短編集・1







「俺ちょっとコンビニ行ってくんね」





煮詰まった空気の中、俺は気分転換したくて腰を上げた。



今俺たちは、とある宿泊施設で合宿をしている。
メンバー五人とスタッフを入れての、結構な大所帯だ。

昔はアルバムを作る度によくやっていた合宿。
朝から晩まで、メンバーと一緒に音楽漬けの数日間。
楽しくもあり、衝突もあり。
なかなか濃い時間が過ごせるのは、合宿ならではだと思う。

そんなルナシーの合宿。
近頃は久しくやっていなかったけど、数年振りのアルバム。
原点を見直す意味でもいいんじゃないかと、この度皆んなで寝泊まりする事になった。



あぁ~…合宿って、こんなだった。



始まって数時間で、過去の合宿にまつわるアレコレの記憶が蘇ってきた。
まさに合宿。
音楽合宿。
音楽漬け。


いつものスタジオでのレコーディングは、何だかんだ眠いとか疲れたとか言っても夜には帰宅する。寝て起きて出勤する。多少なりとも心身共にリセット出来る時間があるんだ。

でもここでは。

やる事が音楽メイン。
多少の生活時間はあるものの、メンバーと一緒だから否が応でも音楽の事が離れない。

音楽が好きだ。
だから続けてこられた。


…でも。
ちょっと違う空気吸いたいって思う事もある。



新曲の構築で煮詰まり出した空気。
さっきまで皆んな色んな意見を出し合ってたけど。
今の段階では出し尽くした感が漂って、無言の鬱々した雰囲気が充満しだした。


このままこうしてても好転はしないなって思って。
取り敢えずまず動くか…と思って、椅子から立ち上がりながら声をあげた。



「俺ちょっとコンビニ行ってくんね」


一斉に皆んな顔を上げて、やっと停滞した空気が動いた気がした。


「なんか買ってくる物ある?」



スギゾーが長いため息をついて、苦笑を溢す。



「そうだね…ちょっと休憩しよっか」


そして。じゃあイノ、お願いしていい?と、言って。



「俺カットフルーツ食べたい」とスギゾー。

「じゃ、俺コーラ」とJ。

「なんでもいいから週刊誌~」と真ちゃん。



順に言っていく流れで、皆んなの視線が隆に集まる。
隆はハッとした様子で考える素振りを見せるも、特に無いのかなかなか言わない。



「隆ちゃんは?なんかある?」

「え…」

「特に無いならいいけど」

「ーーーあ…えっと…」

「ん?」

「ーーーーーーーーー…一緒に、ついてってもいい?」

「え?」

「あっでも!ーーイノちゃんひとりで息抜きしたかったら…別にいいんだけど…」



慌てて首を振る隆の姿が珍しくて。
なんかいっつも余裕ある感じなのに。
こんなにしどろもどろ喋って、慌てる様子。ちょっと新鮮かも。

そんな隆を見られて、俺はきっと嬉しかったんだと思う。
なんだか心が浮き立つ感じ。
まだ知らない、これから起こる事に手を伸ばしたくなって。

俺は知らず知らずに、随分ご機嫌な声で隆に言っていたんだ。



「いいよ、一緒に行こ?」



ぱあっと晴れた隆の表情が向けられて。ものすごく嬉しそうに頷いた隆が、パタパタと俺の方に寄って来た。
仔犬みたいに。
見えない筈の、ふりふり動く尻尾が見えそう。

思わず、え…?と、固まってしまう。
ーーー隆って、こんなだったっけ?


にこにこしてるのは何時もの事。
ーーーでも、こんな嬉しい感情露わにして寄って来る隆。





…可愛い…かも。





「ーーイノちゃん?…行かないの?」



隆の声が下から聞こえてハッとする。
覗き込むみたいに俺と視線を合わせようとする隆がいて。

その隆と、目が合った瞬間だった。



どきん。



胸の高鳴りを、確かに感じた。




(っ …?)




何だろう…今のは。

今のは…⁇




もう一度確かめたくて。
ちょっと情けないんだけど、恐る恐る隆の方を見る。

すると、未だ行こうとしない俺を訝しんで。隆は俺の腕を掴んで、小首を傾げて、イノちゃん?…と怪訝な顔をしている。




「………」



掴む隆の手が白いとか。
見て来る隆の瞳が、やっぱりに仔犬のようとか。
サラサラ流れる黒髪が、ホントに似合ってる…とか。
とにかく色々思うところはあるけれど。


今、気付いた。
いや…。本当はずっと前からだったのかも知れない。
考え付かなかっただけで。

こういう事って、唐突なんだな…と妙に感心しながら。
俺は、ひとつの結論を見つけたんだ。



好きなんだ。
きっと、隆を。












合宿所の玄関を出ると小雨が降っていた。
それも微妙な、傘が要るか要らないか…という微かな霧雨だ。


玄関口の屋根の下で、隆がうーん…と唸っている。



「傘、いるかなぁ?」

「んー、コンビニ。そんな遠くじゃないけど、途中で本降りになったら困るし」

「じゃ、一応持って行こっか」



宿泊所の玄関に《ご自由にお使いください》と書かれた傘立てがあって。
見るとビニール傘が一本だけささっていた。



「……」



一本。

一瞬で連想ゲームみたいに、俺の頭の中に一つの言葉が浮かんだ。



( 相合傘 )


ジッと傘立てを見つめている俺の隣で、隆はさっさと傘を抜き取ると朗らかに言った。


「一本だけどいいよね。一緒に入ればいいもん」


ね、イノちゃん!と。
隆はにっこり笑顔で俺の腕を掴んで、あっという間に外に出た。



ふわぁ…っと霧みたいな雨が降り注ぐ。目にははっきり見えないけど、しばらく歩いていると髪がしっとりしてくる。
俺の二、三歩前を歩く隆は、気持ち良さそうに空を見上げている。



「いいね、外って。きっと帰る頃には、良いアイディア思いついてるよね!」

「だといいな。でも良い気分転換になる」

「うんうん!こういう時は皆んなも外に出ればいいんだよ」




「……」


ぎゅっと一瞬胸が痛む。
隆の言った『皆んなも』のところが引っかかる。

そんなありふれた会話の中の言葉が気になるなんて。


それって。

もしかして俺、皆んなと一緒じゃ嫌。って事?

ーーー俺と隆。二人きりが良いって事なのか?


「ーーー……」


さっき感じた、好きって感情。

ーーーそれって…。




「♪~…♬~…」


俺の悶々とした胸の内なんか、まるで知りませんって顔で。
隆は閉じたままの傘を振りながら呑気に歌を歌ってる。

でも。しっとり濡れた隆と、霞んだ景色がとても合っていて、水彩画みたいで。
歌声も、水分を含んで艶やかで。



そんな姿を屈託無く見せてくれる隆が。
俺はやっぱり、好きだと思った。















コンビニに着いて、頼まれた物をカゴに入れていく。

隆が冷蔵コーナーの前で、うーん…と、また唸ってる。
どした?と声を掛けると、陳列されてるカットフルーツを指さした。


「カットフルーツね。林檎ミックスとパイナップルミックス、スギちゃんどっちがいいかな」

「ーーどっちでもいいと思うけど…。ーーーじゃあ、林檎」

「?…どうして?」

「や。何と無く」

「ふぅん?…じゃあ、こっちにしよ」



そう言って隆は林檎と葡萄とキウイの入ったカップを手に取って、俺の持つカゴに入れた。



「隆ちゃんは?」

「え?ーー」

「いいよ、なんか。好きなもの買ってあげる」

「ーーーいいの?」

「うん、だってアイツらだけ買って隆ちゃんは無しってーーー」



そんなの可哀想じゃん…。と口から出そうになって、寸前で押し留めた。


隆だけ無くて可哀想…なんて。
違うなって思った。

そうじゃなくて。

せっかく自覚して芽生えた、隆への感情。
好きっていう気持ち。
まだどうしたい…とか、どうなりたい、とか。全然頭の中で組み立ては出来てないけど。

買ってあげるっていう今回のことも、隆だけ無くて可哀想って気持ちじゃなくて。
好きだから、特別な存在だよって想いを込めて接したい。


ーー…つっても。急に思い立った事だから、たかが知れてるんだけど…。

でも、隆の視線が熱心にレジ横に注がれているのを見て。俺もその視線を追った。
それは。


ソフトクリームのメニュー。
店員がその場で作ってくれるやつ。

あれが食べたいんだって、速攻でわかった。



「どの味がいいの?」

「え?」

「あのソフトクリームがいいんでしょ?」

「ーーーイノ…なんで?」

「あんだけ熱心に見てたらわかるって。ーーあれ買ってあげるから、選んで?」




何度かメニューと俺を交互に見た隆は。一呼吸つくと、満面の笑顔を見せてくれた。



「ーーーっ …」


「ありがとう、イノちゃん‼ えっと……北海道バニラ!」


隆の笑顔を受けて、俺もお返しのウインクをして見せる。

カゴの中の物と、隆のソフトと、俺はコーヒー。会計をして、隆のが出来る間にセルフのコーヒーを淹れる。

出来たてのソフトクリームを受け取って。隆、超嬉しそう。
イノちゃんありがとう!いただきます、と言って。早速一口目を食べている。


相変わらず、食べ物を美味そうに食うな…と。見ているだけで腹いっぱい。幸せな気分になれる。


コンビニの向かいに川の流れる公園があるから。雨もまだ霧雨だし、そっちに移動する。
川沿いに手摺りが続いていて。背の高い木の枝葉が、丁度良い屋根みたいにせり出している。


濡れなくていいかも…と。
隆と二人。
その枝葉の下で、雨宿りをする事にした。












俺たちの肩の高さくらいの手摺りに寄りかかって。
天然の屋根の下で、ソフトクリームとコーヒー。


ぽつぽつ程度の会話をしながら、咀嚼と嚥下を繰り返す。
サクサクと、コーンを囓る音が川のせせらぎに混じって。


俺はフト。この今の状況について考える。



柔らかな霧雨。
身体の奥まで潤う感覚。
林檎とパイナップル。
ソフトクリーム。
コーヒー。
サクサクした音。
川のせせらぎ。
隣にいる君。


可愛いって。
好きだなって思った、俺の気持ち。


あまりに急過ぎて、感情の整理は上手くできてないけど。
短い時間の中で起こって、拾い集めた大切なピースを。いっこいっこ、パズルみたいに嵌め込んでいく。

今日集めたピースだけじゃ。
まだまだ、完成には程遠い。


でも、これから先の日々で。
巡りゆく幾つもの季節を過ごして行けたら。
隆と一緒にいて見つけた、大切なもの。
失くさないように、集めたら。


いつか、一枚の絵みたいになるのかな。









「イノちゃん」



隆の声でハッとする。
思考の奥に入っていた俺を、隆がじっと見てた。
手には、縁を囓ったコーンに、だいぶ減ったバニラが乗ったソフトクリーム。

隆は、ちょっと意地悪そうな顔で、俺を覗き込んだ。



「イノちゃん。なんかボンヤリしてる?」

「ーーそう?」

「うん。なんかあったの?」

「ーーー」



ーーーなんかあった事になるのかな。ーーーーーーなるんだろうな…。


それも。
結構、特大のなんか。だ。


本人を目の前にして、簡単に言える事じゃない。
デリケートな問題だ。
それなのに、俺は。






無意識に。

ーーーいや。
無意識のせいにして、ホントのところ。

既に溢れそうな胸の内を。
想ってるよって。
君に。
この気持ちを、伝えたかったんだ。











「隆ちゃんのこと、好きだって…思った」




…言った自分に驚いた。

俺の前で、隆の顔が一瞬で驚きの色に変わる。
そりゃそうだよな…と思った。

でも。
ところが。







「ーーー俺も。…イノちゃんが好きだよ?」



にこやかに、さらりと言ってのける隆。



…俺の言う好きの意味。
わかってる?


わかってないだろうな…。
俺だって、自覚したてで心許ない。


それなのに。
隆は、俺と向かい合わせになるように立つと。穏やかな声で、言い放った。





「好きだから、イノちゃんに付いてきた。ーー…休憩時間、二人きりになりたくて」


「ーーーーー」



え…?




今の隆の言葉が、都合のいい自分の幻なんじゃないかって思ってしまう。

ーーーでも、目の前の隆は確かに隆で。そして、ほんのり赤い頬と、恥ずかしそうに微笑んだ口元が。
俺の唐突過ぎる告白の答えなんだって気付いた。





「ーーー隆ちゃん…ホントに?」

「嘘で、こんな事言わない」

「だってさ…。こんな、夢かなって…」

「違うよ!ホラ、触って」




隆の手が俺に手に触れる。

雨ですっかり冷えてると思いきや。
隆の手は、とても熱を帯びていた。
それを触れたら、指の先からも。
好きって、言われてる気がして。



思い切って、その手を引いて。
抱きしめた。



食べかけのソフトクリームが、反動で地面に落ちる。
そうしたら、隆の空いた両手が縋り付いた。




「好き」

「うん…俺も」

「…イノちゃん」

「好き」

「ーーーずっと、前からだよ?」

「ん…きっと俺も。最初から」

「イノちゃんが好き」

「隆が好きだよ」





隆がまた、微笑んでくれる。
それが、堪らなくかわいくて。
それを見たら、次へ次へって欲しくなって。
俺も微笑んで、囁くように言った。





「ステージの上では、隆ちゃんとしたことあるけど」

「え?」

「ああいうのじゃない。ちゃんとしたの、してもいい?」

「ーーーー…えっと…それって」


「好きだよって込めた、本物のキス」



好き同士なら、やっぱり最初にしたい。
初めてのーーー





「いいよ?」





言葉と共に、緩く閉じられた隆の瞳。
こんな潤んだ表情するんだって。
どきどきしながら、感動する。

震える唇や、少し上に顔を向ける姿が。やっぱり、めちゃくちゃかわいくて。


触れて、すこし深く。
小さく溢れた隆の吐息。
忘れられないくらい、艶やかで。

俺はこの日。
隆と、初めてのキスをした。













ザァァ…


雨足が強くなってきたから。
帰りは二人で、傘に入る。
特別大きい傘ってわけじゃ無いから。
なるべく濡れないように、肩を触れあわせて歩く。

行きとは違う、なんとも言えない。
浮き足立つ感じ。

言葉は無い。
ずっと、二人して無言だったけど。
時折重なる視線は柔らかくて、熱くて。
傘の中の空気は。
幸せで、あたたかかった。




宿泊所の玄関で、傘を閉じる前。
二人で約束した。

そのうち、きっとわかってしまうと思うけど。
まだ、メンバーの皆んなには内緒。
今はまだ、二人だけの秘密にしよう。


そう言い合って。雨粒で水玉模様になった、傘に隠れて。
俺たちはもう一度、キスをした。






end




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