鏡の国の隆一





鏡の国はあべこべだって。
そうゆう物語とか、よくあるよね。

実際そんな、鏡の中に入れるなんて思ってないけど。
…一応、ね?
俺たちの仕事って創作が根っこにあるものだから。

そんな夢みたいな事も、もしかしたらもしかして⁇…なんて、想像を広げてみたりもするんだ。











「このスタジオ久しぶりだね!」

「な。もうどれくらい振りだ?…二十数年は」

「うんうん!昔はよく来てたよねぇ」



さてさて。
今日の俺とイノちゃんはどんなかって言うと。
郊外にある、とても久しぶりのスタジオに足を伸ばしていた。

昨夜このスタジオで録った昔のアルバムをイノちゃんと聴いていたんだけど。
久しぶりに行ってみたいねって。
どうする?
明日空いてたら行ってみる?って言い合って。
試しにイノちゃんが電話で聞いてくれたら部屋が空いてる事が判明!
急に決まった明日の予定にワクワクしちゃって。

明日はお気に入りのギターを持って、二人でスタジオに赴く事になったんだ。





ちょっとレトロな雰囲気のスタジオ。
到着すると、あの当時の事が急によみがえってきた。

懐かしいねって言いながら、早速中へ。
中へ入ると当時と全然変わってない!
防音の部屋が数個並んで、その奥にはピアノの部屋。
そしてこのスタジオの目玉⁇
ここのオーナーのコレクションが詰まったおもちゃ箱みたいな部屋。
ギターたくさん。ベースたくさん。オーディオ機器たくさん!
それから国内外のアーティストのポスターが壁いっぱいに貼ってある。



「うっわ、相変わらず」

「ーーーあの頃より増えてない?」

「壁の色がわかんない」

「あはは!」



いいよね。
こんなスタジオが堪らなく楽しくて仕方ない。






「さて、隆ちゃんなに演る?」

「うーん、そうだね」

「どうする?今日ここで一曲作ってく?」

「いいね!」

「いいよ。ーーーん、じゃあ、取り敢えず思いつくままに」

「弾いて?…俺も歌う」

「うん」



イノちゃんはゆったり椅子に腰掛けて。
組んだ脚の上にギターを抱えて自由に弾く。
俺はそんなイノちゃんの向かいに座って、ギターの音色に合わせて思いつくまま歌をうたう。〆切も制約も何も無い、こんな自由な音楽の時間。

ーーーなんて贅沢な時間だろう。
ーーーなんて幸せな時間だろうって思う。



「えへへ」

「ーーーん?なんだよ」

「ん?ううん」

「気になる」

「いいの!」



照れくさくなって、誤魔化すように首を振ったら。イノちゃんは意地悪そうにフッと笑うと。持ってたギターを置いて、そのまま俺をつかまえた。



「ーーーんっ」

「白状しないと…」

「え…?」

「泣いても離さないぞ」

「っ…」



おでこゴッツン!
痛った…ぁ。思わず目を瞑ったら、次に触れたのは唇だった。
触れ合えばすぐに馴染むこの唇を知ってる。
もう何度もしてるのに、飽きる事は無いイノちゃんのキス。

ーーーあのアルバムを作ってたあの当時は、こんな未来を想像もしていなかった。
もちろん想いは秘めていたけれど。
ーーーまさか、さ?



「っ…ん、あのね?」

「うん?」

「ーーー贅沢で…幸せって思ったの」

「ーーー」

「ここで。イノちゃんと二人きりで音楽ができて」

「ーーー隆」

「イノちゃ…っ…ーーーんっ…ん」



溺れる口づけの、その頭の片隅で。
そういえばこのスタジオに言い伝わる話があったな…と。
なんとなく思い出した。

ーーーなんだっけ?

ーーー確か…確か…ーーー


ーーー…鏡…が?




「隆、こら」

「ん、え?」

「ーーー集中しろって」

「集…ちゅ?」

「そうだよ」

「ーーーえ…ーーーぁ…あっ」



ペロリと舌を這わされた首筋。
背筋に快感が走って、思わずイノちゃんに縋り付いた。

ちょっと、音楽しにきたんじゃないの?
…って思ったけど。
ーーーいいや。だって幸せだから。





ーーーーー鏡…。

ーーー鏡。



霞む理性の向こう側で思い浮かぶのは。
ずっとずっと昔に聞かされた。
鏡にまつわるお話だった。


オーナーのおもちゃ箱みたいな部屋の。
ワクワクするような色んな物に隠されるように、その鏡はあった。





「ーーーっ…は…ぁ」



結局。
…こんなところで抱き合ってしまって。
音楽しにきたつもりが、やっぱりこの結末。

もぅ!
…って、ちょっとだけ恨めしげにイノちゃんを睨んだら。
イノちゃんは苦笑を浮かべて俺の乱れた服を直してくれて。



「ーーーなんか買ってきてやるよ。飲み物」


喘ぎ過ぎて掠れてしまった俺の声を聞いて、イノちゃんは俺の髪をくしゃっと撫でて。ちょっと待ってな?って、席を立った。

パタン。
スタジオの部屋のドアが閉まると、俺はホッ。



「ーーー…」



そっと胸に手を当てる。
いまだ気怠さが残る下肢。
さっきまでドキドキと壊れそうだった鼓動は、やっと落ち着いた。



「ーーーイノちゃんに抱かれたら、いっつもこうだ」



気怠さも、彼との事を思い出せば自然と顔が緩む。
好きだなぁ。
幸せだなぁ…って。
改めて実感できるんだ。


「っ…」


ついつい気持ちが入り込んで、顔が熱くなる。
ーーーだめだ!
早く顔を元に戻さないと、帰って来たイノちゃんにまた茶化されちゃう。

〝隆ちゃん、ひとりでナニ考えてたの?〟
〝顔。…めちゃくちゃ緩んでるけど?〟

…とかさ。


俺はぶんぶん首を振って。
気分転換に、そう言えばって思い出して立ち上がった。


…そう。
ずっとずっと以前に聞かされた、このスタジオの…鏡の話。
実はまだ全部思い出せて無いんだけど、その鏡を見れば思い出せる気がする!



「ーーー確かオーナーのあのコレクション部屋の…」


今では展示室みたいに自由に出入りできるあの部屋。
さっき見に行った時は気付かなかったけど…。どこかにあるのかな?


「ーーーもう一度。イノちゃんが帰って来るまで見に行ってみようっと」


この時の俺は、多分好奇心。
それから。
身体に残る甘い気怠さが恥ずかしくて、誤魔化したくて。
無理矢理、動こうって思ったのかもしれない。


まさかこの後、あんな事が起こるなんて。

この時の俺は、まだ想像もして無かったんだ。







「ーーーわ…ーーーこれだ」


おもちゃ箱みたいな。…言い方悪いと、ごちゃごちゃと散らかりまくった部屋の…隅っこ。
オーナーのギターコレクションが立ち並ぶ、その影の壁に。
もう長い時間が経過して。黒く錆びて、所々緑青が発生してる装飾の縁のついた、大きな鏡。
ぱっと見、古い鏡だけど。じっと見ると細かな装飾が綺麗な事に気付く。


「ーーー鏡面は…綺麗」


傷ひとつ無いや。
古い鏡なら小傷の一つ二つ付いていたっておかしく無いのに。この鏡はツルリと滑らか、くっきりと世界のものを映してる。


「うーん…。ーーーこの鏡のお話…」


ずっとずっと以前に、ここを頻繁に使用してた友人のバンドメンバーから聞いたんだ。



〝見入るなよ〟

〝じっと見てると鏡に気に入られて、鏡の国に引き込まれちまうんだってよ〟

〝鏡の向こうはあべこべ〟

〝帰って来れねえかもよ〟




そんな訳無いじゃん!
…って。
あの時は笑い飛ばした記憶がある。
だってそりゃそうでしょ?
…鏡の国なんて、そんな…さあ。



ーーーでもね?


ひとって年齢を重ねると、好奇心って増す気がする。
あの頃より、もしかしたらもしかして?…なんて思ってる自分がいるんだもの。
それは色んな事を楽しむ余裕がでてきたのか…警戒心みたいなものが緩んできたのか。わからないけど。

今の俺は、確かに好奇心でいっぱいだった。



「ーーーうー…ん」


取り敢えず鏡を覗いてみる。
でも…



「別に変なものは映ってないし…」



映るものは俺の姿と、背後に広がるごちゃごちゃした…ーーーじゃない。おもちゃ箱みたいな賑やかな部屋の風景!

思わず、ふぅ…と肩の力が抜ける。
ーーーやっぱりね。
そんなわけないもん。鏡の国に入り込めるなんて。
鏡に気に入られるとか、そんな事あるわけないんだ。
だってこれは鏡。
無機質な金属とガラスの作り物だもん。



「ーーー…」


…って、頭ではわかっていても。
なんかやってみたくなる好奇心。

鏡…鏡…か。
鏡があったら唱える言葉って、これかな?



「鏡よ鏡。こたえておくれ」


…なんて。
某アニメーションの魔女の台詞だよね。



「ーーーこの世で」



一番の美女は…じゃなくて。ーーーう…ん。
そうだな。



「…この世で俺が一番愛してるひとは…だあれ?」



言って、速攻で照れてしまった。
自分で言ったんだけど、一瞬の間に浮かんだのは彼の事。
俺の大切な、イノちゃんだ。



「そうだ!イノちゃんそろそろ帰って来るよね」



自販機に行ってた彼。すぐに帰って来るに違いない。
もう戻ろうと踵を返して部屋を出ようとした。
…ーーその時だ。



「っ…⁈」



ぐんっ!…と。
背中を引っ張られた気がして、振り返った。すると瞬間、見えたのは。
俺が鏡をすり抜けた景色。

えっ?と思って瞬きしたら。
次の瞬間には同じ部屋の中にいた。

ーーーいたんだけど。





「ーーーーーーあれ?」




何か、変。
変ってゆうか、違和感。

さっきと同じ部屋にいるのに、何かが違うって思えた。




「ーーーなに?…なんか」



部屋を見回して、じっと観察して。
そして、ハッと気が付いた。



「ーーー左利き…用?」



所狭しと飾られていたギターやベース達は、さっきまでは確かに右利き用のものばかりだったのに。(だってオーナーが右利きだから)
今見回して目についた楽器達は全てレフティーの物だ。



「っ…え?」



どうゆう事?
違和感を見つけて、急に気持ちが騒めいた。たった一瞬の間に楽器が変わるなんてあるはず無いのに。




〝鏡を向こうはあべこべ〟



「!」


ハッとした。
ーーーまさか。…まさか?

たった今の鏡をすり抜ける感覚。



背筋がヒヤリと、冷たくなった。



「ーーー俺、もしかして…」



鏡の国に…ーーーーー⁇



ーーー鏡の国に来ちゃったのかもしれない…。


…って、そう思ったら。最早そうとしか考えられなくて、思わずその場にペタリと座り込んでしまった。




「ーーー…」



ーーー考えるのは。ちゃんと向こう側に戻れるのかなって事。
だって戻れなかったら!
向こう側の世界に俺は存在しなくなるって事⁈



「そんなのダメだ!!嫌だよ!!!」



だって五人でルナシーなのに急に俺がいなくなったら向こうの四人は困るんじゃ…!!ーーーってゆうか、そしたらこっちの世界では俺が二人存在する事になって、ルナシーが五人じゃなくて六人になるって事⁇ヴォーカルが二人って事⁇…ーーーいやいや…そもそもこうゆうのってダメって言うよね。二人の同一人物が顔を合わせるとダメってよく物語とかで…。あとホラ、俺みたいな存在がこっちの世界を変えるような事もしたらいけないって。



「ーーー…」


背筋がまたヒヤリ。
ーーーこっちでの行動…気を付けよう…




「…それよりも」



ーーー向こうのイノちゃん…。飲み物買いに行ってくれたイノちゃん。さすがにもう戻って来ちゃうよね。
俺がいなかったら、イノちゃんきっと心配する…と思う。
俺が逆の立場だったら絶対に心配するもん。



「ーーーとにかく早く戻らなきゃ」



好奇心も何処かに消え失せて。
今、頭にあるのは戻る事だけ。

…でも


目の前にある、通り抜けて来たであろう…例の鏡にそっと触れる。
つるつると滑らかな鏡面は変わらない。…けど、通り抜けられそうな感じも、今はしない。



「なんか、条件が揃わないとダメなのかな…」



この鏡をすり抜けられる条件。
さっきはそれが偶然にも揃ったって事なんだろうか?



「ーーーさっき。何してた?…俺」


向こう側のおもちゃ箱みたいな部屋を訪れて。たくさんのコレクションを興味津々に眺めて。この鏡を見つけて、昔に聞いたお話を思い出して。
ーーー鏡に…。
そうだ、こう問い掛けたんだ。



〝この世で俺が一番愛してるひとは…だあれ?〟



「ーーー…イノちゃん」



そんなの鏡に訊くまでも無かったのに。
そんなの訊かなくても自分自身でわかってる。
ひとりしかいないのに。



「っ…イノちゃん」



急に心細くなって、彼の名前を呼んで。
ぎゅっと膝を抱えて顔を埋めた。

…どうしたらいいんだろう?
どうやって元に戻ればいいの?



「イノちゃんっ…イノちゃん!」



好奇心全開で動いた…自業自得だ。



「俺っ…ここにいるよ!!」

















「なに。…呼んだ?」




「ーーーーーーえ?」




ピクンと、無意識に肩が跳ねた。
だって背後から…今一番聴きたい声がして。
俺はゆっくり、後ろを振り返った。

…でも…なんだろう?



その声に…ーーーその表情に。




「ーーーーーーイノ…ちゃん?」



さっきから、背筋が強張って。…仕方ないんだ。





「ーーーなんだよ。隆一」



膝を抱える俺を。
イノちゃんが、見下ろしていた。













「なんだよ。隆一」




膝を抱えて座り込む俺を見下ろす、イノちゃん。
突然の出来事で混乱する俺にとって、大好きなひとに会えたのはこの上なく嬉しくて安心できる事…の筈なんだけど。

イノちゃんの姿を見ても、強張った背筋は治らない。
それどころか、ますます…緊張が走る。



「ーーーっ…」


だって。
だってさ…。

俺を見るイノちゃんの表情が、瞳が。
隆一って呼ぶ、その声が。

すごく。ーーーーー冷たい。




「あ…っ…」

「ーーーなに」

「う…ぅんん」

「ーーー」

「なんでも…ない」

「ーーーーーそ。」



こうして交わす会話も、ぎこちない。
顔を見たいのに、目を合わせるのが怖いって思ってしまう。

ーーーこんな…。イノちゃんにこんな感情抱いてしまうなんて。



「ーーー嫌だ」

「…は?」

「えっ?」



いけない。
うっかり、声に出てたんだ。
イノちゃんは怪訝そうな顔で俺を見据えてる。
眉を顰めて、声が疑ってる。


そんなイノちゃんの態度が悲しくて、俺は唇を噛んで俯いた。



(…イノちゃん、どうしたんだろう?)

(こんなイノちゃん、出会ってから今まで…無かったのに)

(警戒心みたいな…俺に壁を作ってるみたいな…)

(ーーー嫌だよ…)

(いつものイノちゃんと…ーーー正反対みたい…ーーー)



ーーーと、ここで。
俺はハッとした。


右利き用の楽器が左利き用に。
…ここが鏡の国の、正反対の世界だとしたら。
この世界では、俺とイノちゃんは…




「隆一」



「っ…あ、なに?」




考え込んでる俺の目の前で、いつの間にかイノちゃんは目線が合うくらいにしゃがんで。
ーーー相変わらずその表情は冷たいんだけど…
視線を、合わせてくれて。



「隆一」

「う…うん?」

「ーーーお前さ」

「ーーー?」




フッと。
初めてイノちゃんが、わずかに微笑んだ。…ように見えた。



「今日のお前。…なんかいつもと違うな?」

「ーーーっ…!」

「俺を毛嫌いしてるお前がさ。…今は」

(え…ーーー嫌…い?)



「なんか今は、めちゃくちゃ可愛いな?」


「っ…⁈」




イノちゃんの手が、俺の頬にかかる髪に触れる。
指先で弄んだ髪伝いに、そのまま後頭部を緩く撫でて。クッと引き寄せられて、お互いの前髪が絡んだ。



「ーーーいつもはこんな事したら、警戒した猫みたいに拒絶すんのにさ。…今日は、どうした?」

「っ…拒…絶?」

「そうだろ?お前は俺が嫌いで、こんな風に触れさせてくれない」

「ーーー…!」




ゆるゆると俺の髪の隙間に埋めていたイノちゃんの指先が、もっと、俺を近づけた。



「今日は…ーーーいいの?」



もう片方のイノちゃんの手が、俺の腰を捕まえて。
ーーーこの感じは知ってる。
抱きしめたいって、キスしたいって。イノちゃんが俺を求めてくれるーーーそんな時だ。

条件反射みたい。俺も思わず瞼が落ちそうになる。
イノちゃんの事を受け入れたいって、いつもみたいに思う。……

ーーーーー…けど。

だけど。

目の前のこの彼は…誰?
姿も声も、確かにイノちゃんだけど。
愛し愛される、イノちゃんなんだろうか?





ーーー違うよね。






「っ…や…!」

「⁈」

「離してっ…」




抱えられた腰を捩って、彼の胸に両手を突っ張って。
唇が触れ合う寸前で、彼の腕から逃れた。
一瞬彼の手が、俺の手首に伸びたけれど。
次の瞬間には、諦めたように、手はだらりと落ちた。

目の前の彼は。
さっきの冷たい瞳じゃなくて。
切なそうな、寂しい瞳をしていた。


「っ…イノちゃん」



悲しそうな彼の表情を見たら、逃れたのは俺だけど胸がギュッと締め付けられてしまった。

イノちゃんは距離をとった俺を見つめて、そしてガシガシと頭を掻くと。
はぁ…と、ため息をついた。




「…イノちゃん」

「ーーーーーーなんなんだよ…」

「…え?」

「なんだって…そう、俺を拒絶すんだ」

「ーーーあ」



そっか。そう言えばこのイノちゃん、こっちの世界の俺に嫌われてるって。拒絶されてるって、さっき言ってた。…なんで?



「ーーーなんで?」

「は?ーーーなんでって、こっちが聞きてえよ」

「…何か…したとか?」

「してねえよ!したくたって触れようとするだけで拒絶されんだから、ナニかできるわけないだろ?」

「え?」

「?」

「したくたって…って。じゃあイノちゃんはこっちの俺が嫌いなんじゃないんだね?」

「っ…!」

「ーーー好きなの?」

「え…」

「…こっちの、俺のこと」




ーーーあ。さっきまで鋭さばかりだったイノちゃんが。今、ちょっとだけ力が抜けた感じがした。…抜けたってゆうか、観念した…みたいな。




「ーーー…はぁ…」

「好きなんだ?」

「…もう、なんなの?お前。てっきり隆一かと思ったら明らかに違うよな?」

「…うーん…。違うってゆうか」

「声も姿も隆一だけど。俺に対する態度が違う。ーーーお前…なんなんだ?」



片膝を立てて肘をついて。
イノちゃんが俺をじっと見る。
ーーーそっか。
こっちの俺がこのイノちゃんを嫌ってる?なら、今の俺との態度が違うって思うのも無理ないよね。

好きなの?って問いの答えは無かったけど、彼の顔を見てたらわかっちゃった。
…好きなんだね?
こっちのイノちゃんも、こっちの俺のこと。好きって思ってくれているんだ。




「ーーー実は俺はこっちの世界の俺じゃないの」

「…は?」

「鏡の向こう側から来た、正反対の世界の俺なの」

「……」




ーーーーー間。

…だよね。
急にこんな事言われて信じられないだろうと思う。
でも現実の事っぽいから、無理矢理でも信じてね?



「あなたはこっちの世界の俺が好きなんでしょ?」

「…だからさ。好き好きって、連呼すんなよ。恥ずかしいから」

「うん。好きなんだね?」

「…聞けよ」

「こっちの俺だって、絶対にイノちゃんが好きだよ」

「ーーーお前聞いてた?俺の話。ずっとお前に拒否られてんだけど」

「恥ずかしいんじゃない?」

「⁈」

「照れてるんじゃない?俺だって向こうの世界で、イノちゃんの側に居るだけでドキドキして照れちゃうもん」

「ーーー」

「こっちの俺もイノちゃんが好きなのに照れて恥ずかしくて、素直になれなくて、嫌ってるみたいな態度しかとれないのかも」

「ーーー」

「こっちの世界と向こうの世界。なんか逆みたいだから、こっちの俺はめちゃくちゃ不器用なんじゃないのかなぁ?(…って、俺も人のこと言えないけどね)」

「ーーーなんでわかんの?」

「だって俺だもん。正反対の世界でも、俺は俺でしょ?」

「ーーーーーそっか」

「そう!」

「…そーゆうもんか」

「そーゆうもん!好きなひと相手に意地悪したり素直になれないって、よくあるじゃない!」

「ーーーああ」



「聞いてみたいけどね?俺が、直接こっちの俺に。なんで?って」

「ーーー聞いてみれば?」

「っ…ばか!」

「ーーー…ば…か⁇」

「そうゆうのダメなの!多分…ってゆうか、きっとダメなの!!同じ人間が顔を合わせちゃ!」

「ーーーそ、なのか?」

「だって映画とか物語でもさあ、今の俺みたいな存在がこっちの世界の自分と会うと大抵良くない事が起きるもん!こっちの人物設定とか世界を変えちゃいけないんだよ」

「ーーーまぁ、そーゆう物語の展開とかよくあるよな」

「でしょ!!?だから俺、こっちにいる間は行動に気をつけるって決めたんだから」


決意新たにグッと拳を握ったら、目の前のイノちゃんが。



「ぷっ…!」

「え?」

「くっくっくっ…ーーーハハ!」

「ーーーな、なんで…笑うの~?」



急に朗らかなイノちゃん。
…何か俺、変な事言ったかな…。

イノちゃんは堪えられないみたいに笑って、やっと落ち着いたと思ったら。
ーーーまただ。
俺の髪を手で触れて、優しく、撫でてくれた。…優しい顔で。



「ーーーお前もやっぱり隆一なんだな」

「え?」

「時々…だけど。そんな風に朗らかに怒ったり笑ったりする事ある。こっちの隆一も」

「!」

「ホンット!!たまにだけどな?」

「ふふっ」

「っ…」

「ーーー信じてあげてよ。そんな部分を。ーーー隠された本心をね?」

「ーーーああ」

「あ、素直!」

「俺はハナっから素直にマジに隆一と接してたの!ーーー好きだよ…って、隠さないでさ」

「なんだ」

「?」

「両想いなんじゃない。こっちの二人も、結局」

「!」



鏡の中の逆の世界。
クールなイノちゃんは情熱的に。
…逆に俺は…めちゃくちゃな天邪鬼って事?
…でも、元いた世界でだって。そんな一面を覗かせる事だってあるんだから。

ーーーよくわかんないや。…鏡の中の世界。




「で。お前はどうやってこっちの世界に来たんだ?…ちょっと遽には信じがたいんだけど」

「ーーーだよね」

「まあ、そこは信じて進むとして…」

「うん」

「来ちまったからには戻んないと…だろ?」

「ーーーイノちゃん…」

「ん?」

「戻るの、協力してくれるの?」

「…まあ」

「っ…」

「お前のお陰で気付けた事もあるし」

「え?」

「楽しかったしな?」

「ーーーほんと?」

「ああ」



イノちゃんはニッと笑って。
俺の頭をくしゃくしゃ掻き回した。

こうゆうところ。やっぱりイノちゃんだなぁって思う。
こっちのイノちゃんも、あっちのイノちゃんも。意地悪でも口がちょっと悪くても、優しいんだ。




「ーーーあのね?あの…鏡から」

「マジであの鏡通り抜けてきたのか?」

「そうだよ。信じらんないんだけど…」

「ん…ーーーそっか」

「さっき鏡に触ってみたけど、通り抜けられそうな感じなんて全然しなかった。…だから何か、通り抜ける時の条件があるのかなって」

「条件?」

「うん。…例えば…ーーー時間とか?」

「ああ…ーーー言葉とか?」

「そう。よくわかんないけど、そうゆうのあるのかな…」




ーーーホント。どうやって俺ここまで来たんだろう。早く戻りたいのに。向こうの世界でだってイノちゃん、絶対にもう帰って来てて俺を探してる。
だって俺、何も言わずに何の手掛かりも残さずにここへ来てしまったんだもの。




「ーーーっ…イノちゃん」

「ーーー」

「…どうしよう…ーーー早く帰らないと」




ぎゅっと手のひらを握って、思わず俯いてしまう。
向こうの彼を想ったら、今すぐ帰りたくて。いてもたってもいられない。



「ーーーそんな握り絞めんな」

「っ…」

「ちゃんと帰れる」

「え?」

「信じろ。ーーー向こうで待ってんだろ?」

「ーーー」

「あっちの世界の俺が」



「ーーーイノちゃん…」




「ちょっと考えがある」




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