短編集・1






・君と喧嘩した










隆と喧嘩した。




事の発端は…ていうか。もう今となってはキッカケが実に情けない理由で、忘れ去ってしまいたい。
後悔先に立たずって、ああいう事かと、今更ながら身をもって実感する。
先に言っておくと、隆は何も悪くない。もう1ミリだって悪くない。
…今回は俺が。勘違いして、先走って、悲しませて…。
今こうして思い出すだけで落ち込む。




何であんな事…言っちゃったんだろう…。








この日は、ルナシーでの歌番組の収録の仕事に来ていた。通常の番組より大型のスペシャル枠のものだったから、出演者もそれなりに多くて。
どんどん進んで行く収録の待ち時間には、顔見知りのアーティストと久々に会えたりして。そんな合間の時間は、なかなか楽しい。

俺もちらほら見かける知人と、挨拶したり、近況なんか話したり。
他のメンバー達も、なんか楽しそうに話してる。それぞれ待ち時間を有意義に過ごしているみたいだ。


ちらりと辺りを見回した時、あれ…?と思う。
隆の姿が見当たらない。
さっきまでそこで、後輩のアーティスト達と話してたと思ったんだけど…。

何しろ出演者が多いから、通路もステージ袖も人数が多い。俺は声を掛けられる毎に会釈をしつつ、隆を探す。
順番もそろそろだ。


「隆ちゃん…もうすぐなのに」


どこ行った?とステージ袖を抜けて通路の方へ戻って探しに行ったら。




「!」




長い通路の向こう側の角から隆が飛び出して来て。小走りでステージ袖のあるこっち側に駆け寄ってきた。
隆ちゃん!と、声を掛けようとして、次の瞬間、俺は動きを止めた。

隆の後を追うように後ろから出てきたのは、俺らより年上の男性歌手で。ヴォーカリスト同士、隆と仲の良い相手だった。

隆は通路の途中で一度振り返ると、その人に会釈をしてにっこり微笑んで。その人も年上らしい、余裕のある笑みを隆に返した。






「………」





何だよ。今の表情…。






嬉しそうに。
恥ずかしそうに。
頬を染めて、隆は笑ってた。






















「おっ疲れ~‼」


俺らの出番が終わって、控え室に戻って帰り仕度をする。
真ちゃんは、これから飲みに行く?とJを誘ってる。誘いに乗って、スギゾーにも声を掛けてる。
このままいくと、俺も誘われるな…と思ったけど。
ちょっと正直、それどころの気分じゃなかった。


さっきの隆の、あの表情が頭から離れなくて。




「イノは?飲み行くだろ??」


上機嫌で真ちゃんが声を掛けてくれた。
いつもだったら即、誘いに乗るけど。



「ごめん真ちゃん。俺、明日早くてさ。…また誘って?」



ごめんね。と手を合わせて断ると、真ちゃんはちょっと残念そうに眉を下げたけど。そっかぁ、じゃあ、今度また行こうな!と、ポンっと肩を叩いた。

心の中で、ごめん。と、もう一度謝って、はぁ…っとため息をつく。





やだな…。
すげえ、もやもやする。
隆が誰と話したって、誰に笑いかけたって。そんなの俺が制限する権利なんて無い。隆の自由だ。
逆に隆に、こんな事であれこれ言われた事なんか無い。

なんか俺、超心が狭いヤツみたいじゃん…。



…でもさ、隆のあんなカオ。
俺以外にして欲しくない。




「嫉妬だ…こんなの」



カッコ悪い…独占欲だ。












「お疲れさま!」



少し遅れて、隆が控え室に戻って来た。
今日歌ったのは一曲だったけど。隣で聴いていて、やっぱり隆の声はホントに気持ちよくて。天井を突き抜けて、空まで届きそうだった。
あの歌を隣で聴いている時は、ぐちゃぐちゃ悩んでいる事も、忘れてた。

なのに…終わった途端、これだ。


なんか…隆の顔を見ると、何を口走ってしまうか分からなくて。
要らない事を、言ってしまいそうで。

ホントはこの後、隆と夕飯でも食べて帰ろうと楽しみにしてたけど。
今日はもう帰って早く寝てしまおうと、持って来た荷物を手に、早々に控え室を出ようとした。





「イノちゃん、ちょっと待って」




隆の朗らかな声が、俺を呼び止めた。










「……なに?」



普段の俺からしたら、考えられない位素っ気ない。いつもならこんな返事、隆には絶対しない。

でも、いつもみたいに向けてくれるニコニコした隆を見たら。
今は心がささくれて、苛ついてしまった。

そんな俺の返事に、一瞬、隆の表情が翳る。でもすぐにパッと笑って俺に話掛けてきた。



「イノちゃん、この後時間ある?」



「…いや。…明日早いから」


表情を変えずに言い放つ俺に、隆はクッと身体を引いて、笑顔を消してしまう。


ズキッ…と。
俺の良心が、音をたてて軋む。



「そ…っか。それじゃ、仕方ないよね…」


明らかに落胆している様子の隆に。
ごめんね。と、謝るべきなのに。
今の俺は、その一言すら出てこない。



「なに?」



「じゃ、あのね?…イノちゃんに渡したい物があって」



隆は後手に隠していた物を、はにかみながら前に出して。そっと俺の方に差し出した。

白い包装紙に包まれた、小さな箱。深い海の様な青いリボンがかかっている。
プレゼントだと、すぐにわかる。
綺麗な包み。



「これ…渡したくて」



「…なに?それ」



「え?ーーー…えっと…」



隆は恥ずかしそうに視線をずらして。
黒髪の隙間から見え隠れする頬は、赤く染まってて。

いつもは抱きしめて、いっぱいの愛の言葉を言う位、大好きな隆の表情なのに。
さっき通路で見た隆の表情と重なって。
今は抱きしめるどころか、微笑んで、礼を言うことすら出来なかった。


出てきたのは。




「それ」


「え?」


「ーーーあの人のが似合いそうじゃない?さっき仲よさそうに、話してたじゃん」



「ーーー……ぇ…」





俺ら二人の雰囲気がおかしいって、三人も気付いたみたいで。
さっきまでの騒がしい空気が、凍り付いたみたいに静まった。




「…イノ…?」



隆の表情は完全に色を失くして。隆の唇と包みを持つ手が、小さく震えてる。


「…ど……したの?俺、なんか気に障ること…した?」


「別に…隆ちゃんが気付いて無いなら、いいんじゃない?」


「っ…イノちゃん!」


「だから、なに?」


「ねえ、ちゃんと言ってよ!俺、イノちゃんに何かしたの?言ってくれないと分かんないよっ」


分からないんじゃ、謝れない。そう言う隆の表情は今にも泣きそうだ。
恋人にこんな顔させるなんて、今の俺はどうかしてる。
今なら冗談だと言って、無かった事に出来るのだろうか。

心のざわつきが大きくなる。
どこか投げやりな気持ちになっていて。

この時俺は、言ってはいけない事を、言ってしまった。



「謝って欲しい事なんてないよ」


「ーーー…」


「ーーーそれも。俺じゃなくて、あの人にあげたら?」



「ーーーーーっ…」




ガンッ!…と、隆に投げ付けられた小箱が、俺の肩に当たって。静まり返った控え室の床に、コロリと転がり落ちた。


視線を床から、目の前の隆に向けると。俺はここでようやく、とんでも無い事をしたと。冷水を浴びせられた様に、目が覚めて。
背筋に、キン…。と激しい緊張が走った。

目の前には、身体を震わせる、隆。
唇を噛みしめて、頬を紅潮させて、眉を寄せて涙を浮かべてる。





「ーーーーーーりゅ…」




「っ…イノちゃ…の……っ …」



「隆ちゃんっ …」



「イノちゃんのばかっっ‼‼‼」





力いっぱい張り上げたヴォーカリストの声に、勝てる筈なんてなくて。
隆は涙をばら撒いて、くるっと踵を返すと。勢いよく部屋を飛び出して行った。















「…はぁ……」



さっきからため息しか出てこない。



あの後、完全に機能が停止した俺を、三人は散々非難して。
引き摺られるように飲み屋に連れて行かれ。そのくせ「お前は烏龍茶!」と言って、酒は飲ませてもらえず。(…つか、酒飲む元気も無いっての)
「とにかく謝れ!まず謝れ!さっさと謝って来い!」と酔いの回った三人に絡まれて、早々と店を出て来たところだ。


夜道をひとり、トボトボ歩く。


…情けない。
もう今の俺は、負の感情しかない。
思い返しても、ホントに隆にひどい事をしたと反省する。

隆は全く、何も悪くない。
何やらプレゼントまで用意してくれてたってのに。
それを…


「ホント…何であんな事、言っちゃったんだろ…」



そして、そう言えばプレゼント…まだ見てなかった。と夜の歩道のガードレールに寄りかかって、ポケットから例の小箱を取り出す。
青いリボンを解いて、カサリ…と包装を剥がして小箱を開けた。



「‼」



小さな紙製の箱から、黒いビロードの化粧箱が出てきて。
それを見て、アクセサリーかな?と思って、ゆっくりと蓋を開いたら。

そこには鈍い輝きを放つ、シルバーのリングがささっていた。











「指輪…」




そっと台座から外して、街灯の光に翳してみる。
表面には細工が彫ってあるみたいで。暗闇だからはっきりはわからないけど、細かい線が見える。
触った感じも、滑らかだけど均等じゃない手触りで。もしかしたらハンドメイドなのかな…とも思えた。



「………」


指に嵌めようとして、手を止めた。
隆がくれた指輪だ。
できることなら、隆の手で、嵌めてもらいたい。

そんな資格、今の俺には無い気がしたけれど。それでも。

隆に会って、謝りたい。
そしてもしも許してくれるなら、プレゼントのお礼を言って、隆の手で…



俺はグッと顔を上げると。
夜道を駆けて行った。













「嘘だろ…」



駆け出したまま向かったのは隆の家だった。…けれど。
インターフォンを押しても出なくて、外から見ても真っ暗で。念のために、お互い渡し合ってる合い鍵で部屋を確認するも。
隆は居ない。
どこ行ったんだ…と、ちょっと心配になって携帯を鳴らしても、隆は出なくて。…まさか、と思って慌てて自分の家に帰ってみたら。
玄関先のドアの横に、膝を抱えて座っていたのは隆だった。

まだまだ寒い、この季節に…




「隆ちゃんっ !」




名前を呼んで、駆け寄ると。
隆はハッとしたみたいに顔を上げて、立ち上がろうとした。

立ち上がる前に、ぎゅうっ…と、隆を抱きしめる。身体が冷え切ってる…
殴られても引っ掻かれてもいいと思って、離さないように抱きしめたけれど。
隆は大人しく、俺の腕に捕まってた。







「ごめん」


「………」


「隆ちゃん…ホントに、ごめんな」




そっと、身体を離して。
隆の顔を覗き込むと。

ぽろぽろと涙を溢して、唇を噛みしめている。
再び罪悪感が湧いてきて、もう一度隆を強く抱きしめた。



「隆ちゃん…」

「隆…」

「プレゼント、ありがとう。…嬉しかったよ?ーーーーー…なのに俺、あんな事言って」

「ごめんね、隆ちゃん…」




ふるふると、俺の腕の中で。
隆が首を振る。
そして、涙声で言った。



「俺も、プレゼント…投げつけて。ばか…なんて言って…。ごめんなさい」



そんな事、気にする必要なんて全然無いよ!怒って当然の事、俺はしてしまったんだから。
むしろ隆の反撃なんて、可愛いものだと思う。



とりあえず、ここにずっと居て風邪なんかひいたらいけない。隆の手をひいて、部屋に入る。
すぐにヒーターを付けて部屋を暖め始める。
ソファーに座らせた隆の隣に、俺も腰を落として。
隆に貰った指輪を取り出した。



「これ、ありがとな。今初めて明るい所で見たけど、すげえ綺麗。細工も…このデザイン、もしかしてギターの弦かな」



隆はコクリと頷くと、小さい声で「俺が作った」と僅かに微笑んだ。

え?、と驚く俺に、隆はポツリポツリと、教えてくれた。


年上の例の歌手が、シルバーのアクセサリー製作をしていると。最近趣味が高じて工房を開いたから、作ってみないか?と誘われたらしい。



「シルバーのアクセサリーって聞いて、すぐイノちゃんの顔が浮かんだ。…別に誕生日でも、クリスマスでも無いけど…プレゼントしたいなって思って…」



そしてデザインから製作まで、隆はオフの日の度に通って、彼に教わりながら練習をして作ったのだという。

あの収録の日は、ちょうど会えるからと。完成した品を届けてくれたそうだ。




そんな経緯を聞いて。俺の頭を再び後悔と反省の文字が行き交う。
なんてひどい事をしたんだと、改めて沈み込みそうになるけど、そんな暇はない。

隆の肩を抱いて、指を絡ませる。
はじめ戸惑っていた隆の指先も、きゅっと力を入れてくれた。
そして、おずおずと口を開いた。



「…何で、あんな事言ったの?」



まったく。隆の疑問は至極当然だと思う。なんであんなに頑なになってしまったのか、よくわからない。
あんな態度をとった自分を、時間を戻してぶん殴ってやりたいとも思う。
…でも。
キッカケは、自分でもよくわかってるんだ。
それを隆に言うのは、かっこ悪くてちょっと抵抗があるけど。今回は、隆は知る権利がある。



「ーーーーーー…嫉妬した」

「ーーーーへ?」



隆の顔がキョトンとした表情に変わる。



「ーーー収録の時。通路であの人に、隆ちゃんが笑いかけてるの見て。すげえ嬉しそうで、可愛い笑顔で。…何でそんなカオ、俺以外に見せんだよ!…って。……俺のヤキモチだよ」


「ーーー…っ 」


「そっから…なんか悪い方に悪い方にって、思考が行って…結果あんな、隆ちゃんを傷付けた」


「イノちゃん…」


「ごめんね」





「……良かった。ーーー…俺、なんかイノちゃんにしちゃったのかな…って思ってた」

「してないよ」

「ん…。ーーーーでも。」

「ん?」

「あの人には悪いけど…不謹慎だけど…。ーーーーーちょっと、嬉しい」

「……」

「妬いてくれたんでしょ?」



じっと、隆の瞳が俺を見上げる。
潤んで、熱が込められてる、キラキラした眼差し。
ーーー俺は、これに弱い。そして、大好きだ。



「…俺だけに見せて欲しい。隆ちゃんの色んな表情…ーーーー俺以外に、ホントは見せたくなんかない」

「ーーーーーー欲張り」

「そうだよ。隆ちゃんに関しては、俺めちゃくちゃ独占欲強いよ」


「俺だってそうだよ?」

「え?」

「シルバーアクセ作る時、何を作る?って言われて、俺はすぐに指輪!って決めた」

「ーーーー」

「ーーー…指輪なら、イノちゃんは俺の!って、なんか主張出来る気がして………。ごめんね」

「隆ちゃん…」

「イノちゃん…指輪、つけてくれる?」


「ーーー当たり前じゃんっ」



俺の返事に、隆は心底嬉しそうに笑って。俺の手に握られていた指輪を取ると、左手貸して?とはにかんだ。


「ーーー…この指でもいい?」

「もちろん」


そう言って、隆が指し示したのは、左手薬指。頷いた俺を見て、恥ずかしそうに指輪を嵌めてくれた。



「ぴったり。すげえいいよ?」

「ーーーなんか…恥ずかしい」

「なんで、恋人の印だろ?」

「ん。」

「次は隆ちゃんの番な?」

「え?」

「今度は俺がプレゼントしてあげる」

「‼…ん…うんっ 」



ぱあっと、輝くような笑顔を向けて、隆は頷いてくれて。
それだけで、全部救われる。

俺は再び隆を抱き寄せて、赤く色づいた頬に手を這わせる。
キスをしようと唇を寄せると、隆が囁いた。



「イノちゃんしか知らない…俺もあるよ?」

「ん…?」

「…イノちゃんとキスしたり…抱かれたり」

「ーーー」

「イノちゃんしか…知らないでしょ?」

「隆…っ……」


「イノちゃんだけの俺を、もっと、曝けさせて…ーーー…っン…っ…」



返事の代わりに唇を塞ぐ。

指先を絡めて、手を繋いで。
まだ俺も知らない隆を、もっともっとあばくように。
舌を絡めて、甘い声に酔いしれて。
こんなに濡れた隆は、俺しか知らない。
これから先も、俺だけでいい。

そして。
お前に溺れる俺は、お前にしか見せない。






end



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