短編集・1












息つく暇もないって、こんな状態の俺の事を言うのかもしれない。
連日の仕事。
スタジオ、取材、撮影、スタジオ、スタジオ、取材、収録、スタジオ…
もちろん全て望んで受けているもの、自分のしている仕事。
どんなに忙しくたって苦なんかじゃない。
音楽に関わる事だから、当然だ。


ーーーけど。



「さすがにこう毎週だと…」

日が暮れる頃には、やっぱり疲労感がでてくる。
今日も帰ったらさっさと風呂でのんびりしよう。
帰って飯作る気力も無いから、なんか買って帰ろう。

そんな事頭の中でパパッと考えて。
既に暗くなり始めた空の下、ちょっと急ぎ足で街を行った。









テイクアウトした夕食はサラダとカレー。
明日も早いから、ちょっとだけの家呑み。
テレビを観ながらクッとグラスを空にしたら、うとうと…睡魔が襲ってくる。
いかんいかんと、慌てて風呂。
溢れる湯に身を沈めて、はぁー…っと。

生き返るー…。











ぽちゃん…。



天井から、湯船の中に水滴が落ちた。
凪いだ水面に波紋が丸く丸く広がる。

ごくたまに落ちるそれを、俺はぼんやりと眺めた。



「ーーー」



こんな時、俺は考えてしまう事がある。

好きなひとの事。
そのひとと、この先どうしたらいいだろう?という事。

ーーー風呂場ってさ、そんな事考えるのにちょうどいい場所じゃない?



ぽちゃん…。


ある時からだ。
ーーーや。ある時と思っていたけど、本当はずっと前からなのかもしれない。

まさに今、風呂の水面に落ちる水滴みたいな感じで。
俺の心に、一滴…一滴…って。
そのひとの事が好きなのかもしれないって気持ちが、落ち続けている事に気が付いた。

仕事で顔を合わせる度。
電話で、メールで、コンタクトを取る度。
そのひとの音楽を聴く度。
一緒にステージで、音を通わせる度に。


ぽちゃん…ぽちゃん…。

〝好き〟な気持ちは落ち続けて、俺の心に波紋を広げた。





「ーーー隆、」



隆一の事が好きだと気付いた。
目が醒めるほどの気持ちを自覚したのは、さほど前では無いけれど。
きっと、ずっと好きで。
気付かなかっただけなんだ。





バシャ‼



勢いよく、顔を濡らした。
考え過ぎると、めちゃくちゃになりそうだから。

だって隆一なんだから。


「…なんて一筋縄でいかない恋!」


壁があり過ぎて、攻略できんのか?って気落ちしてしまう。




「ーーー…上がるか」



明日も早いんだった。
この考えに捕まると、脱出までにいつも時間が掛かるから。
…まぁ、いつも結論はでないんだけどさ。








着替えて、髪を乾かして。
冷蔵庫からミネラルウォーターを持って、寝室の窓辺に立った。

今日も一日おつかれ。
明日も頑張ろうな、俺。



「ーーー…」


それから。



「おやすみ、隆」


同じ空の下の君を想って。
せめておやすみの挨拶を…




「っ…?」




カーテンを閉めようとした時だった。
テラスのところに、チカチカ…と、青く白く光る…



「ーーー人魂?」


じゃねえよな…?


見間違いかと思ったけど、そうでも無さそうで。
からからと、窓を開けてもそれは逃げない。

チリリ…

小さな鈴の音みたいな音もする。



「ーーーーなんだ?…これ」





チリリ…チリリ…




「ーーー…」


微かな鈴の音を響かせて、依然とチカチカ光るそれはそこにいて。
ちょうどしゃがんだ俺の胸の辺りの位置を、ふわふわと揺れながら浮いている。


「ーーーなんだろうな。…まさか怪奇現象?」


腕組みしながらポツリとそう呟いた瞬間、その光は急にくるっと宙を回って。
そのまま俺の周りを忙しく飛び回る。

まるで、違う違う!って言ってるみたいに。



きらきらきらきら…


激しく飛び回ったせいか、俺の周りに細かな光の粉が舞い落ちる。
そして打ち上げ花火の火の粉が徐々に消えていくみたいに、テラスの床面に落ちる頃には消えていた。


ーーー怒ったんだろうか…。



「あー、えっと。…ごめん。怪奇現象なんて言って」



チリリ…チリリ…


あれ?会話になってる?
なんだか意思疎通がとれている気もする…


「怪奇現象じゃないな。今のきらきらも綺麗だったし」


チリリ…


「その音も綺麗だし」


チリリ…リリ…


「ーーーんー…。なんかホラ、あるじゃん?妖精とか、そっちの方が似合う感じかな」



そうだ。
妖精だ。
怪奇現象なんかより、ずっと似合う。

相変わらずこれが何なのかはわからないし、もちろん初めて見るものだけど。
不思議と、怖い感じは皆無だ。




「えっと、俺そろそろ寝たいんだけど…ずっとここにいるの?」


チリリ…


「テラスでいいのか?部屋にいてもいいけど…」


…って、オイオイ。
そんな綺麗って言っても得体の知れないもの部屋にいれていいのかよ?
そんな俺の心の声を聴きつつも。
まぁ、大丈夫だろうと、窓の隙間を広げてみた。



ーーーチリリ…リリ…


ちょっと躊躇う雰囲気を醸し出しながら、その光はゆっくりと部屋の中に入ってきた。
ーーーやっぱりコイツ、俺の言葉がわかってる?

ホントになんなんだ?これ…



ゆらゆらと居場所を探すみたいに揺れている。
落ち着かないのかも…って思って。
何かに入れば落ち着くかなぁって。
前に飲みきって洗っておいた空のテキーラのボトル。
コイツにはなかなか居心地いいんじゃないか?って思って、テーブルの上にコトンと置いた。


「いいよ、ここ。お前の部屋。窓も少し開けとくからさ、出て行きたくなったら出てってもいいし」



チリリ…


「明日も早いから俺はもう寝るからさ。お前も自由に過ごしてな」



チリン…



俺の言葉がわかったのか?
ソイツはひゅん…と飛ぶと、ボトルの中におさまった。

ーーーこうして見るとランプみたいだなぁ。


ベッドに寝転んで、しばらくそのゆらゆら揺れるボトルの光を眺めていたけれど。



「ーーーふぁ…ぁ」


いつしか瞼は落ちて。
心地いい疲れと、不思議体験のお陰なのか?
ぐっすりと、寝落ちたようだ。











ピンポーン。



「ーーーーーっ、あ?」


ハッとしたのはチャイムの音。
そういや仕事!
マネージャーが迎えに来た⁉
寝過ごしたかーっ⁉

慌ててベッドを這い出して時計を見ると…



「ーーーーーなんだよ…。まだ全然じゃん」


早朝ではないけれど。
早い時間には変わりない。
出来ればもうちょい寝ていたいと思いつつも、も一度聞こえるピンポーン。


「ーーーはいよ~」


ベッドに放っていた黒のカーディガンを羽織って、寝起きのキレの無い動作で玄関へ。



「ーーーはい、誰ーーーーー?ーーー」


「イ、イノちゃんっ…」



「ーーーえ、?」



見違い?
ーーーいや、見違えるはず無い。
昨夜もバスルームでぼんやり想いに浸っていた、その相手。

隆一。



「隆⁇…お前…」

「ごめんね?イノちゃん。こんな時間に」

「ーーーや、全然いいけど」



隆は済まなそうに頭を下げて、声もどこか遠慮がちで。
そんなにならなくていいのに。
俺は寧ろ、会えて嬉しいんだから。



「どした?」

「ん…。ぅん、えっと…」

「ーーーー上がる?」

「っ…ーーーいい、の?」

「もちろん。なんか今みたいな隆、ほっとけないし」

「ーーーぅ、うん、」



グッと玄関のドアを開いて、隆を迎え入れる。
靴を脱いで綺麗に揃える様子を、心地よく見守りながら。
見上げてくる隆の視線を受け止めて、微笑んで。



「リビング、行こ」

「うん。お邪魔します」

「どうぞ」




平然と話してるけど、内心はどきどきしてる。
こんな展開、昨夜は予想もしていなかったんだから。
どうであれ、好きなひとと。
ふたりきり。
隆はここに来るの初めてじゃないけど、久しぶりだから。
インテリアとか、きょろきょろと興味深そうだ。


隆と共に進むリビングで。
テーブルの前を通り過ぎた時に、ハッとした。


(そういえば…昨夜のあのチカチカ)


テキーラのボトルに入ったけど。


(………いない?)


まぁ、自由にしなって言ったんだけど。


(それか、夢…?)





「イノちゃん?」


「あ、」


「どうしたの?」

「ーーーごめん。なんでもないよ」


俺がテーブルの前で立ち尽くしていたせいだろう。
隆は首を傾げて、俺を呼んだ。

あの光もなんだったのか気になったけれど。
俺の頭は、もう隆の事でいっぱいになっていた。






どうしたんだ?


突然訪ねてきた隆は、ソファーに座ってからもどうにも落ち着かない様子。
いつもより口数も少なく思うし、なにより目を合わせてもサッと逸らされてしまう。

ーーー俺なんかしたっけか⁇



「隆?」

「っ…ん⁉え、あ!はい⁇」


ーーーホラ。なんか変…

こんな隆は初めてかもしれない。
いつも優雅な物腰で、穏やかな隆が。
ーーーこんなさ…。



「どうした?なんかあった?」

「ーーーえ、」

「こんな早くにいきなり来るのも珍しいし。なんか落ち着きないし…」

「ーーーごめん。イノちゃん、仕事前だよね」

「それは別に構わないよ。そうじゃなくて、なんか珍しいなぁって」

「俺?」

「うん。ーーーなにか相談とか?何でも聞くよ」

「ーーーイノちゃん…」



あ…。
俺を見る隆の目が…うるうる…。
眉が下がって、唇が震えてる。
ーーーくっそ、可愛いな…。ずっとこうして側にいたい……って!
そうじゃねえよ!
隆、泣きそうってことじゃねえのか⁇



「ちょっ…隆」

「ーーーぅ…う、イ…ノちゃ」

「うわわわ!待て待て!泣くな!…って、でも泣いてスッキリすんなら泣いてもいいけど」

「ぅううぅっぅ…どっち…?」



確かにな。何でも聞くよって言ったのは俺だし、こうして頼ってくれるなら嬉しいことこの上ないんだから。


「ーーーいいよ、泣いていいよ。俺のどこでもタオルの代わりにして」

「っ…どこ…でも?」

「いいよ。ーーーん…じゃあ、さ」



こんなのも今なら許されるだろう。
タオル代わりの名目で、隆を抱きしめたって。


「っ…イノ、」

「ーーーほら、いいよ」


ぎゅっと抱きしめて、くぐもった隆の声を聞いて生まれる新しい気持ち。
守ってあげたいって、庇護欲。
ずっと言えないでいるけれど、隆は好きなひとだから。
気持ちは高まる。

守りたい、愛したい、優しくしたい。
そんな、気持ち。



「ーーーっ…ん、ぅっ…イノちゃ…」


俺の胸に顔を埋めたまま、声を上げて泣く隆。
ーーーホントに、なにがあったんだ?
こんな展開は、ここだけ見れば嬉しいけれど。
隆のこんな姿に、さすがに心配になってくる。



どうした?
なにがあった?

聞きたい事はいっぱいだけど。



「ぅ、ん…んう、いのちゃ…ぁ」


ーーーまぁ、まだいいか。
こんなにしゃくり上げてるんだから、急がない。
ゆっくり聞くのは後でいい。

今はさ。



「いいよ隆。ここにいるから」


思う存分、泣けばいいと思う。











「ーーーぐす…」

「ーーー」

「…っく…」



落ち着いてきたかな?
まだしゃくり上げてはいるけど、だいぶ…。
ーーー胸の辺りがあったかい。
あったかくて、ちょっと湿る感じだ。

ーーーめちゃくちゃ泣いたもんな。


棚の上の時計をチラリと見る。
マネージャーがもうすぐ迎えに来る時間だ。
今日は雑誌用の撮影と取材がある。

しかし俺の胸には、いまだぎゅっとしがみ付く隆の姿。
…この状態の隆を放っていくのも…なぁ…。







「ーーー隆?」


「ん、」

「少し、落ち着いた?」

「…ん、ぅん」

「そっか。よかった」

「うん。…ーーーイノちゃん…ごめんね」

「んー?いいって言っただろ?」

「そ、だけど…」

「隆ならいつでも大歓迎。気にすんなって」

「ーーーん…。ありがと」

「…でもごめん。ホントならこのまま付いていてあげたいんだけど…。今日の仕事は今から変更は出来なくてさ」

「うん、いいの。俺がこんな時間に来ちゃったから…イノちゃんこそ気にしないで」



…そんな泣かれて今さら気にすんなって、それこそ無理だっての。
何で俺の所を選んで来てくれたのかはわからないけど、それだけで嬉しい。
どんな理由であれ隆を抱きしめられて、俺の気持ちは全然落ち着かないんだから。


ーーーだからさ。




「隆は今日は…?」

「今日は、オフ」

「ん、そっか。ーーーじゃあさ、ここにいる?」

「え、?」

「俺が帰る間、ここにいてもいいよ。留守預かってくれたら俺も嬉しいし。ーーー仕事も多分、夕方前には終わって帰れると思うからさ」

「っ…いい、の?」

「いいから言ってんの。…それにその目じゃぁ…」

「?」

「真っ赤。泣き過ぎで、メンバー辺りが見たら騒めくぞ」



アイツらも隆が大好きだからさ。



「ーーー待っててくれるか?帰ったら、ゆっくり話も聞くし」

「イノちゃん…」

「な?」


安心させる様に、手近に置いていたタオルで隆のカオをごしごし拭いてやると。
ちょっと乱れた前髪の隙間から覗いたのは、ようやく微笑んで頷いてくれた隆の表情。

笑ってくれて、ひとまずホッとして。
留守預かってくれるといっても、自由に出入り出来るように合鍵を隆に渡して。
あるもの何でも使ってねって伝えて。

そのタイミングで。




ピンポーン



マネージャーだ。




「じゃあ、行ってくんね」

「あ、」

「なるべく早く帰るから、隆もゆっくりしてな?」



そう言って、鞄と上着を持って。
安心したといっても、ちょっとだけ名残惜しくて振り返った時だ。



「イノ、」

「ーーーーーっ…⁈…」



青く輝く光を閉じ込めたみたいな、隆の大きな瞳が目の前にグッと近付いた。


(うわっ…綺麗な、)


(ーーーーー隆の、目)


隆って、こんなカオもするんだって。
でもこの潤んで輝く様子は、どっかで見たことあるなぁ…なんて。
じっと見惚れていた間に、だ。
唇に柔らかな感触。
あったかくて、いい匂いで、気持ちよくて。
すぐにそれを追いかけようとした途端。
ーーーそれはすぐに離れて。

目の前の隆が、恥ずかしそうに俯いている。



「…ぇ、」


今のって。

ーーーーー隆が、俺に…?ーーーーー





「隆…?」








ーーーーだめだ。

今は取材と撮影の為のスタジオにいるけれど。



〝イノ、〟



泣き過ぎで少し掠れた、でも甘い声。
その声の後に続く、唇の……ーーーーー




「っ…ああーっ……‼だめだ!」

「えっ⁈ーーーどうしました?」

「ーーーあ、」



叫んでしまって、スタッフを驚かせてしまった…。
ーーーごめんなさい。
ちょっと今は…自分でも落ち着きたいんだけど落ち着かない。
どきどきした鼓動はおさまらない。

だって…。だってさ。



「ーーー隆が、俺に…。…キ…」


重なる唇の感触は夢なんかじゃない。
柔らかくて、あったかくて、いい匂いで。
離れた後の恥ずかしそうな隆の表情だって鮮明に思い出せる。

なんで?とか、今のって…って聞く前にマネージャーからの二度目のチャイムが鳴って。
後ろ髪引かれまくりで、隆を部屋に置いて出てきたけど…。



「だめだ…。ーーーまさかこんな…」


大本命からのキス。
ステージ上ではパフォーマンスの一部として隆とする事もあるけど、でもさっきのは違う。


「ーーー隆は泣いていて。隆は俺の部屋に来てくれて」

抱きしめて。
その後の、キス。



「それってさ」



「えっ⁇何ですか?」

「あ、いや…」


ごめん…。
また驚かせてしまった。


ーーーちょっと落ち着こう。




自販機コーナーで冷たいコーヒー。
カシッ。
プルトップを引いて、一気に煽る。
冷たいコーヒーが、頭をスッキリさせる。



「ーーーっ…はぁ」



ベンチに腰掛けた。
向こうの通路を時折通りすぎるスタッフをぼんやり眺めながら。
ーーーそっと。
指先で唇に触れた。


「ーーー隆」


隆とキスした。
パフォーマンスでもない、きっと気持ちのこもった。

間近で見た隆の潤んだ綺麗な目が、嘘じゃないよって訴えてるみたいで。
なんで泣いたのか。
なんで俺の部屋に来たのか。
まだ本人に聞かないとわからないけれど。

あのキスはきっと本物だって。
それだけはわかる。

だって壊れそうだから。
どきどきどきどき、俺の心臓。



「隆の本心に、きっと触れたんだ」



だから俺の心をこんなに揺さぶるんだ。




「ーーー帰ったら、教えてくれるかな…」



涙の理由。
キスの理由。



「ーーーつか、そもそも…帰ってもまだ居てくれてるのかな」




イノランさーん!お願いします!



向こうでスタッフが呼んでる。
ーーーさて、仕事しよう。

そして帰ったら。

隆とゆっくり、話せたらいいな。


















夕方。


「ーーーただいま」



いつもより丁寧にドアを開けて、玄関に入る。
そこに並んだ隆の靴を見つけて、ホッとする。
ーーー待っててくれたんだ。


ただいまって言ったけど、返事はない。



「ただいま。隆?」


もう一度言ってみる。
けれど返事はない。


「隆…?」



そっとリビングの戸を開けた。
すると…



「ーーーあ、」


返事がない筈だ。

ソファーの背もたれに寄りかかって、置いてある丸いクッションをぎゅっと抱いて。
すやすや…

よく寝てる。



「ーーーただいま、隆」


囁く声で三度目のただいま。
クッションに頬っぺたを押し付けてる様子がめちゃくちゃ可愛くて、そっと手を伸ばしてその頬に触れた。

ふわん…とした感触。
さらさらと頬にかかる黒髪を梳いて耳にかける。
するとくすぐったいのか、隆がもそもそと身動いだ。


「ーーーっ…ん、」

「隆?」

「ん、んっ…ぁ」



クッションにカオを擦り付けて、甘い声が溢れる。
ーーーちょっと…。その声…


初めて聞く隆の声。
初めて見るこんな隆。

どきどきどきどき。
知らなかった。
こんなに誰かに、胸を高鳴らせるなんて。




「ーーーなぁ、隆。起きて?」






名前を呼んで、肩を揺すったら。


ぱち。



「あ、」

「ーーー隆、起きた?」



隆が目を覚ました。

クッションに顔を擦り付けていた隆だけど、俺の顔を見た途端。
ハッとしたみたいに目を丸くして、すぐに顔をクッションに埋めて隠してしまった。


「ーーーりゅ、隆?」

「ーーーっ…」


なんだろう?
別に俺たちって初対面なわけじゃないし…。
今までも何度もカオ合わせてきたのに、こんなのって初めてだ。
ーーーまぁ、照れてるってのもあるのかもしれないけど…

どうしたんだ?…ホントに…



「隆。今日はどうしたんだ?何か相談とかあるのか?心配ごととか、悩みとかあるなら俺聞くよ?」

「ーーーーー」

「ちょっと心配だよ。…そりゃ、出がけにキ…キス、してくれたのは…気が動転するくらいだったけど…」

「っ…ーーーーーあ…れは…」

「ん?」

「ーーーーーごめんなさい…。いきなり…」



俺が動転なんて言葉を使ったせいだろうか。
隆はますますクッションに顔を隠して、くぐもった小さな声で、ごめんって…


「ーーーしかも急に押し掛けて…泣いたりして…。迷惑かけた」

「ーーーえ、」

「イノちゃん…ごめんね」



違う…
違う!


「それは違う!」

「ーーーーーっ…え、?」

「全然迷惑じゃないし、動転したって言ってもそれはいい意味でのだから!」

「ーーーいい…意味?」



隆がそっと顔を上げてくれた。
クッションに顔を押し当てていたせいで、前髪はくしゃっとなって、寝癖みたいで可愛い。
目は相変わらず潤んでる。吸い込まれるようにじっと見つめると、やっぱり綺麗な光。
きらきらだ。
ーーーやっぱりこのきらきら、どこかで見たよな…と思っていたら。
ハッとした。

そうだ、あれだ…。
うちのテラスに迷い込んできたあの光るきらきらチカチカ。
いつの間にかどっか行っちゃったけど、あの綺麗な光にそっくりなんだ。


じっと見つめる僅かな時間であれこれ思いを巡らせていたから、ちょっと気付くのに遅れてしまった。


「…え、ぁ…隆⁇」


「ーーーっ…ん、ぅっ…」


また泣き出した!
ぽろぽろ涙を溢して、ぎゅっとクッションを握りしめて。

なんなんだ⁇
隆は一体どうしたんだよ⁉



「ーーー隆っ…」

「ごめ…」


ぐいっ、と。
隆は手の甲で涙を拭って。
でも次々と溢れる涙は拭ききれなくて。
途中で諦めたのか、頬を濡らしたまま立ち上がると…


「ーーー帰る、ね。ーーーごめん…」

「は、ぁ⁇」


何言ってんだ。
こんな状態で帰せる訳ないだろ!
絶対胸に秘めてる事があるんだろ!
らしくないにも程がある。
ここまでそんな姿を見せておいて、今更放っておける訳ない。


「ーーー隆っ…!」

「っ…あ」


ぎゅっと隆の手を掴む。
掴んだ手に驚く。…なんて熱いんだ。


「隆ちゃん!」

「ーーー帰っ…る」

「だめ!だって心配だ。このまま帰せない」

「イノ…」

「ーーーそんな泣いてさ。…普段じゃ絶対そんなカオ見せないだろ」

「っ…」

「皆んなの前じゃ絶対そんなにならないじゃん。ーーーでも、なんで?」

「…え、」

「なんで俺には見せてくれるの?なんで俺の部屋に来たの?…なんで…」

「ーーーイ、ノ」

「キスしてくれたんだ?」





チリリ…チリリ…リ…



ーーーああ、あの音色が聞こえる。
微かな鈴の音みたいな、綺麗な音。
なんでだ?
あれはどこかに行ってしまったのに…

テラスにいた、綺麗な綺麗な妖精は…。



ぽろぽろぽろぽろ。
こぼれ落ちる涙が光ってる。
宝石みたいで、なんて綺麗なんだ。

根気強く視線を逸らさないで隆の言葉を待っていたら。
整わない呼吸の隙間で、やっと、聞かせてくれた。





「ーーーイ、ちゃ…と、ーーーっ…きっ…て、」

「え、?」

「気が付い…ちゃっ…た」

「ーーーーー」



涙で途切れ途切れの隆の言葉。
一生懸命言ってくれてるってわかったけど、聞き取れなくて。

ーーーでも。
隆の唇の動きで、わかってあげられたんだ。





〝イノちゃんのことが 好きって〟

〝気が付いちゃった〟















コトン。



テーブルに置いたマグカップ。
注いだばかりの紅茶は湯気を立てて。
ようやく落ち着いた隆と、それを見守る俺の隙間を、ゆらゆらと気ままに流れていった。



ふぅ…と息を吹きかけて、ひと口飲んだ隆は表情が和らいだようだ。



「ーーー美味しい」

「ん?そっか」

「うん」

「ーーー良かった」



コクン、コクン。

またひと口、ひと口。
隆が紅茶を飲むたびに白い喉が滑らかに上下する。
ほぅっ…と息を吐く度、微かに声が漏れる。



(ーーーこんなのずっと見てきた筈なのに)


ずっとずっと、一緒に音楽をやってきて。
寝食も共にした事だって何度もあるのに。

ーーー今更だ。
気が付いた。
…っていうか、気付いちゃいけないって、ブレーキかけてたのかもしれない。



(隆のことが好きだって)

ここにきて、ブレーキなんて意味を成さ無くなったんだ。

そしてさっき言ってくれた言葉。
ーーー隆も、きっと…。





「ーーー隆?」


「ん、」

「少し、落ち着いた?」

「…ん、ぅん」

「そっか。よかった。ーーーって、こんな会話二度目だな」

「ぅっ…うん。…ーーーイノちゃん…ごめんね」

「んー?いいって言っただろ?さっきも」

「そ、だけど…」

「隆ならいつでも大歓迎。気にすんなって」

「ーーーん…。ありがと」




ホント、一日に同じ事言い合ってる。
それに気付いてちょっと笑ったら、隆も赤い目をしてくすっと笑ってくれた。

ーーー良かった。



コトン、と。
隆がテーブルにマグカップを置いたタイミングで、ずっと聞きたかった事を切り出した。


「隆、」

「ーーーうん」

「ん…。あのさ、さっきのーーーーー」

「うん…」

「俺、多分。隆が言ってくれた言葉、都合のいいように解釈してて、こんな普通に話してるけど、内心はどきどきしてて」

「…!」

「ーーーだとしたら、すっげえ嬉しい。嬉しすぎて、どうしたらいいかわかんないくらい」

「ーーーっ…」

「隆も同じ気持ちでいてくれたんだって、そう解釈して…いいか?」

「っ…ーーーーーイノちゃん…」

「ーーーうん、?」

「それって、さ」

「ーーーん、」



ーーーぽろ…


隆の頬を、また雫が伝い落ちる。
今日三度目。
さすがに泣き過ぎだろって苦笑いが出そうだけど、いいんだ。
この三度目の涙を見て、今日一日の事全てがわかったから。

俺の部屋のドアを叩いてくれた事も。
涙の理由も、キスの理由も。
らしくない隆の言動も、何もかも。


一緒なんだな。
好きって気付かないようにしてたのに、もうどうしようもないくらいに想いが溢れて。
何をどう考えても、〝好き〟以外のなにものでもなくて。

こんなになったら、伝えない方が、きっと辛いんだ。




隆の濡れた頬に手をあてた。
溢れる涙を、今度は俺が拭いてあげたかったから。


(…あーあ、マジで目が真っ赤だ。それから鼻の天辺も、頬っぺたも唇も)


可愛い、愛しい。
精一杯の隆の告白が嬉しくて、隆の目を見て離さずに、俺も…



「好きだよ、隆」

「…イ、」

「好きだ」


ずっとずっと、好きだったよ。


「ありがとう、隆」


今日の一生忘れられない一日を。















「ーーーぁ…っ…ん、ふ」


「…は、ぁっ…」


想いを伝え合った後は、次へ次へと求めて止まらなくなる。
隆の涙を拭いたその手をずらして唇をなぞると、堕ちるのはあっという間。
最初触れ合うだけだったキスは、間近で視線を交わした途端に深くなる。

もっともっと、欲しかったものに手を伸ばしたくて。





とさっ。


ソファーに隆の黒髪が散った。
伸ばしてくれた手を捕まえて、指先をぎゅっと絡ませた。


「ん…っ…ん、」

「りゅ…っ…りゅう…」

「ーーーっぁ、」



はぁっ…と大きく息継ぎした隆を見て、苦しそうで唇を解放する。
すると真下にいる隆のシャツのボタンが半分外れていて。


「ーーー俺無意識で外したかも…」

「ぇ?…あ、」

「隆のボタン。…急ぎ過ぎだよな…。ごめん」

「っ…いい、よ」

「え?」

「いいのに。…俺は」

「ーーー…!」

「ーーーイノちゃんとこうなる事…ずっと。ーーー願ってた」





チリリ…



「あ、」

「え?」

「ーーーあの音色」


チリリ…リリ…


今回の事にずっと側にある気がしてたあの音色。
思えばこの不思議な光と音色から始まった。
隆といても時折聞こえるこの音色。
隆の瞳に光る綺麗な潤んだ色。

ーーーもしかして、これってさ。




「隆っ!」

「ぅわっ、ど…したの?」


ソファーに横たわったままぎゅっと隆を抱きしめたら、隆は目を丸くして声を上げた。
でも俺は嬉しくて、ぎゅうぎゅうと腕に閉じ込める。
ーーーだって、多分俺は出会えたんだ。

あれは一途な想いの結晶。
気持ちの表れ。
本来目に見える筈のない。
隆の〝恋心〟だったのかもしれない。



「なんでもない」

「ぇ、え?」

「俺はめちゃくちゃ幸せ者。あんな綺麗な隆の恋心独り占めしてんだから」

「…え⁇」


だからこれからは俺の番。
綺麗な想いを貰ったんだから、お前にもあげなきゃいけない。



「好きだよ」

「ーーーイノちゃん、」

「ーーー隆」



テラスで出会った妖精に、ずっと微笑んでいてあげられるように。





end


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