白銀
「雪の花?」
雪深い小さな町のひっそりとしたカフェのカウンター。
熱々のイノランのコーヒーとリュウイチのミルクティー。
焼き立てのパニーニとフレンチトースト。
それらを美味しく堪能しながら、イノランはそんなふうに言葉を返した。
「そう。地元の人間は皆そう呼んでるよ」
会話の相手はカウンターの向こう側で皿を拭くこの店のマスターだ。
パッと映える黄色のエプロンを身につけて、気に入りなのだろうか?カウンターの端に小さなぬいぐるみをころころと並べて、しかし
貫禄ある佇まいと愛嬌たっぷりの笑顔や語り口のマスターはシンヤといった。
この真っ白な雪の大地で、彼の明るい佇まいや色彩はそこだけ春が訪れているようだ。
シンヤはこの雪に閉ざされた町に降り立ったイノランとリュウイチにまず驚いて。
だがすぐに地元民ではない遠方からの来客に嬉しそうにカウンターの席をすすめたのだ。
そんな来客達のこの町を訪れた理由を知ると、シンヤはぽつりぽつりと語り始めた。
以前は暖かく常春の地域だったと。
この町の有名な巨木には毎年花がたくさん咲いて、花の季節には花見客で賑やかだったと。
それが数年間、ある日突然それがひっくり返って。
この国は雪に閉ざされた真冬の世界に変わってしまったと。
…と、シンヤの語る話の内容はやはり列車の出発地で聞いたものと同じもので。
一変して白銀の世界に変わるという、まるで物語のような出来事は真実なのだとイノランは神妙に頷いた。
「雪女の仕業じゃ無いかとか言うどっかの輩もいたけどさ。でもそうじゃないって」
「ーーー理由を知っているのか?」
「まぁ、これも人伝てで聞いたことだけどね。でも見に行ったっていうこの町の奴もいる。だから雪女よりは真実味あるんじゃないかな」
「それって…どんな、」
その時にシンヤが教えてくれたのが〝雪の花〟だった。
「ご馳走様」
「とっても美味しかったです」
「そりゃよかった!気をつけてね」
食事を終えて、今日の最終列車の時間までこの町を散策すると言うイノランとリュウイチをシンヤは戸口まで見送った。
丁寧にシンヤに会釈をするリュウイチと、そんな彼を常に気遣うふうなイノランの後ろ姿を微笑ましく眺めながら。
(似合いのふたりだなぁ)
(おにーさんは格好よかったし、黒髪の彼は…)
綺麗なひとだったなぁ…なんて、心の中で感想を呟きつつ。
さて、と。店の中に戻ろうかと踵を返したシンヤ。
その時、ふと…だ。
「あれ、?」
戻りかけた足を止めて、戸口の脇にしゃがみ込む。
そこにはしばらく忘れていたプランター。
季節ごとに様々な寄せ植えをしていたそこに、最後に植えたのは何だったか…もう覚えていないけれど。
雪に覆い隠されて、そのまま凍りついて姿が見えなくなっていたプランターを久々に見つけて懐かしさもあるが。
…それよりも、シンヤは気がついた。
葉も蕾も失い、細く黒くなってもなお土に根付く名も忘れた小さな枝先に…
「ーーーーー新芽…?」
❄︎❄︎❄︎ ❄︎ ❄︎ ❄︎ ❄︎
さくさくと雪道を行く。
シンヤの店のあった駅から続く通りを抜けると、そこはもうすっぽりと雪に包まれた道があるばかりだった。
道…というにも、あまりに雪深く掻き分けて進まねばならない。
「最終列車は夕方の4時だったから…」
「それまでには戻らないとね」
「ああ、しっかしこう雪深いとなかなか…」
「イノランが行きたい木のあるのはこの先だものね」
「そうみたいだな。…」
せっかくこうしてここまで来たのだ。
どうにか時間の許す限りは進みたいと思う。
見てみたかったのだ。
満開の花が咲くその巨木を。
もちろん…今は花を咲かせているとは思っていないけれど、行ってみたいと、何かに突き動かされる。
それが何故なのか?は、上手く言えないが。
おいでおいで、と。
ここへ来て、と。
誘われる感じすらある。
「ーーーーー……」
そしてその誘われる感じが、傍らのひとと出会ってから強くなった気がして。
リュウイチとあんな出会い方をしたせいなのか、それはわからないけれど。
不思議だった。
さくさく
ざくっざくっ…
ドサッ
どどっどさどさ!
…ざざざーっ…
道行く景色が町から林へ。
白い景色の中に真っ直ぐに立ち並ぶ木々。
針葉樹だろう。
枯れた細い葉を上の方に残して、そこに降り積もった雪があちこちで重さに耐えかねて落ちる音がする。
あの落下雪をくらったら危険だろう。
イノランはリュウイチの手を引いて慎重に林の中を進んだ。
「ーーーーー…もう、ちょいだと、思うけど」
「ん、」
「すげぇ雪」
「ぅん」
そんな事を溢しながらも、イノランの心は踊っていた。
真っ白な世界。
余計な物は何も無い。
そこに、ふたりきり。
もっと側に寄りたいと、どきどきする。
雪道を歩きながらもそんな想いが頭を過ぎるたび、今は歩くことに集中と頭を振って自らを律する。
今も慌てて、先程のシンヤの言っていた事を引き出して気を紛らわせた。
「雪の花って、言ってたな」
「ーーーーーーうん」
ーーー雪の花が木いっぱいに咲いたんだとさ。
ーーーその花はそのうち雪の結晶そっくりの実をつけて…
ーーーその実はそれはそれは綺麗だから、
ーーーつい側で眺めたくなって、触れたくなって。
ーーーでも一度触ってしまうと、指先から凍りついて、心も凍りついて。
ーーー忘れちまうんだとさ。そいつにとって大切なことを
「それってさ、好きなこと、大事なこと」
「ーーー」
「ーーーずっとやってきた習慣とか、仕事も遊ぶ事も、」
「ーーー」
「忘れてしまうって事なのかな」
シンヤが教えてくれた事が、この国の気候とどんな繋がりがあるのかまだわからないけれど。
もしも本当にそんな力のある花と実が存在したら…
「ーーーーーー雪を見た事が…なかったんだ」
「…え、?」
「…ごめんなさい」
手を繋いでイノランの一本後ろを歩くリュウイチが、ぽつりと呟いた。
その声があまりにか細くて、イノランは上手く聞き取れずに後ろを振り向いた。
足を止めて、リュウイチがイノランを見つめていた。
ぎゅっと唇を噛んで、今にも泣きそうな表情で。
to be continued
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