珈琲とミルクティー






・珈琲とミルクティー〜I〜












『あなたは意地悪なブラック珈琲』








マンションの前で乗って来たタクシーを待たせて。俺は腕時計に目をやると、小走りで入り口へ向かいチャイムを鳴らした。
相手からは何の返答も無い。
まぁ、誰が来たかわかってるからだろう。
きっと今頃バタバタと慌ててんだろうなぁ…と想像したら。つい顔が緩んでしまう。


相手が降りて来るまで、少しだけ手持ち無沙汰になって。もう何度も来ているから知ってるんだけど、エントランスの内装をぐるりと見渡す。



( いつもと変わんないけどね…)



特に変わったところも無く、俺は奥の壁に掛かっている鏡の方へ移動した。

全身映せる大きな鏡。
ここの住人達が、出掛ける前によく見てる。
それに習う訳じゃないけど。
俺も鏡の前に立ってみた。



( うーん…やっぱ、衣装っぽい?)



今日のデートは、ちょっといつもと違う感じできめてみた。
ブラックデニムと黒のロングコート。あと首元に黒のストール。
いつもはもうちょいアクティブな感じ。デニムとジャケットで、いつ何時「走ろうよ!」とか「壁登ろうよ!」とか無茶振りされても平気な格好をしてるけど。
何しろ、まぁ…動くのが大好きな恋人だから。



( でも。今日は、ね…?)



今日これからの予定を思い描いて、心が浮き立ってしまう。

瞬時に熱くなった顔を誤魔化すため、ちらっとエレベーターを見ると、降下の表示が出てる。



( 来るかな?)



もうすぐ会えると思うと、照れてしまう程ドキドキする。

ここまでエレベーターが降りて来る僅かな時間が、こんな時はやけにゆっくり感じる。



ーーー早く会いたいのに…



軽やかな到着音と共にエレベーターのドアが開く。
その瞬間、真っ白な明るい色がパッと視界に入ってきて、俺は思わず目を見開いた。
開いた視界に映ったひとの姿に、俺は胸が一層高鳴るのを感じた。




「イノちゃん!」



良く通る声で、俺の名前を呼んで。
嬉しそうに駆け寄ってくる。
ーーーーその姿に。俺はその場で固まってしまった。
…や、違う。…見惚れてしまった。



オフの時は、いつも黒とか落ち着いた色のコートやジャケット。それにジーンズスタイルが多い隆。

ーーーなのに今日は。

デニムに白のダッフルコート。柔らかい薄茶色のマフラーをふんわり巻いて。一見、学生とかがよくしてそうな格好だけど、コートのラインが大人っぽいから、全然こどもっぽくは見えない。
ソロの撮影なんかで着てそうな格好だけど。髪もカッチリしてない。程良いセットで、前髪も自然に下ろしててあどけない。


つまり…早い話なんだけど。

隆…。めちゃくちゃかわいい。



俺がじーっと見つめてたせいか。
隆は足を止めてしまって、なんだか、ぽー…っとしてる。俺は苦笑を浮かべて近付いた。



「隆ちゃん?…どした?」



隆は俺の声にハッとしたみたいで。
慌てて、何でもない!と首を振る。でも顔が紅くなってる。
ふいっ…と顔を逸らしてしまった。
俺の中でいじめっ子心というのか、弄ってやりたくて、追っかけるみたいに顔を覗き込んだ。


「ーーっ ‼」


「隆ちゃん、カオ真っ赤なんだけど」

「っ!何でもないよー!」

「ーーーそ?」

「そう!」

「ーー…ふぅん?」



…自分でもわかる。俺きっと、すげえ意地悪そうなカオしてる。でもそれが楽しくて、口元が緩んでしまうのが抑えられない。


人知れず、なんかを必死に隠そうとしてる隆。目が泳いでるよ。
でもそれは俺も同じ。なんか正視できない。
隆がかわいくて見惚れてたなんて…。
別にバレても良いけど、ちょっと照れるな。


もう一度、チラリと隆を盗み見る。
仕草のひとつひとつが、今日は何だかいちいちかわいく見える。
デートだって初めてじゃない。隆のこんな姿、見た事無いわけじゃないと思うんだけど。
この白い色のせいか?不意打ちだったから?…何でこんなにドキドキするんだろう。
こんなかわいい恋人と、俺はこれから一緒に出掛けるのか…

そしてここで俺は、自分と隆の格好を眺めて気づいた。



( いいじゃん?)



今日の俺と隆の格好。
色が真逆で、そこが良い。
デートしてるんだって、気持ちがあがる。
何だか今日の隆は、一緒にいると庇護欲が掻き立てられる。
守ってあげたいって、思ってしまう。


なんて事を考えている間も、隆はずっとぼんやり物思いに耽っているようだった。




「…………」



「おーい、隆ちゃん?」



考え込んでる隆に近づいて、カオを覗いてみると、隆は慌てて取り繕った。



「ご…めんっ …大丈夫だよ、行こう?」



いやいや、全然大丈夫じゃないだろ。
そんな顔を真っ赤にしてさ。

いまいち納得はしてないけど、色々追求したら恥ずかしがるだろうな…と思って。とりあえず今はいいか、と。
俺はさっさと外に足を踏み出す隆の後を追った。









ツアーの合間に見つけた束の間の休日。
二人して観たかった映画があって。でもツアーも始まるし無理かも…と半ば諦めていた。
元々決まってたツアー日程と、その後組み込まれた、それぞれのソロの仕事の日程が固まって。二人のスケジュールを照らし合わせて見つけた貴重なオフ。
しかも平日!

映画館、きっと空いてるな。

隆と喜び勇んだのは半月程前の事。観たかった映画。しかも恋人と行けるなんて。
純粋にすげえ嬉しくて。平日の午前中だから平気なはずなのに、チケットをしっかり予約する隆を微笑ましく見つつ。俺も隆に…まぁ、サプライズ的な。そんな計画も隆に内緒で立てたりした。


映画館は、港に面した海沿いのショッピングモールに入った所。
近くには大きな観覧車や夜景の綺麗な広い公園なんかもあって。
映画の後の予定も、ツアーのリハの合間に隆と嬉々として決めた。

( そんな俺らの様子を、あの三人はニヤニヤして眺めてたけど…)






「隆ちゃんと一緒に久々に飲みたいな」


予定を考えてる時に俺がそう言ったから、今日はタクシーで映画館近くまで行く。

だんだんと港らしい風景が流れてきて。隆と他愛も無い話をしながら思う。
好きなヤツといられるって幸せだ。














映画館に到着して。
びっくりした。




「え~…?」

「すげぇな」





貸切だった。
俺と隆。
二人だけ。





「え…平日の午前中ってこんななの?」

「朝イチの回だからじゃね?もうちょい遅い時間になれば人出も…」

「そっか。俺一番早い時間の予約したんだ」

「そうだよ、でもいいじゃん?俺らだけ。なかなか無いよこんなの」

「うん」



そんな事を言いながら、隆が予約してくれた席に並んで座る。
上過ぎず、下過ぎず。ちょうどいい位置の席。
座って辺りを見回して、俺はハッとする。



( 二人っきり )



薄暗く、俺たち以外誰もいない。
そんな空間。

意識したら、急にドキドキして止まらなくなった。












本編前の予告が流れて行く。
いつもだったら。
観てみたいな~…とか思って呑気に過ごしている時間なのに。

今は全くそれどころじゃない。

ドキドキしてしまって、落ち着かない。
マジでなんでこんな?と思うくらい。
ここが薄暗くてよかったと思う。
きっと顔は緩みっぱなしだ。

隆と付き合いだして随分経つのに。今更こんな、初恋のデートみたいな気持ちになるなんて、今日の俺はどうしたんだろう?
…でも思えば、朝いつもと雰囲気の違う隆を見た時からドキドキしてた。

ステージの上では格好いいヤツだって知ってる。でも一度ステージを降りたら、にこにこふわふわした笑顔と雰囲気。更に俺の前では恥じらったり、濡れたような表情も見せる。
優しくて、笑うと笑顔が最高にかわいい事だってじゅうぶんわかってる。


( 改めて気づいたって事なのか…?)


そんな結論にたどり着いた途端、辺りは真っ暗になって本編が始まった。










予告を観た時から、あー…これヤバいかも。泣きそうだなぁ…と思ってたけど。
案の定。
映画も一時間が過ぎたあたりで、涙腺が緩くなってきた。
感情移入してしまって…
音楽も美しくて。

でもフト、隣を見ると。
隆がぽろぽろ涙を零して泣いていた。
その瞬間に、俺の意識は映画から隆へと完全移行する。
ごしごしと袖で目元を拭っているから、俺は思わず苦笑いが出た。
スクリーンの明るさでもわかる位、頬が染まってる。
擦ってる隆の手を掴んで、空いた手で涙を拭いてやる。睫毛を滴で濡らしてそっと目を伏せる隆が、まるでキスを待っている時みたいで最高にかわいい。
さっきから、かわいいって思ってばっかりだけど、かわいいんだから仕方ない。

隆の頭を引き寄せて、そのまま肩を抱いた。
隆の身体に一瞬力が入って、でもすぐに擦り寄るように凭れてくる。

守ってあげたいって気持ちが、大きくなる。



「誰もいないから」

「…ん……」



コク…。と隆が頷くのがわかって、もっと近くに存在を感じたくて手に力を込める。隆の匂いと微かなシャンプーの香りが側にあって。
今、隆と一緒にいるんだな…って実感して。心がいっぱいに満たされて。そっと隆を見たら、いつのまにか涙は止まっていたみたいだった。












「良い映画だったな」

「うん、音楽もすごく好きだった」



映画を観終えて、港近くの公園を散歩する。
やっぱりあんまり人はいないけど。
ちょうど昼時。
昼食を摂っているサラリーマンやOL、親子連れがちらほら居る。

広い芝生は、今は冬だから緑じゃないけど。ずっと続く花壇には、冬の花が咲いて彩りを添えている。

茶色い芝生の上に、丸くなってる二羽の鳩がいた。
隆は何故だか鳩が好きらしい。家の近所の公園の鳩も、この前紹介してくれたし。冬の羽毛がふわふわしてて可愛い!と、隆は嬉しそうにそっと近寄る。黒っぽいグレーと、白に近い薄茶の二羽。
白い方の鳩が、目の前の恋人の色彩と重なって見えた。
…じゃあ俺は、その黒っぽい方か?と思いつつ、しゃがんで眺めている隆の後ろに立って、隆に言った。



「その白っぽいのは隆ちゃんだね」

「え?」

「今日の隆ちゃんと、色がそっくり」

「ーーーそう?」

「うん、超かわいい」

「ーーーーーー」

「鳩もだけど、隆ちゃんが。だよ?」

「っ…」

「今日の隆ちゃん、かわいい」



しゃがんだままの姿で、隆は俺を見上げる。
上目遣いで、瞳をうるうるさせて。


…かわいい


今日俺、隆にかわいいって連発してる。大人の男相手に何で?って思うけど。
それは惚れた相手だから。
大好きだし、愛してるから。
恋人にそう思うのは、自然な事なんじゃないかなって思う。

そんな事を隆を見下ろして考えていたら。隆はちょっとだけ俯いて、呟いた。




「ーーー…俺、今日の格好」

「ん?」

「…イノちゃんと、釣り合ってないよね」

「え…?」



隆が何の事を言っているのか、初めは分からなかった。
でも、そのまま俯いている隆を見ていて。隆は何も言わないけど、きっと何かあったんだろうと、何と無くだけど気付いた。

しばらく俺も何も言わずに、隆を見つめる。言いたく無い事なら、無理に聞こうとは思わない。聞いて欲しい事は、隆はちゃんと言ってくれるって知ってるから。
急かさないように、いつもの感じで隆の側に立つ。
ーーーーそうしたら。




「イノちゃん…今日すごく格好いい」

「ーーー」

「俺もやっぱり、黒いコートのほうが良かったかな」


その方が、格好いいイノちゃんと並んでも、気おくれしなかったかな…。



最後に小さな声で洩らした言葉を、俺は聞き逃さなかった。




ぐいっ…と。
隆の腕を引っ張って立ち上がらせる。
びっくりして目を丸くする隆に微笑んで。黒いコートを広げて包み込むみたいに、抱きしめた。
耳元に唇を寄せて、隆に囁く。



「なんで?朝見た時から思ってたよ?ホントに今日の隆ちゃん、かわいいのに」

「ーーーーっ …」

「白ってさ、隆ちゃんすごく似合うんだよ?」


知らなかった?って聞くと。隆は、知らない。と小さく呟く。


「ふわふわした隆ちゃんの雰囲気にぴったりだよ。ーーそれにこのマフラー」

「え?」

「今日の隆ちゃんはミルクティーだな」



ミルクティー


甘くて、ほの苦い。
でも柔らかな香りと色。


「ミルクティー?」


隆は俺の腕の中から顔を上げて、俺の目を見る。
首を傾げて、顔を桃色に染めて。



それを見たら。
胸の辺りが、ぐっ…と掴まれる感じがして。
あぁー…。と、ため息が出て、空を仰いだ。



…っとに、もう。



「ほら。」

「ん?」

「やっぱかわいい」



かわいすぎだ。



そう言ってから。
黒いコートで隠すように顔を近づけて。

どんな隆だって、俺は大好きだよ?
ーーーそんな、想いを込めて。

昼間の公園の真ん中で。
大好きな隆と、キスをした。











明るい海を臨む公園のベンチに、二人で座る。
俺の手には、たった今自販機で買って来たブラック珈琲。隆には、あったかいミルクティー。


はー…。と、冬空の下、白い吐息が目の前を過ぎる。

ちらっと隣を見ると、ミルクティーを一口飲むたび、白い息に霞む隆がいて。白い肌と白いコート。それを際立たせる黒髪と、赤い頬と唇。
ーーー正直、堪らない。

そんな気持ちを振り払うように、熱い珈琲をあおると。
隆が、恥ずかしそうに微笑んで言った。



「イノちゃんは珈琲だね」

「ん?」

「意地悪で優しくて格好いい。あったかい珈琲」



隆の言葉に。俺はまたも目を丸くする。
ーーーでも、時と共に。なんて特別で、愛おしい言葉なんだと気が付いて。
多分、俺。今スゲエ嬉しそうな顔してると思う。

でもね?
そんな特別な言葉も、お前が言ってくれなきゃ意味が無いんだよ。



「それはね。隆ちゃんにだけだから」




そう言ってから、もう我慢できなくて。
俺はもう一度、隆の唇にキスをした。








end?

→next . おまけのIR











公園をたっぷり散策して、昼飯を食って。
港の船を眺めていたら、今日は中も見学出来る日だったから。
帆船のデッキへと登ったり。
あっちこっち見たい店を見て。
夕暮れどきになって、そろそろアレ乗ったら綺麗だよねって言い合って、これまた空いてる観覧車に乗り込んだ。

15分間の空の旅だ。




「わぁー!やっぱり乗って良かったね、綺麗だね~」



向かいの席で、隆が窓からの景色を見て歓声をあげる。

まだ真っ暗じゃない、グラデーションの効いた空。もう既に夜空の部分は、細かい光が際立って確かに綺麗だ。

しばらくじっと外を見ていた隆が、身体の向きを変えると俺の方を見てにっこり笑った。



「映画来られて良かったね!」

「そうだな」

「そういえばスギちゃんも観たいって言ってたよ?」

「へ~」

「でもスギちゃんはしばらくゆっくり出来ないから、DVDで見るかもって言ってた」

「ーー…ふぅん?」

「次スギちゃんに会ったら良かったよ!って、教えてあげようね!」

「ーーーー……」

「ね!イノちゃん」

「ーーーーーーーーーーなぁ、隆ちゃん?」

「ん?」

「なんかさ、饒舌じゃない?」



思い当たる節があって。
探る様に隆を見つめると。


ギクリと肩を震わせて、途端に視線を逸らす隆。
その反応を見て、やっぱりなって思って。くっくっ…と笑みが込み上がる。

1周15分間の観覧車。
もう既に5分以上経った。

ーーー頂点はもうすぐだ。




「隆ちゃん、こっち来て」

「えっ…?」

「隆ちゃんが来ないなら俺が行くよ」

「だっ…だめ!だめだよ」

「なんで?」

「…だって…」

「ん?」

「ーーーーーバランス…崩れる…かも…」



真っ赤な顔で、チラチラこっちを見ながらしどろもどろな隆。
思わずため息が出る。

ーーーなんでわからないんだろう。



「逆効果」



返事が来る前に。立ち上がって、隆の隣に移る。びっくりした顔の隆の後頭部に手を回すと、瞬時に理解したようだ。



「イノちゃんっ」

「もうこれは恋人同士の醍醐味でしょ?」

「でも…っ」

「ーーーーそれにさ」

「ぇ…」

「二人きりの時は、他の男の名前何度も出すな」

「ーーーイノ…」





頂点だ。






「ーーーーーーンっ…」



空の上でキスをする。
ほんの10数秒間、誰にも邪魔されない場所で。

隆の白いコートが、俺の黒いコートに包まれる。
隆の指先が、夜の色を掴んで震えてる。



「…ん…っ」

「隆…」



名残惜しげにキスを解く頃には、もう降下が始まっていたけれど。
隆はまだ、潤んだ目で俺を見る。


そろそろとっておきを、教えてあげようかな?


ちゅ…と、軽くもう一度キスをしてから、俺は窓の外を指差した。




「ーーーあそこ。さっきの映画館の向こうの…見える?」

「え?ーーーーーー…あ、うん。あれ、ホテル?」

「そう。部屋、とってあるから」

「うん。…ぅん?ーーーーーーー‼⁈えっ?」

「隆ちゃん驚き過ぎ」

「だっ…だって!」

「夜景の綺麗なバーラウンジもあるみたいだし。飲もうって言ったじゃん?…それに…」

「ーーーー」

「久々のデートで、俺がこのまま帰すと思った?」

「ーーーーーーーっ…」




1周15分間。
地上に着く頃、隆は真っ赤になって。
俺に手を引かれて。

夕飯どうしよっか?なんて呑気に話す俺の声も、もう聴こえてなさそう。


一緒に調べた、美味いって店に行こう。
夜景を見ながら乾杯しよう。

そしたらその後は、心ゆくまで愛し合って。
目覚めたら。
海と朝陽を見ながら。

俺は珈琲。
君はミルクティーで、一日を始めよう。




『君はかわいいミルクティー』

『あなたは意地悪なブラック珈琲』




end



.
2/2ページ
スキ