隣同士の音符
優しくしたかった。
強く優しくなって。
君を守って。
君を愛して。
君と笑って。
五線譜の上の、隣同士の音符みたいに。
ずっと一緒に、音楽を。
《隣同士の音符~INO~》
こんな時いつも。
俺は隆しか見えなくなる。
隆の声だけに夢中になる。
周りにはたくさんのひとがいるのに、まるで世界でふたりきりになったみたいだ。
薄暗い客席のシートに腰掛けて。俺はさっきからずっとステージを見てる。
ステージには、リハーサル中の隆。
俺ら楽器隊はもうすでにサウンドチェックを終わらせて、午後からは五人合わせての通しのリハが待っている。
慌ただしく行き交うスタッフ達。
そんな姿を視界の端に捉えながらも、俺の目の真ん中に映るのは隆だ。
どうやら隆はこのライブの為に新しいマイクを見つけてきたようで。一緒に探したというスタッフと共に、何やらあれこれ調整したり楽しそうだ。
さっきまでは談笑しつつ戯けつつな雰囲気が漂ってたけど。
調整が上手くいったのか、急にキチッと顔つきが真剣になって。
リハーサルのはずなのに、聞こえてくる隆の本番さながらの歌声に。皆、一様に作業の手を止めて。隆の歌声に惹き込まれているようだった。
「隆、今日も絶好調だね」
俺の肩をポンと叩いて。
そのまま俺の隣にリラックスした様子で座ったのはスギゾーだ。
前の座席の背凭れに両腕を乗せて、乗り出すような格好でステージを見てる。
「前からもそうだったけど、最近特に思うんだよね。隆の歌、聞くたびにすげえって」
「ーーーうん。俺もそう思うよ」
「イノも?」
「うん」
俺が頷いたのを見て。スギゾーは満足そうにニカッと笑うと。乗り出していた身体を今度は後ろに凭れて。ーーーそういえばさ?…と、俺の方を見て言った。
「イノーーー。このライブが終わったらしばらく海外行くんだろ?」
「ん?ああ、まあね?」
「ソロアルバム制作だよな?…どんくらい行くの?」
「ーーーん。期間は…今のところ決めてないんだよね。まあ、サクサク出来上がれば早いだろうし…ゆっくりだったら…」
「帰りもそれなり…ってことね」
「二ヶ月…それか、もっとかかかるかな…。向こうのスタジオで全部やるつもりだから…かかるよな」
「ーーー音探しの旅か」
「ん…そうだね」
スギゾーもそうゆうの好きだから。楽しんで来いよって、また俺の肩をたたいた。
「もちろん隆は知ってんだよな?」
当然だよな?って朗らかな口調のスギゾーだったけど。俺が返事の代わりに押し黙ると。
ーーーえ…?って顔して、今度は俺の腕をガシッと掴んで小声で言った。
「ね。…まさか、隆に言ってねえの?行くって事」
「ーーーん。…まだ言ってないね」
「なんでだよ⁉言ってやんなきゃだめじゃん!だってお前ら恋人同士なんでしょ⁇」
「うん」
「じゃ、なんで⁇」
「んー…」
「イノっ‼」
「ーーー直前に…言おうかって。思ってる」
「直前⁇」
「ーーー出発の前日とかね」
「遅えっ‼え?って事は今日このライブの後って事でしょそれじゃ隆、なんの準備も出来ねえじゃん!」
「準備って?」
「え…。ん、例えば旅の安全を祈って御守り用意する…とかさ」
「ええ?」
「しばらく会えない恋人を想って物思いに耽るとか!」
「そんな…隆そんな事する?」
「…わかんねえけど…ーーーとにかく!前日なんてだめだ!隆が可哀想だよ。隆がどんだけイノのこと好きかわかってるだろ⁇」
「ーーー」
わかってるよ。
そんなの、隆の態度を見ていれば。
俺を想ってくれる。
その気持ちが、嬉しくて。
隆と愛し合える。その事だけ考えると、嬉しすぎていつも泣きそうになる。
長期会えなくなる事を考えた時だって、音楽の為だけど、やっぱり寂しさは拭えなかった。そして隆も、そうなのかな…と。自惚れかもしれないけど、思った。
ーーーでも。
今回は…
ここまで俺が隆に言わなかったのは。
もちろんライブがあったからってのもあるけど。
ーーーでも、それだけが理由じゃない。
後ろを振り返らない為に。
隆の潤んだ目を見てしまったら行けない気がして。
この日まで俺は、隆に伝えて来なかった。
活動休止の時も、終幕の時も。
俺と隆はいつも側に在ったと思う。
恋人同士になる前から、もともと仲が良かった俺たちだ。
ルナシーが休んでいる間も、お互いのソロ活動にゲスト参加したり、さらには葉山君と三人でユニット組んだり。
プライベートだって、お互いのオフを見つけては度々会っていた。
だからかな。
隆とは本当に、ずっと一緒にいるって感覚があるんだ。
「俺だったら、すぐに教えてさ。別に永遠の別れじゃないけど…しばらく会えなくなるのに変わりは無いんだから。出発前までの時間をなるべく一緒に過ごすけどな…」
スギゾーはガシガシと頭を掻いて。再び背凭れに深く沈むと、今度はじっと。歌う隆を見つめた。
ーーー同情を含ませた眼差しで。
「ーーーそっか」
「うん。」
「ーーー…」
早々に知らされて、出発までの日々をカレンダーの数字を切なく目で追うのがいいか。
想いを巡らせる余裕も無くいきなりその日を迎えて。ひとりになって、ひとりの実感を噛みしめるのがいいか。
ーーーどちらも変わらない愛情ゆえのものとして。
俺が隆の立場だったら。俺だったら…どちらがいいと思うだろうか。
ライブは大成功だった。
俺ら楽器隊は存分に相棒の楽器を鳴らし、隆の歌もどこまでも澄んで響いた。
「お疲れ様ー!」
「お疲れっしたー‼」
打ち上げを終えて、皆な程良く酔いも回る頃マネージャーから声がかかる。
「いつでも出られますよ。準備できたメンバーから駐車場へ」
ひとり、またひとり。
メンバー達は周りに挨拶をしながらマネージャーと共に帰途につく。
ーーーさて。俺もそろそろ準備しよう。
荷物はもう移動用の車に積んであるから、もうすぐに出られる。
…でも。
視線の先には隆の姿。
スタッフと談笑して会釈して。
にこにこして、今日はありがとう!って礼を言ってる。
ーーー隆ももう出られるかな。
しばらくするとスタッフは去って、多分さっきから俺がいるのを知ってたみたいに。隆はパタパタと俺の前に駆け寄って来た。
「イノちゃん、お待たせ!」
「そんな…待ってないよ」
「そう?」
「うん」
手を伸ばして、隆の髪をひと撫ですると。途端にぱあっと、微笑みを見せてくれた。
「ーーー」
「…イノちゃん?」
俺が多分。じっと真顔で隆を見つめていたせいだろう。小首を傾げて、俺を覗き込んでくる。
「ーーー」
「…イノちゃん、どうかした?」
「ーーーごめん、酔ってぼんやりしてた。なんでも無いよ?」
「飲み過ぎ?イノちゃん大丈夫?」
「大丈夫だよ。今日のライブ最高だったから、それにも酔ったのかも」
「あはは!わかる。俺も楽しくって最高で、足元がふわふわしてる」
ーーーああ…。ほら。
やっぱりだ。
早々に、知らせてなくて、良かった。
きっと今回は恐ろしく自分本位の俺。自分勝手で、恋人に優しくないと思う。スギゾーの言う通りだ。隆には大迷惑かもしれないけど。
それでも。
ーーーこんなふうに、にこにこ笑うお前を。一秒だって長く見たい。
後でひとり寂しがるかもしれないお前と天秤にかけても。
やっぱり俺は、今のお前の笑顔の時間を選ぶ。
今夜、俺の家に来てくれるか?
会場を出る前に、そう隆に告げたら。
ぽ…と、頬を染めて。嬉しそうにコクンと頷いた。
マネージャーに隆も一緒に俺ん家に。って言って、二人で車に乗り込んだ。
「お疲れ様でした!ゆっくり休んでくださいね」
「そっちも!どうもありがとう」
マンションの駐車場で車を降りて。
マネージャーに手を振って。
隆と一緒にエレベーターへ。
遅い時間だから誰もいない。
エレベーターに乗り込むと、俺は隆の手を繋いだ。
「っ…」
ぴくっと動いた隆の肩。横目で見ると、その頬はさっきよりも赤い。
ーーー嬉しいって、思ってくれてるのがわかる。
無意識にも隆の赤い唇に目がいって、ごくりと喉が鳴る。
でもだめだ。
今夜は隆に伝えなくてはならない。
寂しがらせるのは覚悟で。全部伝えて。隆からのメッセージを全て受け止めたい。
「隆」
「ん?」
「ーーー今日の歌」
「…うん?」
「めちゃくちゃ良かった」
「ーーーっ!」
「良かったよ?」
「っ…うん」
ーーー優しくなりたい。
もっと強く、優しくなって。
もっともっと、音楽を研ぎ澄まして。
貪欲に、音楽を探して。旅をして。
例えば目を閉じて歩いても。
君の隣で、歩いていられるように。
順番で風呂を済ませて、ここにきて疲れが出てきたのか、隆はソファーでうとうとし始めた。
「隆ちゃん、眠い?」
「え、ううん。平気だよ?」
「ーーー目、半分閉じてたよ?」
「ヘイキだもん!」
「くくっ、はいはい。湯冷めしないうちにベッド行こうか」
「ん…」
隆の手を掴んで、寝室に向かう。
隆の手のひらはサラサラしてて、あったかかった。
暗い寝室にに入ると、俺は小さなライトを灯した。ぼんやりした、あったかいオレンジ色の灯り。
隆の手を繋いだまま、俺はベッドの方に歩み寄る。ーーーその途中で。
「あ。ーーーイノちゃん?」
「ん?」
「ーーーどっか行くの?」
「ーーーえ?」
「スーツケース」
「ーーー」
わざと目に付くように寝室に置いたわけでは無かった。先日ちょうどこの部屋で荷造りしてて、そのまま置いたままにしていたスーツケース。
いつもと違う物があると、気付くもんだ。
「どこか行くの?旅行?」
ーーー数日の旅行にしては大きなスーツケースだなって、隆も言いながら気付いたんだろう。語尾の終わりは、心無しかか細い声だった。
俺は返事をせずに。
ベッドの縁に腰を下ろして、その隣に隆を引き寄せた。
座って、それから上げた隆の表情は。
なんとも言えない、なにも読み取れないカオをして。
それでも俺と交わした視線を、外すことは無く。
俺の言葉を待っていた。
「ーーー期間は決めて無い。二ヶ月か、三ヶ月か…もっとなのか。音楽を探しに。ソロのアルバムを作りに海外に行く」
「ーーーーーいつ?」
「明日」
「ーーー明日?」
「明日。午後イチの飛行機のチケットを取った」
「ーーー」
「ーーーーー隆」
「ん」
「離れてたって平気だよな?なんて無責任に言えないし、俺も言えない。こんなに隆と離れんの初めてだし、どうなるかわからない。もしかしたら隆のカオが見らんないのに我慢できなくて帰国する可能性だって、情けないけどゼロじゃない。こんな前日に…って詰ってくれて構わない」
「ーーー」
「ーーー隆」
「うん」
「ーーーでも。これだけは」
「ーーー」
「隆が好きだよ」
強くなって
優しくなって
もっと研ぎ澄まして
お前と一緒の時間がもっと輝くように
「お前と一緒に音楽するのが、本当に好きだよ」
愛してるよ。
「隆」
「ーーーうん」
「明日。俺は行くよ」
《隣同士の音符~RYU~》
あの後。
セックスはしなかった。
キスも…しなかった。
ーーーううん。
多分…したら。離れられなくなりそうで、触れられなかったんだ。二人して。
その代わりにイノちゃんは、一晩中ずっと布団の中で俺を抱きしめてくれていた。
大好きなイノちゃんの体温。匂い。感触。これが暫くなくなるなんて考えると、頭の奥がキン…として背筋が強張った。ーーーそれくらい、側にいる事が当たり前になっていたんだ。
ライブの疲れもあってか、いつの間にか眠ってしまった俺。よく考えたら、暫くはイノちゃんと会えないんだから。身体を重ねる…まではしなくても。語り合うくらいは…すればよかった。
ほぼ二人同時に目覚めたら、もう朝で。
俺はベッドから出ると、朝食を作った。
「いただきます」
「召しあがれ」
イノちゃんは着替えを終えて、テーブルについた。俺はいつもの皿に卵とサラダを盛って。トーストとコーヒー。これだけ見たら、いつもの二人で過ごした夜明けの朝の風景だけど。
ーーー今朝は決定的に違うんだね。
コーヒーを啜るイノちゃん。
時折、俺の方を見て。微笑んでくれる。
ーーーでも、イノちゃん…。
ちょっとだけ、泣きそうに見えるよ?
「ご馳走様」
「うん」
「美味かった。隆の朝食」
「ん。ーーー向こうでもね?」
「ん?」
「ちゃんとご飯食べるんだよ?」
「ーーーはい」
「コーヒーとお酒ばっかりじゃだめ。不健康になって帰ってこないでよ?」
「もちろんです」
「ん」
「ーーー隆」
「ん?」
「ーーー怒ってる…よな。当然」
「っ…当たり前でしょ?」
「ーーーうん」
「突然過ぎて。旅の安全を祈って、御守りも用意できないじゃん」
「!」
「ーーーなぁに?」
「…や。なんでも」
「変なの」
うっかりするといらない事まで口走りそうで。俺は振り切るように立ち上がって。イノちゃんの食器を持って、キッチンへと逃げた。
合鍵は持っててな?
ライフラインは止めないで行くから、好きな時にここで寛いでいいからって、イノちゃんはジャケットを羽織りながら言った。
「ーーーわかった。俺の別荘にするね?」
「いいよ。隆の居心地良いようにして」
「うん」
ーーー見送りは玄関でするね。
空港までは行かない。
ーーー行けないよ。それこそ、別れ間際になって、いらない事口走りそうだから。
このイノちゃんの空気に包まれた、イノちゃんの家の玄関で。いってらっしゃい…が言いたい。
スーツケースを玄関まで運んで、イノちゃんは靴を履く。その様子を、俺はじっと目に焼き付ける。
俺はさっきから、呪文のように心の中で繰り返している言葉がある。
ーーー永遠じゃない。
ーーーこの別れは永遠じゃない。
ーーー迎える日はすぐに来る。
ーーーだから泣かない。
「ーーー隆」
ハッとして、俯いていた顔をイノちゃんに向ける。イノちゃんは穏やかなカオをして、何も言わずに俺を見てる。
そして。
「行ってくるね」
「っ…ーーー」
踵を返そうとするイノちゃんに。
身体が動いた。
咄嗟に手を伸ばす。
その手はイノちゃんのジャケットの裾を握り締めていた。
「ーーーっ…りゅう」
イノちゃんの絞り出すような声が俺を呼んだ。
…なんだよ。イノちゃんだって我慢してたんでしょ。
それを聞いたら、やっぱりこのまま送り出すなんて出来なくて。
もっと手を伸ばして。
イノちゃんの襟首を掴んで。
顔を寄せて。
「ーーーイノちゃん…」
今までも数え切れないくらいしてきた。
〝いってらっしゃい〟のキス。
ちょっと乱暴だったかもしれないけど。
昨夜キスしなかったから。…いいよね?
「ーーーっん…」
「りゅう…」
「ンっ…ぁ…ーーー…」
「…ん」
ーーーどうか無事で。
元気に帰って来て。
ちゅ…っ…
名残惜しげに離した唇。
一瞬で上気した顔を見合わせて。俺はここで、やっと心がストンと落ち着いて。
色々、言ってやりたい事もいっぱいあったけど。思い切り音楽を楽しんで、無事に帰って来てくれるなら…ゆるしてあげようって思ったんだ。
「ーーーいってらっしゃい」
「ーーー」
「イノちゃん」
「ーーー隆」
「なぁに?」
ーーーちゅっ…
「行ってきます」
バタン。
彼からのキスの後。
閉じる扉。
外には小さくなっていく、スーツケースを引く音。
「いってらっしゃい」
ひとり残った彼の部屋で。
俺はもう一度、呟いた。
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