短編集・2
◇雨に濡れても
外の音が静かになったな…と思っていたら。
同じように思ったのか、カーテンの隙間から外を覗いた隆が呟いた。
「…雨降ってきたね」
「ん?あー…天気予報で言ってたっけな」
「ーーー今日どうする?」
「んー…ごろごろしてる?」
「えぇ~⁇」
「やだ?」
「ぅん…ーーーちょっとだけは出たいかな…」
インドアよりアウトドア。
歳を重ねてだいぶ落ち着いてきたけど。隆の根っこの部分にある外へ出たいってゆう気持ちは、まだまだ健在だ。
でもそれはね、俺もそうなったんだよ。ここ十数年、俺も太陽の下が心地よくなった。
「車でどっか行く?」
「…んー」
あれ…。車って気分じゃなかったのかな?
首をちょこんと傾げてちょっと困った顔してる。
「ーーーそんな遠くじゃなくていいよ」
「そ?…じゃあ、傘さして散歩でも行く?」
そんな提案をした途端。隆の顔がぱあっと晴れて、口もとはにっこり。コクコクと頷く隆は破壊力抜群だ。
ーーーわかりやすくて、可愛すぎる。
雨の日デートは車移動もいいけど。
俺も隆もそれ以上に好きなのは。
傘の下で並んで歩く、密やかな感じだ。
雨の日に好きなひとと、傘の下。
どきどきして、ふわふわした空気。
時折触れ合う、お互いの指先。
ついつい潜めてしまう、いつもより控えめな声。
雨にあたってしっとりした髪が、なんだか色っぽくて。
距離が最大限に近いから再確認できる。お互いの好きなところ。
いつもよりもっと優しくしてあげたいって思う。
雨の日散歩の醍醐味だな。
透明なビニール傘を二本、玄関の傘立てから抜き取って。
靴も濡れていいヤツ。棚にしまっている中から、二足取り出す。
玄関を出ると、良い雨の外だった。
ちょうど良いって言うのはおかしいけど。並んで歩くのにいいなって思える雨。強過ぎず、風も無く。
隆は早速傘を広げて外に飛び出した。
「イノちゃん、早く早くー!」
「はいはい」
元気だなぁ。
こうゆう時はいつも、あるはず無いのに隆に尻尾が見える。
嬉しい気持ちを隠せない、正直で仔犬みたいな。
可愛いなぁ。
そんで俺も。
知らず知らずに微笑んで。
振り返って待っててくれる隆に、駆け寄るんだ。
「どこ行く?」
「ん…ーー。あ!オヤツ買いに行こうよ」
「オヤツ?」
「うん!オヤツ買って、イノちゃんの新しい珈琲も買って。帰ってオヤツにしようよ!」
そう言いながら、溢れんばかりの笑顔で瞳をキラキラ光らせて俺を見てくる隆。
はぁ…。
頼むから、そんな目で他のヤツを見てくれるなよ。
ほんっと、無意識に魅力を振り撒くヤツってのは始末に負えない。
やれやれ…と肩を竦めると、隆が下から覗き込んでくる。
どうしたの?って顔で、首を傾げてる。
「なんでもないよ。ーーー行くんだろ?オヤツ買いに」
隆の返事を待たないで、傘を持ち替えて。左手で隆の右手を掴んで歩き出す。
「あっ…」
「帰りは傘一本な?」
「っ!ーーう…うんっ」
言っといてなんだけど、自分自身に照れて。足元見てなくて、パシャンッ…と水溜りを蹴ってしまって。
隣にいた隆の足と、もちろん俺の足も水に濡れてしまって。
もー!イノちゃん何やってんの⁉︎って、隆の非難の声は、思いのほか甘さを含んだものだった。
よく二人で行くカフェで、珈琲と隆のオヤツを買った。小さなテイクアウト用の箱に入ったケーキを、隆は大事そうに抱えてる。
こんな姿、どっかで見た事あるなぁ…と思った。
ーーーどこだっけ…?
ーーーーーーーーーあ。そうだ。
新しいギターを買ったんだよ。って、大事そうに抱えて見せてくれた時だ。
その時の隆の様子と似てる。
大事なんだな。嬉しいんだなって、こっちまでいい気分になるんだ。
雨に濡れた道を車が行き交う音を聞きながら。店の並ぶ大通りを抜けて、住宅地に続く脇道に入る。
こっちの道は、車でくる時は入らない。徒歩の時だけ、時々歩く道だ。
こっちの道を通ると、緑が豊富な公園がある。
隆はこの公園がお気に入りで、度々二人でここを散歩した。
「雨だから、今日は誰もいないね」
「そりゃそうだよな、これじゃベンチも座れないし」
「ーーー」
ピタリと、隆の足が止まった。
じっと惹かれるように公園を見てる。
ーーーあ。もしかして…
「ーーーね、イノちゃん。…寄り道、ちょっとだけいい?」
「…やっぱね」
「ん?」
「言うと思った。だって隆ちゃん、ジーっと見てんだもん」
「えへへ」
「ーーーいいよ。誰もいないなんて最高じゃん?」
「でしょ⁈」」
やったー!と言いながら、隆は早々に公園へと駆け出した。
「やれやれ…」
やっぱり仔犬みたいな後ろ姿を眺めながら、俺は苦笑い。
「ホントにわかってんの?」
俺が言った意味。
二人きりになれて最高って、俺は思ったんだよ?
緑の遊歩道を二人で歩く。
雨に濡れた植物が、シャキッと元気に見える。
白い空に、白っぽくけぶった空気。
いつもは色彩がはっきりした公園が、今は乳白色だ。
「俺たちってさ、みんなによく言われたじゃん?」
唐突に隆が言い出した。
「え?」
「雨男って」
「ん?…ああ」
唐突過ぎて、何かと思った。
間の抜けた返事をしてしまったけど、隆は気にしない。
「ライブの時は…まぁみんな大変だけど。雨って良いよね」
「うん。俺も雨好きだよ」
「俺ね、昔より雨が好きになったの」
「へえ?」
「ーーー歌。歌いやすい」
「ん。歌うようになって、それは俺も感じてる」
「深く呼吸が出来る気がするんだよね」
「うん。気持ちよく歌える」
「ヴォーカリストとしては雨男で良かったよね?」
「ははっ!ーーーだな」
顔を見合わせて笑い合う。
隆と歌うことについて話が出来るようになれたって事が嬉しい。
それだけもっともっと、隆と同じ時間を共有できるから。
隆も嬉しいって思ってくれたのか。
さっきまであちこちと元気に駆け回っていた隆が、持っていた傘をパチンと閉じると。ああ~濡れちゃう。と言いながら俺の傘の中に入ってきた。
「隆」
「ーーー帰りは一緒に入っていいんでしょ?」
じっと見上げる隆の表情。
ほんのり赤らんだ頬と、ぷっくりと艶やかに色づいた唇がひどく扇情的だ。
こんな隆を目の当たりにしたら、別の事も期待してしまう。
ただ一緒の傘に入って帰るだけなんて…。
「ーーー俺たちしかいないもん」
「ん。だな」
「きっと誰もいないだろうなぁ…って思ったから。ーーー寄りたいなって…」
「なんだ」
「ぇ…?」
「隆、ちゃんとわかってたんだ?」
「ーーー」
「誰もいない雨の日の公園で…」
「っ…」
「隆とキスしたいなって、俺が思ってるって」
隆の顎に手をかけて。
緩く開いた唇にキスをした。
「ーーーっ…ん…」
「隆…」
震える唇をあたためるように、重ね合わせる。
角度を変えながら唇を吸うと、隆の片手が縋り付いてくる。
片手?…と不思議に思ったら、もう片方の手はケーキの箱を大事に抱えてるからだった。
そんな隆が、すごくらしくて、可愛くて。
俺も片手で傘を持っていたけど、少しくらい良いやって思って。
持っていた傘を手放した。
地面にトサ…と、傘の落ちる音が聞こえた気がしたけど、よくわからない。
だって夢中だったから。
目の前の、可愛い恋人に。
自由になった両手で隆を抱き寄せて。
雨の降る、誰もいない公園で。
雨に濡れながら交わす、隆とのキス。
そっと目を開けると、間近に隆の閉じた瞼があって。睫毛に雨の水滴が縁取って綺麗だ。
じわじわと濡れていく末端は確かに冷たいのに。身体の芯は火照ったように熱い。
「ん…っーーふっ…」
「ーーーっは…」
「ぁっ…ん…ーーーーーーーっ…」
俺の胸に添えられていた隆の手が力無く押してくる。
苦しいのかな?と思って、キスを額や瞼に移すと、隆はくすぐったそうに笑って身を捩った。
「ぁっ…ーーふふっ…ふっ」
「可愛い。…隆」
「っ…ゃ…くすぐっ…た…」
「ーーーこんな公園の真ん中でさ」
「え?…」
「何やってんだろうな?俺たち」
「だっ…て、ぇ…」
「雨に、濡れてまでさ?」
最後にもう一度、ちゅっ…と唇を味わってから腕を緩めると。そこには俺の大好きな潤んだ隆。
雨に濡れた艶やかな隆だ。
濡れた頬にかかる黒髪を指先で梳いて耳にかけてやる。
ぽぉ…としてしまった隆に苦笑いを零しつつ、落ちた傘を拾い上げて掲げながら隆と手を繋いだ。
「帰ろっか」
「ん…」
恥ずかしそうに頷く隆。
ーーーホントに。可愛いったらない。
来た時とは違って、大人しくなった隆。言葉少なで、俺と隆と、歩調を合わせながら歩く。
「結構…濡れちゃったね」
「ん…。寒くない?」
「うん、大丈夫だよ」
「ん。ーーーケーキは無事?」
「うん。ーー多分ヘイキ」
「ーーーよかった」
そんな他愛ない会話をしつつ、二人で歩く。
隆は相変わらず大事そうにケーキの箱を胸に抱いて、歩調に合わせて鼻歌を歌う。
テンポのいい、今日にぴったりだ。
ーーー♪ Raindrops are fallin’on my head. ♪ーーー
楽しげに歌う隆の隣で、俺も楽しくなってくる。
「雨にぬれんのもいいな」
「うん!楽しくなっちゃう」
「もうなんでもいいやって気分になるな」
「ね。濡れてもね。開放的な気分。…ちょっと冷えるけど」
「帰ったらオヤツの前に風呂入ろ?」
「ん?」
「一緒に」
「ーーーもぅ…イノちゃん、えっち」
「そうだけど」
「あ、開き直った」
「隆ちゃんが可愛いのが悪い」
「えぇ~?」
キミとこんな目眩のするような気持ちいい瞬間を味わえるなら。
たまにはいいよな。
時には羞恥心をかなぐり捨てて。
好きなものだけに手を伸ばして。
欲望に忠実に。
雨にぬれても。
end?…
↓
濡れそぼったまま家に帰り着いて、玄関先で傘を閉じて。
すっかり湿った靴を脱いでパタン…と、ドアが閉まると。
あの公園から、ずっと持て余していた熱が込み上げて。
濡れた服のまま、隆を玄関のフローリングの床に押し倒した。
風呂まですら待てないのか?って自嘲するも、もう堪えられなくて。隆もちょっとびっくりした顔を向けたけど隆も同じだったのか、箱を玄関の棚にそっと置くとその手を俺の首元に絡ませた。
隆の身体はいつもと違って雨の匂いがして。場所も玄関なんて…初めての所だ。
濡れた服をもどかしく思いながら脱がせて、柔らかな肌に触れて、甘い唇を何度も重ねて合わせると。
艶やかな隆の喘ぎ声が玄関に反響して、全ての感覚が隆に奪われてしまう。
「ーーーっぁん…あ…」
「隆、」
「ん…っ…」
「ーーー…隆…」
「…ぁっ…あ…イ…」
「隆…っ…りゅ…う…」
「ーーーイノちゃん…っ…」
名前を呼び合うだけで、気持ちよくて。
幸せだった。
玄関先で愛し合って、風呂でもまた身体を重ねて。
こんな雨の日の過ごし方も良いなって、上機嫌で髪を乾かしていたら…だ。
「ーーーっ…わあぁぁ!」
「っ…⁉︎」
先にリビングに行っていた隆の絶叫が響き渡って。
びっくりして、慌ててリビングに駆け寄ると。
ぺたん…と、ソファー前のローテーブルの側で力無く座り込む隆。
…どしたの?って、その背中に問いかけると、隆は振り返って涙目で呟いた。
「…ケーキ」
「え?」
「ーーー無惨…」
「⁉︎」
言われて、そっとケーキの箱を覗き込む。
ーーーすると。
隆に買ってあげた二つのケーキ。
チョコレートのと、フルーツの乗ったタルト。
それが一つになっていた。
クリームは溶けて、混じり合って。
「あー…」
公園のキスの時か?
それか、帰って玄関の時?
ーーーでも、ずっと大事そうに抱えてたからなぁ…。
隆の体温で緩くなって、拾い集めた振動で……この結果だろう。
「また買ってあげる」
座り込む隆を後ろから抱きしめる。
「今度また散歩して、今度はカフェでオヤツにしよ?」
「ーーーイノちゃん…」
「また、次の雨の日さ。時間合わせて行こうよ」
な?
そう言って隆と視線を合わせると、嬉しそうに微笑む隆。
コクンと頷いて、これだってちゃんと美味しく食べるよ?って、箱の中を指差してまたにっこり微笑んだ。
end
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