする言葉がある。
デート中の散歩道で。
ギターを弾く、俺の隣で。
一緒に立つ、料理中のキッチンで。
身体を重ねた後の、微睡むベッドの中で。
〝イノちゃんとずっと一緒にいられたらいい〟
切なさを含ませたように微笑みながら、隆は掻き消えそうな声で言う。
多分、俺に言う…というより。自分自身に言う…っていう方が近いのかもしれない。それだけに、その願いは。きっと本心のものなんだ…と。俺はその呟きを耳にする度、もっと隆を愛おしく思う。
ーーーそんな。そんな…隆の真剣な願いを。この時俺は、何を思ったのか。
もっともっと可愛い隆を見たかったのかもしれない。
切なさに胸を騒つかせる、俺に夢中な隆を見たかったのかもしれない。
こんな事になった今。軽率な事言ったよな…と反省。
「隆ちゃんの願いは、多分何となくわかるよ」
「え?」
「その願いは、俺も嬉しい。…一緒にいたい。俺も同じだ」
「っ…イノちゃん」
「…でも、現実は難しいとこもあるよな。仕事とかも、時間合わない時もあるし…。ソロツアーにでも出たら、何日も会えない時もあるし」
「ーーー…うん」
シュン…と、してしまった隆。
可哀想かな…と思いつつも、そんな隆も可愛くて、つい言ってしまう。
「だからさ。ずっと一緒にいられる存在…になれたら、それこそホントにずっと一緒だ。誰にも気兼ね無くさ?」
「ーーー!」
俺の言葉に。
隆はきっと、〝ずっと一緒にいられる存在〟を無意識にも考えたんだろう。
星に願いを。
どうか…
大好きなひとと、ずっと一緒に…
スタジオの窓から、じっと空を見上げた隆。まだ今夜の空に流れ星は少ないけれど。
偶然にも。
たった一個の流れ星が、隆の前をキラキラと通り過ぎた瞬間だった。
ホントに一瞬のこと。
俺の目の前にいた隆が、姿を消して。
呆気にとられる俺の目前の足元には、隆が着ていた服と靴。
…その中に。
「ーーーにゃあ」
服に埋もれるように。
それでも俺を見上げていたのは。
小さな、黒い毛並みの仔猫だった。
目が覚めたら、隣にはいつもの君…なんて展開を多少なりとも期待していたのも事実。
…だったけど。
目覚めると…というより。小さな感触で目覚めたんだ。
いまだ眠たい目をようやく開けると。
視界に入ったのは黒くて小さな仔猫の手。
薄ピンク色の可愛い肉球が、俺の顔にちょいちょい戯れているところだった。
「ーーー隆…」
「みゃーあ」
「…おはよ。ーーーお前…猫になっても早起きなんだなぁ」
ベッドサイドの置き時計はまだ早朝をさしている。
さすが隆だ。朝から元気いっぱい。こんなところも変わらないんだ。
「にゃあにゃあ」
「ん、腹減った?」
よいしょと起き上がって、隆の頭をひと撫ですると。途端に隆は耳をペタンとさせて、気持ちよさそうにゴロゴロ喉を鳴らした。
「ーーーりゅーう?…猫みたいだぞ?」
…猫なんだけどさ。
「まだ早朝だから、もうひと眠りするか?…それとも」
「みゅー?」
「そうだな…。天気も良いみたいだし、飯食って散歩でも行くか?」
「にゃ!」
「行く?」
「みゃあ!」
「ははっ、じゃあ行くか」
外好き。散歩好き。
こんなとこも、隆そのものなんだ。
ーーーと、その前に。
大事な事を確認しなければと。
俺は朝早々に申し訳ないと思いつつも、隆のマネージャーへ電話した。
なんでかって。…それはもちろん隆の当面のスケジュールの確認だ。
隆が取り敢えずライブの予定がない事は、先日、隆本人から聞いていたから知ってる。今は作曲期間で、割と時間が自由なの!だからイノちゃん、今がチャンスだよ!って、デートの約束をしたばかりだった。…まあ、この際それは追々として…
で。ライブは無くとも、取材やら撮影なんかがあると今はちょっと困る…から。
その辺りの予定を聞いておかなくてはならない。
ーーーで、聞いてみた。
そしたらなんと、これも不幸中の幸い。
しばらくは、そういった予定も無く。
むしろ予定が無い貴重な期間との事で。
ゆっくり過ごしてって、隆に伝えたばかりだったという。
「よかった…」
本当、こればかりは安心した。
本当によかった。
これで取り敢えず、なんとか焦らず問題に取り掛かれるというものだ。
「よかったね、隆。しばらくは差し迫った予定は無いってさ。この期間に、なんとか元に戻れるように色々考えような?」
「にゃあん」
ーーーん?…なんか、今、微笑んだ?
気のせいかな。…でも、そんなふうに見えたけど。
隆は相変わらず、じっと俺を見てる。
仔猫になる前も、ふと気付くと隆はいつも俺を見てくれていた。
茶色がかった、潤んだ目で。
口元に、微笑みをのせて。
言葉は無くとも、隆の眼差しはいつも言っていた。
〝イノちゃん、好きだよ〟
「ーーー隆…」
「にゃー」
「ーーーーーりゅう」
「にゃ?」
「ーーー…」
「ーーーみゃーあ…?」
「ーーー」
「?」
「ーーーーー早く戻れるといいな?」
「ーーーにゃ…」
ーーーこの姿も、めちゃくちゃ可愛いけどさ。
でもやっぱり、隆は隆でなきゃな…
なでなで…
頭を、首の下を丁寧に撫でてやる。
可愛いなぁ…
ホントに。
ひとの姿でも仔猫でも。
どんだけ隆は、俺を虜にすれば気が済むんだろう…。
「にゃん」
「ん?…ああ、わかってるよ」
「にゃ」
「散歩行こうな?朝食も…天気良いから公園で食おうか!」
「みゃーあ」
さ、今度こそ着替えて。
小さなお前を連れて。
真っ青に晴れた冬の空。早朝の公園へ。
約束した、デートに行こう。
行き先は、いつも隆とよく行く公園だ。
隆…と言っても、側から見ればれっきとした仔猫。朝食を買いに一緒に店内へ連れては行けないよな…と。
どうするかな…。
そんなふうに考えていた時に目についた。
公園の近くの歩道沿いに、早朝から開いているレトロな雰囲気のパン屋。
店内で選ぶのではなく、歩道に面したカウンターで購入するスタイルだから。
ここなら隆と一緒に買い物出来る!
喜び勇んで、隆とショーケースの前に立った。
「どれがいい?」
「みゃーあ」
俺の肩に乗っかった隆が、小さな手をめいっぱい伸ばして一点を指した。
「ーーーあんぱん?…あ。こし餡のな?」
「にゃん!」
「好きだな…ホント。こーゆうトコも猫になっても同じなんだな」
「にゃ」
「わかったよ。んじゃ、あんぱんと…あと…」
隆のパンと、やっぱりミルク。それから俺のサンドイッチとコーヒー。
それらを買って、隆を抱えて。
俺たちは、通い慣れた公園の。
緑に囲まれたベンチに腰掛けた。
「みゃーあ!にゃん!にゃあん」
「隆~、枯れ葉に紛れて埋れんなよー」
あーあ…。枯れ葉まみれだ。
落ち葉の上で戯れまくって遊んでる。
ーーーまあ。ひとの姿の隆も、よくこうやって公園を駆け回ってるもんなぁ…
ーーー緑…っても。
もう冬のこの季節。
緑の他にも、赤や黄や茶の鮮やかな景色。
カサカサと落ち葉が舞い散る公園で、今の時間は誰もいない。
俺と隆。
ふたりっきりだ。
「隆?ふたりきりだな」
「ーーーに…あ?」
「敢えて。ひとりと一匹とは言わないからな?俺たちは今ふたりっきり」
「にゃーん?」
「ーーー恋人同士だもんな?」
「!」
隆は目をぱっちりと開けて。それから数回瞬きをすると。俺の腕に手をかけて、小さな身体を精一杯伸ばして。
そして。
ぺろ。
「!」
またまた。俺の唇に、小さな舌で舐めてきた。
「隆…」
「みゃあ」
「ーーーキス?…してくれたのか?」
きっとそうなんだろう。って、思ったから。隆の目を見て、微笑んでやる。
すると隆は、差し出した俺の指先を。ちょんと鼻先で突いて、それからまたペロリと舐めた。
「ーーー」
そんな姿を見たら、やっぱり確信した。
黒猫の姿をした隆は。
意識や心は、ちゃんと隆なんだって。
俺の言動もわかってる。
それに対して、ちゃんと返したいと思ってくれてる。
食べたい物も示してくれる。
仔猫仕様のキスもしてくれる。
可愛いし、いつもと全然違う隆との日常。
こんな体験そうそう出来るもんじゃ無いから、ある意味貴重な体験なんだろうけど。
ーーーでもさ。
「隆」
「にゃー?」
「隆は…どう?ーーー仔猫の姿で…」
「ーーー」
「戻りたい?」
「ーーーにゃ」
もしも本当に。
隆が仔猫になってしまった原因が、星に願いを…なんだとしたら。
隆が願った事が。
〝ずっと一緒にいられる存在〟になりたいって事だとしたら。
今度は俺が星に願えばいい?
そして…俺が隆の願いを満たしてあげられれば、元に戻る?
「ーーー今の隆も、すげえ可愛くて捨て難いんだけど」
「にゃーあ」
「ーーーでもさ。…やっぱり俺は、戻って欲しいよ」
「ーーー…にゃあ」
「〝いつものお前と〟一緒にいたいよ」
ーーー俺もばかな事言った。
ずっと一緒にいられる存在なんて。
ーーーずっと一緒にいたいのは、隆以外いないのに。
今までだって、出来る限りの時間を。
俺にくれていたのに。
「にゃん?」
小さな隆を両手で掬い上げて。
じっと見つめる、恋人の額に。
ごめんな。
好きだよ。
誰よりも。
欲しいのは、お前。
ーーーそう、想いを込めて。
キスをした。
〝好き〟の気持ちばっかりが詰まった。
隆と初めてしたキスを、思い出した。
スギゾーが言ってたな。
流星群のピークはこれからだって。
俺もスマホを取り出して、天気予報を表示する。そして、その他の情報欄に…
あ!あった。
流星群のピークの日時。
「ーーー明後日…か」
「みゃーあ?」
明後日の晩。午前3:00頃からが一番見えやすいらしい。天気も良い。冷たい冬の空気。澄み渡って、きっとよく観察できるはずだ。
「隆?明後日の深夜だって」
「にゃー」
「流れ星が、いっぱい降ってくる。ーーーこないだよりもな?」
「にゃ」
「ちょっと寒いかもしんないけど、一緒に流れ星を観ようよ。隆が元に戻れるかもしれない」
「!」
隆は耳をピンとさせると、空を見上げる。
今はまだ、夜が明けたばかりの水色の空だけど。
ーーー想像しているのかもしれない。
この空いっぱいに、星がキラキラ流れてくる光景を。
見上げる仔猫の細かなひげが、朝陽を浴びて産毛みたいに光ってる。
サア…と吹いた風が、そんな仔猫の毛並みをふわりと揺らして。可愛くて。
俺は仔猫の頭を、撫でてやった。
散歩から戻ると、俺は少し家の雑務をこなして。
隆はその間も、俺の足元に纏わり付いていた。
「手伝ってくれんの?」
「にゃん!」
掃除機をかける俺の後を。
あっちにテコテコ、こっちにチョコチョコ。
黒い毛並みだから、埃がついたら目立ちそうで。俺は隆を掬い上げると、肩の上に乗せてやった。
「どう?そっからの眺め」
「みー…」
「ーーー高い?…落ちんなよ?」
「…みゅう」
チラッと見たら、隆は耳をペタリと倒してる。…ちょっと怖いのかな…。
でもまあ、そんなこんなで掃除を終えて。
気付くともうすぐ昼。
今日は午後から葉山君とスタジオで会う約束がある。
ソロのピアノアレンジの事で、いくつか。
ーーーで。
隆をどうするか…なんだけど。
こんな小さな仔猫を留守番させるのは心配だ。だから連れて行こうとは思うんだけど…。
「隆?これから葉山君と仕事なんだけど」
「みゃう!」
「隆も連れて行くつもりなんだけど…」
「にゃん」
「ぬいぐるみのフリしろ…とかは言わないけど。…ごめん。葉山君の前では、俺の仔猫って事にしていいかな」
「にゃー」
「…ごめんな?これは隆だよ、俺の恋人。って言えたら良いんだけど…。さすがに混乱させると思うから。ーーー隆の姿も、何が何でも、明後日の夜に戻してみせるつもりだから…」
「ーーー」
「いい?」
「ーーーにゃあ」
またしても。
返事の代わりに、俺の唇をペロリ。
その度に、実はドキドキしてしまうのは内緒だ。
…俺。もしかしなくてもヤバい奴?
仔猫の姿の隆に恋愛感情はよくわからない…なんて思ってたけど。
どうやらしっかりその感情を持ってるみたいだ。
ひとの姿の隆の時と、同じように。
「ーーーはぁ…。」
「にゃん?」
「お前…どうしてくれるんだよ」
「⁇」
「ーーー好き過ぎだ」
〝隆〟を。
「イノランさん、どうしたんですか?…その猫」
「ん?ーーー可愛いでしょ?」
午後。
いつものスタジオで葉山君と仕事。
黒猫隆を連れて現れた俺を見て、葉山君は目を丸くした。
「イノランさんの飼い猫ですか?本当可愛いですね~!こんな仔猫の黒猫って、そうそう出会えないです」
「そうなんだよ~、可愛くってさぁ。…飼い猫っていうんじゃないんだけど…事情があって数日だけね?…こんな小さいから留守番も心配で」
「あ~わかります!こんな可愛い仔猫見ながら仕事できるなんて良いですね~」
「ありがとう~!ーーーよかったな?葉山君も喜んでくれてるよ」
「にゃん?」
「なんて名前なんですか?」
「え?…あー…えっと」
「はい」
「にゃーん」
「ーーー…えっとね。…ーーー隆」
「え?」
「みゃーあ」
「隆」
「ーーーりゅう…ですか?隆一さんみたいですね!」
「ははは!まあな?なんかほら、つぶらな瞳が隆ちゃんっぽいなぁ…って…思って」
ーーーここまで言う事になるとは…
墓穴掘ったか?…俺…
「そっか。お前、りゅうって言うんだね」
「みゃう」
「イノランさんはどう?優しい?」
「にゃあ!」
「そっかそっか!良かったね」
「…葉山君~」
「にゃー」
葉山君はよっぽど隆を気に入ったみたいだ。それか無意識にも、隆の雰囲気を感じとっているんだろうか…⁇
「…なんかお前を見てたら、本当に隆一さんを見てる気分だよ?」
「え…隆ちゃんを?」
「はい。〝黒〟っていうのがまずイメージが重なるし…それに」
「にゃー…?」
「イノランさんと一緒にいて幸せそうな感じ。この子も隆一さんもおんなじです」
「っ…ーーー」
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