カナリヤ







◇隆






イノちゃんのライブには、今まで何度も足を運んで見に行っていた。

時にはステージ袖から。
時には客席に紛れ込んで。

イノちゃんの根っこに息づいている、ロックな音楽。空気。
会場と一体になって、客席と一緒に音楽を作る。
…時々、客席を無茶に煽って、一触即発な雰囲気になりそうな場面もあったけどね?
でもそれもイノちゃんのライブならでは!それも乗り越える熱量と絆で、いつもライブは進んでいたと思う。


そんなライブとは、ある意味真逆で。
かと言って、根っこの部分は揺るがない。
そんなアコースティックなライブを、ここ数年でスタートさせたイノちゃん。

俺も以前から度々乗っていたステージだったし、大好きな会場だから。
イノちゃんがそこでツアーを組むって話してくれた時は、すごく嬉しかった。

でもね。
遂にツアーのチラシ出来ちゃった!って、出来たてほやほやのカッコいいチラシを手渡してくれたイノちゃんは。
ちょっとだけ苦笑いしながら、こう打ち明けてくれたんだ。




「ここまで決めるまで、実はすげえ悩んだんだ。俺に、あのステージで歌えんのか?って」

「ーーー」

「俺も元々あの会場好きだったし、隆も度々乗ってたしさ。オファーがあった時はめちゃくちゃ嬉しかったし、震えた。身体も気持ちもさ。…ーーーでも、マジで?って…迷ったのも事実」

「ーーーそうなんだ」




チラシを手にするイノちゃんは、晴れやかな顔で笑うけど。
ーーーそっか。
…でも、俺も最初はそうだったかも…。




「ーーーどうやって乗り越えたの?」

「ん?」

「歌うって決めたの?」

「…ああーーーーーー」




イノちゃんはちょっと照れくさそうに笑って、それから今度はニヤリ。



「まずは〝raize〟聴きまくったよね。自己暗示!」

「あははっ」

「でもそれだけじゃないよ?」

「ん?」

「隆ちゃんの事も考えた」

「ーーー俺の事?」

「うん。」

「ーーーーー俺の、なにを?」

「…って言うかね」

「ーーー」

「俺の中に浸透してる隆の歌声…」

「え?」

「俺の歌の基本は、隆なんだ。これは間違いなく言える。ずっと一緒にいて、声を浴びてきて。俺の細胞いっこいっこになってるんだと思う」

「ーーー…」

「意識してるわけじゃないけど、多分…なんかもう自然になんだと思う。歌う事で迷った時、悩んだ時、最高!って思った時。歌ってて、色んな時さ。ーーーなんかね、歌声と一緒に星が…」

「ーーーーー星?」

「そう。星屑みたいな、細かい光がさ。なんかこう、きらきらきらっ…って、歌と一緒に出てくる気がする」

「ーーー」

「多分ね?そのきらきらが、俺が隆にもらった歌に対する…情熱とか。…愛情とか。そんなものの表れなんだと思うんだ」

「ーーーイノちゃん…」

「それがあるから俺は歌える。歌う…原動力になるんだよ?」



そう言って、俺を真正面から見て。
にっこりと、誇らしそうに微笑んだイノちゃん。

そんな事言われて、すごく嬉しかった。
だって俺の歌声と、イノちゃんの歌声が。
細胞レベルで繋がってるって事だもんね?

隔たりの無い。
歌声が俺たちを繋いでくれているって事だよね?


















◇INO





くったりとベッドに横たわる隆は、じっと俺を見つめてる。
剥き出しの白い肩にシーツをかけて、無造作に黒髪が散らばる様は、めちゃくちゃ色っぽい。


涙はもう止まってた。


涙の代わりに、隆は今、薄く微笑んでくれている。
俺はそんな隆がいじらしくて、手を伸ばして髪に触れた。




「隆」

〝ん?〟

「今日はどうしよっか」

〝なんでもいいよ?〟

「どっか行く?」

〝いいよ?イノちゃんと一緒なら〟

「ーーー天気いいしなぁ。ーーー海に行こうか」

〝っ…ーーーうん!〟

「あ。うん!って思っただろ?」

〝わかるの?〟

「なんでわかる?って?ーーーわかるさ。隆の事だもんな」

〝ーーーっ…〟




シーツの上で、隆の手を手繰り寄せる。
重ねて、指先を絡ませた。




「ーーーお前の好きな…海に行こう」




隆の声が、聞こえるよ。
















ザ…ザザン…

ザザ…ザン…





しゅわしゅわ…
波打ち際の、砕けた波の上を。
隆は器用に歩いてる。

履いて来たサンダルは、車の中。
足首が見えるまでジーンズを捲って、足が濡れるのも気にしない。


ここは、通い慣れた。
いつもの海。






「隆」



白いシャツを緩く風で揺らしながら。
隆は海を見てる。

背後から声をかけても、隆は振り返らず。
海を見てる。




ザザ…ン
ザザザ…ザン




ピイ…ピイピイ…



ほら。海鳥も、隆を気にしてるよ?



「ーーーーー」



静かな海だ。
この海岸も、あともう少ししたら。
海で遊ぶ人々でいっぱいになるだろうけど。
不思議と。
まるで隆の為に用意してくれたみたいな、静かな海。

けれど。
隆の声がしない今。
静けさが、寂しい。






「ーーー車を とめて 見つめ合う ふたりーーー」


「!」





つい、口から出た。
これは隆の歌。



〝ーーーイノちゃん…〟

「隆の歌。好きなのいっぱいある」

〝ーーー〟

「ソロも、ルナシーも、ユニットも。ーーー隆の歌うのは、手放せない」

〝ーーーっ…〟




隆の表情が、泣きそうに歪んだ…と思ったら。
崩れるように砂の上に座り込んで。
そして、手近に落ちていた細い流木の枝で。


がりがりっ…


砂の上に、文字を書き出した。





『う た い た い』

『う た い た い』



砂の上に、ぽたん…ぽたん。
涙が落ちて、吸い込まれていく。




「ーーー隆っ…」



隆が泣いている。
ーーー当たり前だ。
泣けて当然だ。

震える背中。
それが堪らなくて、後ろから隆を抱きしめる。



がりがり。がりっ…



「ーーー隆?」



『俺 も 同 じ。 俺 の 中 に』



「隆?」



『イ ノ が い る』



「っ…ーーー」



『あ な た の 音 が 、 溢 れ て る』



「ーーーーーーりゅう…」



『俺 達 は、 と て も 近 い ん だ 』



「ーーー」



『だ か ら 』




流木をカラリと落とした隆は、そのまま向きを変えて。
俺の腕の中で、視線を合わせる。
そして、一文字一文字。
ゆっくり口を動かして。

隆が、俺に言った事。





〝もしもこのまま、俺が声を失くしても〟



「ーーーーーは…?」




〝俺の歌声は、イノちゃんの歌声の中に生き続けるから〟



「っ…ーーーーーーー」




隆の言った意味を理解した途端。

全身の血が、音を立てて逆流した気がした。











「ーーーふざけんなっ…‼」




ごつんっ!
大きな鈍い音は、互いの額がぶつかった音。
隆は痛みに一瞬目を瞑ったけれど、俺は構わず言った。

叫んでやった。




「たった今砂に書いた文字はなんだっ⁉歌いたいんじゃないのかよ‼ーーーもしもこのまま…って…諦めんのかよ!!!!!」

「っ…」

「なんも…足掻きもしないうちから…ーーー諦めんのか!!⁉」



ーーー見開いた隆の目が、絶望に揺れる。隆の頬が、涙に濡れる。
わかってる。
もしも…なんて。そんなの考えたくも無い事だってわかってる。

だって。
隆が歌う事を手放すという事は。
それが、どれほどの意味を持っているか。

そんな事も考えなくてはならない程に。
隆が絶望感を味わっているという事。


だけど。




「俺は諦めないからな。隆がどんだけ揺れたって、俺は絶対に諦めない‼必ずまたお前に歌を歌わせてみせる‼」

「ーーーっ…っ」



どうしたらいいかなんて、正直わからない。
けど。隆の口からは、聞きたくなかった。
口にしたら負けだ。
ダメかもしれないって、言ってしまったら気持ちが負けるんだ。



「隆っ…」



こんな時は抱きしめるばかり。
言葉もうまく見つからない。
俺だって…
もしも隆がこのまま…って。さっき頭を過ったのは事実だけど。




「ーーー隆」


けれどもどうか、伝わって欲しい。
もしも…なんて。
言わないで欲しい。

心も身体も声も。
全部揃えて俺の隣にいて欲しい。



どうか。
ーーーーーどうか。

















◇隆




あの後、海岸で大泣きした俺。
イノちゃんはその間ずっと、背中をさすって抱きしめてくれていた。



泣きすぎて、目も鼻も真っ赤で。
喉の奥はなんだかヒリヒリする。
俺がしゃくりあげて、呼吸が上手く整わなくて。
それでも涙が止まった頃だ。
イノちゃんはそっと抱きしめている腕を緩めて、俺を正面から見つめてきた。




「…ぷっ」

「?」

「ははっ!隆ちゃん、顔ぐしゃぐしゃ」

「っ…ーーー」

「めちゃくちゃ泣いたもんな?」



〝ーーー変なカオしてる?〟



ちょっと恥ずかしくなって、チラッとイノちゃんを見上げた。
涙の跡ですごいカオしてんだろうな…って思ったら。
目が合った途端、イノちゃんは盛大なため息だ。



〝ーーー変なカオしてんだ。…俺〟


やっぱりな…って。
俯いて、唇を噛んだ。

すると。




ちゅっ。


〝⁉〟


唇に触れた。
優しいキス。

完全に不意打ちで、呆気にとられてたら。
今度されたのは、柔らかなキス。
噛み締めていた唇を、舌先で突かれて。
上唇を甘噛みされて、気持ちよくて吐息が溢れた。



「っ…ーーーふ…」


「隆ちゃん…」




ちゅ…っ…くちっ…



静かなキスだけど、濡れた音は雄弁だ。
互いの気持ちよさや、愛おしい気持ちが。キスの音にこもってる。


キスの合間に、切れぎれの呼吸の掠れた声で。
イノちゃんが言ってくれた。





「変なカオなんてしてないよ」

「っ…」

「こんなキスしたくなるくらい、可愛い」



ーーー何言ってんの⁇
…恥ずかしいよ…



甘過ぎるイノちゃんの言葉に、直視なんてできなくて顔を逸らしたら。
ゆるさないとばかりに、顎を拘られて。
再び重なる唇。
舌先を絡めて、イノちゃんの指先が、俺の髪に指先を埋める頃。
朦朧とした俺の顔中にキスを落としなが、イノちゃんが言った。




「俺はずっと、隆にいっぱいもらってきたから。歌う覚悟も、情熱も、愛情も。…俺が歌えない時、歌う事を棄てようとした時…ーーー隆がくれたんだ」

「ーーー」

「だから今度は、俺の番」

「っ…」

「俺が隆に〝歌う事〟を、あげる番だ」




ーーー歌う事。
俺が今、失くしてしまったと絶望している事を…ーーーーーー?

思わぬイノちゃんの言葉に、俺は多分放心してしまっていたんだと思う。
きっと、ポカン…とした俺を見て。
イノちゃんはくすくす笑いながら言った。


「考えてみれば、もうすぐ隆の誕生日だ」

「!」

「だからさ、プレゼントにしよう?」



ーーー今年の誕生日プレゼントは、隆がまた歌えるようになる事。
俺がそうしてあげたい。
…してみせる。



そんな魔法のような言葉。
確証も何も無い言葉なのに、そのイノちゃんの魔法の呪文は、確かに俺の気持ちを上向きにしてくれた。






それから数日後。
相変わらず俺の声は戻らないまま。

イノちゃんの、アコースティックライブの、東京初日を迎えた。
そう。5月20日。
俺の誕生日だ。









◇INO





初日。
俺はライブに隆を誘った。

思えば声が出なくなってから、ずっとずっと気を張ってきた隆だ。
隆も馴染みの、大好きな会場。
ゆっくり食事して、お酒を愉しんで。
俺のステージを見てもらいたかった。



どこで見る?って聞いたら。
隆は、関係者席の隣の、客席の一番奥隅の席を選んだ。
当然、隆の事を知ってる関係者は多いから。(葉山君なんて二人のステージに出てる訳だしさ)

下手に心配させないように。
ツアーで酷使した喉を、少しの期間休ませるように医者から指示を受けた。
だから今日は手振り身振りで赦してね。

そう俺から皆んなに説明した。
皆んなはじめは心配気にしてたけど、隆が美味そうに料理を堪能する姿に安心したようだった。



「隆一さんが静かだと変な感じです」


気遣いを込めて、そんな風に言う葉山君に。


「今だけ。すぐ、賑やかな隆が戻るから」


戯け気味に言った俺に、葉山君はホッとしたように笑って向こうに行った。

ーーー言った言葉は。俺自身にも言い聞かせた切実な願いだ。

隆。…皆んな、隆の歌声が大好きなんだよ?




ヘアセットや着替えも終えて。間も無く会場時間っていう時に、隆が控え室にいる俺の所にやってきた。
客席で見るって言ってたけど、どうしたんだろう?って思って。
控え室用にと持って来て、本番までの時間に弾いていたアコースティックギターをゴトンと置く。

控え室の入り口の所で、ちょっと遠慮気味にこっちを窺っている隆に手招きする。すると隆は嬉しそうにはにかんで、トコトコと俺の側に来た。





「どした?」



隆に手を伸ばして、その手を緩く繋いでやると。
ゆっくりと口を動かして、それから指先で文字を書き示しながら言った。



〝やっぱり ステージ袖で 見ててもいい?〟

「ん?ああ、もちろん!」

〝良かった! ありがとう〟

「じゃあ、もう間も無く会場時間だから、このままここにいなよ」

〝うん〟



隆はにっこり笑うと、頷いて。
それから持っていた鞄から小さなノートとペンを取り出して。
見守る俺の前で、文字を書き始めた。
ーーー時折、逡巡した様子を見せながら。







『イノちゃん あのね?』






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