白と黒の羽根の重なる場所で














ふたりの隙間の空気が、ほんの少し特別なものになり始めた頃だ。




ドンドン、



「!」


イノランの家のドアが賑やかにノックされた。
隆一はぎゅっと身体を硬くして、イノランは戸口の方へ視線を向ける。




ドンドン、ドンドンドン



「ーーーさっきの鳥たちの騒ぎを誰か聞いてたか、」

「ーーーーっ…」



ーーー隆一がここにいること。
魔界に天界の者が。
天使が悪魔と共にいること。
それは別に禁忌では無いのだから、構わないのだが。

それでもいい顔をしない者は少なくない。
ひとたび分けられてしまった世界。
世界を分ける壁の意味は大きい。
特に保守的な考えを持つ者は、例えば今隆一がここにいる事を知ったら黙ってはいないだろう。




ドンドン、



「ーーー…」



鳴り止まない、来訪者のノック。
これだけ何度も叩くという事は、それなりの用事があるのだろう。
そうなれば、尚のこと隆一の姿を見せる訳にはいかないとイノランは思った。




ドンドンドンドンドン、




「ーーーーーー隆、」

「っ…ん、」

「せっかく来てくれたのに、会えたのに。…」

「ーーー」

「ホントはもっと、このまま知り合えたらいいんだけどさ」

「ーーーイノラン、」

「ーーーちょっと、今はそれどころじゃないみたいで、」




ドンドン!



「めちゃくちゃ残念なんだけど、」

「…俺が、いきなり来ちゃったから…ごめんなさい!」

「いいんだ」

「でも、」

「いいんだよ。ーーー遅かれ早かれ、俺もそうしてたかもしれないんだ」

「ーーーぇ、?」

「会いたいって思ってた、その気持ちは嘘じゃ無い。世界を分ける壁に、俺は疑問を抱いてた」

「ーーーーー」

「天使と悪魔と。何で一緒にいられないんだって、」

「ーーーーーイノ、」

「俺とお前が、今一緒にいるみたいにさ」




こつん。



「…っ、」


触れ合っていた手を引き寄せて。
イノランは隆一と額を擦り合わせた。
いきなりの間近の触れ合いに、隆一は目を丸くするけれど。

イノランは微笑んでいた。
目の前で優しく笑う悪魔の彼に、隆一は胸がぎゅっと締め付けられるようだった。





「ーーーいいか、隆。今から少しの間だけ、俺の魔の気配をお前にかける。短い時間だけ、お前の白い羽根は黒い羽根に見えるようになる」

「ーーー黒、く?」

「ああ。でもホントに短時間だけしかもたない。お前が空を駆け上がる時間しかもたない。その間に世界樹を伝って天界に戻るんだ」

「ぇ、」

「俺はお前が追われないように何とか誤魔化すから。ーーーわかったか?」

「ーーーっ…イノラン、」



隆一は泣きそうにイノランを見つめた。
出会ったばかりなのに、ここまでしてくれて。
それも有り難かったし、嬉しいし。
ーーーしかしなにより。

もうこれで会えないのだろうか?





ドンドン、ドンドンドン!




「さ、ほら。隆」

「ーーーーーイノラン、」

「隆」

「ーーーーっ…ィノ、」




隆一はふるふると首を振る。
いつのまにか、涙が滲んで。

もう会えないの?と。




「ーーーーーっ…隆」



たった今微笑んでいたイノランは、苦しげに切なげに隆一を呼ぶ。

離れたくない。

そう思うのは隆一だけではなくて、イノランもだった。




「泣くな」

「…ぅ、っ…」

「ーーー頼む、泣かないでくれ」

「ん、」

「隆」




〝最後じゃないから〟



いよいよ隆一の頬に涙が伝うと。
イノランはそう囁いた。




「今度はちゃんと、もっと会えるように」

「ーーー」

「今度は俺がお前に会いに行く」

「ーーーイノラン、が?」

「世界樹の側で。お前に」

「っ…」

「だから待っててくれ。ーーー必ず会いに行くから」

「…イノラ、」




ぎゅっと。
イノランは隆一を抱きしめた。
白い羽根ごと。
両手と黒い羽根で包み込むように。







不思議なことに、ぎゅっと隆一を抱きしめたままイノランが目を瞑ると。
イノランの触れている場所から、真っ白な隆一の羽根は、だんだんとグレーに変わり。そして幾らも経たない内に、イノランと同じように漆黒の羽根に色を変えた。





「ーーーすごい…」



隆一は自身の羽根が変化した事に目をぱちぱちさせて、振り向いては背中を凝視する。
これが悪魔の持つ力なのだろう。
癒しや促進、手助けの能力を持つ天使とはまた違う力。
悪魔は置き換えの能力や、制御や無効化といった力を持っている。





(黒のも似合うな)

(ーーーでも、やっぱり)

(隆は白い羽根がいいな)


くるくると珍しげに背中を気にする隆一に目を細めながら。イノランはそんな風にひとり思う。


しかしゆったりしている暇はない。



ドンドンドン!


外の来訪者は退く気配がない。



(誰だか知らないけどしつこいな、)

(ーーーもしかして、隆がいる事がバレてる?)


だとしたら急がなければならない。
隆一にかけたイノランの魔の気もタイムリミットがある。



「隆」

「ーーーイノラン」

「黒い羽根なら、見つかったとしてもある程度相手を誤魔化せる。今すぐ裏の窓から外へ出るんだ」

「っ…外」

「隆が窓から出たのを見届けたら俺はドアを叩いてる奴の対応をする。その隙に世界樹を伝って天界に帰れ」

「ぅ、うん!」

「ん、」



イノランは隆一の手を引いて奥の寝室へ走った。
そのカーテンの隙間から窓を開けると、もう一度隆一の方に向き直った。
その瞬間、隆一の瞳から涙が落ちた。




「ーーーっ…」

「ーーーーーー泣き虫」

「っ…違、」

「だいたいさ、出会ったばっかなのに何でそんな泣いてくれんの?」

「ーーーわか、ない…」

「ん、俺もわかんないよ」

「ーーー?」

「ーーーーーなんでこんなにお前に惹かれるのか」

「…ぇ、」

「答え出すにも今は時間が無さすぎてまだ上手く言えない。ーーーけど、」

「ーーー」

「次に会う時まで。俺がお前に会いに行く時まで、その答えをちゃんと出しておくから」

「ーーーっ…」

「待っててくれるか?」

「イノ…」

「隆一」

「ーーーぅん、」

「ん、」

「待ってる。ーーー天界に戻っても、毎日世界樹のそばで待ってるから」

「ああ、」



頷いたあと、隆一の潤んだ瞳がイノランを見つめている。
思わず惹き込まれそうになる。
顔を寄せて、触れたくなってしまうけれど。




ドンドンドン、ドンドン‼



それはこんなに騒がしい時ではなく。
密やかな時間までとっておこう、と。

イノランはもう一度ぎゅっと隆一を力強く抱きしめると。
そのまま抱き上げて、窓をくぐらせた。






「行け、」

「イノラン!」

「俺の魔力が切れる前に、上へ行け」

「ーーーっ…はい」

「ん、」

「イノラン、ありがとう!」




ばさっ…


隆一は黒い羽根を羽ばたかせて、世界樹の幹目指し飛んだ。
来る時に遭遇したあの鳥達がそばを通ったけれど。
黒い色の羽根のお陰か、それとも隆一に込められたイノランの魔力のお陰か。
あんなに騒がしく取り囲んで来た鳥達は素通りして森の奥に消えた。



「ーーーっ…ありがとう」


隆一は振り絞る声で、ここにはいない彼に感謝した。
そしてどうか無事であってと祈った。
来訪者と何事も無ければと、それだけを願った。












隆一が世界樹の幹伝いの、世界の境界壁まで辿り着く頃。
漆黒だった羽根は、その羽先の方からだんだんと色が薄れていって。
壁を越えて、いつも葉山と共に観察に訪れる場所まで来る時には、もう元どおりの真っ白な羽根になっていた。




トン。


「ーーーはぁ…」


思わず幹に寄りかかって、そのままずるずると座り込むと隆一はため息ひとつ。
時間にしたらさほど経っていない。
丸一日もかかっていない程の出来事なのに。
まるで何日も魔界に行っていたような、そんな濃厚な時間を過ごしたと隆一には思えた。
自分が壁で分けられた世界について思いを馳せた事や。
行ってみればいいと、壁を越えて魔界へ降りた事。
そこで初めて出会った悪魔のひと。
イノランとの約束。

それを思い返せば返すほど、長い旅に出たみたいに思えてならなかった。






「!」


その時。
ふと、隆一が身動いだ瞬間だ。
座り込んだ隆一の膝の上に、はらり…と。
黒いひとひらの羽根が落ちた。



「…ぁ、」



隆一はそれをそっと取る。
天界の明るい光の中で、その羽根は艶やかに濡れるように黒光りして。
それが誰のものであるか、隆一は頬を赤らめてその名を呟いた。



「ーーーイノラン、」



きっと最後にイノランが隆一を抱きしめた時だろう。
隆一の髪か、それとも羽根のどこかにか。
抜け落ちたイノランの一本の羽根は、隆一にくっ付いて一緒に天界までやってきたのだ。



「ふふっ、」


大切に手のひらで包んで。
隆一は微笑む。
彼のカケラがここにあると思うと、絶対にまた会えると確信できる気がしたから。





ーーー次に会う時まで。俺がお前に会いに行く時まで、その答えをちゃんと出しておくから

ーーー待っててくれるか?




別れ際のイノランの言葉を、隆一は空を見上げて反芻する。



「待ってるよ、イノラン」

「ここで、」




見上げた先の世界樹の葉先には、あのたったひとつの蕾。
実はあの後緩み始めた蕾は、その後もゆるゆるとガクが開いっていって。
中の花びらがほんの少し顔をのぞかせていたのだ…が。




「ーーーイノラン」



出会えたばかりの彼に想いを馳せる隆一は、まだ気づいていなかった。














そして、魔界では。


イノランの家のドアを叩いていたのが、実は幼馴染で。
しかも訪ねてきた理由がなんて事ない。

ちょっと寄ってみたらノックしても返事がない。どうせまだ寝てんのかと思って目覚まし代わりに起こしてやった。

ーーーなんていうものだから。
イノランはジト…と幼馴染の彼を睨むと、追い返し。

やれやれと肩を落として、リビングまで戻ってきた。





「ーーー!」



するとソファーの下の床に、ひとつ。


「ーーー」


それをじっと見つめたまま、そっとそれを拾い上げるイノラン。
真っ白な羽根がひとつ。

誰のものかなんて、わかりきっている。



「隆、」



やけによく泣く天使。
出会えたばかりなのに、イノランの心の真ん中を奪ってしまった天使。



「ーーー隆、」


「会いに行くよ、必ず」



答えをちゃんと用意して、と。
イノランはその真っ白な羽根に唇を寄せた。











隆一が魔界に行って来た、その翌日。


葉山とともに、いつものように世界樹の観察に来た隆一だったが。
驚いたのだ。
二人揃って、感嘆の声を上げてしまった。




「ーーー蕾が、」

「すごい…。ずっと変化なかったのに」




蕾をぎゅっと硬く覆っていた黄緑色のガクがふんわりとほどけて、薔薇か牡丹の花のように重なって。そしてその中心には花びらがのぞいていた。



「ーーー花弁が見える。もうすぐで開花するって事でしょうかね。隆一さん、昨日は何も変化なかったんでしょう?」

「ぅ、うん。観察ノートにもいつもみたいに変化無しって書いたよ」



そうだ。
蕾の変化は無いし、葉山はいないし。
つまらない…と ぼやいていたのは昨日の事。
あの時は確かに緑色のボールのようになっていた蕾だけれど。

変化といえば…

隆一に心当たりがあるといえば、魔界へ行ってきた事しかなかった。
ーーーしかし。



(これと関係あるかわかんないんだけど、実は魔界へ行ってきたの)

(ーーーなんて。…こんな事フランクに言えないよねぇ…)



魔界と関わりを持つことは決して禁忌ではないけれど。
二つの世界の間に張られた壁が、言葉は無くともそれは避けろと言っているのと同じだ。

魔界へ行って、悪魔と出会って。
ーーーしかも。
まだ自分の気持ちにはっきりと答えが出せている訳ではないけれど。
たったひとつの黒い羽根を大切にしてしまうくらいに、イノランという悪魔に心を奪われてしまった事。
付き合いの長い葉山にも、それを全て打ち明けていいものか。隆一は言葉に詰まってしまった。





まだこの先も変化があるかもしれないから、出来るだけ長い時間を観察に充てようと。
隆一と葉山は、途中で時間交代しながらも世界樹を見守ることにした。
日中は二人で。
夜や早朝は交代で。
今まで以上に長い時間をここで過ごすと、隆一は気付く事があった。



「ーーー枝が伸びてる…。葉も、前よりももっと広がった?」



巨大な世界樹ゆえに、その成長がイマイチわからなかったが。
ここ数日の変化はとても大きく思えた。
日に日に成長する。
蕾もどんどん柔らかく開いてゆく。




「ーーーーー何が養分になっているんだろう…?」



根を張るのは魔界の土。
浴びるのは天界の光。
それは以前も今も変わらないけれど。
その質が変化したのだろうか?




隆一は、ひた…と。
世界樹の幹に手で触れた。
ひんやりとした幹の感触。

上を見上げる。
葉の隙間から木漏れ日が光の模様を落とす。

そよそよと天界の風が隆一の髪を揺らすと。
隆一は無性に胸が切なくなった。



(ーーーこんな景色の中で、こんな風の中で)

(あなたにもう一度会えたらいい)



たったひとつの黒い羽根は、隆一の服の胸のあたりにしまってある。



「ーーーイノラン、」



「ねぇ、」



「また、会えるんだよね?」











「イノラン」




魔界の森の道を行くイノランを空から呼び止めるものがあった。
漆黒の大きな翼を羽ばたかせて、器用に木々の隙間を縫って降りてきたのは長身の悪魔だ。

赤い長髪と黒い服。
シルバーの髑髏のリングとクリスタルのチョーカーをかけた彼は、イノラン曰く悪魔中の悪魔…だ。
こんないでたちがよく似合う。
イノランよりも僅かに歳上の彼はスギゾーと言った。





「なに、スギちゃん」


足こそ止めるが、ちらっと一瞥しただけでそう言うイノランに、スギゾーは肩を竦めた。




「用が無きゃ呼び止めちゃいけないのかよ?お前を見かけたから声掛けたの」

「ーーーああ、そっか」



ごめんね。
そう言って詫びつつも、今日のイノランはやけに素っ気ないなとスギゾーは思った。
仲間思いで楽しみたがりで。そんな常のイノランなのに、今はどうしたんだ?とスギゾーは首を捻った。




「なんかあった?」

「え、?」

「イノ。今日なんか考え込んでるみたいに感じるからさ」

「ーーー考え込んで…」

「そう。なんかあるなら相談にのるよ。ーーーまぁ言いたくないなら無理には聞かないけど」

「ーーー…んー…」



スギゾーはじっと待つ。
ゆったり流れる魔界の時間の中で、待つことというのは、さほど難しくは無いが。
気になったのだ。

足元の木の枝を蹴飛ばしながら。
木々の隙間から見える魔界の空を見上げながら。
スギゾーはじっとまっていた。









「ーーーーーうまくまだ考えがまとまってないんだけど」

「?ーーーうん」

「でも。直感で…っていうか、そうゆうので言うとね」

「?…ああ、」






「好きなひとができた」









好きなひと。


そう、言葉にしてみて。
イノランは漸く、そうか…と自分自身に深く頷いた。



好きなひとができたのだ。

それは突然に。
その一瞬前までは、そんな未来を予想すらしていなかった。



(天使なんて、初めて会ったし)

(白い羽根に触れてみて、すげぇ綺麗だと思ったし)

(ーーーあいつも、)

(隆一、も)

(肌は白いし。髪は真っ黒で艶々だし)

(ーーー声が好きだって思ったし)

(可愛いって、思ったし)

(ーーー抱きしめた時、いい匂いが、)

(目眩がするくらい、好きだって…)






「ーーーーーあのー。イノラン?」

「ーーーあ、?」

「ダダ漏れてますけど?ーーー色んなモンが」

「ーーーーーーーーーあ。」




ハッとして、顔を上げる。
そこにはさっきからのスギゾーが。呆れ顔でイノランをまじまじと見ていて。
今までの全部聞かれていたのだと気がつくと。
チッ、と舌打ちをして。
イノランはスギゾーに背を向けた。




「言うなよ」

「ーーーー今の?」

「特にアイツ。バレるとうるさい」

「ああ、J?」

「言うなよ」




絶対、悪い顔しておちょくってくるにきまってる。
そう。ぶつぶつこぼしながら、イノランはもう一度スギゾーに釘をさして去った。









イノランの住む家のそばには世界樹が根を下ろす。
それはもちろんイノランが生まれる前からそこにあったし、あるのが当たり前だった。
幹が太く大きいから、毎日見ていても変化に気がつかない。
葉も、ここからは遠すぎて見えない。
世界樹の枝葉を見るには、天界まで行かなければならないのだ。
そんな、イノランにとって(おそらくほかの悪魔達にとっても)
巨大な景色の一部である世界樹だが。
隆一が去ってから。
イノランは初めて。
世界樹の幹というものに、改めて丁寧に触れてみたのだ。



「ーーー」


樹皮特有の感触。
ザラザラと固く、温もりはもちろん無いけれど。
でも。



「ーーーこのずっとずっと上に、」

「隆一がいるんだ」




悪魔が踏み込めない、天使の世界。
明るい光が射して、世界樹の葉がそよそよと揺れているのだろう。

そこに、隆一がいる。



「ーーー」



魔界と天界と。
境界に張られた壁を越えれば、会えるのだ。



「ーーーーー隆は、来てくれたんだもんな」



よくよく考えたら、なんて無茶をしたんだろうとイノランは苦笑をもらす。
何があるかわからないのに。
もしも魔界に降りて来て、最初に出会ったのが自分でなく他の悪魔だったらどうしていただろう。
ーーー最悪、無事では済まなかったかもしれないし。酷い目に遭っていた可能性だってある。
敵対しているわけではない魔界と天界だが、そこに拘る者も少なくないからだ。




「ーーーーー俺でよかった、」


隆一が初めて出会った悪魔が。
自分で良かったと、イノランは胸を撫で下ろす。



一番初めの悪魔。
一番初めの天使。

それがお互いでよかった。
それって出会う運命だったのでは?とすら思う。





「隆一」




〝世界樹のそばで待ってる〟



「答えがまとまったからさ、会いに行くよ」


隆一が来てくれた道。
それを今度はイノランが。




「待っててな」












この壁が無くなればいいのに…と思う。
そうすればいつだって自由だ。
天使と悪魔が、好きな時に好きなだけ会えるようになるのだから。









「おい、イノ。お前どこ行くんだよ?」



幼馴染であり、腐れ縁であるJが(あの日ドアをドンドン叩いていたやつだ)。
ピシリと身支度を済ませた姿のイノランを見て首を傾げた。
イノランはスギゾーのことを悪魔中の悪魔だと言うけれど。
今のイノランも、それに負けず劣らずきまっている。
黒のロングコートは背中の漆黒の羽根とよく似合う。
レザーのブーツも、サテン地のタイも、ベルベットのハットも。
今のイノランもJに言わせれば悪魔中の悪魔だった。

そんなめかし込んだ幼馴染を見て。
これから何処へ行く気なのか?と思うのは当然で。
それをそのまま問い掛けて返ってきた応えに、Jはまた目を丸くした。






「ーーーちょっと、プロポーズしに」

「ーーーーーーーーーーーーーーは?」

「ん?だから、プロポーズ」

「ーーーーープロポー…」

「そう」

「…って、あの?」

「ーーーそれ以外ないでしょ」

「ーーーってことはさ。いつのまにかお前、そうゆう相手が、」

「まぁね。ついこないだなんだけど」

「ついこないだ?」

「一週間ってとこかな」

「っ…はぁ?一週間⁇プロポーズすんのには早くね?」

「一目惚れだったからね。攫いに行くのも、早いほうがいいでしょ?」

「ーーーまぁ、な?」





仕上げ、とばかりに。クロスのネックレスを着けるイノラン。
そして。




「じゃあ、行ってくんね」

「お、おう!」

「健闘を祈ってて」





















「この蕾って、そもそも何なんでしょうかね」

「え?」




今日も葉山と隆一、二人揃って世界樹を見上げる。
今まで何の変化も無かった世界樹の蕾。数日前からそれが徐々に緩まって葉を広げ始めてきたけれど。
葉山は改めて、この木が急に蕾を付けた事も、急に葉を広げ始めた事も不思議でならなかった。




「だって、世界樹です。ーーーこの木」

「ん、ぅん」

「普通の木とはやっぱり違うでしょう?他の木々とは生きている時間も全然違う。それくらい長生きで、まだ成長を続けていて、しかも初めて蕾をつけた」

「ーーーすごく貴重な瞬間に立ち会えているのかもしれないね?俺たち」

「そうです。だから思うんです。この木に起こる事って、ひとつひとつにちゃんと大事な意味があって、今まさにそんな事が起きてるんじゃないかなって」

「大事な意味?」




頷く葉山を見て、隆一は考える。
確かにそうなのかもしれないと思う。
この世界樹は二つの世界を知っている。
魔界と天界。
悪魔と天使。
二つに分かれてしまっているから、そこに住む者達は互いを知らない。
けれども世界樹は知っているのだ。



「ーーーーー仲良くしなさいって、事なのかなぁ」

「え?」

「ん、世界樹の意味。世界樹が存在し続ける意味。ーーーもしかしてね、唯一二つの世界を毎日見ているのって世界樹だけでしょう?」

「そうですね」

「知らないからお互い一歩踏み込めないだけで。だったら境界の壁を無くして一緒になればいいって。…そうゆう、」

「蕾もそのせいで…?」

「…かなぁ?って思うだけ。だって …ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー怖くなかったもの。…イノランは、」

「え、?何か言いましたか?」



自分に言い聞かせるように呟いた最後の言葉を葉山に聞かれてしまって、隆一は慌てて首を振った。
何となく、まだ打ち明けられなくて。
魔界に行って、イノランと出会った事。
まだ、葉山に言えないでいた。


(…だめだな、俺)

(壁を無くしたいって思ってるのに、葉山っちに打ち明ける事すら出来ないでいる)

(別に悪い事じゃ無いのに)

(魔界に行ったって)

(悪魔のひとに出会えたって)

(ーーーそのひとを、好きになったって)



好き。
その気持ちを再確認したら、隆一の胸はぎゅっと切なくなった。



(ーーー会いたい、)



イノランの顔を思い出したら、急にだ。
今すぐにでも会いたくなって、会えたら早く伝えたくて堪らなくなった。



「…っ…イノラン、」

「え?」

「ーーー会いたいよ、イノラン」

「ーーーーーイノラン?…って、」

「あ、」

「誰ですか?隆一さん」

「ーーーーーっ…ぁ、」

「え、?」

「…あ、」

「隆一さん…?」

「イノラン、は。すごく優しくて、俺を…助けてくれて、」

「ーーー」

「彼…は、」

「ーーー」

「ーーーーーー悪魔の…ひと、だけど」

「…ぇ、」

「俺の、好きなひと」




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