短編集・1












僕の目の前でうんうん唸るのは。















《君の音をちょうだい。》



















もう何日目になるかわからないくらい通い詰めている、いつものスタジオ。
雨の日も風の日も。
とにかく湯水のように湧き上がってくる曲の原石たち。
それとひとつひとつ、向き合って。眺めて、形成して、磨き上げる作業が続く。

隆一さんの作曲ペースは衰えることを知らない。






「葉山っち~」




さっきからずっとスタジオのソファーに腰掛けて。色々試行錯誤、ギターを弾きまくっていた隆一さんが、とうとう音を上げたらしい。
ギターを傍らに置くと、思い切り伸びをして、間延びした声で僕を呼んだ。




「どうしました?」




僕の悠長な今更な返答に、隆一さんはぷくっと頬を膨らませて。ずっとそこにいたのに、何見てたの?って顔でちょっと睨まれた。




「ーーーギターが上手くキマらないの」

「そうですか?隆一さんの弾くギター、みんな大好きですよ?」

「っ~…ありがと!そう言ってくれて嬉しいんだけど、そうじゃないの」

「じゃあ?」

「新曲に使いたい音。アルバムに入れたい音。ステージでのライブ感のあるギターの音じゃなくて…」

「ーーーあー…」

「繊細で、静かで…」

「はい」

「うんとね、例えると…ーーー。…あ!博物館に展示してありそうなギターの音色」

「またそうゆう…難しいことを」

「そんな事ないよー。葉山っちだって、難しい音、いつもちゃんと音楽にしてくれるじゃない」

「ーーーそう言ってもらえると…」



うん。…嬉しい。
すごく嬉しい。

そんな風に言われたら、連日のスタジオ通いの日々も報われるというもの。




「ありがとうございます」

「うん。葉山っち、いつもありがとね?」

「はい」



また頑張ろうと思えてくる。
隆一さんの言葉と笑顔は、やっぱり最強なんだなぁ…。

ーーーまぁ、それはさて置き。


博物館みたいな…ギターの音色か。



「ーーー作れると思いますけど…。でも欲しいのは、ギターの音なんですよね?」

「ん…そうだね」

「弦の擦れる音とか…」

「そうそう!」

「ーーー良いですね」

「でしょ?ーーー追求すると果てが無いんだけど…。俺の周りって、素晴らしいギタリストばっかりだから…」

「もう、そもそもの基準が高いんですね」



そう言えば、同じような事。
あのひとも言ってたな…。

〝俺のヴォーカルに対する理想像は自然と高くなった。俺の隣にはいつも隆ちゃんがいるから〟って。




「そうだね。ーーーこの曲すごく気に入ってるから、突き詰めたいなって」

「僕も予感がします」

「ーーー良い曲になるって?」

「はい」

「うん!だよね」



ーーーだったら。



「いるじゃないですか。隆一さんには」

「え?」

「そんな音をくれそうなギタリストが」



あなたを愛する、ギタリストが。



「ーーーイノちゃん?」

「はい。貰いに行きましょう!」

「え?」

「今からです。思い立ったが吉日です!」



我ながら名案だと思ったら、早く二人を引き合わせたくて。
僕の唐突な提案にちょっと慌てふためく隆一さんの手を引いて、散らかったスタジオをそのままに部屋を出た。









隆一さんと二人タクシーに乗り込んで、目指すのは都内のスタジオ。



「イノランさんも、今日はスタジオでレコーディング中って言ってましたよね?」

「うん。朝からソロの曲作るって言ってた。ーーーーー葉山っち…ホントに行くの?」

「ここまで来たら」

「そ…だけど。イノちゃんも忙しいかも知れないし」




確かに。行くという連絡も、これから予定すら伝えてないから、きっとイノランさんは驚くと思うけど。
ーーーでも、それ以上に。




「イノランさん、喜びますよ」

「ぇえ~?だって…急にだよ?」




迷惑じゃないかな…。
なんて、呟く隆一さん。
そんなわけないでしょう?って言いたい。
そんなの。隆一さんを見る時の、イノランさんを見ればわかる。

イノランさんは、好きなんだなぁ…って思う。隆一さんのことが、心から。



ーーーこういうところなんだろうか?
イノランさんが、しきりに隆一さんを可愛い可愛いと言って、笑顔で顔を崩すのは。

隆一さんの。愛情の上にある、気遣い。その上にある、フトした時に見せる健気さや思いやり。

ステージで見せる、あの鮮烈な隆一さんはどうしたんですか‼ってくらい、そのギャップは大きくて。
ふわふわにこにこ。
そんな隆一さんに出会うたび、心の奥が切なくなる事がある。
ーーー庇護欲みたいなものかも知れない。



「大丈夫です」

「ーーー葉山っち…すごい自信」

「だってわかります」

「え?」

「見ていれば。ーーー僕だって、ずっと隆一さんとイノランさんと一緒にいるんですから」



二人さえ知らない。
きっと僕しか知らない。
僕の立ち位置からでしか見つけることの出来ない、そんな二人の世界があるんです。



「隆一さんが欲しい、博物館みたいなギターの音。貰いに行きましょう?」











建物に着くと、早速二人で目指すレコーディングルームに進む。
来た事はもちろんあるスタジオ。
目当ての部屋の前に来ると、本日の利用者のネームプレートが掲げられている。イノランさんの文字で彼の名前が書かれているのを見て、僕は隣の隆一さんに頷いた。
隆一さんも、もうここまで来たら腹を据えたのか。微笑んで頷き返してくれた。




コンコン。


ノックする。


ーーーーー。


ーーー聞こえなかったかな。もう一度。



コンコン。




「は~い、どーぞ」



二度目のノックの後、呑気な声で返事があって。その声がイノランさんだとすぐにわかって、僕と隆一さんはもう一度頷き合った。



「失礼しまーす」

「お邪魔しまーす」



ゆっくり開けたドアの隙間から、隆一さんと二人、顔を覗かせた。
開けた途端に鳴り響く彼のバンドの音。ーーーと思ったら、次の瞬間にはピタリと鳴り止んでしまった。

目の前には、ぽかん…としたバンドメンバーと、イノランさんの顔。
一同、ぱかっと口を開けて…。




「ーーーえと…。急にごめんなさい。隆一です。…ちょっとだけ、お邪魔していいですか?」

「すみません、僕の提案で…。あ、お疲れ様です、葉山です。イノランさんに用事があって。ーーーいいですか?」









本当に突然の訪問にも関わらず。
イノランさんも、彼のバンドメンバーも、快く僕たちを招き入れてくれた。




「どしたの⁇びっくりした。隆ちゃんも今頃はスタジオに籠ってると思ってた」

「ごめんね?急に…」

「ん?全然‼会えて嬉しいよ?」

「イノちゃん…」

「葉山君も!ーーー葉山君の提案なの?」

「はい、アポ無しで…恐縮なんですが…」

「もうぜーんぜん平気!いつでも来てよ?」

「はい!僕もきっと大丈夫だって思ってました。隆一さんはちょっと遠慮してたので…」

「え?隆ちゃん…そうなの?」

「だって。邪魔しちゃいけないなぁ…とか、思うじゃん?」

「っ…邪魔なワケないから!寧ろ一緒にレコーディング出来たら良いのに…とか思ってるくらいだよ?」

「っ…」

「俺に遠慮なんかすんなよ?」

「ーーーーー…うんっ」




イノランさんは隆一さんの頭をくしゃっと撫でて。そうしたら、さっきまでどこか気がそぞろだった隆一さんもホッとしたのか。にこっと微笑んでイノランさんに頷いた。





ちょっとだけ抜けるね。

そう、メンバーに言い置いて、イノランさんと僕たちは隣の部屋へ。
僕たち二人がここへ来たわけを聞いたイノランさんは、二つ返事でOKしてくれて。何本かある内の中からギターを一本手に取ると、隣の部屋でやろう?と指差した。

ブラインドを半分引いた、明る過ぎない。昼下がりの部屋の中。
椅子に腰掛けたイノランさんは、隆一さんに問いかける。





「博物館みたいなギターの音?」

「うん」

「ーーー例えば?」

「…静かで、綺麗で」

「うん」

「博物館のガラスの前に立った時みたいな、惹き込まれる感じ」




隆一さんの口から出てきた抽象感溢れる言葉にもイノランさんは慌てる事もなく。もうその表情はギタリストのものだ。
隆一さんが伝える一語一句を探るように目と耳で聴き入って、指先はいつしか音色を奏で始めている。




「曲の中に、そんなギターの音色を入れたい。色々自分でも弾いてみたけど…なんか違うなって」

「ん…?」

「葉山っちも色々考えてくれて、それなら音を貰いに行きましょう!って」

「ハハッーーー葉山君いいね」

「背中押してくれたんだよね?」



ちらっと僕を見て微笑んだ隆一さん。
ありがとうって言ってくれているのがわかって、やっぱり来て良かったと思った。

イノランさんはあっという間に何パターンかの即興のフレーズを弾いてくれた。隆一さんもその度に、良いね!って目を輝かせて嬉しそうに笑う。
録音用の機材をひとつ置いてきてしまった事に気付いて、スタジオにある物を借りに、僕は一旦部屋を出た。
パタン…。とドアが閉まる瞬間に、一瞬だけ聞こえた、隆一さんの微かな笑い声。
それを聴いたら。
閉じたドアの向こう側を、今だけはそっとしておいてあげたくて。



「機材借りるだけなんだけど…」



僕の用事はすぐに終わるけど。
ーーーメンバーの皆さんと談笑でもしようかな?
きっと彼らも、リーダー待ちで休憩しているだろうから。



「何人いたっけ?」



自販機で缶コーヒーをいくつか買って。レコーディングを中断させてしまった、せめてもの…。



「意外と僕も、気遣いなんだろうか」



自分じゃよくわからないけど。
でも。
どうでもいいことはどうでもいいやって、結構割り切ってしまう部分があるって、自分でも知ってる。
執着心とか関心ってものが、実はそこまで強くないのかも知れない。

でも。
隆一さんに関しては違う。
彼の歌声が好きだ。
彼と一緒に創り上げる音楽が、この上なく好きだ。
そして、そんな隆一さんに寄り添うイノランさんの存在も。その音色も。

もう僕には、無くてはならない。




コーヒーと共に現れた僕に、メンバーの皆さんは気さくに声をかけてくれて。やっぱり休憩に入っていたみたいで、勧めてくれるお菓子に手を伸ばす。近況とか、楽器の事とか。ひとしきり楽しく会話して、そろそろ戻ろうって、借りた機材を手に部屋に戻る。

ドアの前で。
こんな時、僕はいつも手が止まる。
入って良いものか、どうなのか。

僕は知っているから。
隆一さんとイノランさんの事を。
その間柄が、メンバー同士以上だって事を。
でも僕は、それを言わない。
そして。
僕が知ってるって、きっと気付いてる二人も、何も言わない。
僕たち三人でいる時の空気が、独特で、心地よくて、ゆっくり流れる時間が何ものにも代え難いって思っているから。
それを壊すのを恐れて、僕たちはまだ、何も言わない。



ーーーノックをすればいいだけ。

それが、なかなか勇気が出ない。
でも。




「ーーーーー」



コンコン。

ノックした。

すると。



「は~い、葉山君?」

「あっ…はい!」



予想に反して、呑気な返事。
僕は気が抜けて、ドアを開けた。



「機材あったでしょ?」

「はい、お借りしました」

「んじゃ、早速録りますかね」

「お願いします」



僕とイノランさんが動き出す中で、隆一さんは妙におとなしい。
?…と思って視線を向けると。

ーーー?……頬が赤い?



「葉山君、いい?」

「あ、はい!」



イノランさんの言葉に遮られたけど。
ーーーやっぱり…?






その後順調に録り進めて、一時間程で僕たちの突撃滞在は終わった。

片付けをしながら、スタジオの皆さんにお礼を言って部屋を出る。
再びバンドの音楽が再開した賑やかな通路で、イノランさんは見送りに出てきてくれた。



「イノちゃんどうもありがとう」

「忙しいのに、お邪魔しました」

「いえいえ。俺の音、隆ちゃんの新曲に使ってくれるなら嬉しいよ。メンバー達も葉山君と話せて楽しかったって」

「それなら良かったです」



じゃあまたね!
お互い頑張ろう!

なんて会話を交わす中、僕は先に通路に出た。今度こそ忘れ物は無いかチェックしていたら。



「ーーーーー隆…」

「…イノちゃん……」




バンドの爆音のさなかで、ほんの一瞬、耳を掠めた。
艶っぽいイノランさんの声。
聞き違いかと思ったけど、その後に続いた隆一さんの声が。
甘くて、とけそうだった。



後ろを振り向けなかった。
恐れとかじゃなくて、照れてしまって。









帰りのタクシーで、隆一さんはちょっと。おとなしかった。
ぽー…。としてる。
相変わらず、頬は薔薇色で。

こんな調子じゃ、今日はもう作業は無理かな…。って思っていたら。
窓の外を眺めていた隆一さんが、僕を呼んだ。



「葉山っち」

「はい」

「ーーー良い音貰えて、良かったね」

「そうですね」

「帰ったら、早速アレンジしようね!」

「っ…!ーーーそうですね」



にっこり笑顔を向けてくれた隆一さんは、いつものアーティストの隆一さんで。
先程までの甘い余韻は、もう無かったけれど。

僕の耳にいまだ残る、帰りがけに聴いた、甘い声。
照れるから、早く忘れてしまおうと思ったけれど、無理だった。


録ってきた、彼のギターの音色を聴くたびに、思い出してしまうから。






end…⁇ …next→











IR…




葉山っちが、行っちゃった。



「ーー隆ちゃん」

「ん?」

「久しぶり」

「…うん。わりとそうだよね。…一週間くらい?」

「…ごめんな?」

「いいよ。仕方ないもん。イノちゃんもう追い込みでしょ?」

「まぁ…ね」

「…だから今日もここへ来るの…悪いかなって…」

「ん?逆だよ」

「逆?」

「追い込み時期ってさ。ーーこう、視野がどんどん…」

「ああ~」

「最近ずっとスタジオ詰めだったから。ーーーさっきさ、隆ちゃんと葉山君が急に現れた時ね?なんか空気が変わったんだよね」

「そ…なの?」

「うん。濃~い空気が、換気されて軽くなったっていうか」

「換気扇みたいだね」

「そうだな、二人は換気扇」

「ぇえ~?」

「まぁ、それは冗談として」

「ふふっ」

「久々に隆ちゃんの顔見られて良かった。やっぱ落ち着く」

「落ち着く?」

「色々音楽で好き勝手やっても、結局戻る場所は隆ちゃんの隣」

「!」

「俺の原点で、理想で、愛すべき場所だ」

「っ…ーーおんなじ!」

「ん?」

「俺もね?今回欲しかったギターの音。自分で色々やってみたけどなんか納得できなかった。ーーーでも、イノちゃんに弾いてもらったら、やっぱりこれだ!って」

「ーーー嬉しいな」

「だから、俺の中でこうゆうギターの音の原点はイノちゃんだ。理想だし、大好きなひと」

「っ…大好きなひと」

「うん!イノちゃん大好きだよ?」




イノちゃんはギターを置いて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
落ち着くけど、ドキドキする。
やっぱり大好きなんだ。




「葉山君に感謝」

「ふふっ…うん!」

「ーーーホントはさ?」

「うん」

「葉山君になら、言っても良いのかなって、思ってる」

「ーーー俺たちのこと?」

「ん…。だって、俺らの事。ホントに親身になって接してくれて、音楽だって。俺、葉山君の音楽すげえ好きなんだよね」

「うん…俺も」

「そんななのに。しかもユニットのメンバーなのにさ。こんな…結構重要な事黙ってるって…フェアじゃないなって」

「ーーーん…」

「腹ん中全部曝けて接したら、もっと良い音楽…やれそうかなって」

「ーーーーー知ってると思う」

「…だよな」

「多分、言わないだけで。三人での空気、壊さないようにって」

「ーーー」

「ーーーーー言う?」

「…言う?」

「いいよ」

「ん…。俺もいいよ」

「音楽に関しては、三人ともプロだもん。こんな事じゃ揺るがないよ」

「ん。プライベートだって、葉山君なら平気だって思えるよ」

「葉山っちすごいね!信頼されてるね!」

「最重要人物だから」

「あははっ…そうだね!」




俺もイノちゃんも。
葉山っちが大好きだ。
葉山っちが褒められたら、俺も嬉しい。

イノちゃんに抱きしめられたまま込み上がる笑みをそのままにしていたら。
何の前触れもなく。
久しぶりのイノちゃんのキスがおちてきた。




「っいの…」

「ん?」

「だめ…だよぉ」

「いいだろ?ちょっとだけ…」

「ーーーん…」

「葉山君が戻るまで」

「ぅん…ーーーーーっん…」



「っ …ーーーなぁ…隆?」

「ぇ…?」

「ーーー強請って欲しいな」

「?」

「俺の音。欲しいよって」

「ん…っ…えぇ?」

「言ってくれたら、めちゃくちゃ俺頑張るけどな」

「っ…ずるい」

「悪い?」

「~~~っ…」

「ーーー隆?」

「ん…」

「ん?」

「…イノちゃん…」

「ーーー」

「ーーーイノちゃんの音…俺にちょうだい?」



俺の言葉に、イノちゃんは嬉しそうに笑って頷いた。
恥ずかしかったけど。
欲しいのは俺も同じ。
イノちゃんのギターの音色も。
それから…



「イノちゃん…今夜、行っていい?」

「!」

「ーーーいい?」

「ーーーもちろん。おいで?」



嬉しい返事の代わりに、自分からキス。今度こそ止まらなくなって夢中になっていたら。


コンコン。と。


控えめに、ドアの叩く音がした。





end



.
9/27ページ
    スキ