白の牢獄














白い部屋。
白いカーテン。
白いベッド。
白いテーブル、椅子。
白い棚。

白…白…白。



白に包まれたこの部屋にいたのは、白いシャツを身に付けた、白い肌の青年。
それと対称的な漆黒の髪。
赤味を帯びた唇と、濡れたような瞳。
頬は庭で見たサクラの花のような薄紅色で。

イノランは最早、目が離せなくなっていた。




リュウイチと呼ばれる彼は、初めて顔を合わせるイノランに少し警戒しているのか、その表情は躊躇いの色を浮かべていたけれど。
そんなのは仕方ない事だと、イノランは気にしない。
リュウイチから見たイノランは、外の世界の気配を全身に纏った太陽と風の匂いのする存在なのだろう。
怖がらせないように、ゆっくり側に寄って。
リュウイチの視線を柔らかく受け止めて、まずは自己紹介。




「はじめまして、俺はイノラン」

「…イノラン?」




歌うような声だと、イノランは思った。
静けさと憂い、そしてどことなく甘い。
美しい声。
その声で名前を呼ばれて、心の芯がとくとくと高鳴った。





「俺は旅人で、今日この国に着いた。そこでスギゾーに出会って、ここの話しを聞いて」

「ーーー」

「ここへ来た」

「ーーーーー旅…人」

「ああ、そうだよ」

「ーーー旅、」




ひと文字ひと文字を味わうように呟いたあと、リュウイチは窓の方へ視線をむけて。
それから、もう一度イノランの方を見て、ほのかに微笑んだ。
とけて消えてしまいそうなその感情の現れは、側で見たイノランには今にも泣きそうな微笑みにも見えたのだ。




「ーーーリュウ、また後で来るよ。イノランにもう少しこの中を案内したいからさ」

「うん」

「スギゾー、」

「昼食はよかったらリュウとどう?Jに言ってここへイノランの分も用意してもらえるし」

「いいのか?俺まで」

「ん?もちろん」

「ーーーリュウイチ…リュウ、は。俺が一緒でもいいのか?」




じっと、少しの間イノランを見つめていたリュウイチは。
やはりさっきと同じようにほのかな微笑みを浮かべて、こくん、と。
小さく頷いて、腰掛けていた椅子からそっと立ち上がった。




しゃら…



その動作の瞬間に。
イノランは見た。
リュウイチの足首に繋がれた、一本の銀色の鎖。
部屋の中では不自由無いように長くたわませてあるそれ。
それは牢獄にある物にしては細く華奢な鎖なのかもしれないが。
部屋の壁とリュウイチを繋ぎ止めている事には相違ない。




(…あぁ、やっぱり)

(囚人であることに変わりはないんだな)




それを実感した途端、美しいとばかり思っていたこの白い建物が。
イノランにはどこか歪に見えて、スギゾーが志す事の本当に意味がわかった気がしたのだ。










リュウイチの部屋を出て、牢獄内のあちこちをスギゾーは案内して回った。
見ようによっては街にある宿屋などとあまり変わりないなと思いつつも、リュウイチを縛る鎖のことが頭を過ぎるたびにその考えを打ち消した。
そんな中で、スギゾーが呟いた。





「さっきはね、ちょっと驚いたんだ」

「ーーー何が?」

「リュウ。さっきイノラン、リュウに話しかけてくれたでしょ?その時さ」

「うん?」

「リュウ、微笑んでた。見た?リュウ笑ってたの」

「ああ、真正面にいたしさ、俺」

「ーーー」

「めちゃくちゃ綺麗だなって、思った」

「ーーーーー俺はあれ見てすごく驚いた。Jもいたら、そうだと思うよ」

「え、?」

「あんなふうに微笑むリュウ、初めて見た。リュウが感情を表情に出すって、今まで無かったんだよ」

「ーーーっ…」

「リュウの部屋は特別仕様って言ったでしょ。それはリュウの〝魅力〟の罪になった能力が〝歌声〟だから」

「歌声…?」

「リュウは歌う。歌うことが感情表現になってるリュウだから。リュウの歌声は素晴らしいんだけど、まぁ通路は音が響くからさ。リュウの部屋は防音仕様になってる。これなら制限なく好きな時に歌えるでしょ」

「それで…か」

「そう。で、俺はびっくりしたんだよ。リュウが微笑んでるって事に」

「ーーー」

「イノランが話しかけた事で…だ。こんなの初めてなんだよ」












◻︎◻︎◻︎ ◻︎ ◻︎








あの後約束通り、イノランはリュウイチの部屋のテーブルで昼食を摂った。
その予定を聞かされたJは大層驚いていたが、その時の食事をリュウイチが残さず食べ終えたのにはスギゾーもJも歓喜して驚いた。

食後のティータイムの時は、イノランとリュウイチは色々な話をした。
初めは辿々しかった会話も、時間が経つごとに滑らかなものに。
看守であるスギゾーはふたりの側を離れる事はできないが、なるべくふたりの邪魔をしないように部屋の片隅で見守っていた。







「イノランは何処から来たの?」

「ずっと南の方だ。俺が住んでいた街は海のそばだった」

「海?」

「そう、」

「聞いた事あるよ。海。ーーー広いのかな」

「ーーーああ、すごくね」





チリ、と。
イノラン胸が痛む。
世界の話を、あまりリュウイチにしない方がいいのか…と。
チラリとスギゾーを見ると、小さく頷くのが見えた。
気にするな、と。言っているのだと思って。




「俺は探し物の旅をしているんだ」

「探し物?何を探しているの?」

「俺の大事にしていたギターだ。ある時とある理由で手放してしまって。それを後から悔やんで、手放した自分を責めまくってさ」

「ーーー」

「このまま後悔してんのは駄目だと思って、もう一度巡り会う為の旅に出た。もう一度アイツを弾きたいなって」

「ーーーーーー」

「出会えたらいいなって、いつも思ってる」

「ーーーーー」

「出会えるまで旅を続けたいと思う」

「ーーー出会える…よ。きっと、」

「リュウ、」

「この世界の何処かで」




そう、イノランは旅の途中なのだ。
目的のある旅をしている。
それはつまり、ずっとここにはいられないという事。
見学と休養を兼ねた滞在をしたとしても、数日で出発しなければならない。
目の前にいるリュウイチは会話の途中から何か曖昧な表情をしている。
喜怒哀楽のどれにも当て嵌まらないような微妙なもの。
それはリュウイチが、こんな時にどんな表情をすればいいのかわからなかったからなのだ。





「リュウ?」

「…ぁ、」

「どうした?」




リュウイチの様子に、イノランは問いかけた。
しかしリュウイチは慌てて、首を横に振る。
イノランを目の前にした自身の感情が何なのかわからず、もどかしげに。

シャラ…と、リュウイチの足首で鎖が鳴った。
イノランの胸が抉られるように軋む。
掻っ攫って、解き放ってやりたいと、この時思った。
















夜。
スギゾーは各部屋を見回る。
ひとつひとつの部屋の電気を消して、おやすみを言う。
ひとりでそれをしているから、リュウイチの部屋を訪れるのはいつも最後だった。
軽いノックの後に室内を覗くと、リュウイチは窓辺から外を見ていた。






「リュウ、就寝の支度は済んだか?」

「うん、」

「じゃあもうベッドに入りな。電気消すよ」

「ーーーうん」




スギゾーは電気を消す手を止めた。
窓際からなかなか動こうとしないリュウイチに、何かいつもと違う雰囲気を感じて。
四角く切り取られた夜空をリュウイチはじっと見ている。
リュウイチにとっては唯一の外界の景色。
その背中はどことなく寂しげに見えた。






「ーーー」



たまには夜更かしもいいだろうと。
スギゾーは出て行きかけた足をもう一度部屋へ。
テーブルの椅子を引き寄せると、そこへ掛けた。





「リュウ、あのね」

「ぅん?」

「俺は今日は驚いたんだよ」

「ーーーぇ?」

「驚いて、嬉しかった。リュウが微笑んでる姿を初めて見られたから」

「ーーー俺…が?」

「そう。もしかしたら無意識なのかもしれないけどね。イノランと初めて顔合わせて話している時さ」

「ーーー」

「リュウ、笑ってたよ?」

「ーーー」

「ね、それってさ」

「ーーー」

「イノランの、せい?」















スギゾーは電気を消すと、おやすみと言って部屋を出て行った。
月明かりだけになった部屋。
月も出ない夜は、ベッド脇に置く小さなランプを灯すこともある。
今夜は月が出ているから、部屋は青くほの明るい。
でも今夜はリュウイチはランプに火を灯した。
揺れるオレンジ色の灯りを見ると、それはまるで自分の心を表しているようで。
揺れる気持ち。
今日はとても色々な事があったから。





ぽふん。




リュウイチはベッドに横たわって、ぎゅうっと枕を抱きしめた。
布団を頭まで被って、その隙間からランプの灯をぼんやり眺めた。
こんなのは初めて。
どんな瞬間も、誰かの事が頭から離れないなんて。
人恋しくて、ひとりの夜が寂しいなんて。






ーーーイノランの、せい?





「そ…なのか…な、」

「ーーーーーわからな…い、」

「わからないよ」






でも。
目を閉じても脳裏から離れないのは。
今日出会ったばかりのひと。
イノラン。
太陽にやけた肌。
土埃で汚れたブーツ。
風に洗われた髪。
外の匂い。
見つめてくれた優しい目。

優しい声。





「ーーーーー…わからない」

「こんな…」





リュウイチは寝転んだまま乱暴に瞼を閉じた。
眠ってしまえばいい。
しかし睡魔は一向にあらわれそうにない。
胸の辺りで重ねた手のひらが、どきどきと派手な鼓動を感じ取る。
初めてのその感覚に、リュウイチは戸惑っていた。
このままどうなるのだろう、と。
胸のどきどきが心臓を壊してどうにかなってしまうのでは、と。






ーーーイノランの、せい?


そう、リュウイチはもうわかっていた。
わからないと繰り返すのは、頷きたくなかったからなのかもしれない。
そうなんだと頷いてしまったら、自分の中の何かが動き出してしまいそうで。
知らないふりをしてやり過ごそうとしたのかもしれない。
だって仕方がないから。

旅の途中という彼は、やがてここを去ってしまうのだろう。
彼は客なのだからここへ留まる理由はない。
…彼が去ったあとは、今まで通りの日々が続くだけ。
何も変わらない。
彼の痕跡は何も残らず。
ーーー残るのは…





「…イノラン」

「ーーーイノラン、」




ーーー残るのは。
リュウイチの心に芽吹かせた新しい気持ち。
離れたくない…という気持ち。
側にいたいという、愛情。



「…っ、」




リュウイチの目尻から滴が伝い落ちた。


















その日の晩。一宿の場として応接室を使うことを勧めたスギゾーだったが、イノランはそれを丁重に辞退した。
それならと、スギゾーは自室のソファーにブランケットと枕を用意してやりイノラン用の寝床を作ったのだ(自分のベッドを譲るとも提案したが、当然のようにイノランは辞退した)。

明かり消すぞ、と言われて。
イノランはああ、と返事をしながら枕に頭を乗せた。
中には藁でも入っているのか、かすかに香る草の香りが心地いい。
窓の外を見ると日中より風が出てきたようだ。窓ガラスがカタカタ音を立てている。
イノランは同じ暗闇にいるだろうスギゾーに感謝した。





「雨風凌げるって有り難いよ」

「ーーーお前ほんとにずっと旅してんだな」

「そうだよ、だってまだ目的達成してないし」

「探し物…か」

「まぁな」

「ーーーそっか」

「こうやってあちこち寄り道しながらさ、大変な事もあるけど楽しいことの方がやっぱり多いと思うよ」

「ーーーそっか、」

「うん」

「ーーーーーそっか…」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーー…」

「ーーー…」




「あのさ」
「あのさ」




タイミングが重なった、そのひと言は。
実はふたりして決意した上で発した最初の言葉だった。
あまりに同時に声を出したものだから、ふたりは一瞬躊躇いつつ苦笑して。
何度かお互い譲り合った末、最初に告げたのはイノランだった。






「ーーースギゾーさ、言ってただろ」

「ん?」

「今日。…リュウのこと」

「ーーーーーあぁ、」

「ずっとあれから考えてたんだけど。…っていうか、」

「ーーー」

「ほんとは多分、リュウを見た時からだと思う」

「ーーー」

「リュウの声を聞いた時から。…最初の会話をした時から」

「ーーー」

「ーーーーーあいつを…掻っ攫ってしまいたい」

「ーーー」

「ここから連れ出して、解き放って、自由にしてやりたい。好きな時に歌って、泣いて笑って、怒ったっていいし、拗ねてもいいしさ。ーーーあいつがそうできるように側にいたい」

「ーーー」

「俺は旅の途中だから、ずっとここにいられない。だから、」

「ーーー」

「あいつを、リュウを。連れて行きたい」

「ーーー」

「身請けさせてほしい」

「ーーー」

「ーーーリュウを、」

「イノラン」

「ーーー」

「好き?」

「ぇ、?」

「リュウイチのこと、好きでいてくれてるか?」

「ーーーーーあぁ、」

「ーーー」

「好きだよ」

「ーーー」

「リュウが好きだ」

「ーーーん。」

「ーーーつか、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど、いま」

「いいんだよ。ーーーいいじゃん」

「ん?」

「よかった。ーーーリュウ、幸せになれるんだ」

「ーーーーーっ…ぇ、じゃあ、」

「うん。リュウをお願いね」

「いいの、か?」

「いいって、言ったでしょ?イノランだから、良いって思えるんだよ」

「ーーースギゾー…」

「長く一緒にいた俺とは仲がいいかもしれないけど、結局俺は看守であってそれ以上にはなれないんだ。たった一日の間にリュウの殻を壊したのは誰でもないお前だ、イノラン」

「ーーー」

「お前と牢獄の外で出会った時ね、こうなる予感は…なんとなくあった。イノランが何もない牢獄にわざわざ立ち寄った事とか、リュウイチがここの所ずっとどこか心ここに在らず…みたいな感じだったのもそうだし。きっと色んな事が重なって偶然が必然になって、奇跡が起きたんだ」

「ーーー」

「ここに居る誰かだけをちょっと特別に気にかけるのは俺の立場上よくないんだけど、それでも俺はリュウの事が一番気掛かりだった。リュウの歌、俺は大好きだったから。いつかはあんな防音の部屋じゃなくて外で思い切り歌を…ってさせてやりたくてさ」

「ーーーリュウの、歌」

「まだイノランは聞いてないよね?旅の途中でこれから存分に聞かせてもらいな」

「ああ、」





会話の後、イノランは睡眠どころではなくなってしまった。
スギゾーに話した事にもちろん嘘偽りは無いけれど。
言葉にする事ではっきり自覚したリュウイチへの想い。
しかしよく考えてみれば、リュウイチはどう思っているのかなんてわからないのだ。
リュウイチがここでの暮らしに満足していて、ここから離れたくないと言えばそれまでだろう。
ましてやイノランに興味は無いと言われたりしたら…



(ーーーそれはちょっと…ヘコむかもなぁ…)



ソファーに寝転んだまま様々な想いにぐるぐる思い悩んで、そしてそう言えばと。
今度はスギゾーが話す番だと、イノランは、もう一度会話を切り出した。

すると。




「ああ、俺はもう言いたい事言えたし、お前が全部言ってくれたからいいよ」

「へ?」

「まぁ、俺が言いたかった事を要約すると、リュウを連れて行って生涯愛してあげてくれないか?ってこと」

「‼︎」




看守として、時には兄のように。
ずっと見てきたからこそわかることもあり。
リュウイチのうまく表に出せない願いも、想いも。
それに一番に気付いてあげられたのはやはりスギゾーで。

寂しさはあるけれど、幸せになれ…と。





















翌朝。
朝食を一緒に摂るために再びリュウイチの部屋へ訪れたイノランとスギゾー。
スギゾーはやはり部屋の片隅で、食後に窓の外を眺めながら会話をするふたりを見守った。








「もう一日ここで休息をとらせてもらって、明日の朝俺はまた旅に出る」

「ーーーーー」

「ーーーここの事を下の町で聞いた時、どんな場所なんだろう?って、すげぇ気になって」

「ーーーーー」

「ここへ来て、スギゾーに出会って、Jに出会って」

「ーーーーー」

「リュウと、出会ったな?」

「……ん、」

「嬉しかった。リュウと出会うためにここへ来たんだって、」

「ーーーーー」

「引っ張られるみたいにここへ立ち寄ったんだって、思えるよ」

「ーーーイ…ノ、」

「リュウ」

「ぇ、」

「お前の歌声は罪なんかじゃない」

「ーーーーーっ…」

「思う存分お前が輝ける世界へ連れ出したい」

「ーーーーーぁ…」

「俺と一緒に来てくれないか?」










ぱた…ん

…ぽた、




(涙というものは悲しい時に流れるものじゃないの?)


リュウイチは自身の頬に次々伝い落ちる滴について考えた。
事実、昨夜溢れた一雫の涙は、イノランとの別れを思って溢れたもので。
寂しい、と。
確かに感じたもので。



(でも、今のは)


(ーーーーーちょっと…違う)






涙を拭うこともせず。
ただ落ちるままに、気持ちのままに。
リュウイチは目に前のイノランを見つめた。
イノランは優しい目で見つめ返して。

こうゆう時はこうするんだ、とばかりに。
リュウイチの目元に溢れる涙を拭いてやって。
ふわふわした黒髪を撫でて、そのままそっと。





「一緒に行こう」



抱き寄せた。

















身請け料は?と訊ねると、スギゾーは一枚の紙を差し出しながらこう言った。





「決まりはない。というか、前例が無いから決まりも何も…って感じだな。この書類にサインだけでもいいし、代金を支払うでも、お前の気持ちのままにすればいいよ」

「ーーーーー」




スギゾーとイノランのやり取りをリュウイチは心配そうな顔で見守っている。
自分の事で悩ませてしまうのは申し訳ないと思っているのだろうが。
しかし少し考えて、イノランはにこっとリュウイチに微笑んで見せた。





「代金支払うのでも良いけど、それだとリュウを買うみたいでちょっと気が引けるから」

「ーーー」

「これでどうかな。ーーー俺が多分いま身に付けてる物の中で一番…」

「!」

「…もうこれくらいの石はなかなか採掘されないから貴重だって言われた事があるんだけど」

「ーーーわ、ぁ」

「鳩の血の色のルビー。このネックレスを」

「いいのか?」

「もちろん。つか、リュウの価値を何かの物でってのがそもそも無理だと思うんだけど」

「ーーーイノラン、」

「受け取ってほしい。スギゾー」

「ーーーーーわかった」





晴れやかな表情でルビーを差し出すイノランに、スギゾーは力強い頷きをしてそれを受け取った。
そして書類の身請け料の欄に〝ルビー〟と書き加えると、そこへ牢獄の名の刻まれた大きな印を押した。





「これでリュウはイノランのものだ」

「…スギゾー、リュウは物じゃないから」

「わかってるさ、手続きの流れ上での言い方だって」

「ーーーそれでもさ。リュウはもう、自由なんだ。誰かの所有物じゃないし、繋がれてる罪人でもない」

「ーーーじゃあ、リュウはイノランのなに?」






にやりとしたスギゾーの笑みに、側にいたJはやれやれと肩を竦め、コツンとスギゾーのこめかみを小突く。
いいからもう行け!と、Jは手を振って、それに続いてスギゾーも手を振りリュウイチに叫んだ。





「幸せになれ‼︎」

「スギちゃん、J、ありがとう!」




そんな間もイノランはリュウイチの手を繋いで離さずに。
白い巨石を縫って歩き、鮮やかな緑の木をくぐる頃、もう牢獄もふたりの姿も見えなくなって。
リュウイチはもう一度振り向いて、ぺこりと頭を下げて感謝の想いを伝えるのだった。



















「あの、イノラン」

「ん、?」

「ぁ、あの。…ありがとう、本当に」

「ーーー」

「赤い宝石も、すごく高価だと…思うのに」

「ーーー」

「大切な物だと、思うのに」

「ーーー」

「ありがとうございました」

「リュウ」





自由にしてくれて
側にいてくれて
一緒に行こうと言ってくれて




「イノラン、ありがとう」





〝ーーーじゃあ、リュウはイノランのなに?〟







「ーーーいいんだよ、リュウ。だってお前は、」

「ぇ、」

「俺の、好きなひとだから」

「ーーー…っ、」







ぎゅう…っと、愛しいひとを抱きしめた。
緑の中で。
透き通る青空の下で。

リュウイチの薄紅の頬の色がとても鮮やかで。
赤い唇がとても可愛くて。
イノランは惹き込まれて、唇を重ねた。
身体に力がきゅっと入るのを感じて、緊張を解いてあげたくて。
ポケットの中のものをひとつ、隙をついてリュウイチの唇に押し当てて。
もう一度、柔らかなキスをする。





「…ん、っ」



コロ…と、リュウイチの口内に転がり込むのは…



「ん、んっ…?…ふ、ぁ」

「ーーーは、」

「…ぁ、んん……ぁま…」

「…ふっ…ーーーーー美味い?」

「甘ぁ…ぃ、」




「キャンディだよ」






そう、行きがけにシンヤ店で買い求めたキャンディ。
まさかこんな風に味わう事になるなんて考えもしなかったと、イノランは苦笑して。
すっかり力が抜けてしまったリュウイチを腕の中に閉じ込める。
愛おしくて。
大切にしようと、愛していこうと、改めて心に刻んで。

手を繋いで、また町への道を歩きだす。









「リュウと行きたい店があるんだ」

「お店?」

「そうだよ、めちゃくちゃ美味い店。キャンディを買った店。リュウもきっと気にいるよ」

「行きたい、行ってみたい」

「ああ、なぁリュウ?」

「ぅん?」

「色んな場所に行こうな。これから、ずっと一緒に」

「ーーーうん!」







〝歌声という魅力〟
そんな罪を抱えていた。

歌は自由に歌えずに。
切り取られた空を毎日眺めて。

繋がれた鎖は永遠に外れないのだと思っていた。






「あなたに出会う為だったんだね」

「え、?」

「イノラン、」

「ーーーリュウ」

「あなたが好き」







鎖はもう外されたのだ。








end







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