フォレスト スノー







いつのまにか眠っていたようだ。
布団のここちよさか、隆一が側にいる温もりか。

イノランはぼんやり目を開ける。
まだ眠いけれど、隆一の寝顔を見つめようと…したら、だ。





「ーーーえ、」


イノランはぱちっと目を開けた。
何故って。
いなかったからだ。
隣に寝ている筈の隆一が。




「ーーーーー隆、」



イノランは暗がりに目を凝らす。
部屋の中を見渡しても、隆一の姿は無い。




「もしかして、目がさめた?」


だとしたら願っても無い。
葉山に報せなくてはと、イノランは部屋を飛び出すと葉山が眠っている部屋に向かった。ーーーーーら。




「ーーーーーあれ、」



キイ…


ドアが僅かに開いて、風のおかげかキイ…キイ…と動いている。
開けっ放しなのだろうか?葉山にしては珍しいと、イノランは開いたドアの隙間に手をかけて開いた。




「葉山くん、寝てる?」



ーーーー返事は無い。
ぐっすり眠っているのだろうか?
もちろん、真夜中なのだから当然だけれど。




「葉山くん、ごめん。こんな時間に」

「隆がどうやら目覚めたみたいで、ベッドを抜け出したみたいで」

「ここにきた?」





ーーーーー無言。



イノランはちょっと違和感を感じて。
葉山の眠るベッドに歩み寄る。
するとここでさらに、違和感。
膨らむシーツからは存在感がまるで感じない。


「?」



「葉山くん?」



「ーーーなぁ、」





ベッドを覆う白い布団を、イノランは勢いよく手にかけて…


バサッ!





「っ…⁈」




「…は、」


「ーーーーー葉山…くん?」







葉山の眠る筈のベッドは、もぬけの殻だった。





葉山も隆一も何処へ行ったのか。
しかもこんな夜遅くに、隆一に至っては一体どんな状況なのかわからなくてイノランは焦った。




「知らないだけで、隆は本当は目覚めていたのか⁇」



事実、ベッドの中に隆一の姿が無いということは。
隆一が自分でそこを抜け出したとしか考えられない。
しかしもし葉山がそれを知っているならば、真っ先にイノランに報告するだろう。
隆一が目覚めたと。
喜ぶ筈なのだ。
それがその葉山すら姿が無い。





「おかしい、こんなのって」




ザワリと、イノランの胸の中がざわめいた。













探しに行く宛など無いけれど。
向かう場所はそこしか無かった。
夜の森。
あのピアノがある、真っ白なフォレストスノーに包まれた森の中。
正直、こんな暗い森の夜道を出歩くのは気が進まないけれど。
かと言って、あの二人が消えた無人の家で一人で待つのも御免だった。

相棒のギターを掴んで、イノランは踏み込んだ。
不思議とギターを抱えると肝が据わった。
夜の森。





ざくざくと下草を踏むたびに、真っ白なフォレストスノーの粒が舞い上がる。
決して溶けて消える事ない、雪のような。













ポーン。





「え、?」





微かな風の音と、自分が歩く草を踏みしめる音。
何処からか聴こえてくる夜の森の王者、梟の声。
そんな夜の森の音が続く中で。
明らかに異質な、音。
いや、異質ではあるが。
イノランにとってはある意味大切な音。
それが夜の森に響いた。



「ーーー今、確かに…」



イノランは足を止めて耳を澄ませる。
ホーホー…と、梟の声を聞きながら。





ポーン。





「まただ」

「ーーーーーこの音、」




聞き覚えがあった。




この音の側で微笑む、彼の姿が。
どうしても今そこに彼がいるのではと思えてならなくて。


ーーー道を急いだ。







〝…クス…クスクス…〟

〝ホラ…ハジマルヨ…〟

〝ーーーコンヤ…モ〟

〝ワレラ…ダケノ…〟

〝オンガクカイ〟






「ーーーっ…」





森の道を急ぐイノランの耳に、風とは違う騒めきが聴こえた。
木々が揺れている。
止まり木にしていた鳥達は、眠りを邪魔されたと騒ぎながら飛び立った。




(ーーーなんだ?)




こんな誰もいないような場所で、背筋が薄ら寒いものを感じて。
立ち止まるのが憚られて。
イノランはひたすらに道を急いで。








ザッ…‼





前方を塞ぐ巨木の上から垂れる長い蔓や枝葉を潜ると。
そこは空がぽっかりと顔を出す。
まるで円形のステージのようで (初めてここを見た時もそう思ったものだ) 今夜は雲も無く月がまんまるで。月明かりのライトは、そのまま真下へと光を落とす。

ーーー月明かりの真下には、あのピアノ。
白く浮かび上がるフォレストスノーの真ん中に。

そこに…だ。





「ーーー葉山…くん」




ピアノに向かい合って、その椅子に腰掛けているのは、イノランが探していた葉山そのひとで。
ポーン…ポーン…と。
鍵盤を指先で軽やかに弾いている。



ポーン…



さっき聞こえたのはこの音だと、イノランは何故だかホッとする。
妙なものの音だったりしたら、それはちょっと気が進まないから。





「葉山くん!」



イノランは進みながら葉山を呼んだ。
あれイノランさん、どうしました?
ーーーそんな穏やかないつもの葉山の返事を期待していたのだが。



「葉山くん!ーーーなぁ、」


葉山は振り向くこともなく、じっと鍵盤を見つめている。
イノランの声掛けなど聞こえていないように。



「隆は?アイツを知らないか⁇」

「ーーーーーーー」

「っ…なぁ!葉山くん‼」





〝ーーーウルサイ…ナァ〟

〝オンガクカイ…マエダ〟

〝シズカニシテ…〟

〝コノ…モリノ……タメ…ノ〟

〝ピアニスト…ト…〟

〝ウタ…ウタイ〟





「ーーーピアニストと、」

「歌…うたい⁇」





葉山と隆一。
音旅の途中だった彼らふたり。
知らなかったとはいえ、この森に踏み込んだのは間違いだったのかもしれない。

イノランは理解した。
度々聞こえてくる声は、この森の何らかの声、意思の表れ。
それらに気に入られた葉山と隆一は。
夜毎その意識を操られ、この森の真ん中へ呼び集められる。
夜間の意識は無いから、葉山にはその間の記憶も無い。
隆一が昼間は眠り続けさせられるせいで、ここを出て行く事もできない。
隆一はある意味人質なのだろう。
この誰も来ない森に、音を、歌声を響かせる為に繋ぎ止められた。






サクッ…サク…




降り積もるフォレストスノーを踏み締めて。
ピアノの側へ、人影が歩み寄る。





「ーーーーっ…隆」




イノランが見続けてきた眠る隆一ではない。
意識を奪われていようとも、初めて見る姿。

自ら歩み、動き。

微笑む隆一。









月明かりのスポットライトの下で。
隆一は微笑みを浮かべてお辞儀をした。

まるで見にきてくれた観客に、礼をするように。







(誰も…)

(いねぇっつーの!)



俺以外はな。
イノランは舌打ちする。

見渡せども夜の森。
鬱蒼とした木々しかイノランには見えないが。
葉山と隆一には、見えるのだろうか。

ーーーいや。
見えるような、見えてしまうような。
そんな幻でも見せられているのだろうか。



「…どうすりゃいいんだ」


あのピアノのところまで駆けて行って、二人を無理矢理目を覚まさせればいいのだろうか。
肩を揺さぶって、大声で呼んで。

(最悪、めちゃくちゃ気が進まないけど平手で打つとか…)

そこまで考えて、いやいや、それだけはやめておきたいとイノランは首を振る。


(ーーーだってさ、)


イノランはもう、知ってしまったから。
葉山の優しさと、隆一の…
隆一に向ける、自身の気持ちを。



そんな事を悶々と考えている間に。
ザァ…と。
あたりの草と、積もったフォレストスノーをふんわりと舞い上げる風がイノランの背後から吹き抜けた。



ーーーそれは、確かに夜の森の風なのに。
まるで拍手喝采のようにもイノランには聞こえた。



(っ…だから、誰もいないっての!)

(それなのに、なんでそんな風に聞こえ……)




ポーン。




葉山のピアノが始まった。

シン…と。
森が静まりかえる。
風も止んで、木々のざわめきも聞こえない。

ーーー全てのものが、二人のステージに注目していると。
イノランはそんな気配を感じた。





ーーー葉山のピアノは、素晴らしかった。
流れるようで、力強くて。
ちょっとしたニュアンスが、きっと葉山らしさなのだろうと思わせるピアノの旋律。
そしてそれに乗る、隆一の歌声。
イノランはその第一声を聞いた時、鳥肌が立った。
一瞬で惹き込まれる声。
甘く、澄んで、しっとりと、遠くまで。



(ああ…すげぇ…。こんなピアノ、こんな歌声。ーーーこんなのさ、)

(ひとじゃなくっても、虜になるはずだ。ーーーこの、森に住むナニカも)

(聞き惚れて…)

(手離したくないって思うの、わかる気がする)




時間が経つのも、ここでこうしている目的も忘れて。葉山のピアノと隆一の歌声に聞き惚れたイノランだが。
フッ…と。
一瞬。
歌う隆一と、視線が重なった。
それは初めての。
ずっと眠ったままの隆一としか一緒にいなかったから、イノランはその一瞬がひどく新鮮で。
その眼差しが、気のせいかもしれないけれど、イノランに縋るような色をしていた気がして。




ーーーおねがい
ーーーどうか…

ーーーここから 解放されたい…



そんな無言の言葉と隆一の表情になって。イノランの網膜を通って、心へ。
チリリッ…と、火花が散った。
イノランはここでようやく、ハッとしたのだ。




そうじゃねぇだろ。





音楽って 。


誰かに指示されて操られてするもんじゃない。


少なくとも、今そこにいる二人は。
自由じゃない。





「そうだよ。その為に俺はここにいるんだ」

「助けたいって、思ったんだから」




「だったら俺がぶっ壊してやる」

「あの二人にかけられた幻をな」



ザワ…



僅かに、森がざわめいた。
静かにしろと、イノランを森が諌めているのかもしれない。

ーーーが。





「悪いが俺には見えないんでね」

「アンタらの姿が」



「だから躊躇もしない。派手にやってやるからしっかり見とけ」



イノランはずっと背に背負っていたギターを下ろす。
取り出したのは黒いギター。
森を埋め尽くす白とは対照的な、力強さをたたえたギターだ。





「ロックって破壊の音なんだよ」

「この場には不釣り合いかもしんないけどな」

「アイツらが本当にやりたい音楽をまたやれるように」





ザワザワ…ザワ…



「三人で、この森を出られるように…っ…!」






イノランは、二人の元へ。
ギターを掻き鳴らしながら、駆け寄った。






























残ったものは緑の草原と。
それから、葉山が弾いていたこの森の中に不釣り合いな美しいピアノは。

土台は朽ちて、風化して。
鍵盤も所々が陥没し、黒鍵は艶を失い。
とてもじゃないけれど、旋律を奏でることは不可能な。
古く、きっととうの昔に忘れ去られたピアノだけが残った。

ーーーそれから…





「あんな真っ白だったのに…」




雪が積もったような風景を作り出していたフォレストスノーは、今は跡形も見えない。
まるで幻だったかのようだとイノランは思うけれど、事実この数日を過ごしたこの森の風景は幻影だったのだと確信したのだ。






イノランが二人の元へ駆け寄って、優雅なピアノの旋律と、美しい歌声を響かせる中で。
場違いとも言える、森と空をつん裂くようなギターを弾いたのは先程のこと。
もちろん二人の素晴らしいステージをぶち壊すのは少々気が引けたのも事実。
けれどもそれが二人の意思では無く、やらされている演奏だと知ればもう躊躇は無かった。
イノランがギターを掻き鳴らせば掻き鳴らすほど、森の木々達は抗議の反応を寄越した。
森の中とは思えない暴風と、鴉の群れ。先の尖った葉は容赦なくイノランに降り注ぎ、そのギターの音を止めようとする。
…が。


イノランは引くわけにいかなかった。

背後には、葉山と隆一。
言葉はなくとも、解放されたいという、縋る想いを知ったから。

もうその間は夢中で。
二人がどんな状態だったかなんて、覚えていないけれど。
ロックの音を。
弾き続けて。
声を張り上げて、歌い続けて。














いつのまにか夜が明けていた。
木々の向こうから、朝陽が顔を出す。

葉山はもうその姿を本来のものに変えてしまった古びたピアノに突っ伏して。
そして隆一は、今はもう鮮やかなグリーンの草原の上で倒れ込んでいた。




朝靄の中で、イノランはひとつのライブを終えた後のような感覚で。
清々しい朝の空気に、身を浸していた。









「葉山くん…。葉山くん」

「ーーーーーん…」

「ーーー隆、」

「ーーーーー……」




朝陽を浴びた草原の中で、イノランは二人の肩を揺する。
この森の幻に包まれて取り囲まれていた…であろう二人。
イノランの破壊的なギターの音で、どうやらその幻も霧散したようだが…。
二人がちゃんと目覚めるまでは安心はできないというもの。




「大丈夫か?ーーー」

「ーーーぁ、」

「葉山くん」

「…イノ…ラン……さん」

「ん。よし」



まず、葉山。
朽ち果てたピアノから、ゆっくりと顔を上げて。
目の前のイノランと視線が合うと、ぼんやりと、それから何度か頭を振って。
ようやくぱちりと目を開けた。



「…ぇ、あ?ーーーーーピアノ…」

「そう。びっくりするよな。きっとそれが本来のそのピアノの姿だったんだ」

「ーーー本来の?」

「ああ。ーーーって、まずはその前に隆を、」

「っ…隆一さん」

「隆、隆?起きて」

「ーーーーーーっ…ん、」




草の上で横たわっていた隆一も、何度目かの声掛けで身動いで薄く目を開けた。




「ーーーーー隆、」

「…ぁ」

「隆一さん、大丈夫ですか?ーーー起きました?」

「ーーー葉山…っち、」

「っ…はい」

「ーーーーーーーーそれから… 、」



葉山の次に隆一が視線を向けたのはイノランの方。
ずっと眠っていた隆一にとって、イノランは今が初対面だ。




「隆?」

「ーーーーー隆一さんは初めてですよね。…こちらの方は、」

「ーーーーーぅん、知ってる」

「え、?」

「知ってるよ?」




目を覚ました隆一は、初対面にもかかわらずイノランを見て柔らかく微笑んで。
知っている…と、繰り返す。



「ーーーでも隆一さん…イノランさんとは今が初めてじゃ…」

「うん。ーーーそうなんだけど…」

「ーーー」

「眠っている間も、ずっと」

「ーーー」

「俺の側にいてくれたから…」

「ーーー」

「それに気がついてた。ーーーだから、知ってるんだ」

「ーーーーー隆、」



「ありがとう、イノラン」











誰ひとり踏み込んで来ない森。

森に棲むモノ達の、思案し抜いた上での事だったのかもしれない。
やっと訪れてくれた二人を。
二人の美しい旋律をずっと側に置きたいと。

打ち棄てられた古いピアノに幻をかけてまで…








緑の草原をじっと見つめながら隆一が呟いた。



「ーーーあの白い…」

「ああ、フォレスト スノー?」

「音の粒子って、」

「ああ、でも。ーーー全部消えちまったな」

「ーーーん、」

「ーーー綺麗でしたけれどね」

「うん、雪みたいだった」

「きっと森の幻が霧散したから一緒に消えたんだな」

「ーーーん、…」




なんとなく、隆一がしゅんとしているような。
残念そうな顔をしている気がして。
イノランは、訊いてみた。




「ーーー残念?」

「ぇ、?」

「フォレストスノー。もしかして、好きだった?」

「ーーーーーーーぅん…。ーーーーー実は、」

「ん、」

「綺麗で。真っ白で、雪の景色、本当はあんまり見たことなくて」

「ーーー」

「ーーーーーーーあの真っ白な景色は、好きだった」






目覚めさせてくれたのに、幻から解放させてくれたのに。
こんな事を言って申し訳ないと、そんな様子が隆一から見て取れたけれど。

イノランは、そっと微笑んで。


隆一と、それから葉山に。
こんな提案をした。








ーーーもしも、例えばだけど。隆と葉山くんの旅に…




と、そこまでは威勢良く言い始めたイノランだったが。
じっとその先の言葉を待つ二人の視線を見つけてしまった途端、急にぐ…っ、と言葉に詰まって。
言いだすのが照れ臭そうな、そんな様子のイノランに。

隆一が。






「ーーーーーーーねぇ、一緒に」

「…ぇ、」

「ここから一緒に、行かない?」



にこっと、微笑み付きで。
実はイノランが言い出したかった事を、言い出してくれて。
それを聞いた葉山も、パッと顔を輝かせて。
大賛成とばかりに、大きく頷いたのだ。




「ね?」

「っ…」

「一緒に、」

「…りゅ」

「イノラン」



ーーー先を越されてしまった…と、恥ずかしげに俯いてももう遅く。
嬉しくて、溢れる笑いはおさまらず。




「こちらこそ。一緒に行きたいよ」

「わ、」

「どうぞよろしく」



イノランは利き手で隆一の、反対側で葉山の手をとって握手して。
そして、これこそは自分で言わなければと、二人に言った。




フォレスト スノー。
それに似た、真っ白な景色が好きだという隆一の為に。



雪の降る国に行かないか?…と。

























季節は巡り。
三人の旅も、雪の降る国を目指しながら進み。
そして身を寄せるのは、北方の地。
森と湖と、真っ白な雪に包まれた国。

この国に到着した頃は、まだ雪が降り始める前の季節だったけれど。
ここに滞在する間住まわせてもらえる事になった森の小さな教会の…物置小屋。煤だらけだった暖炉と床と、住むには少々散らかった部屋の中を三人でせっせと掃除して、片付けて、神父の好意で運び込んだ木のベッドがふたつ。(ひとつには背の高い葉山、もうひとつにはイノランと隆一が一緒に眠るという事に落ち着いた)
宿賃はお幾らですか?という三人の申し出に、神父は一瞬考えて。それから、お金はいらないと首を振り。その代わりに、教会でピアノを弾いてほしいと。賛美歌を一緒に歌ってほしい。ギターもあるよ、日曜日の朝に弾いてはくれないか、と。家主である神父のたっての希望で、それがここにいる間の宿賃になったのだった。


居住スペースが整い、やっと人心地がついた…と思っていた矢先だ。

ちらちら…と。
雪がこの森に降り始めたのは。













「ーーーーーは…ぁ、」




隆一は早朝の湖畔で息を吐いた。
はぁ…と、白い吐息が霞めるけれど、それも一瞬のこと。
しかし何度もそれを繰り返す隆一を見て、隣にいるイノランはくっくっと笑った。




「何度やっても同じだよ」

「知ってるもん。ーーー好きなの、景色が白くなるの」

「隆は雪の景色もフォレストスノーの景色も好きって言ってたし、白いのが好きなのか?」

「うん!綺麗だし、景色が白いとね、ずーっと遠くまで行けそうな気がしない?」

「ずーっと遠く?」

「果てがないっていうか、」

「ああ、今俺らがしてる旅みたいに?」

「ふふっ、そうだね。ーーー葉山っちとイノランと、」

「ーーーーー」



雪で烟る森の景色の中で。寒さで頬を染める隆一の横顔を、イノランはじっと見つめて。
いつか二人きりの時に訊いてみたかった事を、イノランはこの瞬間に問いかけた。





「ーーーーーなぁ、隆?」

「ん?」

「…あのさ、ずっと。ーーー訊きたかった事があるんだ」

「ーーーなぁに?」

「ーーーーあー…。のさ、」

「ん、」

「ーーーーーーーーーーあの時、隆がさ」

「ーーーん、」

「一緒にって、俺を誘って…くれて」

「ーーーーーーぅん、」

「ーーーーーーーーーどうして?」

「ーーーー」

「一緒にって、なんで言ってくれたんだ?」


「ーーーーーーーーー」









ーーーーーはぁ…ぁ。




隆一は、もう一度白い吐息を吐き出して。
イノランは、じっと。
隆一の答えを、彼の所作ひとつひとつを見落とさないようにしながら、待った。

ーーーというか。
目が離せなかったのだ。

隆一の横顔の輪郭も、艶やかな黒髪も、濡れるような瞳と、柔らかそうな唇から。
いつだったか、あの真っ白なフォレストスノーの森の小さな家で。
眠る隆一に、そっと触れようとした、あの瞬間が。
蘇る。
あの時は結局触れることは叶わなくて、悶々と密かに気持ちを宥めたものだったけれど。



気持ちは。
隆一を初めて見た時から抱いていた気持ちは。

消えることなんかなかったから。








「ーーーーーーーーー眠って…いたでしょう?ーーー俺、」

「ぇ、?あぁ、うん」

「あの森で」

「ーーーああ、」

「葉山っちより、イノランとお喋りするのも、顔を合わせるのも、俺はずっとずっと後だったけど、」

「ーーーだな、」

「ーーーーーーでもね、」

「イノランのこと、ちゃんとわかってたんだよ?」

「ぇ、」

「眠っていても、」

「ーーーあなたの事。イノランの声も、匂いも、」

「ーーー」

「ーーーーーしてくれた、事、も」

「っ…」




がくっー!
そんな擬音が聞こえそうな勢いで、イノランは顔を覆って項垂れた。
そんなイノランに、隆一は首を傾げて覗きこむ。



「ーーーイノラン?」

「っ…ちょ、」

「ぇ、?」

「待っ…ーーーー俺、」

「⁇」

「全部…っ…お前にバレてたって事じゃんか!」

「ーーーイノ…?」

「すっっげぇ、恥ずかしいんだけど、俺」

「ーーーーー、え。そん…」

「~~~」

「そんなっ…こと、ない」




今度は、ベリっ!という音が聞こえそうな勢いで、隆一はイノランの覆った片手を引き剥がし。
そして。




「俺は嬉しかったんだよ?あの日、眠る俺にイノランがしてくれようとした事も…。あの時はできなかったけど、イノランの気持ちが嬉しかったの。だから、この旅にイノランも一緒に来てほしかった」

「ーーー隆、」

「…イノラン」

「ーーーーーーーー隆、それってさ」





ぎゅっと、イノランは拳を握りしめた。
待っていてくれていると感じたから。

教会の方から、早朝のオルガンの音色が聴こえる。
葉山の毎朝の柔らかな演奏が、イノランの背を押してくれている気がして。

イノランはそっと、隆一の手を手繰り寄せると。そのまま指先を絡めて、自身のコートのポケットに入れ込んだ。
隆一の頬が、瞬時に真っ赤に染まる。




「っ…ィ、」

「隆」

「ぁ、」

「ずっと隆にしてあげたかった。ひとつは隆にギターをプレゼントして、」

「え、?」

「ギターの弾き方を教えてあげること」

「!」

「ーーーーーそれと、」

「っ…」

「もうひとつ」




もう片手は、隆一の肩を抱き寄せた。
とん…と。
額同士が重なって、前髪が絡み合う。二人分の白い吐息が、二人の隙間を霞めた瞬間。
もう、待てなくて。
寒さの中で、初めて重ねた唇は熱くて。

イノランは、歓喜で胸が震えた。
あの時から、ずっと隆一にしてあげたかった事を。
やっと。





「っ…ん、」

「…りゅ、」

「ーーーっ…ん、ぁ、」

「ーーー隆…すき、だ よ」






震える隆一の片手が、イノランの袖口をぎゅっと掴む。
ポケットの中では、睦み合うように指先が絡む。

好き、と。

今ここで、初めてイノランが言葉にしたけれど。
二人の気持ちは、ずっとずっと…
あの真っ白な森の中にいた頃から。





「…っ…ん、好…き」

「ーーーっ…ん。ーーーありがとう、隆」





夢中になる逢瀬の朝の森に。
オルガンは、いつもと違うメロディーを奏でる。

まるで知ってか知らずか。

葉山の旋律は、愛の祝福を奏でていた。









end




.
2/2ページ
スキ