恋におちる












最初から叶わないのだと悟った恋。
出会った瞬間から諦めと共に、それでもおちていく。

海みたいに深い場所へ。







「叶わないって、何でそう思うんだ?」

「…ぁ、」



隆の着ている白いニットの裾から手を入れる。
急ぎすぎかな、と思うけれど。
さっきの涙を浮かべた隆の表情を見てしまったから、もうここで終わりなんて無理だ。



「隆」

「っ…ん」


俺の指先が冷たかったのかも。
脇腹辺りをさらりと撫でたら、隆はヒクンと背筋をしならせた。



「ごめん、手。冷たかったか?」

「ん、ぅう…ん、違、」

「ん?」


ーーー図々しくなったのかも。
身体を固くしながらも、嫌がられているんじゃないって気がして。
俺はきっと微笑みながら、服に差し込んだ手をもっと奥まで伸ばす。
もっと大胆に、手で弄って。
今日初めて出会ったひとの敏感そうな部分にそっと触れた。


「…っひゃ…」

「ここ?」

「ゃ…っ、待っ…」

「ーーー気持ちいいんだ?」

「ーーーっ…て、ぇ…」



滑らかな肌の上に主張してる胸の突起。
少し触れるだけでぷくんと硬くなって、感じてくれてるってわかって。
それだけで嬉しい。
殆ど初対面の俺のする事で、こんなになってくれるのが嬉しい。




「俺はさ、」

「ーーーん、」

「あの店で、隆の歌を聴いた時にね」

「?…ぁ、」

「すげぇ、感動したし。なんて声で歌うひとがいるんだって、目が離せなかった。
聴くだけで惹き込まれて、もっと聴きたくて。初めは隆の声からだったけど、それだけじゃ足りなくて。
隆の表情も、仕草も、匂いも、全部」

「ーーーっ、ん、」

「急速に」

「…ぁ、あん」

「おちていく感覚」

「ーーーーーおち、て…?」

「そうだよ」





ぎしっ、



手早く俺は自身の着ているシャツを脱ぎ去って。
片手でベルトのバックルを外しながら、隆の顔の横に手をついた。
真下には黒髪を散らした隆。
まだ着たままの白いニットをするりとたくし上げて。
さっきから弄っていた胸の先端に唇を寄せる。
暗い寝室の中で、辺りにある小さな光で照らされた隆は。
そんな俺の事を、じっと息をひそめて、濡れた表情で待っている。
それが綺麗。
可愛いって、こうゆう事を言うんだって。
初めて知った気がして。

もっともっと、おちていく。




「恋におちた。俺は、」

「こ、い…?」

「お前に」

「ーーーイ…ノ…」

「でも、それは俺だけ?」

「ぇ、」

「叶わない恋の歌を聞かせてくれた」

「っ…」

「隆もなんじゃないのか?」



自惚れでも、もういい。
俺にこんな事されて逃げないって事実が、君からの答えだって思っていいよな。

叶わない恋。
叶わないのだと思う、その理由は、隆にしかわからないけれど。

出会ったばかりだから。
同性だから。
まだお互いの事知らないから。
明日は何処にいるか知れないから。

例えばそんな理由だったとしたら。
ーーーや。それ以外にも、もっと大きな理由があるとしても。

関係ない。
とらわれない。







「隆が好きだよ」



















「…っ…ん」


ぎゅっと目を瞑って、手のひらで口元をおさえるのは。
飲み込まれまいと、声を出すまいと必死なのかもしれない。
快感とか、襲いくる感覚に。

ーーーーーでも。
それにしても、だ。





「…あの」

「んっ、ん…」

「隆?」

「…ん、…?」



一旦、僅かに身体を離す。
ほんの少しの隙間も、今は惜しいけれど。
でも、涙を溜めてがちがちに緊張してる隆を見たら、何だか可哀想で。
ーーーそしてやっぱり、めちゃくちゃ可愛くて。
虐めているんじゃないんだけど、そんな気になってしまうから。俺は苦笑して、まずはリラックスして欲しいと思う。
せっかく一緒にいる時間を、萎縮したものにさせたくない。



「さっきも言ったけど、嫌がる事はしたくないし、怖がらないで欲しいし」

「ーーーん、」

「隆が今逃げないで、抵抗しないでいてくれる事が俺への返事だって、勝手に解釈しちまったんだけど」

「ーーーぅん」

「ーーーでも本当は嫌だって思ってたら、」

「…ぁ、」

「やめる。隆から離れるよ」

「っ…」




ひゅっ、と。隆が息を飲む気配を感じて。
俺はもう少しだけ、隆から身体を離す。
触れたい気持ちはいっぱいだけど、それよりも無理強いして隆が苦痛に思うのは避けたい。

身体を離した事でふたりの隙間に夜のひんやりした空気が通って。
見下ろす先に横たわる隆を、俺は真っ直ぐに見つめる。



「隆」

「ーーーイ、」

「ん。…こわい?」

「…ぁ、」

「今ならまだ」



やめられるよ。

今ならまだ。
あの店で出会った歌うたいと、それに魅了された観客で終われる。
ーーー終われる…。
多分。
ーーーーー終われる、努力が…今なら。



「隆」

「ーーーっ…ノ、」

「ん」

「違っ…」

「ーーー」

「ゃ…」

「りゅ、」

「ーーーーーっ…だ、ぁ…」




きしっ!



「ーーーりゅ…う」

「や…だ、」

「ーーーーー隆?」




身体を離した俺をまた引き戻したのは…。
隆の両手、で。
相変わらず目には涙が滲んで、夜の光で潤んで見えて。
薄暗い部屋でも、隆の頬は。
赤いって、わかる。

俺の背に回された隆の両手は、ぎゅっと縋り付く。
指先が熱い。
手のひらはあたたかい。
隆の上にさっきよりもっと覆い被さる姿勢になって。
首筋の辺りに、隆の吐息がかかる。
指先に負けないくらい熱い吐息に、微かな声が混じって。
それが駄々っ子みたいに、離れるのは嫌だと、囁いて。

可愛くて、愛おしくて。
ここで終われる努力も、脆くも崩れ去った。













「ぁ、ふ…ぅ、」

「ーーーーーもぅ、」

「んっ…ん、ん、」

「やめないからな」

「ーーーぁ、い…ぃよ」

「…ん」

「やめな…で、」

「っ…隆、」




やめないで。
なんて、そんな言葉をもらったら。
我慢なんてできなくて、もっともっと触れたくて。
隆の着ている白いニットと、それからジーンズを下着ごと抜き取る。
一気に裸にされて、隆はきゅっと身体を縮めたけれど。
両手首をそっと掴んで、素肌を重ねて、唇に触れる。
視界の端に隆の着けている赤い石のクロスがチカッと光る。
白い肌に似合う…と思いながら。
好きになったひととの初めてのキスに溺れるのに、時間はかからなかった。



「ん、ん…ふ、」

「ーーーっ…は、ぁ、」

「ふぁ、っ…」



ちゅく。
ーーーちゅぷ、ぴちゃ。



「ぁんっ…」

「ーーーここ、」

「ひあっ、」

「気持ちいいんだよな?」


さっき見つけた隆のいい場所を再び弄る。
ツン…と尖った先端を指先と舌で何度も突くと、隆は首を振って身を捩った。



「ゃあっ…」

「ーーー隆、ほら…ここも」

「…ぁ」

「勃ってる、俺のも…わかるか?」





互いのそこは、もう硬くなってはち切れそうだ。
そっと隆のものに触れるだけで、ひくんと身体が揺れる。




「すげ…可愛い」



もう早く繋がりたいけど、気持ちよくなってほしくて。
隆のものの先端に唇を寄せて、そのまま咥え込む。



「ーーーっ…ぁ、そん…」

「ん、」

「…ゃ、」

「ーーーっ…いい…から」



俺の頭に突っ張る隆の手は上手く力が入らないようで。
ぎゅっと俺の髪の束を掴む手は震えてる。
舌先で先端を穿って、緩く歯を立てて甘噛みすると。
隆は狂ったように首を振って涙を散らした。



「ぁ…あぁ…っ」

「ーーーっ…」

「ぁんっ…ん、んーーーも…出ちゃ…」


先走りの愛液が滴るから、溢れる前に指先で掬い取って隆の秘部に挿入れた。
三本の指先を飲み込んだ隆の中は、あったかくて、キツくて。
不規則に指先を動かすと、隆の腰が無意識に揺れる。


「ーーー隆…っ…も…いい、か?」


ぐちゅ…くち。
隆の声と濡れた音で頭が朦朧とする。



「ーーー挿れ…て…」


こくん…と頷いて。
イノラン…。はにかんで、掠れた声で俺を呼んでくれた。
そんな姿を見たら、俺ももう待てなくて。反り勃った自身を隆の後孔に擦り付けるようにしながら、ゆっくりと挿入する。
ぎゅっと隆の足先に力が入る。
少しでも痛みを紛らわせてあげたくて、隆のものを手のひら包んで、ゆるゆると緩急をつけて扱く。
キスも、気持ちのままにおとしてゆく。
涙の滲む目元にキスすると、パチリとびっくりした顔をして。
そのあと、じんわりとした微笑みを見せてくれるから堪らない。
愛おしい気持ちがとめどなく。
繋がった隆の身体の奥まで、何度も犯す。



「ーーーっ…ぁ、あ…んぁ、」

「…あ…っ…隆、隆…っ…」

「ぁんっ…ゃ、あぁ…気持…ち…ぃ……よ…」

「隆っ…」

「イノラ…っ…」

「ーーー好き…だ、」

「ーーーっ…ぁ、」




好きだ、って。
好きになったひとと抱き合う最中に言える事に。
そんなことが、自分にもできるんだって感激して。
隆の中に白濁を注ぎながら、堪らず抱きしめた。


それくらい。
好きになってしまったんだ、隆のこと。












「ーーーーーー」




眩しい。
カーテンの隙間から、朝の光。
冬の空気は冷えて透き通って、柔らかな光りすら目が開けられないほど。

寒い季節だ。
肌寒くて、俺は隣にいるはずの温もりに手を伸ばした。




「…?」




ーーーいるはずの…。




「ーーーーーー隆?」



触れたシーツはひやりと冷たい。
でも、確かにここに誰かがいたという跡がある。


いるはずの。
そのひとは。




目覚めたら、隆はいなかった。


書き置きも、何も無く。
連絡手段も何も無く。
ただ。

抱き合った白いシーツの上に。
コロン、と。
真っ赤な石の、ペンダント。
クロスを象ったそれは、血の色のような宝石。
ルビー。


たった一晩愛し合ったひと。
隆。
隆の残したものは、そのルビーと。
消えることの無い、俺の中の気持ちだけ。


好きで好きで、愛おしくて。
忘れられない。
また会いたいと、あてのない人探しを決断させるほどに。

俺は隆に恋におちていた。


















「ーーー恋人」

「まぁ、」




話が戻るけど。ベーシストのJは俺の話を聞いた後、面白そうに相槌を打って。



「お前がそんな風に言い切るなんてさ」

「ん?」

「それだけ本気でって事だろ」

「ーーーーーじゃなきゃ宝石で釣りなんておかしな行動しないと思うけど」

「ふぅん?じゃあやっぱマジなんだ?」

「ーーーそうだよ」




そうだよ。
だって俺は知らない。
あんなに綺麗なひと。
あんなに可愛いひと。
音楽が繋いでくれた、運命だと思った。



「恋人の定義なんてわかんないけど」

「ん?」

「一目惚れして、話をして、一緒に夜の海岸線を歩いて、一緒に酒飲んで、歌を聴かせてくれて、」

「ーーー」

「好きって言って、一緒に夜を過ごして。ーーーセックスして、」

「ーーー」

「それって、恋人じゃないのかな」

「ーーー」

「そう思ってたのは俺だけ?」






叶わない恋も覆してみせると決めたのは。
俺だけなのか?





ふぅ…。と。
俺は深い溜息をついたんだろう。
幸せ逃げるぞ、なんて。Jにしちゃらしくない言葉を言いながら、自分の為に買ったんだろう缶コーヒーを俺のギターケースにコトンと置いた。
いい奴なんだよな、Jって。



「もっと探せよ。恋人が残した宝石で釣りなんてやってる暇があったらさ」

「説教?」

「ちげぇよ。じゃなくて、もっと現実的で確実に結果を追えそうな方法をとれって事」

「現実的」

「その店に行ってみればまた来るかもしれないだろ」

「行ったよ。もう、早々に」

「何度も行くんだよ!現場百回って言うだろ。何度も通って店員とコミュニケーションとって手掛かり探すんだ」

「ーーークッ、」

「あ?」

「クックク…お前何でそんな…刑事みたいにさ」

「好きなんだろ!」

「ーーーっ…‼︎」

「惚れたんだろ!だったら、」



「ーーーJ」

「あぁ⁈」



目が覚めた。
そうだよ。
ーーー悔しいけど、コイツの言う通りだ。



「サンキュ」



黄昏てる場合じゃない。
感傷に浸ってる場合じゃない。

俺の好きなひとが、もっと遠くへ行ってしまう前に。


















「隆一さん」

「ーーーーーん、」

「大丈夫ですか?ーーーなんか、」

「え、?」

「ぼんやりしてるみたいなーーー具合悪いですか?」

「具合?ぅうん」

「そうですか?ーーー昨夜あのあと僕は随分…3次会まで行ってしまって…」

「ふふっ、そうだと思った。珍しく葉山っちが今朝は足取りおぼつかない感じだったもん」

「ーーーや。楽しくて、つい。お酒がはいると音楽談義、止まりませんね」

「あのお店のスタッフさんたち、皆んなミュージシャンだったんでしょ?」

「はい。なので尚更…楽しいお酒の時間でした。ーーーでも帰りが朝方になってしまって、隆一さんはどうでした?」

「ーーー」

「昨夜お店で出会われた方とお約束があったんでしょう?お食事とか、楽しめました?」

「ーーーーーん、」

「?」

「そうだね。あのね、歌を…」

「歌?」

「歌ったんだ。彼の前で、俺」

「そうなんですか」

「うん」

「そっか」

「ーーーうん」

「それは、素敵な夜でしたね」

「ん、すごく」

「ーーーまたお会いできたらいいですね」

「ーーーーーん、」

「はい。…ぅん、ん?あれ?」

「え?」

「ーーー隆一さん、いつもの」

「?」

「いつも着けてる、ルビーのクロス…どうしました?」

「あ、」

「ーーー着けてないんですか?」

「ーーーーーあ、あのね」

「はい…」

「えっと…落っことしちゃった。ーーー昨夜…」

「え…大事なんでしょう?」

「ん、」

「すごく似合っていたのに…」

「ーーー…いいの」

「え?…でも、」

「ううん、葉山っち。あのね、俺」

「ーーーーー」

「もしもまた出会えたら、信じられそうだって、思ったんだ」

「ーーーなにを」

「大きな広い深い海の中に、たった一個の宝石を落っことして…」

「え、」

「もしもまた一生のうちに出会えたとしたら」

「ーーー」

「それは運命だって」











ルビーのクロスは、今俺の胸元にある。
お前が赤い石なんて珍しいなって、Jは真っ先に言ったけれど。これが例のルアー代わりにしてた物だってわかると肩をすくめた。

隆の残したこの宝石を身に着けていれば目印にもなると思った。
それくらいこのルビーのクロスは存在感がある。
デカいわけでもないし(寧ろ控えめで)ギラギラに輝いているわけでもないのに。
一度目が止まるとそらせない。
そんな魅力があると思う。



「ーーーって、それって。似てるんだ」


隆、と。
俺にとっては隆も同じ。

一度見つけてしまったら。
一度声を聞いてしまったら。
言葉を交わしてしまったら。
その身体に触れてしまったら。




「…りゅ、う、」



ルビーの触れてる素肌の部分が灼けつくようだ。
じりじりと灼いて。
俺の中の奥深くまで。



「ーーーーーいま、」


会いたい。


「何処にいるんだ…?」


君に会いたい。

海と恋の歌が忘れられないよ。























「ーーー依頼?」

「ああ。お前に作曲の依頼だってさ」

「ふぅん?」

「なんだよ、乗り気じゃねぇの?」

「違うって。なんでまた俺なんだ?って」

「お前の作る曲がイメージと合ってんじゃねぇの?」

「ーーーJは?」

「俺?俺は今回は、」

「…俺だけ?」

「名指しだったらしいからさ。イノランさんにって」

「ーーーふぅん」



Jとはよく一緒にステージに立ったり曲作ったりしたりしているけれど、所属が一緒ってだけで俺らは一人と一人のアーティストだ。
だから今回みたいな事は初めてじゃない。
それは構わない。


「依頼者ってどんなひとだ?」


Jに聞いたら、さぁ?って肩を竦める。
そりゃそうだ。
あとで事務所に立ち寄ってこよう。





「曲…ね」



そう。
今の俺の頭ん中は隆の事でいっぱいいっぱいで。
ーーーちょっと頭の端にいってしまっていたかも。
仕事とか。そうゆうの。









「誰だかわかんない?」



あの後事務所に寄って、例の曲依頼についてマネージャーに訊ねにいった。…んだけど。
マネージャーはちょっと困った顔して首を振った。




「わかんないって…どーゆう事?」



俺の疑問は至極当然だと思う。
だって依頼がを受けた当の事務所側が、それが誰からの依頼かって事を把握してないなんて言うから。




「だって依頼が来たんでしょ?」

「や、そうなんだけど。ーーーわかんないんだよねぇ…」

「だからなんで⁇」

「封書で来たんですよ。所属されてるイノランさんに作曲の依頼をしたいって」

「…封書」

「今時珍しいなぁって、古風だなぁ、なんて思ってたんだけど。文面もとても丁寧で、イノランに是非お願いしたいですって感じが溢れてて」

「それは嬉しい」

「ね?で、こちらこそお願いしようって、たまたまその場に居合わせたJにね」

「あ」

「イノランに依頼が来たよーって言ったら、じゃあ会うからついでに伝えとくって言ってくれて、」

「ーーーそれでアイツが教えてくれたわけか」

「そうそう。で、Jが帰った後に、さて依頼主にコンタクトを…って思ったんだけど、」

「ーーーーー名前がない、と」

「ーーー…そうなんですよねぇ…。アドレスも無いし…。わかる事って言ったら消印の押された郵便局の場所だけで」

「ーーーイタズラ…とか」

「ーーーんー…。そうですかねぇ。ーーーでも本当に文面読むと…」



読んでみてくださいよ。って、マネージャーは俺にその手紙を寄越す。
薄水色の便箋に細いペンで横書きで数行。








正式な依頼の仕方ではなかったら大変申し訳ありません
でも どうか 作曲をお願いしたいのです

イノランさんに

どうか どうか よろしくお願いします






「ーーー」




ちょっとだけ癖字?かな。
でも、タイプされた文字じゃないそれは、なぜだか心地よくて。
書き手の気持ちが、スッと入って来る感じで。
名前もアドレスもわかんないけど。
嫌な気なんて、全然しなくて。

俺の様子をじっと見ていたマネージャーに、俺はにんまりとしてこう言ったんだ。





「OK。俺は全然いいよ」

「え?」

「曲、引き受ける」












でもちょっとその封筒くれる?って、目を丸くするマネージャーから手紙の入っていた便箋と揃いの封筒をもらった。
なんでかって?

だって、たった一つの手がかりがここにあるんだ。
この手紙の出発地。
消印が教えてくれる依頼主の足取りが。






消印の押された郵便局を見つけるなんてのは容易だった。
俺のいる街に近い場所。


ーーーそこに行けば会えるんじゃないかって、そんなの簡単な事じゃないのに。
(だって依頼人の顔も名前も何にも知らない!)


でもなぜだか、そんな突拍子も無い人探しに、俺は乗り気だった。





「ーーーそういえば、」



そんな突拍子も無い人探しは、今も継続中なんだった。
あの日愛した、隆を探す日々。
彼の置いていったルビーを擬似餌に釣りなんてしてた俺だ。




「よくよく考えれば馬鹿みたいな事してたよなぁ」



叶わない恋と海の歌。
それを聞かせてくれたから、俺は隆は海の底で眠っているんだと(あの時はマジで)思って。
Jの言うとおり、もっと現実的な捜索方法もあっただろうに。




「最近の俺はなんか人探しする運命…みたいなのが出てんのかな」


しかもどちらも、すんなりとはいかない人探し。
たったひとつの手掛かりを辿る人探し。
ーーーでも不思議と途方に暮れるって感じはしないんだ。



「なんでかな、」



ひとつの人探しが進んだら、もうひとつの人探しも上手くいく気がする。
根拠なんて無いけど。
でもそうゆう勘は、俺は大事にしたい。




目前に、郵便局の赤いマークが見えてきた。
平日だから、入れ替わり立ち代わり人が出入りしてる。

ーーーこんな中から探すのか…。
ってか、ここにまた来るともわかんない。
それに消印はここの本局のだけど、投函したのはどこか近くのポストだったらお手上げだ。




「ーーーーーーーーーはぁ……。」



途端に途方も無い事してんだなぁって気がついてしまって(さっきまでの勢いはどうした、俺)。
ずるずると真っ赤なポストの裏側にしゃがみ込む。
行き交う人たちは俺をチラチラ見ていくし(ほっといて…)
ガックリと封筒片手に項垂れてると、なんだか色々と込み上げてきた。


「ーーーどいつもこいつも、なんなんだよ。俺にたった一個のヒントだけしかくれないままに姿を見せないでさ。散々、さんっざん!俺を虜にしといてどうしてくれんだ⁈」

「作曲ったって、相手が誰だかわかんない奴にどうやって曲書けってんだよ!書きようがないだろうが‼︎」






「ーーーーーーーーー………」





吐き出したのは独り言。
誰に訊かせるんでもない。

わかんない事ばっかりで、雲掴むみたいな感じで。

でも、ここへ来て。
わかった事がある。


俺の人探し。
ふたつの人探し。

隆と、シルエットしかわからないもうひとりの人物は。
イメージが重なって、あの文面や、文字や。
それから、あの一晩で見せてくれた、隆の色んな表情が。

重なって。





「ーーーーーー会いたいな…。ーーーーーー隆…」




俺は姿が重なったひとの名前を呼んでいたんだ。






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