白銀















しっかりしろ!



目の痛くなるような白銀の雪原の中で彼を見つけたイノランは、雪に沈み込む足を必死に動かして駆け寄った。まさかこんな場所に人がいるなんて思わないから、そこにいるのが人だとわかるとなりふり構っていられなかった。




しっかりしろ、目を開けろ。
ただひたすらに覚醒を促す声掛けをしながら、凍りついた毛先や衣服の雪を払う。
濡れてしっとりした黒髪はこんな場所では目が覚めるような色のコントラストを生む。

雪の純白
髪の漆黒
頬の薔薇色
…と思わず見惚れる美しさだが、この頬の薔薇色は温もりでは無く凍える故の色だとわかると、イノランは彼を躊躇なく抱きしめて。




「もう少し頑張れ」

「待ってろ…今、」

「助けてやるからな」



彼を抱えて行きよりもさらに険しい足取りで、雪を踏み締めて列車へ戻る元来た道を急いだ。








ドッ…



距離にしてもさほど離れていない場所にも関わらず。
列車の扉ステップに足をかけた瞬間イノランはまるで何十キロも旅をしてきたような疲労感に襲われた。
実際は彼を見つけた場所からは停車している列車の車体が見えていたくらい近い場所なのだが。
しかしそれだけ深い雪と視界を奪われる真っ白な世界というものは、そこにいるだけで体力も気力も消耗するのだろう。




ジリリリ!


ゴト…ゴトン……ゴトン…



メンテナンスを兼ねた停車時間が終わり、発車のベルと共に列車は再び動き出す。
線路に積もった雪を除雪しながら、粉雪を掻き分けて列車は走る。
相変わらず運転手とイノラン。
先程までと違うのは、まだ名も知らない彼が乗車したこと。
乗車人数は3人になった。




カタンカタン…カタン…



ドアの窓から流れる景色を眺めながら、イノランはほっとため息をついた。
彼の分の切符は後で運転手に追加精算してもらえばいい。
それより今はこの冷え切った彼をどうにかしなければ。
イノランはそんなふうに考えながら、彼を抱え直して客席の方へ進む。
ガタン…ガタンと列車が揺れる度にふらつきそうになるが、彼を腕に抱えていると思うとグッと足で踏ん張って体勢を保った。



「…?」



ふと。
イノランは自分の席へ戻る途中の通路で足を止めた。
そして腕の中の彼を見つめると、そっと鼻先を彼の顔のあたりに寄せる。



「ーーー…なんだ?」



すん…。と、彼の髪の匂いをかいだ。
するとイノランの鼻腔が拾う匂い…香りは、なんともいい香りがして。
汗や雪で濡れた衣服などの匂いなんかではなく、甘い…




「花の匂い?」





薄紅色と新緑の。
柔らかな風に舞うような花のにおい。
















カタン…カタンカタン…

カタン…








「ーーーーー」



眠る彼。
イノランの向かいの席で、いつしかゆったりとした寝息に変わっていた。



前の街でブランケットも買っておいて良かったと、彼の寝顔を眺めながら思う。
改めてあの雪原の中で見つけてあげる事ができて良かったと安堵する。
あのままだったら本当にどうなっていたかわからない。
常春だと思っていたこの国が実は真冬の国だと聞かされて。それでも行くことをやめないで列車に乗り込んで。
行けども行けども同じような雪景色ばかり。
乗客といえば運転手と合わせてもふたりのみ。
楽しみも列車内のホットドリンクと軽食なんかで。
そんな中たまたま列車メンテナンスで停車時間にゆとりがあるからカメラを持って外へ出て。
そこで出会った、彼。





「ーーーーー色んな要素が組み合わさって、一個でもズレたら無かった出会いだよな」




花の匂いがする、不思議なひと。



「俺はイノラン。ーーーお前は?」



眠るひとにそっと問いかける。
当然、返事はないけれど。
彼が目覚めたその時にもう一度同じ問いかけをすることが、イノランは今から楽しみだった。
























カタン…カタン…



カタン…










「ーーーーーん、」





窓の外は暗くなっていた。
夜だ。
とはいえ風景の大半を占める積もった雪のおかげでその夜景は明るく見える。
列車のライトが雪にあたるたびにきらきら輝いて、夜闇は黒というより青い夜という感じだ。
イノランもいつの間にか眠っていたようだ。
この列車は昼夜関係なく走り続ける。
途中駅で運転手が交代すると乗車駅で聞いていたが、その途中駅は眠っている間に通過していたらしい。

目的の駅は翌日の昼前には着くだろう。
イノランの目的。
それは自らのカメラで心に留まる風景を撮ること。
この路線の終着駅の少し前に、そこはある。
広い草原と地平線。
そこに立つという美しい花を咲かせる巨木。
ひとつ前の街でその風景写真を見た。
そこへ行けたらと思い、今回この列車に乗ったのだが…




「…」



ひとつ欠伸をして、やはり変わらずな雪景色にイノランは苦笑して。
そして。
向かい側の席に視線を向けた。





すー…すー…




健やかな寝息。
顔色もだいぶ良くなったと思った。



「あ」



羽織らせていたブランケットが肩から滑り落ちている。
車内は暖かいけれど、はらりと落ちたその様子が気になって。



キシッ


起こさないように。
イノランは立ち上がって向かいの席に場所移動。
空いている通路側の彼の隣に腰掛けると、ブランケットの片側をもう一度肩に掛けてやった。
…と、



ガタンッ!



「っ…」


列車が一瞬大きく揺れた。
線路上の何か障害物でも越えたのだろうか。
さっきまで飲んでいたコーヒーの空の紙コップが床に落ちて、イノラン自身も身体が跳ねた。
そして隣の彼のブランケットが再び落ちていて、イノランはやれやれと拾い上げようとした時だ。




こてん。




「…ん、」



窓枠側に寄り掛かっていた彼が今度はイノランの方へ。
イノランの肩に頭を預けて、その時に微かに声を漏らした。

瞬間。
ふわっと香るのは、やはり甘い花の匂い。
濡れていた黒髪はすっかり乾いて、イノランの首元あたりに触れる感触は柔らかく艶やかなもの。
雪原の中で寒さで血色を失っているのだと思っていた肌はやはり白くて。それは彼が元からもつ色白な肌なのだと気付く。



(…頬っぺた…薄紅色)

(睫毛長い…)

(ーーー唇とか…紅いし)




「あ、」



そしてブランケットの裾から覗く手の指先。
助けた時は末端まで冷え切って青白くなっていたけれど。
今は…




「爪…桜色」



遠い海の街で見たことがある。
桜貝と呼ばれる薄く紅色の小さな貝殻。
土産物屋でアクセサリーにもなっていたけれど…
春先のピンク色の花の花弁のような。



「まるであのまんまじゃん」



可憐で、眠る彼にとても似合っているように思えて。
イノランはその指先を手のひらで包んで、やはり起こさないように指先を絡ませた。





「…ぁ、」




「!」




ーーー起こさないように気をつけていたはずが、どうやら一連の動作で起こしてしまったようだ。

イノランの手の中で彼の指先が震えた。
微かな声が聞こえて、イノランは彼の方を見た。
すると寝起きたばかりの彼とぱちっと視線が重なって。



「ーーーーーーーー……っ…」



初めて見る彼の潤んだ瞳と、少しばかりぽかん…としたような表情に。
イノランは、一瞬で。
恋におちた。


















カタン…カタンカタン

カタンカタン…








「ーーーーーぁ…あの」



見つめ合うばかりで流れる沈黙の中。
最初に声を出したのは彼だった。
躊躇いがちで窺うような声音を聞いて、イノランはハッとして内心唇を噛んだ。

彼が目覚めたら名前を聞くことを楽しみにしていたのはお前だろ!と。
不甲斐ない自分に苦笑しながら、イノランはまず〝おはよう〟と。




「気分はどう?風邪っぽいとかないといいんだけど」

「…ぁ、大丈…夫…」

「そっか、よかった」



驚かさないように、気持ちが解れるように。
イノランは微笑みを絶やさないように彼に語りかける。
するとそれは彼にも伝わったようで、コクン…と頷いたあと、それは花のような微笑みをくれたのだ。


「っ…」


どきん。
派手な音を立てたのはイノランの鼓動。
さっきの列車の衝撃にも負けない、大きな音で。
その音が紛れもなく自身から出たのだと自覚すると、イノランは今ここにいる理由を理解した。





(こんな雪ばかりの場所で)

(何故ここへ来ようと思ったか)





「君と出会う為だったのかもな」

「ぇ、?」

「ーーーえ、ぁ…いや。」




声に出ていたらしい。
きょとんとした彼の表情を見て、イノランは慌てて首を振る。
しかし、違うとは言わない。
何でもないよ、とも言わない。
否定はせずに…




「またちゃんと話すよ」

「…?」

「それよりまずは、」

「ぇ?」

「俺はイノラン。旅行の途中で、今この列車に乗ってる」

「ーーーーーイノ…ラン?」

「風景の写真なんか撮りながらね。そんな中で君と出会った」

「ーーーぁ、」

「君の名前、教えてくれたら嬉しい」

「俺の?」

「ーーーなんて呼べばいい?」

「…俺、」

「ん、」

「ーーーーーーー」






ぎゅっとブランケットを握る彼の手が僅かに震えている。
緊張しているのだろう。
だからイノランは根気強く彼の言葉を待った。
彼の声で言葉を聞きたかった。





「ーーー…リュウイチ」

「リュウイチ?」

「ん、」

「そっか、君の名前はリュウイチ…リュウ」

「ふふっ、ぅん」

「教えてくれてありがとう、リュウ」

「俺こそ」

「ん?」

「あったかい場所に連れて来てくれて」

「いいんだよ」

「ありがとう、イノラン」









to be continued






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