魔法の言葉











この世界は魔法が満ち溢れてる。


誰も彼も、生まれた時からたったひとつの魔法を抱えてる。
産声をあげるのと同じように。
呼吸をするのと同じように。
この世界での魔法は、生きる要素でもある。









隆一は、いつものように日課である早朝の散歩に出ていた。
目覚めて朝一番の柔らかな太陽の光を浴びる時。
誰もいない早朝の道で、歌を歌って歩くのは気持ちが良かった。
隆一は、一日でこの時間が一番深く深く呼吸ができる気がした。

誰にも縛られない唯一の時間。
自分だけの時間。
自分の為だけに〝歌〟を歌える時間。






「ーーー…もぅ、陽が高くなっちゃった…」



散歩コースである海沿いの堤防に腰掛ける隆一の表情は…どこか晴れない。
どこか憂鬱そうにも見える。

ーーーそう。実際隆一は、今日これからの予定を思い浮かべると。
憂鬱で、苦笑しか溢れないのだった。




「やだな…」



散歩を終える時間。
隆一はいつもそう呟いた。
戻りたくなかったのだ。
自身が身を置く、ある場所に。







「ただいま帰りました」


ーーーと、帰宅の挨拶をしても。
お帰りなさいと、返事は帰ってこない。
白を基調とした広く開放的な大きな建物の玄関に。
ただただ、自分の声が響くだけで。

隆一は小さく肩を落とすと。
それでもそんなのはいつもの事…とでも言うように。
淡々と玄関を通り、その先の階段を登り。
二階の突き当たりの、海が見える自分の部屋へと入って行った。





「♪〜la〜la」



隆一は部屋に入ると歌を口ずさみながら、カーテンを開け、窓を開け放ち。
さっき寝起きたばかりのベッドの縁に腰掛けると…


「ーーーla…♪…」



ぼふん。

少々乱暴な勢いでベッドに横たわった。



「…la la…」


ごろんと、今度は天井を仰ぎ見る。
高い天井は、隆一の歌が高く響くのに適しているようにも思える。
部屋の隅にはピアノもあり、楽器も並ぶ。
まるで音楽をする為の部屋のようだ。

ーーーけれども。
やはり隆一の表情は晴れないまま。






「ーーーーー歌いたい…」

「自由、に」

「ーーー好きな…歌、を」



ベッドに横たわったまま、隆一はぎゅっと目を瞑った。








隆一の魔法は〝声〟だった。

普通に話す分には、何も変わったところは無いけれど。
ひとたび隆一が〝声〟に魔法を込めると、目を見張るような奇跡が起きるのだ。
青空と海の青を映したような美しい宝石。
トロリとして艶やかな、見惚れてしまうような石。
隆一は、それを作り出すことができた。

特に歌を歌って作り出す宝石は独特の色合いをして。
歌の種類、声の出し方でもその宝石の状態が微妙に変化する。



ーーー君の作り出す宝石を全て買い取りたい。
ーーーどうだろう?
ーーー歌う為の最高の環境を用意しよう。
ーーー君の過ごした〝家〟が困窮に困らないような補助もしよう。
ーーーだからどうだろう?
ーーー我が社の専属の歌うたいにならないか?
ーーー我が社…世界にいくつも拠点を持つ宝石商社。
ーーーきっと悪いようにはしない。
ーーー君の持つ素晴らしい魔法をきっと活かすことができる。



隆一は幼い頃ただ一人の肉親と死別した。
以来は成人するまでの間、代わりの育ての親の〝家〟に身を置いたのだ。
そこのひとたちはとても親身に隆一と接していたし、そのお陰か隆一はすくすくと成長していった。

ーーーけれども。
隆一の他にも同じような子供を引き取っていたその家は、決して裕福ではなかったと思う。




「わかりました。俺の魔法が役に立つのなら」



育ててくれた家の助けになるのなら…と。
隆一は、この時迷いは無かった。



知らなかったから。
まだ、この時は。
自由に歌えない辛さが。





用意された自室のテーブルには、毎日のように隆一の作り出す〝宝石〟の依頼書が届けられた。
それは奇跡の青い宝石を求める世界中の取引先からの依頼だった。
初めのうちこそ、自身が作り出す宝石が取引され。そのうちの幾らかが育った家に補助として送られることに喜びも感じていた隆一だが。

いつの頃からだろう。
ーーーもしかしたら、この生活を始めて間もなくだったのかもしれない。
気付いていない振りをしていただけで、感じていたのかもしれない。



宝石を作り出す為の歌が。
宝石を作り出す為だけに歌う事が。

息苦しくて。
窮屈で。
こんなに音楽に集中できる筈の環境が、不自由な檻の中のように思えて。
決めたのは自分自身のはずなのに。
辛くて。
一旦、辛いと思ってしまったら。
もう、どうしようもなくなってしまった。







「思っていたのと色合いが違うと言われて返品されてしまったそうだよ。隆一」



夜。
食事を終えて自室へ戻る途中の隆一を、隆一専属のマネージャーが呼び止めた。
難しい顔をして書類の束を見やるその彼は、そのまま剣呑な視線を隆一に向けた。



「すみません…。」


こんな時は、ただ謝るしかできない。
そもそも魔法で作り上げる宝石は、人工的に熱を加えて色を入れる手法の宝石とは違う物だ。隆一の声で青く色付く宝石はひとつとして同じ色合いは生まれない。
海底を揺らぐ深い青もあれば、太陽の光を浴びて揺らめくネオンブルーもある。
そんな不安定な青い色彩が逆に魅力的な隆一の声の宝石なのだけれど。
時折こうして、その魅力に気付いてもらえない事もあるのだ。


「またすぐに作ります。そのお客様の希望のデータをいただけますか?」

「ここに持ってきた。そうしてもらえると助かる」

「はい…」



じゃ、頼んだよ。

それだけ告げると。
マネージャーは背を向けて去って行った。








ぼふん。


電気もつけず、隆一はベッドに身を沈めた。



「ーーーは…ぁ、」


ため息がでた。
それから、疲労からか、目を瞑る。
今日は朝の散歩から帰ってから夕方まで。
幾つもの依頼をこなした。
歌を歌って。
宝石を生み出す。
青い石が、幾つも幾つも。
コロン…コロン…と、転がり落ちる宝石が。
今ではもう、義務のように歌う隆一の。
涙のようで。
隆一には、もう自分の生む青い宝石が。
綺麗だなんて、思えなくなっていた。







「ーーーまだ、寝られないや」


無理矢理目を開ける。
さっきの、作り直しの宝石の仕事があるから。
マネージャーのあの様子だと、明日に持ち越すのは許されないのだろう。
隆一の宝石の評判が上がれば上がるほど、マネージャーや取締役の対応は、厳しくなった。
ビジネスだから仕方ないのかもしれないが。
知れば知るほど、辛くなるから。
もう、その部分には、蓋をして。
機械的に、歌う事だけに集中して。
ーーーいっぱいいっぱいだった。








「ーーーla…la la…a…」



唇を零れだすのは、掻き消えそうな歌声。
今にも泣きそうな、震える歌声。

ーーーけれども、今隆一が歌いたい、心から自由な歌。



「…la…a…la la……a……っ…ぅ、」



いつのまにか、目尻を伝う涙。
混じる、堪えた嗚咽。


「っ…ふ、ぅ」



間違っていたのか?
あの時、この道を選んだ自分が。
自由に歌えない。
それが、こんなに辛いなんて、思わなくて。
歌う事が何より好きな自分が。
何を差し置いても、この選択だけはするべきじゃなかったのかもしれない。








ーーーじゃあさ、飛び出しちまえよ。そんなとこ。



「…ぇ、?」



ばっ、と。
隆一は暗い部屋で起き上がる。
空耳?
誰かの声が聞こえた気がした。



「ーーー気のせい?」



辺りを見回す。
けれども、考えてみれば誰もいる筈ないのだ。
この会社にとって大切な存在の隆一の部屋に、部外者が入れる筈…





「気のせいじゃねぇよ」


「っ…」

「魔法はさ、この世界にはそりゃあ星の数ほどあるだろ?」

「ーーーだ、れ?」

「こんなセキュリティ、なんでもない奴だっているんだぜ?」





さぁ…


「ーーーぇ、」


窓は開けていないのに、カーテンが揺れた。
外の涼しい風が隆一の頬を撫でた。

月明かり。
その眩しい金色の明かりに隆一は目を細めると。
そこに、見たのだ。

誰かの、シルエットを。











「……誰かそこにいるの?」



電気もつけていない暗闇の室内。
そのシルエットだけを浮かび上がらせる月夜の元で。
隆一は目を細めて懸命にその姿を見ようとした。

外から流れ込む涼しい風が、そこにいるらしい人物の髪を揺らす。
その途端に、隆一の鼻先をいい匂いが掠めた。
煙草と、フレグランスの匂い。



「ーーーだれ?」


隆一は、もう一度問い掛けた。
この部屋に部外者が簡単に入れる筈がない事は隆一にもわかっていた。
この大きな社屋内にも当然ながら魔法を使える者は大勢いたし。
セキュリティの魔法を得意とする者も常駐していたからだ。
(隆一が息抜きの散歩に出る時も、監視の魔法は常に付き纏っているし…)

だからこそなのだ。
そこに誰かがいるのが不思議。
さっき言っていたように、セキュリティを無効にする魔法が使えるのだろうか?



暗がりの部屋で。
とうとう隆一が電気のスイッチに手を伸ばそうとした瞬間。
そこにいる者が、穏やかな声でそれを止めた。



「ーーーちょっと待ってな」

「え、?」

「ん、と。ーーーほら、いいか?」



しゅっ


小さな火花が散って。
その小さな火が消える前に。
その者が火を移したのは、どうやらキャンドルのようで。
甘く柔らかな香りが辺りに漂った。



「ーーーわ、いい匂い」

「でしょ?俺のお気に入りのアロマキャンドル。お前にプレゼント」

「っ…あ、ありがとう」

「どういたしまして。せっかくのいい月夜の、初めての出会いだからさ。電気よりもこんなあったかい灯のがムードでるじゃん?」

「ム…ムード?」

「そう。俺と、お前の。なんかイイ感じのさ」

「ーーーぷ、」

「ん?」

「くっくっ…ふふふ」

「ーーーお、笑ったー」

「あはは、だって…なんか可笑しいんだもん」

「可笑しい?」

「だって、あなたと俺。まだ出会ってすぐで、名前も知らないし、顔もまだ全然見えてないのに」

「ーーー」

「ーーー不思議。なんでだろう?ーーー好きになってしまったみたい」




つい、言葉に出てしまった。
言って、すぐに。
隆一は、あまりにいきなり過ぎる事を言ったと、猛烈に恥ずかしくなった。
ところが…だ。



「同じ」

「ーーーえ」

「俺がただの通りすがりの偶然でここに来たと思うのか?ーーーこんな、魔法に囲まれてる、忍び込むにはリスクだらけの鉄壁の部屋にさ」

「ーーー」

「まぁ、俺の魔法があれば容易いけどな?」

「ーーーなんで、そうまでして…」

「言っただろ?同じって。好きになった。会いたいと思って、ここへ来た」

「ーーーっ…」




その人物は、窓のところからゆっくり隆一の側まで来ると。
ポケットを探って、その手の内の物を隆一に見せた。



「あ、」


「わかるか?ーーーこの青い石」



見せられたのは、ペンダントのトップ。
アクセサリーとして加工されているけれど、それは確かに…


「ーーー俺の、作った」

「そう。この宝石と出会ったのは偶然だったけど。ーーー見た瞬間から、気になって仕方なくなった」

「ーーーなに、が?」




「なんて悲しい色した宝石だろう…って」







悲しい色の宝石なんて、隆一は今初めて言われたけれど。
たった一度聞いただけなのに。
否定のしようもないくらい、納得している自分がいる事に気付いた。




「ーーー」


手のひらの上の青い石を見つめたまま黙りこくってしまった隆一に。
その人物はぎゅっとそれを握りしめると再びポケットにしまいこんだ。
そして隆一に言った。



「まずさ、自己紹介と、顔合わせ。しない?」

「あ、」

「それからだ」



隆一にプレゼントと言ったキャンドルを、二人の間を灯すように持った。
ほわ…としたあたたかい光が互いの表情を映し出す。
ーーーそういえば顔を見る前に好きになった…なんて呟いてしまった事に改めて照れたけれど。
ちらりと、思い切って顔を上げて。
隆一は目の前にいる人物と視線を合わせた。



「ーーーっ…」

「ーーー」


(綺麗な黒髪)

(透けるみたいなきらきらした髪…)

(濡れてるみたいな瞳)

(優しい目)

(可愛い)

(格好いい)


一瞬の間に、互いが抱いた印象。
表の反応はそれぞれ多少違えども。
この時二人は、同じ事を思っていた。



〝やっぱり好きだ〟

〝やっぱり好き〟



ゆらゆら揺れるキャンドルの火はその瞳を潤ませて。
重ねた視線は、離せなくなっていた。










「俺はイノラン。お前は?」

「り…隆一」

「隆一か。じゃあ、隆って呼ぶ」

「いいよ?ーーーじゃあ、俺は…」

「ん、」

「イノちゃん…」

「!」

「…って、呼んでもーーーーーいい?」

「いいよ」

「うん、」



自己紹介の、基本中の基本。
名前を教え合って、呼び名を決めて。ーーーたったそれだけなのに、



(…やば)

(……ど、しよ)


鼓動が忙しなくて。
ばかみたいに、どきどきして。
初めて会ったひとなのに、不思議だった。




ーーーしばらく無言で見つめ合っていた二人だったけれど。
最初に動いたのは、イノランだった。



「ーーーあのさ」

「え、?」

「さっき…泣いてただろ?」

「ーーーあ、」

「声、抑えてさ」

「…ぅ、うん」



躊躇いつつ頷く隆一。
そんな隆一に、イノランはがしがしと頭を掻いて。
詳しく訊いてもいいか?…と、優しく問い掛けた。




「ーーー俺のこと…?」

「ああ、」

「ーーー」

「力になりたいから」






キャンドルの灯りに照らされて。
隆一は、ぽつりぽつりと、イノランに話して聞かせた。

今自分が、ここにいる理由。
そして今、考えること。
自分にとっての大好きなことに、自由がないという事が。
それがどんなに辛いか。
たとえそれが、自分にとってとても重要な事との引き換えだとしても。
その辛さを前にしたら、当初の思いなんて。
たちまち脆く砕けてしまう事を。





「ここへ来たのは、間違っていたのかもしれない」

「ーーー」

「最初の頃はあったんだ。正義感みたいな、お世話になった場所を俺が守れるんだっていう。そんな思い」

「ーーー」

「嬉しいって、思ってもいた。俺の魔法に価値があるって言われたような気がして」

「ーーー」

「歌うのは大好きだから。その大好きな歌を歌って、価値のあるものが生み出せるって」

「ーーー」

「…でも、そもそもそれが間違ってた。だって魔法って、そうゆうものじゃないんだよね」

「ーーー」

「誰一人として全く同じ魔法力は持たない」

「ーーー」

「唯一無二の奇跡みたいなものだよね」

「ーーー」

「その奇跡の結晶に価値をつけるなんて」

「ーーー」

「最初に気付けなかった、俺が悪い。今の俺の状況は、自業自得なんだ」

「ーーー」

「ーーーーー…」



自嘲気味の微笑みを浮かべた隆一は。
そこでまた、自業自得なんだよ、と。呟いた。

イノランはいつの間にかポケットに突っ込んでいた手で、その内にしまった青い石をもう一度取り出した。
キャンドルの光の中で、手のひらに転がした青い石を眺めた。
青い透き通った石の辺が、ちらちらとオレンジの火で揺れる。
それを見つめて、イノランは思う。


寂しそうな、どこか無機質な青い石は。
それでもこうして、光という温もりあるものと共にあれば艶を取り戻す。
それと同じに、この青い石に込められた、隆一の辛さや苦しさは。
補って、寄り添って、埋めてあげればいいのだと。




「俺はこの青い宝石に惹かれたんじゃない」

「ーーーぇ、?」

「この石の向こう側にいる、お前に惹かれた」

「ーーー」

「価値があるとすれば、宝石にじゃなく。俺にとっては、お前」

「っ…」

「一緒に行こう」

「ーーーい、く?」

「そうだよ」

「っ…どこへ」

「ーーーどこ?…そうだな」

「…俺はここから出られないよ」

「ーーー」

「契約がある。一番強力な、契約の力を持つ…あのひとの魔法で」

「ーーー」

「監視の魔法もかけられてる。ーーー」

「隆はさ」

「?」

「じゃあ、もう歌いたくない?ーーー自由に」

「え、」

「俺はできるんだ。隆が一番に望むものをきっとあげられる。契約とか、監視とか。そんな魔法は俺の手にかかれば何でもない。ーーー後は隆がどっちの手を取るかだぜ?」

「手…」

「ーーーその。聞いただけでいけ好かねぇ奴の手か」

「ーーーっ…」

「俺、か」





一瞬躊躇って、彷徨った指先は。
次の瞬間には。


さらさらして、あたたかい。
初めてこうして繋ぐのに。
不思議な程に馴染む。

今日初めて出会った、イノランの手を。
ぎゅっと。





「ーーー行きたい」

「ーーー」

「あなたと」



「ん。」


「イノちゃん」



「いいよ、了解!」





未練のある手荷物など何も無かったから。
別れの挨拶をしたいひとも、ここにはいなかったから。

ーーーただ。


一度繋いだイノランの手を、隆一はするりとすり抜けて。
さっきマネージャーから受け取った、顧客資料を手に取って。

目を閉じて。



「最後の…仕事」

「ん?」


イノランが見守る中で、魔法力を込める。
その様子を見ただけで、イノランは全てを悟って。
苦笑を浮かべて、呟いた。



「お人好し」



隆一は、作り直しの宝石の仕事だけは終えてから…と思っているのだ。
返品したという客には、例えどんな理由があれ。
受けたからには、望む形の宝石を届けるのが筋だと。


イノランは。
ただただ、今は見守った。
それに見てみたかったから。
隆一が、どんなふうに宝石を作り上げるのか。
〝声〟という形なきものが、どうして見える物になれるのか。

それが、隆一の持つ魔法なのだろうが。






歌が聞こえる。
隆一の、歌。
これはもう魔法が込められているのだろうか?


(すげ…。惹き込まれる)

(なんて…歌声)

(それに…ーーー隆)



イノランは、目を見張った。
声の宝石というくらいだから、てっきり声そのものが物質化するのかと思いきや。
それは、声が宝石になるのではなく。



(…涙?)



歌い、情感に溢れた隆一の表情。
ーーーその、白い頬を。
一筋の涙が、隆一の瞳から零れ落ちて。


ころん…と、球形に滑る瞬間。
白く、青く、光り輝いて。
絨毯敷きの部屋の床に、ぽとん。
落ちた。




青い宝石。




それが隆一の魔法だった。






テーブルの上に顧客資料と、作り上げたばかりの青い宝石を置いた。
生まれたばかりこの石は、まだ研磨や装飾はされていない状態。
それでも艶を帯びた青い石は、初めて見る者を圧倒的に魅了する。

ーーーしかし。
イノランの目には、やはりどうしても。
美しいけれど、悲しい。
そう見えてならなかった。






「隆は十分にここまでやってきたんだろ」

「ーーー…かなぁ…?」

「お前の人生だ。こっからは、」

「ーーー」

「自由になるんだ」




傍らの隆一の手を、今度はイノランの左手が引き寄せてぎゅっと繋ぐ。
そして、もういいか?という視線を向けて、こくん…と隆一が頷いたのを見届けると。

部屋の大きな窓の前に立って、空いた右手をガラスに翳す。
その様子を見た隆一は、一瞬躊躇った。
壊そうとしているのか…?と思ったから。
窓ガラスには監視の魔法がかけられている。
少しでもガラスに傷がつけば、たちまちそれが発動して、連動している契約魔法も動き出す。契約の魔法に縛られれば、あっという間に動けなくなるだろう。
隆一はそれを恐れた。



「っ…イノちゃん」

「ん、」

「ーーー俺、色んな魔法が…かけられて…」

「大丈夫」

「!」

「まぁ、任せとけ」

「っ…ん、ぅん」

「隆が今する事はひとつ」

「な、なに⁇」


「俺から離れんな」




え?と、隆一が目を見開いたのと同時だった。
イノランの手が、その指先から。
ス…
ガラスを通り抜けたのだ。


「わっ…」


通り抜ける瞬間は、全く痛みも抵抗感も無い。
まるで水面に手を入れる様に滑らかな感覚。
時間にすればたった数秒の事だろう。
ハッと気付いた時にはもう窓の外。
しかも隆一に取り巻く魔法は動き出す気配はなく静かなものだった。


「ーーー…すごい」


隆一の髪が夜風で揺れる。
それが間違いなく、隆一が今外に出たという証。
目の前のイノランは、そんな隆一を見つめて微笑んだ。



「俺の持つ魔法はさ。〝無効化〟」

「っ…無効化」

「どんな魔法も、逆の力を流し込んで無かった事にできる。そんな力。ーーー割と便利でしょ?」

「すごいっ…。そんな魔法は、誰もが持てる力じゃないよ!…特別な…」

「それで言ったら、隆の魔法だってそうだよ。特別な魔法だ」

「違うよ」

「そうだよ」

「違う。ーーー俺のは、そんなんじゃない」

「ーーーーー俺にとっては。…そうなの」

「え、?」

「さっき初めて見せてもらった。隆が魔法使うところ。ーーーあれさ、」

「ーーーうん、?」



きゅっ?と、隆一は首を傾げてイノランを見た。
それを見て。
言いかけた言葉を、思わず飲み込んだ。



(ーーーっ…くそ。…こんな至近距離で)

(…そんな目で見んな)



必死に抑えた熱くなってしまった気持ち。
だってまだここは、窓の外に出ただけの場所。
まだまだ安全とは言えない。
隆一にかけられた全ての魔法を解除して、さらに念押しの不可視の魔法を隆一にかけなければならない。
もう二度と隆一が追われる身にならないように。
ここで隆一と関わった全ての人間に、隆一の姿が見えなくなる魔法を。



(ーーーまずは、ここから離れるのが先)

(そのあとだ)



(ーーー俺はもっと、隆一の事が知りたい)




ぎゅっと、今度は手だけじゃなく。


「ーーーイノちゃん…?」



隆一の身体を、抱き寄せた。






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