歌う、その君は。







その店の存在は、以前から知っていた。
ーーー知っていたと言うか、気になっていたんだ。




仕事でほぼ毎日通る大通り。
その道は店もレストランもたくさん並んで、昼夜問わずいつも人通りが多くて賑わっているんだけど。
その先にある信号がいったん赤に変わるとめちゃくちゃ長くて。
その信号の目と鼻の先にあるスタジオに行くのに、タイミングが悪いってだけでえらく時間をくうから。俺は少し前の横道に逸れて、細い路地を通ってスタジオに行くことが多かった。…まぁ、抜け道ってヤツだよね。
ーーーで、そんな細い路地は大通りに比べるとちょっと薄暗い感じなんだけど。
穴場の隠れ食堂やカフェなんかもあって、なかなか面白い道なんだ。(孤○のグルメっぽいさ)



そんな裏路地。
穴場の店に混じって、ちょっと風変わりな建物があった。
まるでお伽話の絵本の表紙のような細工の施された木の扉。
扉の斜め上にはステンドグラスのはめ込まれたランプがかかってる。
看板らしき物は…見当たらない。と思う。



「バーか何かかな…」


初めはそう思ってた。
だって昼間に通る時にはまず灯りはともっていないし。
ましてや扉も開いてない。
ーーーっていうかそもそも店?ってところも不確かだし。

そんな疑問を抱きつつも。
仕事でそこを通る度にその扉の前では足を止めてしまっていた。



なんでか、気になって。


「それに何だろうな。ーーーいい匂いがするんだよなぁ」


アロマキャンドルでもあるのかな。
その前に立ち止まると鼻先を擽る、甘い香り。
こてこての甘さじゃなくて、爽やかな…洗い立てのタオル?みたいな…
花の香りにも思える。



「昼間開いてないみたいだから、今度夜に…」



スタジオで過ごした後はそのままマネージャーの車やタクシーで帰る事が多いけど。
一度来てみたいって思ってしまったから、近々帰りに寄ってみよう。
そう決めた。





ーーーそう決めた、その当日だ。




「今日の帰りはそのまま別件でレコード会社に寄らないとならないので、イノラン悪いけど、今夜はタクシーでも…」

「全っ然、いいよ!」


なんて事だ。
なんてタイミング。
まるで今夜寄って行ってよって、あの店に言われてるみたいだ。




「お疲れ様!」

「お疲れ!」



マネージャーや仲間と別れて、俺はタクシーを呼ばずにスタジオを出た。

夜の街を歩く。
いつもの大通り。
こんな時間は人でいっぱい。
皆んなレストランや店に行くんだな。

ーーーそして俺も、今夜は足取り軽く道を行く。
ずっと気になっていたあの店へ。



「ホント、なんの店?なんだろう」


美味い隠れ家レストラン?
やっぱりバーかな。
開店していたら、今夜はそこで食事してもいい。

昼間とは雰囲気の変わって見える細い路地。
わくわくしながら、とうとうあの店の前にたどり着くと。




「ーーーあ、」



木の扉に、プレートがかかっていた。



openの文字。








チリリン…。


扉を押すと、ドアチャイムのきらきらした音が響いた。

途端にふわっと香るのは…あのいい匂い。
花の香り。

ーーーでも。



「ーーーーー暗…」


薄暗いレベルを通り越して、暗い部屋。
ーーー入ってよかったのか?
まだ準備中?
そんな事を一瞬の間にあれこれ考えていたら…だ。

奥の方から明るいランプの灯りが近づいて来て、誰かがこっちに。




「いらっしゃいませ。ーーー初めてのお客様ですね?」


ランプを持って俺の前にやって来たのは、スラリとした長身のーーーーー紫色の髪をした青年だった。





「申し遅れました。私はこの店の店主のスギゾーと申します」

「…はぁ、どうも。ーーーイノランです」

「初めましてイノラン様。こちらの店はご存知で?」

「ああ、いえ。前から気になってたんです。ここって何かの店なのかなぁ…って。バーかなんかですか?」

「いいえ、ここはバーではありませんよ。よろしかったご覧になりますか?」

「え?」

「気になられた…というのは、少なからず何かご縁があるのかもしれません。だってあんな胡散臭い門構えなんて、普通は素通りしたくなるってもんでしょう?」

「…まぁ」



(確かに胡散臭い…か。普段の俺ならきっと気にもしてない。気付きもしなかったかもな)


しかしそんな事を自ら言う店主も店主だ。
変な奴…。と思いながらチラリと見ると、このスギゾーって奴はにこにことご機嫌そうだ。




「ーーーで、ここって何ですか?ご覧に…って、何をーーーーー」


「こちらです」




ばさっ。


スギゾーは、手に持っていた灯りをランタンに灯すと。
薄暗がりでもわかる、刺繍の施された豪奢なカーテンを勢いよく引いた。





「ーーーっ…ぅ、わ」


「いかがですか?」



ーーーびっくりした。
カーテンの向こうには別世界が広がってた。
入り口とは違って、明るい部屋。
豪華な装飾の部屋。
至る所にアンティークらしい小物や家具。
アクセントに飾られているのは造花ではない、生花だ。
そして外にまで仄かに漂っていた、いい匂い。
それがここには充満してる。


ーーーけれど。
なによりも俺が驚いた事。
それはこうして見渡すだけで数体?はあるように見える…人形?の姿。
どの人形も綺麗に整えられて、目を瞑って座っている。




「…すごい…ですね。ーーーこれみんな…人形?」

「お気に召しましたか?」

「え、?いや、気に召すっていうか…こうゆう人形をじっと見るの初めてだからさ」

「そうですね。ここに初めていらっしゃるお客様は皆様そう仰られます」

「?」

「まるで人形なんて興味無さそうな方ばかりが、今のイノラン様のように迷い込んでいらっしゃいます。ーーーそして、何故だか出会ってしまうんですよねぇ」

「?ーーー出会う?…何に?」


「運命の、プランツドールと。…ですよ」




ーーープランツドール?…って?




疑問符いっぱいの俺にスギゾーは微笑んで。
一番側に座っている一体の人形を指し示した。


「例えばこの子をご覧ください。ーーーどうですか?綺麗でしょ?」

「ーーーはぁ…。」


躊躇いつつ、その人形を間近で眺める。
よく展覧会のポスターなんかで見るアンティークドールと雰囲気は似てるけど。…なんだろう。
ちょっと違う気がする。
なんかもっと、存在感が…強いっていうか…



「ーーー今にも目を開けそうな雰囲気ですね」

「そう!」

「え?」

「そうなんです。この人形達は生きているんです」

「ーーーーーはぁ…?」


やば。うっかり失礼な反応をしてしまった。
…でもだって、そうなるよな。生きてる…って、どうゆう…



「植物のように生きる人形なんです。見かけは人と変わりませんが、言葉は言いません。けれども感情は人と同じように持っているのです」

「ーーーえ」

「専用のミルクと砂糖菓子だけで成長します。毎日話しかける事で愛情も育まれ、良きパートナーにもなり得るのです」

「っ…ーーー」



開いた口が塞がってない俺に、スギゾーはまたもにっこり。



「けれどもこの子達はみな眠っているでしょう?頬に触っても温もりはまだ感じられません」

「ーーー温もり…?」



側にいる人形の頬に触れると…ひんやり。
ーーーホントだ。冷たい。
目も…どの子も閉じたままだ。



「ーーーーこの人形は、出会うべく運命のひとに出会わなければ一生目覚めることはありません。ーーーそれはつまり、たとえ人間側が気に入っても、人形がその相手を気に入らなければ目覚めないのです」

「ーーー人形が人を選ぶって事か」

「まぁ、そうゆう事になりますね」


ーーー我儘なんだか、どうなんだか。
じゃあ一生このままの子もいるって事か?
ーーーそれもそれで…可哀想な気もするけどな。

だって何も知らずに、ずっとこのままって事なんだもんな…。




「ーーー宜しかったら、店内をじっくりご自由にご覧になってください。お気に入りの子が見つかるかもしれません」

「そう…かぁ?」


だって人形って…。そもそも趣味の範疇外だし…


「コーヒーでも淹れてきましょうか。バーでなくて申し訳ないです。お酒は用意が無いので…」

「ああ、いえ。お気遣いなく」



俺を残して店主は奥へと行ってしまった。
ーーー残った俺は、この際だからと一体一体をじっくり眺めた。

ブロンド、栗色、薄いピンク、緩くかかったウェーブ、ストンとしたストレート。
髪だけでも色んな種類だ。
服装もゴシックなものからカントリー風。和装、こっちも様々。

好きな人は好きなんだろうな。



「ん?」


奥にもう一体ある?

カーテンの陰に隠れて、少しだけ背の高い人形があるように見える。
ご自由にって言ってたからいいか。
そう思って、カーテンをそっと引いた。

ーーーすると。



「ーーーーーあ、」


一体の、人形。
けれどもこの人形は、他の子達とどこか違う。
所謂、他の可愛らしいドレスを着た少女の姿ではなくて。
この人形は黒髪のショートヘアで。
着ている服もシンプルだ。
白いコットンのシャツに赤いロングコートを羽織っている。
ーーーこれは…。


じっと、その人形を見つめる。
俺よりも少しだけ低いくらいの身長。
長めの横髪は頬にかかって、白い肌によく似合う。
伏せた目元には長い睫毛。
薄く色づいた唇。


…なんだよ。


めちゃくちゃ…綺麗だ。


「ーーーしかもこの子…男?」


性別ってあるのかわかんないけど、少なくとも少女には見えない。



「ーーー」


つい、その頬に触れた。

ひや…。

冷たい肌。さっきの子と同じ。
でも…何だろう。


気になる。
惹かれる。
人形なんて興味あるはず無いのに。
そんな事関係ないみたいに、俺の意識は、完全にもっていかれてる。




ほわ…。


「ーーー?」


触れていた頬が、仄かに温もりを帯びた気がした。

ーーーまさかね。ーーーって思っていた瞬間だった。




ふっ…

長い睫毛が微かに震えて。
ゆっくり目が開くのを、俺は瞬きも忘れて魅入ってた。
目が開く。
頬が染まって。


嘘だろ。


人形は俺を見て。
にっこりと、微笑んでいたんだ。










なんて笑顔。
初対面の俺なのに。

どうしてそんなに綺麗な微笑みを向けてくれるんだろう?






「ーーーえ、っと。…君、」


そう言うのでいっぱいいっぱいだった。…情け無いんだけど。

開いた人形の瞳はぱっちりと大きくて。
黒髪によく似合う、ちょっとだけ茶色がかった黒い瞳。
ーーーその瞳が微笑みの形になって俺を見てる。
艶やかな形の良い唇も、弧を描いて俺に微笑みを溢す。

そして白い指先は…ーーー



ぎゅうっ!



「えっ…」




座っていたアンティークチェアから勢いよく起き上がった人形は、その反動で俺の腰辺りにぎゅっと抱きついてきた。

ーーーびっくりなんてもんじゃない。

人形が動いた。マジで動いて…俺に……





「おや、これはこれは」

「⁉」



びっくりし過ぎて人形に抱きつかれたまま動けないでいた俺の背後から、コーヒーの香りと共にのんびりした声が聞こえた。
振り返ると、コーヒーをのせたトレーを持ったスギゾーの姿。
俺の今の状況を見て仰天するどころか、にっこりと嬉しそうに近付いてくる。



「ーーーあの…この人形が、」

「やはり、思った通りです」

「は、?」

「最初に申しましたでしょう?一見、興味の無さそうな方々に限って、フラリとここへ訪れて運命のプランツドールと出会ってしまうと」

「っ!」

「ここへあなたがいらした時からそんな予感がありました。きっと出会って、人形が目覚めるだろうと」

「ぇ、えっ…⁇」




出会う?
運命のプランツドールと?
じゃあこの人形は、俺が運命の相手だと思って目覚めたってのか?

でも俺は、


「人形なんて興味も趣味もないんだけど…!」

「でも綺麗でしょう?」

「うっ…」

「ご覧なさい。あなたにぎゅっとしがみ付く手を。ーーーあなたにだけ向けられる微笑みを」

「ーーーぅう…っ、」

「可愛いでしょう?」




そう言われて。
一回深呼吸して。
じっと、俺に向けられるその瞳に視線を重ねた。
するとそれだけで、この上なく嬉しそうに。
人形は俺の胸に頬を擦りよせた。




「ーーーはぁ…」


「ね?」




「ーーーーー…」


ーーーーーー認めよう。
事実だもんな。
潔く。

初めて見た時から思った。
めちゃくちゃ綺麗だって。
微笑みが、可愛いって。

見惚れたって、認めるよ。


ーーーけど。どうしたらいいんだ?




「ーーー目覚めたって事ですよね。この子は」

「そうですね。イノラン様を気に入らなければ、今こうしてこの子が動いている事はありません。あなたを運命の相手と決めて目覚めたのです」

「…って事は」

「一度目覚めたプランツドールは、もうあなた以外には見向きもしません。あなたにこの子を連れて帰っていただくほかございません。もしもどうしてもそれが叶わない場合は、この子を下取りに出さねばなりません」

「ーーー(…脅しじゃねえかよ…)…俺が購入って事…かな?」

「ーーーーーお話が早くて助かります。下取りに出された人形は人形師によって作り直されるのですが、どうしても価値が下がってしまいますので…」

「価値?ーーーえっと、あのさ。この子って幾らくらいすんの?」

「そぉですね。この子は珍しい男性型のプランツドールでして…。それ故に少々懐きづらい、選ばれづらいという点もありなかなか希望するお客様もいらっしゃらなかったのですが…」

「ーーーめちゃくちゃ懐かれてる気がするけど…」

「惹かれ合うってこういう事ですねぇ。ーーーで、お値段ですが……このくらいかと…。あ、もちろんローンも可能でございますし、少しでしたらお値引きも考えさせていただきますよ。なんでしたら身の回りの品のセット販売も…」



さらさらっ…と手際よく書き示したその値段を見て…

ぶっ飛んだ。

…家、買えねえ?
車も付けて。
なんなら高級車でもいけそうな…。
欲しいなって思ってるギター満載にしてさ。

そんな爽やかに示されても…この値段ってどうなんだ⁇
衝動買いにしちゃ金額がデカ過ぎねえか?
こんなデカイ買い物…フラリと入った店でするもんじゃ…


「ーーーーー…」

くらくらする頭で、ふと、視線が重なった。
相変わらずぎゅっと抱きついている、この子。
もしかしたら、俺が悶々とくらくらしてるって気付いたのかな。
さっきまでの満面の微笑みじゃない、切なげな顔で俺を見てた。



〝離れたくない…〟



幻聴かもしれないけど、そんな声が聞こえた気がして。

くらくらくらくら…。
まだ頭ん中はまとまってないけど。



俺がこの子を引き取らなかったら、この子は下取りに出され…
価値が下がり…
ますますこの先、運命の相手に出会えないのかも知れない。

ーーーって、それもそうだけど…そうじゃなくて。


今この子を引き取らなかったら、もう二度と見られないんだ。
さっき俺に向けてくれた、溢れそうな微笑みを。




「ーーーーーわかったよ。…連れて帰らせてくれ。この子を」


「ありがとうございます‼その決断をして下さったあなたの側にいれば、この子はきっと幸せになれます」

「ーーー自信ねぇって。人形育てなんて初めてなんだからさ」

「大丈夫です。お世話の面では私がサポートいたします。ーーーそれにプランツドールと一緒にいる上で一番必要なものは、技術ではありません」

「え?」

「〝愛情〟です。プランツドールは、愛情を一身に受けて成長します。そのお返しに最上の微笑みをあなただけに向けてくれるのですよ」

「ーーー愛情が受けられないプランツドールは?」

「枯れていくのです。水分をもらえない植物のように」

「ーーーーー」



スギゾーは腰を落とすと、人形に視線を合わせてにっこり頷いた。



「良かったね。このひとはきっとお前を慈しんでくれるよ。ーーー幸せにね」



「責任重大だ…」

「張り合い出ますよ。日々に」

「どうせ身の回りのあれこれも高価なんだろ…。ガッツリ稼がないとなんないじゃんか…」

「やはり思った通り」

「?」

「この子に選ばれたのがよくわかります。優しい方ですね」


「ーーーはぁ…」


まぁ、いいか。
もう今更辞退もする気はない。

それに、コイツを他の奴に渡すのも御免だ。


惹かれてしまったんだ。
もう、完全に。






この子の名前は〝隆一〟です。
誰よりもあなたの側にいたいと、健気に望んで目覚めたプランツドールです。















「ほら、着いたよ」


さて、時間はもう深夜。
目まぐるしい時間を駆け抜けて、ようやく家に辿り着いた俺は…。
いや。
俺たちは。
大量の荷物を抱えて、やっとの思いで玄関をくぐった。



「ーーー歩ける?ゆっくりでいいよ。ーーーここで靴だけ脱いで上がってな」


そして、傍らには…新しいここの住人。
これから一緒に暮らす、プランツドール。


「隆一。…隆、ここは玄関って言うんだ。靴はここに置くんだぞ」


こっくり。

「ん、いい子」



プランツドールは話さない。
声も出さない。…らしい。
らしい…ってのは、ごく稀に例外もあるようで。
突然喋ったり、歌ったりするプランツドールもいるらしい…んだが。



「喋んなくても笑ってくれたり頷いてくれたりするから、意思疎通がとれてる気はするけどな」


にっこり。
ほら、その笑顔でわかる。

まぁ、なんとかなるかなぁ。



「しっかし、この荷物」


足の踏み場も無い。
スギゾーがここまで車で送ってくれたんだけど、車内はもうぎゅうぎゅうだった。
これを開封するんだと思うと気が遠くなる…。

これは隆一の身の回りの品々。
ぶっ飛んだ金額を支払うと言い切って、その上で色々とぶん取って…。オマケで付けて頂いてきた。
隆一の衣類、専用シャンプー、コンディショナー、保湿クリームに、小物色々。
それからこれが重要。



「専用ミルクと…砂糖菓子…か」


プランツドールはこの二つでいっさいの養分が賄えるらしい。
砂糖菓子は甘い花のような香り。食べさせる事で、いい匂いが保てるんだとか。

ミルクの入った瓶を手に持っていたら、隆は手を伸ばして、もの欲しそうな…潤んだ目で俺を見る。
あ、もしかして。



「腹減ってる?」


こくん!


「ハハッ、そっかそっか。OK!」



食器はどんな物でも大丈夫ですよ。
ーーーそぉですねぇ。欲をいえば、あなたの物を使わせてあげると、ぐっと仲が深まるかもしれません。


「ーーー俺のマグカップか。…そうだな」



小さな食器棚には、好きで集めたプレートやカップがちんまりと並ぶ。
普段は黒のマグを愛用してるから、それじゃなくて。
前に良いなって思って買った、白いマグカップ。
シンプルだけど、丸いフォルムが可愛くて。

これでいいかな。


スギゾーに教えてもらったように、人肌くらいにミルクを温める。
ーーーちょっとぬるい?もうちょいかな。

指先でちょんと触れてその指を舐めると、甘い…ミルクの味がした。




「隆、おまたせ。ーーーこれでいいかな」


出来たてのミルクをマグカップに注いで、隆の前に差し出した。
見慣れないマグカップに、一瞬首を傾げた隆だったけど。
中身がミルクだとわかると、パァっと顔を輝かせて、マグカップを受け取ってくれた。


「ーーー初めて作ったから…。どうかな」


上手く出来てるかと、少々心許ない。




ーーー大丈夫ですよ。大切なのは技術以上に、イノラン様の愛情です。



スギゾーの、帰り間際の言葉を思い出す。

愛情。
大切に慈しんであげる事。
誰よりも俺を選んでくれた隆一に。
不器用でも、優しさと愛情を。

ーーーぶっちゃけ、人形育てなんてマジで自信ないけど。


惹かれてしまったから。
俺だけへの、微笑みに。

俺なんかを選んでくれた、綺麗なお前に。





こく、こく、こく。


「お、良い飲みっぷり」


こくこくこく…こくん。


「全部飲んだ?」



コトン。と、隆はテーブルにカップを置いて。
そして、見守る俺に視線を向けると。


にこっ!


「っ…」


ーーーこれだ…。この笑顔だ。
今回はご馳走さまって意味なのかもしれないけど。

馬鹿みたいに満たされる。
あんな大金支払ったのが、なんだか何でも無いように思えてくる。


ご馳走さまと手合わせて、それから…
ぎゅっと、抱きついてくれる隆。

あったかい。
いい匂い。


「ーーーそうか。…あの店で運命の出会いを果たしたみんな…」



ーーー運命のプランツドールと出会うのですよ。


「きっと今の俺と同じなんだな」



大切に、愛してあげたいと思うんだ。





隆との生活も、早いものでもう一週間が経った。
最初は初めての事の連続の毎日に、俺もその都度、慌てたりしてたもんだけど。
一週間という時間をまず共に過ごして、隆の一日の流れというものもだいぶ掴んできたと思う。



「おはよう
着替えて顔洗おうな
髪を梳かして、ミルクをあたためようか」


そんな会話で始まる朝。


「洗濯をしたら、仕事に行ってくるからな
いい子で待ってるんだぞ
危険な事をしなければ、自由に過ごしていいんだから
俺の本でも、ギターでも」


そう言って頭を撫でると、隆はいつも控えめに微笑む。
俺が出かける時は満面の笑みではない。
ーーークッと、寂しさを我慢して、微笑んでいる感じで。


「行ってきます」


玄関まで付いて来る。
靴を履いて、振り返ると。
やっぱり、控えめな微笑みで見てる。


〝ーーー行ってらっしゃい。早く帰ってきてね〟


そんな風に見えてしまう。
切なげで。
俺は毎度、玄関を出るのに後ろ髪を引かれまくる。




仕事中。
音楽に没頭している時はいいんだけど。
休憩中とか移動中とかは、気もそぞろ…
早速、毒されてるなぁ…。










「イノランも、飲んで帰らねぇ?」


仕事仲間に誘われる事もある。
俺も晩酌は好きだから、今までは仕事の後によく仲間と連んで飲み歩いたりしてたけど。
…今はさ。もう…


「悪い。今夜は帰るわ。みんなで楽しんで来て」

「ーーーなんだかイノ、最近妙に幸せそう?」

「え?」

「早く帰るし」

「そっかぁ?」

「カッコよくなっちまってるし」

「ーーーえ。今までカッコよくなかったの?俺…」

「そうじゃなくてさ。落ち着きあるってヤツだよ」

「…」

「ーーーーー恋人?」

「ん?」

「恋人が待ってんだ?」

「違うよ」

「ええー?」

「ーーー恋人ではないよ」


…多分。


時計を見る。
ーーーああ、もう帰って夕食のミルクをあげないと。
きっと腹空かせて待ってる。



じゃあな!って、手を振って。
俺は車に乗り込んで家路を急ぐ。

ちかちかと信号が目の前で赤になった。
あー。ここの信号は長いんだ。
小さくため息をついて、シートにギシリと体重を預けた。




「ーーー」



恋人。
…ではない。…と、思う。
だってそもそも、俺は隆を買ったんだし。
人形として、あの店で眠っていた隆を。



「ーーーーー隆は」


俺のどこを気に入って目覚めたんだろう。

俺はーーー。あれって一目惚れなんだろうか。
一目見て、隆に惹かれた。
あの瞬間、俺は考えてなかった。
人形とか、人間とか。
そんな違いなんて、考えていなかったと思う。


「あの微笑みが全てだよなぁ…」


俺と隆を繋げたもの。
あの、極上の微笑み。
隆がくれる、最高のもの。

じゃあ、俺は?
日々の世話は別として。
俺は隆に何かをあげられてるのかな。


「ーーーほんとに。…俺のどこを気に入ってくれたんだ?ーーーーー隆…」







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