この世界で君に。
イツカ キット 逢エルカラ。
ビルの屋上。
うたた寝してた。
もう夕暮れだ。
ここは何処だ。
「ーーー」
夕暮れ時でも輝く夜景。
目の前で移り行く光景は、きっと素晴らしいものなんだろう。
でも俺にとっては。
ただ通り過ぎるだけの風景。
今何をしていた。
何を手にして。
今まで何をしてきた。
今まで何処にいて、ここから何処へ行くのか。
何をしたいのか。
わからない。
何故こんなに無関心なのか。
何故こんなに心動かないのか。
そもそも心とは?
俺にそれがあるのか。
わからない。
あった時もあるような気がするが、わからない。
もういい。
ずっとだ。
ずっと何か…足りない気がしてならない。
「…はぁ。」
カタン。
「ーーーーー行くか」
俺は誰。
足りないものは何。
それがわからない俺には。
きっと色鮮やかに輝くこの世界の片隅を、今日も俺はただ通り過ぎるだけなんだ。
俺はイノラン。
仕事はギター弾き。
自分のだったり、依頼だったり、ステージやスタジオでギターを弾く暮らし。
ギターを弾いてる間は忘れられる。
俺が俺をよくわからなくて鬱々してること。
分類上は俺もヒトであることは間違いない筈なんだけど。
決して機械仕掛けのヒトを模したモノでは無い筈なんだけど。
なんなんだろうな。
この冷めた感じ。
さっき言った心ってもんが俺にもあるとしたら。
その機能を忘れているんじゃないかって思う。
そんな俺の唯一の失くせないもの。
相棒のギター。
白のギター。
レリックでボディは埋め尽くされているが、それが俺にはよく馴染む。
コイツの存在が今の俺には全てなのかもしれない。
コイツを掻き鳴らす時だけは俺は〝ここにいる〟実感を得る。
コイツを爪弾く時だけこの世界に穏やかな時間があるのだと感じる。
ギターに生かされている、ギターを弾く事でしかここにいる事を実感できないとわかった時から。
俺は飛び出した。
相棒のギターを背負って。
多分、見つけたかったんだ。
足りない、ものを。
「あち…」
夕暮れ。
そこらへんの店で買ったコーヒー。
通り沿いの街路樹にもたれて、ちょっと休憩。
ひとくち飲んだコーヒーは思いのほか熱くて、少し舌を火傷した。
「美味いけど」
美味いとか熱いとか、そんな感想が出るくらいだからまだマシだよな。
別に人形じゃないんだし、俺。
「ーーーーーは…」
白い湯気。
先日まで残暑厳しく暑い日が続いてたけど。
ここ最近かな。
急に涼しくなってきた。
日が暮れると、こんなコーヒーの湯気も目に見えるくらいだ。
「ーーーー」
こうして立ち止まって世界を眺めると、皆んな案外笑ってるんだって気づく。
友人と、家族と、恋人と。
笑いながら、話しながら、道を行く。
ーーー俺は…
あったと思うのに、思い出せない。
誰かの言葉や反応に心を動かす。
その瞬間、その気持ち。
イツカ
イツカ キット 逢エルカラ。
「ーーーーーぁ…まただ」
逢エルカラ…
「ーーーーーーーーー……」
ーーー時折、声が聞こえる気がする。
雑踏に混じる様に、夜の静寂の中で囁く様に。
今の状態の俺を掬い上げてくれるような。
声、が。
誰の…声?
夕暮れの街を歩くと、ある光景を見た。
教会かな。
そこに入って行く人びと。
ミサとかあるのかな…とか、何となく立ち止まってそこの戸口を見た。
石造りの建物に重厚な木の扉。
そっと戸を押して入ると、ブロンズのイーゼルに紙片が掲げられてる。
RYUICHI church live.
「ーーーライブ…?」
「ここで歌うのか…」
讃美歌とか、歌うのかな。
RYUICHI。
この名前は知らないけれど、歌は好きだ。
音楽は、俺の足を止める。
聴きたいと思う、どんな音楽がそこにあるのか。
見上げると教会らしいレリーフのある壁。
その真下にまた木の扉。
「お客様チケットを拝見いたします」
係員が、前方にいた客を会場へ見送った後に俺へ声がけした。
客だと思ったんだろうな。
そりゃそうか。
でも俺は持ってないし、チケット。
このままいったら門前払いだ。
チラリと見つけた、カウンターのところの本日SOLDOUTの文字。
…なんだよ。これじゃ俺は追い返されんの決定だ。
ーーーでも。
何でだろうな。
気になる。
この、RYUICHIってひとのライブ。
教会って場所で歌おうとする、このひとがどんな音楽をみせるのか。
どんな歌を歌うのか。
キット 逢エルカラ。
「ぇ、」
まただ。
こんな時に、またあの声。
神出鬼没な、俺に語りかける優しい声。
それが今回は、やけに近くで、はっきりと…
「あ!」
「え?」
「幽霊」
「は?!」
ーーーって隙に、俺はするりと係員の脇を通り抜けて大きな花台の陰に隠れた。
係員一人しかいなかったからさ、こんなチャチな方法も出来たわけで。
や、悪い事してるなぁってのは当然わかってるけど。
どうしても見てみたかった。
このライブ。
そっと覗くと係員は消えた俺を探してる様子。
ーーーごめんね。
ほかのひとの邪魔はしないから。
陰からそっと覗かせてもらいたいだけだから。(…だめなんだけど)
会場はもう照明が落とされて、キャンドルの灯が辺りを灯している。
ステンドグラスと正面の大きな十字架。
白い百合の花が大きな花器に生けられて、それだけで非日常な雰囲気で。
木の長椅子は満員。
すごいな。
RYUICHIってやつ、いつもこんなにひとが聴きに来るんだろうか。
シン…とした空気。
それがすごく心地いいと思った。
すると…
一斉に拍手。
キィ…という音と共に扉の向こうから入って来たのはひとりの青年。
黒のローブの様な衣装、その下は案外ラフな細身のジーンズと革靴で。
胸元で鈍く光るのは銀色のクロス。
ーーーすらりとした華奢な身体。割と小柄な。
俺の目を惹いたのは綺麗な黒髪。
柔らかそうな少しだけ癖のある毛先。
白い肌。
懐っこい大きな瞳と、緩く微笑んでいる唇。
ーーーなに。
すげぇ観察してるんだけど…俺。
観察っていうか、見入ってる。
目が離せない。
まだ音楽も歌もこれからなのに、もう惹き込まれてる。
こいつが…RYUICHI?
「ーーーーーーーーーah…♫…」
「la…la la…♪」
第一声で、息をのむ。
息してるか?俺。
なんて声。
聴いたことない、こんな…声。
讃美歌ではない。
でも、響くメッセージが、讃美歌みたいに心に届く。
心。
俺にも歌で打ち震える心があるんだって。
まだ心ってものが残ってたんだって、その歌に夢中になりながら理解して。
一欠片もその彼から、目を離せなかった。
暗くなった空。
もう夜だ。
俺は教会の外で、そっとある人物を待っていた。
誰かって?
それはさ…。
「お疲れ様でした!」
「隆一さん、今回もありがとうございました」
「また今度もよろしくお願いします」
「こちらこそ」
「おやすみなさい」
教会の裏戸が騒がしい。
耳を澄ませると聴き覚えのある声。
…さっき聴いたばかりの声が。
「隆一、タクシーひとりで平気?」
「子供じゃないもの、平気だよ」
「じゃあ気をつけて」
「マネージャーも。これから事務所でしょ?お疲れ様」
「ゆっくり休んで」
「はい、おやすみ」
ばたん。
タクシーのドアの閉まる音。
俺はそっとほくそ笑む。
ーーー俺はこの世界でひとりで生きてきたからさ。
案外、色んな悪知恵が働いたり。
怪盗みたいなことも得意だったりするんだよ。
「RYUICHI」
「ーーーぇ」
「RYUICHI…だろ?」
タクシーを降りた彼が、おそらく自宅なんだろう建物の階段を登り始めた時。
俺は彼の前を立ち塞ぐ様に、彼の名前を呼んだ。
ぱちり。
目を真ん丸にした彼。
ぽかん…と開いた口元が、さっきの微笑みとはまるで違って。
それがおかしくて笑ってしまう。
「ーーーーーだ、れ?」
「イノラン」
「ーーーーーーーーイノラ…ン?」
「そ」
「…ぇ、なんで…俺の名前…」
「別に俺は付け回しとかじゃないんだけど。付いてきた。お前に会いたくて、あの教会から」
「え、?」
「お前の歌を聴いて、堪んなくなった」
「ーーーーーーーっ…」
俺の突拍子もない言葉に完全に言葉を失ってしまったらしい彼に、俺はここに至るまでの出来事を話して聞かせた。
話しながら…やっぱりチケット無しに歌を聴いたってのはまずかったかな…って思って、ごめんって彼に謝った。…ら。
「運営的にはよくないんだと思うけど…。いいけどね。俺が一応最終責任者だから」
「…マジ?」
「俺が良いって言ったから、今回はいいことにしてあげる」
「まじのマジで?」
「だって聴いてくれて、気に入ってくれたんでしょ?俺の歌」
「とんでもなく」
「だから、いいの」
「RYUICHI…」
「あ。今はもうプライベートだから隆一」
「隆一…?」
「うん!」
「隆一…隆一……隆…」
「ふふふっ、いいよ隆で」
「うん」
「俺もじゃあ…イノラン…イノラン…イノ、」
「いいよ、俺もそれで」
「ーーーイノちゃん」
「っ、」
「イノちゃん。ね?」
「ーーーいいよ」
俺はシスターでも司祭でもないよ。
聖職者じゃない。
あの教会という場所を貸して頂いて歌ってるってだけ。
教会の空気が好きなんだ。
ひとつとして同じ教会はなくて、同じ空気も同じ響きも無いから。
修行みたいで、それが好き。
隆はそんなふうに言いながら微笑んだ。
笑うたびに、黒髪がさらさら揺れる。
形のいい唇が、灯りの下だと薔薇色に見える。
ーーーちょっと…こんな感じはあまりに感じた事がなくて目のやりどころに困る。
一瞬視線を彷徨わせた時、隆が俺の背を覗き込んだ。
「イノちゃんは髪が…襟足がとっても長いんだね」
「え?ああ、」
「ひと束だけすごく長いからエクステかと思ったけど、」
「そこだけ伸ばしてる」
「ーーー格好いい。カフェオレ色?…モカブラウンっていうのかな、すごく似合うね」
「そ、?」
「今夜みたいな月明かりに透かすと…ほら。きらきらしてすごく綺麗だよ」
「っ…」
「イノちゃんは綺麗なひとだね」
綺麗…なんて。
言われた事ないよ。
自分でも思わない。
俺みたいな、心があるのかどうなのかわかんない…機械仕掛けみたいな俺が。
「ーーーそんな事言うのは隆だけだ」
「え、?」
「それに俺からしたら綺麗なのは隆だよ」
「ーーー俺?」
「そう」
そうだ。
今言葉にして、確かにそうだと思った。
綺麗なのは隆だ。
誰かに対して綺麗とか、惹き込まれるとか。
そんなの…はじめてだ。
「綺麗だし、可愛いと思う」
「っ…ぇ」
「歌ってる時とギャップがあって、それがまたいい」
「ぇ…えっ…?」
「あの声、」
イツカ キット 逢エルカラ。
「あれは隆?」
「ーーーーーえ、?」
ーーーなんて、そんな事急に言ってもわかんないよな。
現に隆は首を傾げてハテナ顔だ。
「よくわからないけど、でもイノちゃんに会えてよかった。せっかく知り合えたんだし、もっと仲良くなりたいって思うよ」
「ーーー俺と?」
「うん!」
「ーーーーー俺と、」
「そうだよ。だってこんな出逢い方したの初めてだもの」
「…や、チケット無しで」
「ふふっ」
「ほんと、ありがとう」
イノちゃんのこと教えて?
隆にそう言われて、俺はどう答えるべきかと迷ったが。
「わかんないんだ」
素直にそう言った。
「何処から来て何処へ行くのか。俺はどうしたいのか、俺はどんな奴なのか」
「ーーー」
「ずっとなんだ。ずっと何か…欠けてる気がして。足りない気がして。でもそれが何かわからない。ずっとそう思いながらきたら、だんだんそうゆうの全部、もういいやって思えて。でもそれって、何も感じないって、心が無いのと同じなんじゃないか?って思えて」
「ーーー」
「ギター抱えて外の世界へ飛び出した」
「ーーーーー探す為?」
「…多分な」
話…重いよな。
ごめん…って、隆に言ったら。
隆はふるふる首を振って、話してくれてありがとうって。
それから俺の腕をぐっと引いて、買い物行こうよ!って。
「ぇ、え?買い物?」
「そうだよ、出逢えた記念!もうこの時間じゃコンビニくらいしか開いてないかもだけど。買い物して一緒にご飯食べよう!俺夕飯まだなんだ」
イノちゃんは?って言うから、そういや俺もまだ飯食ってないって思い出して。
俺もって言ったら、隆は嬉しそうに笑った。
「いっぱい話そうよ。もしかしたらイノちゃんの探してるもの見つかるヒントになるかもしれない」
「ーーーーー隆…」
「イノちゃんのこと知りたい!」
「っ…!」
にっこりと、あまりに隆が晴れやかに微笑むから。
俺もつられて、頷いて。
「俺も。隆のこと知りたい」
本当に、びっくりだった。
〜したいと願う、俺自身に。
即席の食卓はコンビニ近くの公園で。
買い込んだものをふたりで食べながら会話は弾む。
「イノちゃんの誕生日っていつ?」
「ーーーいつだろうな」
「…わかんない?」
「わからないな。覚えてないというより、もういいやって、無理矢理忘れたのかも」
「ーーーそっか」
…隆は少し寂しげに俯いてしまう。
気にしなくていいんだって、言おうとした時だ。
「じゃあ、明日イノちゃんのバースデーにしない?」
「…俺の…?」
「そう、明日!」
「ーーー明日?今日じゃなくて?」
「今日でももちろん良いんだけど。でも、今日は出会ったばかりで、ちょっとずつお互いが知れて、慣れてきた明日頃にお誕生日おめでとう!っていうのも良くない?」
「明日…」
「ね?明日は9月29日。明日イノちゃんの誕生日」
「隆、」
「俺が祝ってあげる。俺がイノちゃんの欲しいものプレゼントしてあげる」
「ーーーーーー」
「ね?」
「ーーー隆、」
「ね、ね?」
「ーーーーーああ、」
頷く俺を見て、またにっこりと微笑む隆。
それを見たら。
動き出すのがわかった。
胸の端から、溶け出すみたいに。
温かいものが、じわじわと。
イツカ キット 逢エルカラ。
ああ、俺は。
出逢えたのかもしれない。
漠然とだけれど、そう思ったんだ。
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