短編集・1










こんな休日は。
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ぺた。




「ん?」



ぴったり。
すりすりすりすり



「りゅ?」




ぎゅうっ









「ーーー熱い。お前の身体」

「…ぅ、ん…」

「熱あんだろ」

「熱…?」




昼間のリビング。
ギターを抱えて弦調整、気の向くままに爪弾いて音楽のひと時を過ごしているイノランの背中に。

ぺったり。

張り付いたのは。




「隆」



ぎゅっと抱きついて回される両手は、常のものより体温が高いとイノランは瞬時に気がついて。
ギターを置いて、そのまま空いた手を隆一の額に押し付けて、その額の感覚にイノランは僅かに眉を寄せた。




「ーーーあっつ。…どした?いつからだ?」

「ん…。なんか怠いなぁ…って思ったのは、ついさっき。お昼ご飯食べた後、片付けしてた時」

「ーーー食欲は…あったよな?」

「ぅん…。ご飯は…美味しかったと思った。…でも、急に」

「そっか。ーーーじゃあ、とにかくベッドに入ろうな。これからまだ熱が上がるかもしれないし」

「えー」

「えー?…って、嫌なの?」

「だって…せっかくのお休みなのに」



イノちゃんと一緒のお休みなのに…



そう言って。
イノランのシャツの裾をきゅっと握りしめて、つまらなさそうに俯いてしまう。
隆一の気持ちとしては、せっかくのオフ。好きなひととくっ付いて過ごしたいと思うから。

…でもそれは。



「俺もそう。せっかくの休みだから隆とぺたぺたしてたいって思うよ」

「…ん、」

「でもそれは、今の状況でもできるだろ?」

「ぇ、?」

「隆の側でくっ付いて、隆のこと見ててあげられるじゃん?」

「!」

「隆のお望みのままに。なんでもするよ?」

「イノちゃん、」



不思議だった。
イノランの言葉を聞いて、ぎゅっと抱きしめてくれるだけで。
身体の気怠さは相変わらずだけれど、俯いた気持ちがパッと晴れる。
熱がある時なんて大して小難しい事なんか考えられないのだから、本当にイノランの言葉ひとつ、抱きしめる体温ひとつが隆一に効いてしまったのだろう。

ーーーそれに、なんでもするよ?…なんて。それを考えただけで、どきどきし始めている自分を隆一は自覚していた。



(イノちゃんはすごいな)

(俺にとっての、一番の薬で、治療みたい)

(イノちゃんがいてくれたら元気が出るもの)




そして隆一は思うのだ。

自分もイノランにとってそうであればいいな、と。




「ーーーじゃあ、イノちゃん」

「ん?」

「あのね」





このまま少し、眠らせて。





大切なひとや、好きなひと。
そのひとが、ちょっと不調の時。
そんな時はなるべく側に居てあげたいと思うし、心配なく安心して休んでもらいたいと思う。
ーーーと、イノランは思った。






「ーーーまだ熱いな、」



デコ。
そう小声で呟いて、イノランは眠る隆一の額にそっと触れた。
少し汗ばんでしっとりした黒髪を指先で弄んで、今度は唇でも額に触れる。

手のひらよりも、脳により近い唇の方が正確に対象の体温を感じる事ができる。



「ーーーって、前にスギゾーに教えてもらったっけ」


〝だからイノ。堂々と隆にキスできるよ。隆が熱があるのかどうか?って、確認したい時〟


それを聞いた時は、何言ってんだよ…と照れを押し隠すように返事したものだけれど。



「でも確かに…そうだな」




イノランの唇が拾う隆一の体温は、手のひらで触れたそれよりも熱いと感じた。
実際隆一は、気怠そうにシーツに身体を沈めている。




「飲ませた方がよかったかなぁ」



風邪薬。
ちょっとした不調の時、薬飲みなと言っても隆一は顔を顰めて嫌々する。
苦いからヤダとか、飲むほどじゃないもん、とか。
子供かよ(子供でもうちょっと聞き分けいいんじゃないか?って思う事もしばしば)って思うけど。
そこが隆一らしいと、結局はいつもしたい様にさせる。
ーーーそれに。



俺の薬と治療はイノちゃん。



なんて言うから。
イノランはいつもほだされて、甘やかして、抱きしめる。
隆一もそんなイノランに微笑むからどうしようもないのだ。






「ーーーーー……ん…」

「ん?隆」




隆一が身動いだ。
熱が煩わしいのか、寝苦しそうに、手をシーツの上に伸ばす。
まだ体温で温まっていないヒンヤリしたシーツの部分が気持ちいいのか、一瞬寝顔が和らいだようにイノランには見えた。





「ーーーーー…ん、」


「ーーーーーーーーーーーーー」




(可愛いの)



こんな時ですら思うのはこんな事。
と言うか、イノランは隆一と一緒にいる時。
こんな事ばかり考えてしまう。
そしてこんな事を考える時、ふたりの時間がとても甘くて、贅沢で、ゆっくり流れているように思えるのだ。






「ちょっと待っててな」



イノランは立ち上がる。
眠る隆一を置いてその場を離れるのは後ろ髪引かれるが。
(離れるといってもキッチンだけれど)



「氷、持ってくるから」






寝室を出る時に振り向いた。
ベッドの上で眠る隆一が、なんだかとても頼りなさげに見えてしまって。
イノランは切なさできゅうっとする胸を抱えて。

キッチンに急ぐのだった。




〝手のひらよりも、脳により近い唇の方が正確に対象の体温を感じる事ができる〟



〝だからイノ。堂々と隆にキスできるよ。隆が熱があるのかどうか?って、確認したい時〟






悪戯っぽい笑みを浮かべて、ある時スギゾーがそんな風にイノランに言ったのには理由があった。

今ではすっかり仲睦まじい恋人同士ぶりを見せているイノランと隆一だけれど。
ここに至るまで、さらに言えばこんな二人になるキッカケの…スギゾーに言わせればイノランが最初に隆一に恋におちた瞬間。
その瞬間を目撃したスギゾーは、今日までのもどかしく長い長い年月に溜め息をついたのだった。



「だって最初はさ、イノ自身気付いてなかったでしょ⁈隆が好きって、絶対」

「…そこまで言い切る?」

「最初の瞬間を見ちまった俺がずっと見守ってきたんだから間違いない」

「…っていうかさ。最初の瞬間って言うけど、スギちゃんが見たっていうのって一体いつの事だよ」

「デビュー前」

「ーーー」

「まだルナシーが〝cy〟表記の頃。俺ら四人がヴォーカル探してて、隆のステージ初めて見たとき」

「ーーー」

「当たってるでしょ?」

「…どうかねぇ」



と。
イノランは視線を外してコーヒーに手を伸ばした。
スギゾーを目の前にして余裕ある素振りをして。
ーーーしかし、その内心は…複雑で。
照れ臭いやらおもしろくないやら。ふたりにとっての始まりの瞬間を、よりによってスギゾーに気付かれていたという事。


言い当てられて、つい唇を噛む。




(そうだよ。気付かなかったよ。最初は)

(隆に恋に落ちたって)

(だって、そりゃそうだろ)

(気付くわけない)



けれども、隆一の歌声を初めて聴いた瞬間は。
一欠片も聴き逃すまいと、一瞬でも見逃すまいと、息が詰まって、鼓動が煩くて、細胞が粟立って…
今思い出しても、決して忘れられない、忘れる事なんかできない大切な瞬間になっているのだ。


















カラ…カラン


キッチンで氷を割りながら。
かつてスギゾーに言われた言葉を反芻して、イノランは不敵に笑う。



「長い長い年月の間に俺らも変わっていくんだよ」


触れることにも躊躇っていた初めの頃とは、確実に今は違って。
ふたりでの時間の過ごし方は上手になったのだと思う。

けれども。
キスも、身体を重ねる事も、心を通わせる事も。
隆一相手にいつだって心を震わせてしまう。




「デコに触れるだけで馬鹿みたいにどきどきしてんだよ」


そんなことをスギゾーに教えたらからかわれそうだと、出来上がったばかりの氷枕と水のグラスを持って、今度は苦笑して。
隆一の待つ寝室へ、イノランは向かうのだった。








「ーーーーーーイノちゃん…」





イノランが寝室に戻ると、ベッドの方からか細い声が聞こえた。
その声が常のものよりも随分頼り無くて、イノランは室内にも関わらず早足でそこへ駆け寄った。





「隆」

「…ん、」

「寝苦しいか?」

「ーーー熱い、」



声もそうだけれど、ようやっと開いた目元も赤く潤んで辛そうだ。



「少し眠ったせいで熱上がったんだな」

「そ、かも」

「氷枕と冷たい水持ってきたよ。いるか?」

「…ん、欲しい」



こくん。と、頷いた隆一の背を少しだけ起こさせて。
その隙に氷枕を頭の下に置いてやる。
水のグラスも手渡すと、ひと口飲んでホッと息をついて。
その後はコクコクと渇きを癒すように飲み干した。





(ーーーよかった)



その様子を見届けて、イノランは内心安堵する。
きちんと水分を摂れるなら、あとはゆっくり休めば次第に良くなるだろうと思うから。





「ありがと」

「いいよ。ほら、まだちゃんと寝てな」

「ーーーもぅ眠くない」

「何言ってんだよ」

「だって短い時間だけど深〜く寝たもの」

「まだ熱あんだから寝てろ」

「ええ〜」




つまんない。
退屈。

そんなことを言いながら唇を尖らせる様に、イノランは呆れつつも苦笑いだ。



(熱で真っ赤な顔してさ)



でも、駄々をこねる元気があるなら大丈夫だろう、と。
イノランはベッドの端に座ると隆一の隣に滑り込んだ。

びくん…
隆一の肩が揺れた。
びっくりしたのだろう。




「…感染っちゃわ…ない?」

「ん?平気だよ」

「でも」

「俺のことは全然気にしなくて平気。まずは隆が早く良くなんな」

「…ん」

「ーーー風邪薬…は。…」

「ええー」

「いやなんだよな?」

「…できれば」

「だろうと思った」

「だって苦いし」


(言うと思った)


「じゃあせめて俺が側にいるよ」

「!」

「なんでもすぐに対応できるようにね」

「…イノちゃん」




すり…

すりすり




「隆」




嬉しかったのか。
隆一はイノランの肩口に頬を擦り寄せる。
布越しにもいつもより高い体温が伝わって、イノランは堪らなくなって隆一の肩を抱き寄せた。



「っ…イノ、」

「あのね、スギゾーが」

「?…スギちゃん?」

「そう。ーーースギゾーがね」




脳に近い方が云々〜のくだりを隆一にも教えてあげようかとイノランは思ったが。
ーーー言いかけて、やめた。




だってもう、関係ない。
イノランと隆一の隙間の空気は、躊躇いを多く含ませていたあの頃とは違うから。

触れたいと思えば…触れる。

それを実行できるだけの月日をふたりは過ごしてきたのだから。






「…んっ、」



触れるだけのキス。
熱い隆一の唇の感触に、もっと先を求めたくなる。
舌先で隆一のそれをくすぐると、熱のこもった吐息が溢れた。



「ーーーふ、ぁ…」


「隆、」

「待っ…ーーーこたえ、てな…」

「ん?」

「スギちゃん…の、」

「ああ、」



スギゾーの悪戯っぽい笑みが浮かんで、消えていく。
代わりにイノランの視界も感覚も奪うのは艶っぽい隆一の微笑みで。




〝もう今更だよな?〟




イノランは、そう隆一の耳元で囁いて。
隆一の肩を覆うシャツを滑り落としたのだ。









end






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