短編集・1








長かった髪を互いに結い合ったりもしたし。
俺は君が長い髪を振り乱しながら歌う姿が好きだった。

長い髪の隙間から覗く鋭い視線も、黒髪が絡む無駄なものを削ぎ落としたような肢体も。
それはそれは、綺麗だと思ってた。

隆を好きだと思った。



目、閉じて。
触れてもいい?

本当は、そう言いたかった。

ーーーあの頃は、結局それは言えなかったけれど。















《君の前だけ》













しゃきん。

しゃき、ちょき。




「ーーーーー」







ちょきん。






「ーーーま。こんなもんかな?」



ぱっぱと、肩にかけたケープに落ちた髪を払った。
それから手近に置いたタオルで隆の目元や頬に落ちた黒髪の残骸を払う。


そう。
俺は隆の散髪をしてあげた。




散髪ったって、そんな大層なもんじゃ無い。
少し伸び過ぎた前髪を鬱陶しそうに度々手で弄っていたから、じゃあ切ってあげよっか?って言ったのはついさっきのこと。
昼下がりのリビングで、床に新聞紙を敷いて。
そこにキッチンの椅子を置いて。



「どうぞ」


そう言って椅子をすすめると、隆は照れくさそうにちんまりと腰掛けた。







「前髪のカットってさ」

「ぅん?」

「すげぇ責任重大」

「?」

「万が一失敗してもさ、後ろ髪より前髪の方が誤魔化し効かないじゃん」

「イノちゃん失敗すんの⁈」

「しないよ!しない気合いでやるけどさ」

「なぁんだ」

「隆の髪なんだから失敗なんてできるわけない」

「ふふふっ」

「ん?」

「大丈夫。俺はね、」

「ーーー」

「イノちゃんを信じてるから」




お願いします。
そう言って、隆の目の前でハサミと櫛を構える俺に向かって。
隆はぱち…と、躊躇いなく目を閉じた。
唇は微笑みの形で。
長い睫毛が影を落として。




「ーーーーー」


隆の髪に触れる瞬間。
俺は呼び起こされる記憶がある。
それは今に限った事ではなくて。
こんなふうに、無防備に俺の前で目を瞑ってくれる瞬間。


いつも…






















…………………






「隆ちゃんって髪洗い立てってすごく可愛い」

「え?」



時は遡って遡って、ずっと昔の会話だ。
まだお互い長い髪が健在の頃。
髪の手入れが一苦労だった頃。(今思えばよく伸ばしてたなぁって思う)
俺の家に泊まりに来ていた隆が、風呂上がり洗い立ての髪をタオルで拭きながら部屋に戻って来た時だ。
いつもエクステと飾りでぎゅっと編み込んでる隆の髪が、緩くウェーブがかって、乾き切る前の流れる毛束がシャンプーの香りで。
なんてゆうかさ。




「人魚姫みたい」

「に…?」

「ステージメイクしてないと隆ってかっこいいより可愛いって思う」

「ーーーーーそんなこと言うのイノちゃんだけだよ?」



俺の言葉にちょっとだけ呆れ顔の隆。
眉を下げて、唇を尖らせて。
ステージじゃ絶対に見せない、隆のあどけない感じの姿。

隆は肌が白いから、黒髪が映えてすごく綺麗だって俺は思ってる。




「変なイノちゃん」


そう言って隆は、ぷいとそっぽ向いた。



「だいたいね。綺麗とか可愛いとか、それはそっくりイノちゃんにお返しします」

「俺?」

「そうだよ」

「ーーーまた。何言ってんだか」

「だってそうでしょ?」

「ーーーじゃあこれもそっくり返してやる。お前も知ってんだろ?俺がすげぇ口悪くて性格悪りぃって」

「ーーー知ってるよ?最初は知らなくて騙されたけど」

「はははっ」

「イノちゃんが実はメンバー中で誰よりも男で口悪くて怒らすと怖いって」

「わかってんじゃん」

「でも性格は悪いなんて思わないよ?イノちゃんはすごく優しいって思うし」

「ーーー」

「あとね、」

「ん?」

「ーーー実はすごく卑猥でえっちな言葉言うの上手いって知ってるよ?」



当たってるでしょ?って、悪戯っぽく舌を出して笑う隆。
それから再びタオルで髪をぱたぱたと乾かして、もう関心はつけっぱなしのテレビに向かったようだ。
…けど。


俺はそうじゃ無い。
俺はずっと、隆のことを見てきた。
出会ってからずっと。(まだ短いけれど)
メンバー同士という築き上げ始めたばかりの関係が壊れるのを恐れて、溢れそうなのに言えない言葉も、踏み出せない一歩も。
気づかれないように隠してきた。

ーーーだから、そんな言葉を言うな。
隆にしたら何でもない言葉だったのかもしれないけれど。
お前が今最後に言った言葉がどれだけ俺を揺さぶったかわかってないだろう。



あはははっ

バラエティ番組に合わせて軽やかな笑い声が溢れる。
俺に見せる横顔はステージには無い。
メンバー全員が集まるバックステージでも、ここまで砕けた表情は無いだろう。



ーーーなぁ、それは俺の前だけ?



そう問いたかったけど、言えない。

でもさ。
俺は少なくとも、お前の前でだけだよ。
優しいのも、お前の言う卑猥な言葉も。

ーーー触れたいって、思うのも。





「隆にだけだから、」



あははっ…


隆の笑い声が俺の声を掻き消した。
俺の想いまで掻き消されたような気がして、堪らなくなって。




「かして」

「ぁ、」



俺は隆からタオルを奪って。
隆の髪をわしゃわしゃっと掻き回す。



「っ…ィ、」

「ほら。ちゃんと拭けよ」

「んーっ…」

「風邪ひくだろ」

「ーーーーーぁ…っ…」



わしゃわしゃわしゃ

多分。
騒ついた気持ちを紛らしたくて、隆に触れる口実をつくりたくて。
少々めちゃくちゃに隆の髪を拭いていたら。




「ふふっ、」



長い髪の隙間で、俺は見たんだ。
頬を染めて、柔らかな微笑みの唇と。
それから。
無防備に目を瞑る、隆の表情を。

























…………………




「はい、おわりー」



足元には散った黒髪。



「わ、ありがとう!すごい、前髪が目に刺さらなくなった」

「多分、成功」

「多分?」

「いやいや、上出来」

「ふふふっ」

「ん?」

「わかってるよ?イノちゃんが上手にカットしてくれたって」

「すげぇ、俺への信頼」

「だってイノちゃんはなんでもできちゃうもの」

「…そりゃ買い被り過ぎ」

「そっかな。ーーーでも俺は思ってるよ?」

「なに、」

「イノちゃんはメンバーの中で誰よりも男で口悪くて怒らすと怖いけど…」

「はははっ」

「でもね」






ぱさっ。



床にケープが落ちる。
それは隆が両手を俺に向かって広げて…


「ーーーイノちゃん、」


囁くような声で、俺を呼んだから。




「イノちゃんは優しくて、」

「ーーー隆にだけじゃない?」

「みんなにもでしょ?ーーーあとね、」

「うん」



隆の手を掴んで、そのまま。
隆の背を引き寄せて、抱きしめる。
こうして欲しいって隆が思ってるって、今の俺にはもうわかるから。



「…えっちなのも、」

「ーーーーーそれこそさ」

「ぅん?」



縋り付いてくる恋人の身体を愛おしく抱きしめながら。
今はもう短くなった黒髪に指先を埋める。
あの頃も本当はこうしたかった気持ちを懐かしく思い出しながら、隆に触れる。




「っ…ん、ん」

「気持ちいい?」

「……んっ…ねぇ…」

「ん?」

「ーーーする、の?」

「隆だけだから」

「っ…」

「こんなことしたくて堪んないのって」





うるっ…
隆の目が潤んでる。
キスの前、抱かれる前、隆がする表情。
俺はそれが好きでたまらない。
もっと自分の手で乱れる隆が見たくて、触れて、囁く。





「目、閉じろって」

「ーーーっ…ゃ、」

「やなの?」

「っ…じゃ、ない」

「我が儘」

「違っ…」

「ほら」

「イノちゃ…っ…」

「もぅ、」


「ーーーぁ…っ…ん、」




「黙れ……っ…て…」




言葉をもうこれ以上紡げないように。
意味を成す言葉じゃなくて、気持ちを表す喘ぎを聞きたくて。

隆の瞼にキスをして、震える睫毛を愛おしく見つめながら、唇を重ねる。
すぐに深くなるキスに溺れながら早々に隆を床に横たえて。




「ーーーぁ…っ……あ…」



床に散る黒髪に、胸が騒めいた。
あの日の隆の面影を一瞬だけ重ねながら、俺は夢中で隆に触れた。








end





.
7/27ページ
    スキ