紫陽花のブーケ (四角な空と、ローズガーデン…ある日の話)
HAYAMAに来客を教えられたイノランは、ステージ袖を通り抜けそこにいたマネージャーに声掛けた。
「俺に来客って聞いたけど、」
「ロビーでお待ちですよ」
「誰?」
「ーーーええ、それは」
マネージャーに問いかけながらも頭の中で来てくれているという人物を思い描く。
スタッフやマネージャーも承知の来客ならば、バッグステージのパスを手渡して楽屋まで訪ねて来てくれる場合もあるけれど。
ロビーで待っているという事は、そうではないのだろうか。
誰だろう?
イノランは首を傾げながらロビーへと続く通路を進む。
黒を基調としたシックな内装に、青のライトが照らすロビーへ着くと。
そこには…
「ーーーぇ、」
壁面に飾られたスタンドフラワーアレンジメントをちょいちょいと気にしている様子の…ひとりの青年。
そんな彼の腕には花束が抱えられていて。
一見すると祝い花を届けにきたフラワーショップのスタッフか?と思えるが。
まだイノランの到着に気がついていなさそうな彼の横顔を見ただけで。
イノランは胸の内がどきんと高鳴って止まなかった。
「ーーーーーりゅ、」
咄嗟に口をついて出たのは…
ひとりの名前。
「隆ちゃん…っ…?」
「ーーーーーあ、」
呼ばれた名前で振り向いたのは。
他ならぬ、隆一だった。
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少しだけ遡って…
数日前の事。
仕事の終わりに〝CANON〟に立ち寄って隆一に会いに来ていたイノラン。
夕方頃からぱらぱらと降り出した冷たい雨のせいか、客足もぱったりと止んでしまって。
少しだけ早いけど…と、ゆっくり店じまいを始めて、店頭でサービスブーケを挿していた売り切れて空になったブリキのバケツを片付けて今日はおしまい。
それに合わせてイノランはコーヒーと紅茶を淹れて、夕飯にと途中のデリカフェで買ってきたスープやサンドイッチを一緒に食べた。
食べ終えて、今や隆一の寝室兼、イノランが遊びに来た時のリビングになっている小さな部屋で寛ぐ頃には。
外はますます冷たい雨が降り頻る。
サアアアア…という雨音が部屋まで聞こえてきて。
隆一は窓の外を眺めながら呟いた。
「ーーーあのね、雨の日にね」
「ん?」
「最近よく聞く曲があって」
「曲?なんの曲?」
テーブルの向かいでイノランは問いかけた。
隆一の花に囲まれた空間で一緒に音楽を楽しめたら…というのは、隆一と出会った直後からイノランが心密かに望んでいた事だった。
それをそのまま告白すると、隆一は嬉しそうに頷いて。
iPhoneの中の音楽を一緒に。
持ち込んだCDを一緒に。
そしてついには、アコースティックギターを持ち込んだイノランに、隆一は目を輝かせて喜んで。
夜の穏やかな時間に、イノランの爪弾く音色を愉しむことも多かった。
そんなだから、隆一の言い出した曲のことはおおいに興味があって。
悪戯っぽい微笑みを浮かべてじっとイノランを見つめる隆一に見惚れつつ、どきどきしつつ、その答えを待った。
「イノちゃんの曲だよ?」
「…俺の曲?」
「うん!」
「ーーーーー何の…」
「今みたいな時によく似合うって思う」
「ーーー」
「この曲大好き」
Hydrangea
ーーーと。
隆一は、はにかみながら言った。
その時はリクエストに応えてギターを弾いてその曲を歌った。
ちょうど隆一の寝室の壁には、白い紫陽花で作られたリースがかかっていて。
雨と紫陽花と、それから隆一という恋人と。
曲がまるで再現されてるみたいだと、イノランはギターを爪弾きながら、なんとも言えない幸福感で満たされた。
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そこにいたのは黒髪の彼、イノランの恋人。
隆一はイノランを見つけると、途端に表情を綻ばせた。
「来てくれたんだ!」
「イノちゃん」
イノランが駆け寄って躊躇もなく隆一の肩に触れると。
ふわり…と、清々しい植物の香りが立ち込める。
隆一の店でも、隣で歩く時も、抱き合う時も。
隆一からいつも香るいい匂いに、こんな場所なのに、イノランはますます胸が熱くなる。
「ーーーいきなり来て、ごめんね」
少し俯いて、隆一が呟いた。
出演者の知人であっても、事前のアポイント無しに訪ねるのは…と隆一は気にしていた。
会えなくても仕方ないと、どきどきしながらもロビーでスタッフに来訪を告げると。追い返される事もなくロビーでお待ちくださいという返答で、隆一はほっとした。
ほっとした途端に、今度は照れと緊張で落ち着かなくなってしまった。
花屋という職業柄、隆一もこうしたコンサート会場に花を届ける事はあるけれど。
その時は完全に花屋に徹しているから照れも無い。運んだ花達が一番綺麗に映えるように、贈る側と受け取る側が喜んでくれるように設るのだ。
ーーーけれども、今は。
隆一は仕事で来ているのではない。
そしてイノランも、いつも会うイノランとはきっと違う。
アーティストとしての彼が、ステージに上がるまでの時間を過ごしているのだと思うと。
しかし実際イノランと顔を合わせると。
イノランはやっぱり、イノランで。
いつもよりも服も髪もばっちりだけれど、向けてくれる笑顔はイノランで。
それが嬉しかった。
「会ってくれてありがとう」
「こっちこそ!来てくれて嬉しいよ」
まさか本番前に隆に会えるなんて思わなかったからすげぇ嬉しい!
抱きしめんばかりの勢いのイノランに、隆一はぎゅっと唇を噛んで微笑んで。
そして腕の中で大事そうに抱えていたもの。
今日のこの瞬間の為に隆一が作った花束を、そっとイノランに差し出した。
「ーーーぇ、俺に?」
「ん、」
「もしかして…隆が作ってくれた?」
「っ…一応俺、花屋なんだから。他のひとに頼むわけ無いじゃない」
イノランの言葉に少々不貞腐れた声を出しつつも、喜んでくれている事がわかって溢れる嬉しさは隠せない。
隆一が作り上げた花束には、今朝仕入れたばかりのオレンジのバラとグリーンも混ぜ込んだ。そしてメインの花材には、あの白い紫陽花。
そう。葉山が問いかけていた、一本だけ買い求めた白い紫陽花だ。
そしてそれにイノランはすぐに気がついた。
「ーーー紫陽花…」
「ん。…今朝仕入れの時に見つけてね。見つけたら…これでイノちゃんにブーケを作ってあげたいって思って」
「ーーー隆」
「今日ステージに立つイノちゃんへ。応援と、それから…」
「ん、?」
これから このさきも 愛しあいたいから
「俺の気持ち」
恥ずかしそうに笑う隆一は、ぐっとイノランの手にブーケを手渡すと。
そのまま一歩二歩と下がって、名残惜しげに小さく手を振った。
「お店があるからもう行くね」
「え、え…隆帰っちゃうのか?ーーーせっかく、」
「ん、イノちゃんの顔見られてそれだけで嬉しかったから」
「隆…っ、」
「いきなり来たのに、会ってくれて本当にありがとう。応援してるよ!」
「ーーー隆、」
「ーーーーーじゃあ、また」
するりと側から離れていく隆一が、このまま遠くへ行ってしまいそうで。
事実イノランはこれからステージだし、隆一も店を一時閉めてここへ来ているのだろうから戻らなければならないのだろう。
そんな事はわかっている。
これが最後ではないのに、きゅうっと軋む胸はどうしようもなかった。
ーーーだから。
「ーーーあとすこし…だけ、」
「ぇ、?」
「待って、隆」
イノランは片手はブーケを持って、利き手で隆一の手を掴んで。
ロビーの隅のエレベーター。
ちょうど同階で待機状態だったその中へ、隆一を少々強引に連れ込んだ。
「ーーーっ…ん」
いつ誰が来るとも知れない個室の中で。
言葉よりも、何よりも。
好きだって、誰よりも愛していると伝えられる行為。
エレベーター内の壁に隆一を押し付けて、最初から深く唇を重ねる。
舌先を絡ませるたび、濡れた音がして、イノランの腕を掴む隆一の指先は震えた。
「ん…っ…」
「ーーーーーすげ、りゅ…ぅ」
「…ぁ…ぅ…っ…ん」
「…可愛い」
時間にしたら十数秒だろう。
エレベーターが他階から呼ばれる前に。
誰かが来る前に。
隆一をぐちゃぐちゃに愛する。
隆一がブーケに託してくれた気持ちに応えるように。
キスに込めて。
「隆」
濡れた唇を指先で拭ってやりながら、イノランは耳元で囁いた。
「帰りに隆のとこに寄っていいか?」
「…ぁ」
「遅くなっちまうけど」
「イノ…ちゃん」
「抱きたい。ほんとはもういますぐーーーお前を、」
「っ…」
「ぐちゃぐちゃに」
「イ…ノ…」
「ーーーだから、いいか?」
隆一を残して、イノランはエレベーターの外へ出た。
イノランは返事を待っている。
めちゃくちゃ格好いいくせに、悪戯っ子みたいな微笑みで。
だから隆一は、イノランが好きだと言ってくれる微笑みを浮かべて頷いた。
「いいよ、待ってる」
「ん」
「イノちゃんが最高のステージを終えて、」
「ーーー」
「帰ってくるのを」
エレベーターで下階へ着いた隆一は、イヤホンをつけて音楽を聴く。
選ぶのは彼の曲。
雨と紫陽花と好きなひとの、あの曲を。
end
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