塔の上














夜半だった。

窓の外が、やけに騒がしいと思ってイノランは目を覚ました。
騒がしいといっても、あからさまにうるさいわけではなくて。
そうではなく。

ーーー気配が。

ひとりふたりのものじゃ無い。
大勢の気配。
誰一人、声を立てるわけでも無い。

それなのに、この異様な気配は何なんだ?と。

いまだ隣で眠る隆一を起こさないように、イノランはそっとベッドを抜け出した。



「ーーー」


明かりはつけずに。
イノランは身を潜めて窓から外を覗いた。


「ーーー…」


目を凝らす。
塔の下には、これといって何も見えない。
頼りになるのは、今夜は満月の光だけだ。

ーーーじっと、イノランは凝視した。
塔の下。
気配はそこから感じる。
いつもと同じ夜だけど、決していつもと同じ静かな夜ではない。



(ーーーなんだ…?)

(なにが…)


じっと、目が慣れるのを辛抱強く待って。
目を凝らして、耳を澄ませて…



「ーーーっ…⁉」


イノランは、思わず出そうになった声を。寸でのところで飲み込んだ。





「っ…う、そ…だろ⁇」



窓の外。
まるで塔を囲むかのように、人、人、人。
こんな夜中なのに明かりも点けず。
声も出さず。
ただただ静かに、息を潜めて。
塔の上を見張っているようで。



「ーーーっ…」


イノランはベッドに駆け寄って、眠る隆一をぎゅっと抱きしめた。

んっ…。
隆一が僅かに身動いだが、そんなの気にせずに。
ドクドクと、心臓が音を立てる。

ひと目でわかったのだ。
彼らの目的は隆一だと。

先日ここへ来た人が街で言い触らしたのに違いないだろう。
この塔については、真実を知る者自体がごく僅か。
それ故に伝説や噂話に尾ひれが付いて、どんどん大ごとになっていったのだろう。



「っ…隆!」


隆一が何も悪くない事などわかりきっている。
さらに言えば、昔々の魔女と言われた女性だって同じだ。

何も悪くない。
彼女も隆一も、ただ歌が好きだというだけなのに。



隆一を抱きしめたまま、イノランは考えた。
この事態をどうくぐり抜けるか。

相手は大勢。
何かで襲ってくる可能性だってある。
真正面からこちらから向かっても不利だろう。

ーーーそれどころか。
隆一を守りきれずに、どうにかされてしまう事だってあり得るのだ。



「っ…」



イノランの背中に冷たいものが走る。
どうあっても隆一を守る。
一緒に旅に出ようと、約束したのだから。



「ーーー隆」



イノランはしばしその寝顔を見つめて、目を閉じた。
眠る隆一の唇に柔らかなキスをすると、キッと目を見開いて窓を見据えた。



「俺に出来ること」


ーーーそれは、力尽くではない。
隆一とイノランが愛する、音楽の力。


イノランは隆一をベッドに横たえると、壁に立て掛けてある愛すべきギターを手に取った。




暗闇は避けたかった。
向こうの動きを注視しつつ、イノランは夜が明けるのを待った。

塔の下の人々も同じなのだろう。
幸いな事に、地平線から朝陽が顔を覗かせるまで、人々は動かなかった。











「ーーーん…」



ベッドの上の隆一が、朝陽の光で身動いだ。
こしこしと目を擦って、小さく欠伸をひとつすると。
ゆっくりと起き上がって、視線を彷徨わせた。



「ーーーイノちゃん?」



いつもは隣で寝ているイノランの姿が無かった。
洗面所だろうか?と、隆一はベッドを抜け出して、リビングへと向かった。

ーーーその途中で。



「ーーー?」


ギターが無かった。
いつも寝室の壁に立て掛けてある、イノランの大切なギターが。
それでいて、街へ行く時に背負って行くギターケースはそこにあった。


「ーーー…イノちゃん?」


ただならぬ予感がして、隆一はリビングへ急いだ。
すると、夜の間は閉めてあるはずの窓のカーテンが開け放たれていて。
風を受けてゆらゆらと揺れていた。


「イノちゃん?…ーーーそこ?」


愛しいひとの姿を探して、隆一は窓辺に近付いた。
揺れるカーテンを分けて、バルコニーへ足を進めた。



「ーーーイノちゃん?ねぇ、」



「どこ?」



「…イノちゃ…ーーーーー」





隆一は目を見開いた。

バルコニーから見下ろして光景を目の当たりにして息をのんだ。




「ーーーっ…イノ…」


「っっ…イノちゃんっ…‼」






塔の下。
大勢の人々に囲まれて。
人々の前で。

イノランは、そこにいた。

どんな状況なのか、隆一に詳しくはわからないけれど。
その取り囲む人々の雰囲気が。
朗らかなものでは無くて。
ひどく殺気立って険しい雰囲気なのは、塔の上からでもわかった。
ーーーそして、その人々が何故ここへいるのか。
そんなの。
隆一には、理由なんてひとつしか見つからなかった。



〝魔女だ〟


塔の上の隆一にそう言い放った人がいた、あの一件絡みだと。



「ーーーイノちゃんっ…」


それにしても何故イノランは塔の下にいるのか?
あんな大勢の人々の前で何をしているのか?

そんな疑問を隆一は抱いたけれど、見回した塔のバルコニーの手摺を見て理解した。

バルコニーに結わえ付けられたのは一本のロープ。
長く伸ばされたそれは、塔の下まで降りている。
隆一の魔法の力を使わずとも、万が一の場合に使えるようにとイノランが街で調達してきたロープだった。
イノランはそれを使って下まで降りたのだろう。

ーーーしかし。
しかし何故こんな状況の時に⁇
危険な雰囲気が充満する塔の下で何をしているのか?


「っ…ーーーイノ…」


隆一はもう一度イノランに呼び掛けようと、バルコニーから身を乗り出した時だった。




「ーーーーーーーあ、」



聞こえてきたのは、ギターの音色。
イノランと出会ってから、幾度となく聞いてきたイノランのギター。
殺気立った人々も物ともせずに、穏やかに緩やかにギターを爪弾くイノラン。
まるで場違いなイノランの行動に、取り囲む人々も躊躇しているようだ。


しかしイノランを呼ぶ隆一の声を聞きつけた人々は、ハッとして声を上げる。
バルコニーの隆一の姿を見つけると…



「見ろ!魔女だ‼」
「あそこにいるぞ!」
「やはりこの塔に住んでいたんだ!」
「魔女は呪いの歌を歌うぞ!」
「我々に災いをもたらすぞ!」
「魔女を捕まえろ!」
「魔女を捕らえろ!」
「何かされる前に!」
「何か災いをもたらされる前に!」



人々の声は大きく響き。
隆一は思わず耳を塞ぐ。
殺気立つ人々が恐ろしくて。
隆一は両手で顔を覆った。






「うるせえよ」




そんな時。
静かな。
静かな声が、早朝の森を通り抜けた。
涼やかな風のように吹き抜けた。

相変わらずギターを弾きながら。
イノランは人々を諌めた。




「音楽も歌もさ」

「ーーー愛すべきものは、心を込めて聞くもんだ」




手に持ったピックをポケットにしまって。
イノランはゆっくり、顔を上げた。





静かに顔を上げたイノランに、人々は怯んだ。

何か途轍もなく熱く激しいものを秘めているように見えるのに、その落ち着きと冷たさを感じさせる瞳に。


実際イノランは、こうゆう場面では冷静さが不可欠だと思っていたから。





「せっかくのギターの演奏だ。それに合わせて、あいつはそれは素晴らしい歌を歌ってくれるのに」

「それを聞かずに、あいつを魔女だと決めつけるのか?」

「あんた達は何も以ってして、あいつを魔女だと言うんだ?」

「ーーー何かしたか?あいつが」

「人々を震え上がらせるような災いを降らせたか?」

「幼い頃からこの塔の上に置かれた。歌うことのみが自由の…あいつの何があんた達にわかる⁇」

「ーーーあいつの歌が呪いの歌だというのなら」

「俺はその歌声に魅せられて手放すことができない魔女の手先だ…!」

「あいつに何かするのなら」

「先にまずは俺にしろ」

「俺の目の前であいつに手出しなど…許さなからな…!!!!!」





その潔く言い切るイノランの姿に。
人々は、彼が街でギターを弾くあの人物だという事に気が付いた。

いつのまにか現れて、背にギターを背負っては街を流れている彼。
人々はそのギターの音色に心酔していたのも事実だけれど。
それが魔女に近い人物。
魔女の息吹を浴びたギターの音色だったのかと思い込んだ人々は。

言われるままに。
矛先を目の前のイノランに向け始めた。




我々に魔女の音色を聞かせていたのか!
街中でお前が弾いていたのは魔女の音楽か!
災いを撒いていたのか!
災いを呼ぶつもりか!
そうはさせない!
そうはさせない!


武器と呼べる物を持っている者は少なかったが。
それでも多勢過ぎる。
一気に押し寄せられたひとたまりもないだろう。

イノランは塔の上の隆一を見上げた。
階段や入口が無い事が幸いしているが、どんな手を使えば登ることも可能だ。

ぐずぐずしてはいられない。
しかしイノランには、考えがあったのだ。

それはうまくいけば、人々に隆一の真実を伝える事ができる方法。
ーーーそして。
隆一が、自由になる事ができるかもしれない方法だった。






「隆っ!」



イノランは、人々の前で隆一を呼ぶ。
高く聳える塔の上まで届く声で。




「受け止めてやる。絶対に俺が受け止めるから、魔法が発動しても構うな」

「え、?」

「だからーーーーーそこから跳べ!」

「…跳べ…って、イノちゃん?」

「俺の為に、こっちへ来い…っ…」




隆一が躊躇しているのがわかる。
それはそうだろう。こんな高い塔の上からなんて。

ーーーしかし。
それが必要だった。
自分の為。保身の為ではなく、誰かの為に。
ここへ来いと。何を棄ててもここへ来てくれと請われて跳び降りる事が必要なのだ。



「イノちゃんの為って…なんで⁉」

「来て欲しいからに決まってるだろ!」

「違うよ!そうじゃない!俺が一緒だと、イノちゃんまで自由になれない!ここから動けない!ーーーイノちゃんと一緒に…俺がいたら自由になるなんて無理なんだよ!」



一緒に旅に出ようと約束した時。
隆一は儚げに微笑んでいた。
叶えたい。
…しかしそれは難しいのだと、本心では思っていたのだろう。

ーーーしかし。
しかし。



〝愛してる〟


そう言ってくれたのも、本心だろう。


ーーーイノランは、その気持ちに賭けたかった。
それにもう…イノランだって。




「いまさらお前がいない未来なんて無理なんだよ!」



「ーーっ…イ、」



「跳べっ!隆」

「俺を愛してくれるなら、俺を信じてそこから跳ぶんだ!」


保身の為では無く、誰かの為に。
愛するひとの為に。

その魔法が発動する時、リボンは解ける。


自由になれるんだ。





バルコニーの手摺を掴む隆一の手が震えている。


それはもちろん恐怖から。
ーーーしかしそれ以外に隆一の心を揺さぶったのはイノランの言葉だった。



「っ…」



イノランの絶叫を受けて。
隆一はバルコニーに足をかけた。
このまま重心を前に向ければ、バルコニーを乗り越える。


ごくん。


隆一の喉が鳴る。

怖い。怖い…こわい。ーーーけど…
嬉しい。
大好きなひとにあんな事を叫ばれて、嬉しくない筈がない。

隆一も同じだったから。
イノランのいない未来など、意味が無かった。

例え、たったひとりでこの窮地を逃れたとしても。


「ーーーっ…イノちゃん」


不思議とイノランの名を口にしたら。
隆一を覆う怖さが薄れた気がした。
ただただ、想うのはイノランの事。


「イノちゃん…っ…ーーー今、」


そこへ行くよ。

そう覚悟を決めて、隆一は身を乗り出した。
高い塔の上で煽られる風に耐えて目を開けた。
ーーーと、その時だった。



「っ…あ」


眼下に見える光景。
大勢の人々の前にいるイノラン。
その彼目掛けて、数人の男達が突進していく様子が目に映った。
手には武器などは持っていないように見える。…けれども、あの人数では素手で襲いかかられても軽傷では済まないだろう。
しかもイノランは、塔の上を見上げていて背後に気付いていない。



「ーーーイ…っ…イノ…」


ーーー報せなきゃ


「イノちゃっ…イノ…!」


ーーー危ない、避けて!逃げてって


「イノちゃんっっ!!!後ろっ!」


「ーーーーーえ、」



隆一の声がイノランに届いた時にはもう背後に迫っていた。
街で悪名高い屈強の男達が拳を振りかざす。
その力強い拳はイノランの背負うギターへ目掛けて。

彼らからしたら。
イノランの持つギターは魔女の音色を紡ぐ魔性の楽器に映ったのだ。



「っ…ーーー!」



バキッ…!!!


派手な音を立ててイノランの背で木片が散った。

大切に使い込まれて磨き上げられたアコースティックギターは。
今やボディーに大きな亀裂が入り、ネックは根元から折れた。
飛び散るギターの破片が歪んだ弦に触れて、最後の音色を響かせる。



「…っ」


見開かれたイノランの瞳は。
目の前の男達などでは無くて。
愛してやまない己のギターへと向けられて。
たった今まで背負っていたギターの変わり果てた姿に。
悲哀と、それから。
ーーーいや。
悲哀のみで。

罵る事も怒声をあげることもせずに。
その破片をひとつひとつ拾い上げた。




「ーーーっ…イノちゃん、の」



その一部始終を塔の上から見ていた隆一は。
胸に込み上げるキリキリとした苦しい想いに必死に耐えていた。
ーーーそして、バルコニーに乗り上げた足に力を込めて。


彼のギターを壊された事への憤りと。
それから。



「イノちゃんの、大切なギターを…っ」



初めて感じる激情に。

隆一は、その身を宙に躍らせた。










ーーーしゅるっ…


髪が伸びた感覚を感じた。
魔法が発動した。
隆一をこの塔からの落下を防ぐ魔法。
隆一を人々から守る魔法。
訪れる心許した者を迎える為の魔法。

赤いリボンに込められた強力な力は、今もまた隆一を守る為に髪を伸ばす。




(ーーーっ…まただ。このまま髪がバルコニーに絡み付いて、俺は下へ降りられない)


(ーーー…でもっ…でも)



今はただ、一直線に。
バルコニーから跳び降りる直前に、咄嗟に掴んだガーデニング用のナイフ。
そのナイフで、隆一は無造作に掴んだ髪の束を断ち切った。

黒髪が散った。





「隆っ!!!」


隆一がバルコニーを乗り越えたのを見たイノランは、手に持つギターの破片もバラバラと落として塔の真下へ駆け寄った。
ーーー常識でいえば、あんな高さからの落下など絶望的だ。
受け止めるといっても、あの高さから落ちる人ひとりをイノランだけで…など無理だ。

しかしここでもイノランには考えがあった。

まずは風。
この塔の上辺りには、いつも風が吹き抜ける。
周りにある木々は塔より低いものがほとんどだから、時折強く吹く風は、何の邪魔も受けずに塔の上を通り過ぎるのだ。


(上の強い風が少しでも隆の落下スピードを緩めてくれれば)


それからもうひとつ。
それは塔の下方部分の壁に絡みつく野バラだ。


この野バラは、この塔が建つ以前からこの辺りの森に自生していたようで。
長い年月の間にこの塔の周りに蔓延った野バラは。
他の植物にも絡んで、厚みのある天然のクッションの様になっている場所もあった。


(上手くそこに落ちてくれれば)


棘で付いてしまう多少の傷は仕方ないけれど、致命傷は免れる筈だ。




「ーーーっ…」



イノランは脇目も振らずにその野バラの絡む中心へと足を踏み入れた。
歩く先から細かな棘がイノランの衣服や肌を刺す。
それでも構わず塔の真下へ進むと、イノランは両手を広げて上を仰いだ。





一方隆一は、落ちていく自身の身体と、再び伸び続ける髪に思いを馳せた。



(ーーー切ってもまだ…。どこまで伸びるんだろう?…この髪は)

(俺を助ける為?俺を守る為?)

(ーーーうん。今まで、助けてもらったよ)

(子供の頃、誤って落ちそうになったとき。それから唯一、人との繋がりをくれた魔法だった)

(ーーーでもね、もういいんだ)

(もう、いいの)

(髪を伝って、塔の上まで来てもらうんじゃない)

(大切なひとだから、今度は俺がーーーーー)

(自分で、あのひとの元へ行くんだ)




「イノちゃんっ…イノちゃん、イノちゃん…っ…!!!」



落ちながら叫ぶ隆一の真下に野バラの絡み合う蔓が見える。
あそこを目掛けて…
そう、隆一は咄嗟に思って。無数の鋭い棘と衝撃に備えて両腕で上半身を抱え込んだ。



「隆っ…」

「ーーーっ…隆、ここだ」



イノランの声が聞こえる。


隆一はぎゅっと瞑った目を薄く開く。

強張った表情のイノランが見える。
その周りには状況も忘れて、固唾をのんで見入る人々。



「ーーーねぇ、俺は魔女じゃないよ」

「何も力なんか無い」

「好きなひとのギターひとつ守れない…」

「ただの人間だよ…っ…」




落ちて行く風を受けて、再び瞑る隆一の目に涙が浮かんで。




「ーーーーーっっ…りゅう!!!!!」




ザザザザザッッ…!!!




野バラは隆一を衝撃から守り。
絡み合う蔓の隙間から傷だらけの両手を差し出して隆一を受け止めたのは。




「隆っ…!!ーーー大丈夫か⁉」



血に汚れた隆一の顔を覗き込んで、必死の呼び掛けをするのは…。



「ーーーーー…イノちゃん…」


切断した後も、隆一を守る為に再び伸びた黒髪を野バラに絡ませて。
それでもイノランの温もりに目を開けた隆一。

隆一の呟きにイノランは心から安堵して。
傷の痛みなどものともせずに隆一を支えるイノラン。
ようやく野バラの真ん中で身体を起こした隆一は、自分に寄り添うイノランに堪らず抱きついた。



…はらり、と。



その反動で、赤いリボンが地面に落ちた。










あの後。


騒ぎを聞きつけて駆け付けた教会の神父やシスターによって、人々はそこで初めて事の経緯を聞かされた。
当時、以前からの魔女に纏わる噂や伝説がまだ根付いていた街で。
その誤解をとき、真実を人々に広める活動を積極的にしてこなかったと謝罪した。
…しかし、塔の上の触れる事の出来ない魔女という存在を見え隠れさせる事。それは長きに渡り治安の安定を望んでいた各教会の秘策だった。魔性や神聖な存在を容易に手の届かない所にたてる事で、人々が暴動や悪行を易々と起こさないようになるだろう、とのねらいがあったのも事実なのだった。


隆一は。
そんな教会の人々から、初めて聞かされる事実を知っても。
彼らを罵る事もしなかった。

隆一を塔の上に置いたのには根深き理由もあったのかもしれないけれど。
ひとりきりで過ごす塔の上に、寂しくないようにと、特に隆一が幼少期の頃は足繁く通ってくれた教会の人々。
どんな理由があれ、隆一を守る為の魔法をかけてくれた教会の人々。

そして。塔にいたお陰で。この魔法があったお陰で。
イノランに出会う事が出来たのだと。



「ありがとう」



そう、傷だらけになりながらも、花が綻ぶように笑った隆一を見て。
教会の人々も、街の人々も。
胸を打たれる想いが込み上げてきたのだった。


















………………




シャキン。


塔の上。
バルコニーにぺたんと座った隆一の背後にイノラン。
イノランは、再び長く伸びた隆一の髪を切ってやっていた。

人々が街に戻った後。
もう隆一の髪の魔法で上へ登るのは不可能になって。
しかしイノランがバルコニーに結え付けたロープを使ってよじ登るもの容易ではなく。
どうしようかと思案していた時に。
教会の神父が教えてくれた。
この塔の隠し扉の存在を。

え?と、目を丸くする二人の横で、神父は野バラの蔓が蔓延った塔の壁を探り出した。
そして…



「ーーーあ、ここの壁」

「確かに、ちょっと不自然な亀裂があるな」



指し示された壁の、薄っすらと浮かび上がる亀裂。
そこを数回叩くと、亀裂が前面に押し出された。
ーーーよく見ると、取手らしきものもある。



「ーーー入口?本当に?」


隆一の見つめる前で、イノランはその取手を引いた。
すると。



ギギ…ギ…


重い石の扉。
少しづつ少しづつ開いて。
扉から射し込んだ光で、その内部が…



「螺旋階段!」

「ーーーあったんだ。…入口が」

「…うん」



見上げる二人に、神父はその背を、トン…と押した。
そして。


今まで本当に、寂しい思いをさせた。
本当に申し訳なかった。
ーーー二人の力でリボンが解けた今。もう、自由だよ。

ここに住み続けても、ここを出ても。

ーーーどうか、幸せに。



そう言って、神父は塔を去って行った。








シャキン…シャキ。



「ーーーよし。こんなもんで、どうかな?」


ぱっぱと髪を払って、イノランは手鏡を隆一に渡した。
襟足で緩く弾む短くなった髪。少々長めに残された両サイドの髪は…イノランの好みだろうか?



「ーーー似合う?」

「もちろん。隆に似合うだろうなーってスタイリングしたもん」

「へへ、ありがとうイノちゃん」



はにかんで、鏡の中に隆一の笑顔が映る。
それを見たイノランは、後ろから隆一を抱きしめた。



「ーーー隆」

「ん、?」

「ーーー前に言ったの、覚えてる?」

「ーーーーーん、もちろん」

「ん。ーーー旅に出ようよ。二人でさ」

「っ…うん」



ギターと、歌と、二人で。


「ーーーイノちゃんのギター…」

「ん?…ああ、」

「ーーーーーごめんね。俺、守る事も出来なかった」

「隆が謝る事ない」

「ーーーでも」

「破片はちゃんと持ってる。ギター職人の所に寄って、新しく生まれ変わらせてもらう。ーーーだから、気にするな」

「ーーーぅ、うん」

「はじめに行く場所、決まったな?」

「うんっ、」




塔を出て、旅に出よう。
持ち物は少しでいい。
ーーー何より君がいればいい。



「な、隆?」

「ん?」

「ーーーも一回、聞きたい」

「?なに、を?」

「…わかんない?」

「え?」



耳元で囁くイノランに、隆一はぼぉ…と頬を染める。
そして間髪入れずに、イノランは唇を重ねた。
隆一を抱きしめる腕に力を込めて、想いの丈を込めてキスをした。



「っ…ん、ん…ーーーーーー愛…っ…」

「ん?」



唇を僅かに離して、隆一は言った。



「イノちゃん…」

「…ん」

「愛してる」



隆一の愛の言葉に、イノランも破顔して。
緩く撫でる隆一の髪に、もうあのリボンは無い。


繋ぐものは、もう魔法で伸びる髪では無くて。
これからは、手と手を繋いで。

愛すべき君と。







end





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