白銀
カタン…カタンカタン
「ーーーすっかり夜だね」
「そうだな」
「ーーー明かりが何もないね」
「でも仄明るいよな。雪のおかげで」
「うん」
向かい合う席で、窓の外を眺めながら語り合う。
イノランもリュウイチもさっきから外ばかり見ている。
ぽつりぽつりと交わす会話は互いにしか聞きえないような声で。
他に乗客はいないのだからもっと遠慮を取っ払ってもいいのに、何故だかそれが難しい。
ーーー出会ったばかり。照れているのだ、ふたりして。
それを証拠にリュウイチの耳や頬はほんのり赤いし、イノランはばかみたいに鼓動が忙しなかった。
そのおかげで、交わす会話は他愛の無いものばかり。
列車の走行音が無かったら、どれほど静かな空間だろう。
カタンカタン…カタン…
「ーーーーー」
外を見るふりをしながら、イノランはちらちらと向かいの席を気にしていた。
焦る旅でもないし、物事には順序というものがあるのだろうけれど。
リュウイチに聞いてみたいことがたくさんあって、落ち着かない。
けれど…踏み込んだ質問をいきなりするのはどうか…
ーーー何故、
「ーーー雪の中にいたんだ?」
「…ぇ、?」
「ーーーあ」
声に出てしまった。
言ってしまったと気付いた瞬間、イノランは心の中で顔を掌で覆ったが。
あの雪原の中でリュウイチを見つけ出した時から気になっていた事に変わりはなくて。
一度きりだしてしまったのなら仕方ない。
今度はしっかりと正面からリュウイチを見つめて問いかけた。
「寒いなんてもんじゃなかっただろうに。雪の中でさ」
「ーーー」
「リュウを助けた時も、リュウの格好…薄着だったし」
そう。雪の中に横たわるリュウイチは防寒着とは程遠い服装をしていた。
その事にイノランは驚いたし、何よりよくもこの格好で凍傷などにならなかったと不思議に思いつつも安堵した。
列車に着いてリュウイチを介抱した時、その肌は白く美しかったから。
「あのまま誰にも見つけられずにあんな雪の中にいたら…って考えるとぞっとする。見つけてあげられてよかったってほっとしたんだけど」
「…ほんとに、ありがとう。イノラン」
「それはいいんだ。俺こそ、リュウに出会えてよかったって思う」
「ん、」
「ーーーーーそれもそうなんだけど、」
「ーーー?」
「ーーーリュウは、」
「ーーー」
「リュウイチは、何処から来たんだ?」
何故雪の中で眠っていた?
いつからそこにいた?
何処から来て、何処へ行くところ?
「君は、」
きみは だれ?
「ーーーーーイノラン…」
小さく呟いたリュウイチの声は、心なしか困惑の色を滲ませていた。
それを見たイノランは、今度は苦笑を溢した。
知りたい想いが先行してしまったと。
リュウイチにとってもイノランはまだ出会ったばかりのひとで。得体の知れない奴である事に変わりはなくて。
構えて困惑してしまうのも無理は無いのだ。
「ーーーごめん、矢継ぎ早に」
「ぅ、うん」
「初対面の奴にいきなり色々聞かれたら、そりゃそうだよな」
「…ぅうん」
「言いたくない事とか言えない事とか、無理に聞こうとは思わないから。そうゆうの誰にでもあるもんな。ーーーそれよりも、」
「ぇ?」
「リュウと、」
「ーーー」
「今こうして一緒にいることの方が大事だ」
誰であれ。
何であれ。
「せっかくの縁だ。もう少し一緒にいられるか?」
「ーーー俺、と?」
「リュウが、いいよって思ってくれたら」
「イノラン…と」
「ん、」
「ーーーイノランと、一緒に…」
「ーーーリュウ」
「ーーー」
「いい、か?」
出会ったばかりで、恋に落ちた。
すでに見知ったところも、まだ知らないところも。
リュウイチの全部を、好きになっていた。
だからこそ、一緒にいられる時間を、一秒でも長く。
返事を待つ間、イノランはひとときも目をそらせなかった。
呼吸も…もしかしたら忘れていたかもしれない。
「いいよ」
「ーーーーー!」
「一緒に。…俺も、」
「リュウ」
「あなたと行きたい」
〝いいよ〟と、声に微笑みを乗せて、頷いたリュウイチは。
それは穏やかで、柔らかくて。
まるで春の陽射しみたいな、薄紅とミルクの色彩を纏って。
イノランはただただ、見惚れるしかなかった。
「ありがとう」
「俺も、ありがとう」
「リュウ」
「イノラン」
かつては常春と呼ばれた現在は白銀のこの国。
白と銀と。夜の青と、
白く烟る空に伸びる木々の枝の黒い線。
いつか冬の季節を過ぎて、春が戻る日が来るのだろうか。
カタン…カタンカタン。
あれからだいぶ打ち解けて、お互い向かいの席にいることにも馴染んできた頃。
リュウイチがそっと腹に手を当てているのを見た。
それに最初は首を傾げたイノランだったが、すぐにその意味を心得て。
立ち上がってリュウイチの手を取った。
「こっち、ちょっと来て」
「?」
首を傾げるリュウイチの手を繋いで、イノランは車内の通路を進んだ。
カタン、カタン…
「イノラン、」
「ん」
「どこ…行くの?」
「うん」
座っていた席からイノランの目当ての場所までは車両ひとつ分といったところ。
そこに通い慣れたイノランにとってはなんて事ない距離だが、リュウイチにとってはひと気の無い列車内はことのほか広く長く感じた。
ガラッ。
車両の端の扉の前まで来ると、イノランは軽々とその扉を開けた。
そして再びリュウイチの手を引くとその先へ進む。
辺りを照らすライトの色がその空間だけ変わった。
白く明るい座席のライトと違い、ここはオレンジ色の温もりあるライトで。
その下は飲み物や軽食をセルフで購入できる小さなバーのようだ。
イノランがこの列車内で過ごす上で楽しみになっている場所でもある。
「いいでしょ、ここ。この列車内で俺の好きな場所」
「…わぁ、」
「あったかい飲み物も軽食も食えるし、小さな窓から景色も見える。なかなかいい雰囲気でしょ?」
「ぅん、素敵」
「よかった。ね、なんか食わない?リュウ腹減ってない?」
「ぁ、」
にっこりとイノランは微笑んでリュウイチを見た。
空腹なのが知れてしまったと、少し恥ずかしそうにリュウイチは俯いたが。
あれが美味いよ、これもおすすめ!と、楽しそうに話しかけてくるイノランにつられて、いつしかリュウイチも顔を上げて笑っていた。
温かいミルクティーと、香ばしく焼かれたパンとカップのスープ。
オレンジ色の明かりの下でそれらを味わうと、空腹がほっこりと満たされてゆくのをリュウイチは感じていた。
「ごちそうさまでした」
「美味かった?」
「うん!ーーーほんと、何から何まで、ありがとう」
「いいんだよ」
「ーーー俺にも何かできればいいんだけど…」
「リュウがあったまって元気になってくれたら俺はそれでいい」
「ん、でも」
してもらうばかりじゃ……
そう、リュウイチが呟いた時だ。
ガタガタガタッ!ガタタン
「ーーーわっ…」
「っ…リュ、!」
車輪が線路上のなんらかの障害物を越えたのかもしれない。
突然の大きな揺れに、リュウイチはバランスを崩して後ろに傾げてしまう。
「ーーーーーっ……と、」
「!」
それを咄嗟に支えたのはイノランで。
片手で手摺りを掴んで、利き手はリュウイチの背をしっかりと抱きすくめて寸前で転倒に耐えた。
「大丈夫か?」
「…っ…ぅ、うん」
「そっか」
良かった。と、ほっとする表情を浮かべたイノランを見て。
リュウイチはふふっ、と微笑んだ。
「イノランにまた助けられた」
「ん?」
「イノランと出会ってまだ少しなのに、こんなに…」
「リュウ」
「ありがとう。やっぱり俺もあなたに何かしてあげたい」
何がいい?
そう、リュウイチは言った。
じっと見上げてくるその視線にイノランはどきん…と胸を高鳴らせてしまう。
ーーーこんなに側にいるとあの甘い花の匂いがして。
惹き込まれて。
一度は引っ込めてしまった気持ちを、もう一度。
「やっぱりリュウの事、もっと知りたいな」
「っ…」
「さっきは無理にはいいよって言っちまったけど。もちろん無理に全部ってわけじゃなくて」
「ーーー」
「リュウがこれならいいって思える事は、知りたい。俺の事も知って欲しい」
「…なん、」
「ん?」
「なんで…そんな、俺のこと…」
「なんで?なんでって…それはさ、」
手を伸ばした。
イノランの指先は、リュウイチの艶やかな黒髪に触れた。
頬に触れて、じっとイノランの言葉を待つリュウイチの瞳を見つめ返して。
「ーーー気にならないなら、こんなにリュウの事知りたいと思わない」
「ーーー」
「あの雪原の中でリュウを見た時からだ、きっと。ーーー俺がリュウのこと、」
「ーーーーー……」
「ーーー好……
ガタガタッ…ガタン、ガガッ!
「ーーーーーっ!…あ」
「!!」
〝大変失礼いたしました。線路上の障害物の影響でしたが、運行には支障ございません〟
再度の大きな揺れのあと運転手のアナウンスが流れると、ふたりはなんだか拍子抜けしてしまって。
顔を見合わせると、吹き出してしまった、ふたりして。
あはははっ…と、笑いが響いたあと。
イノランは、またゆっくり言うよ、と。
リュウイチの頭を撫でた。
すると。
「いいよ、イノランになら」
リュウイチが言った。
「俺のこと、」
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