リュウ
◻︎◻︎INO
眠ったみたいだ。
隆の唇の辺りまでそっと隠す掛け布団は、ゆっくりと呼吸に合わせて上下する。
ついさっき飲んだばかりの風邪薬はまだ効き始めていないだろうから。
ーーー安心してくれてんのかな。
俺がここにいる事。
じっと隆の寝顔を見つめているとまた顔を出してきそうな変な気持ち。
それがまた襲ってきそうで、払拭したくて。
さっき隆に水を入れてきたグラスを掴んでキッチンに向かう。
サッと冷水で洗い上げると冷たさで我に返るようだ。
ぴちょん。
シンクに水滴がひとつ落ちる。
その微かな音を聞いたら、それが先程の隆の声とリンクするようで。
また、思い出してしまう。
「帰らないで…か」
お願い…と。
さっき隆は確かに言った。
それは俺が今まで知る隆一の言動らしからぬ…で。
不覚にも狼狽えてしまった事も事実だったけれど。
瞳が。
俺に向けてくれる表情、声が。
縋りついているようだった。
例えばもしも俺が本当にあのまま帰ってしまったら。
隆はたったひとりきりのこの部屋で、静かに涙を溢すんじゃないかと想像できてしまう程に。
「ーーー泣かれたら我慢できないかもな」
きっと庇護欲が掻き立てられて、抱き寄せてしまう。
それでもしも、もっと縋り付かれたりしたら。
守ってあげたいって気持ちだけじゃおさまらなくて。
ーーーもっと…。
「………」
キッチンから戻ると、隆はさっきと同じ姿勢で眠ってた。
すやすやと、隆の眠りは穏やかだ。
息苦しそうな呼吸は感じないし、寝苦しそうな様子もない。
その事にひとまずホッとして。
カタン。
ベッドの側の椅子を引き寄せて、傍らに腰掛ける。
隆の枕元にそっと肘をついて、間近でじっと。
寝顔を見つめる。
「ーーー睫毛…長い」
「髪とかさ。艶々だし、ふわふわだし」
「実はお前って肌白いよな」
眠る隆一。
戦友で、親友で。
歌う姿ばかり見てきたメンバーを。
そんな相手をこんなふうに見つめる機会なんて無かったから。
知っていたようで知らない。
初めて見る隆一がここにいて。
ーーーそれってさ。
今まではそれを隠してたってことで。
見せないように、晒さないように。
でもそれは俺も同じで。
メンバー同士っていう俺らの間柄で。
俺と隆は、その中でも仲が良かったと思っていたし。
価値観とか、好きなこととか、音楽とか、似てるなって思っていたけれど。
薄くて見えない壁は、確かにあって。
俺たちを隔てていて。
知らなかった。
見えなかった。
終幕というひとつのデカすぎる区切りを迎えて、取り払われたのかもしれない。
俺らの隙間を隔てていたもの。
もう自由にしていいんだよ、って。
「…ん、」
「隆?」
思考の奥に入り込んでいた俺の前で、隆が僅かに身動いだ。
もそもそと布団の中で足先を動かしたと思ったら。
ころん。
上向きだった隆は横向きになって、俺の方を向いた。
その反動で、掛け布団に隠れていた唇も露わになって。
薄く開いた隙間から、微笑みが溢れそうに弓形になる。
隆の唇。
笑い声が溢れ。
真剣な声も、ちょっと怒った声も。
何よりも、君の歌声が溢れる唇。
それこそ、もう長い間ずっと。
ギターを弾きながら、ステージで、スタジオで。
その様子を見てきたけれど。
隆の唇。
こんなに赤いなんて、知らなかった。
熱のせい?
それはわからないけれど。
目が逸らせない。
触れたことなんか無いけれど、触れたら柔らかそうな唇に眩暈がする。
きっとあたたかくて、熱くて。
ねぇ…イノちゃん
触って…?
「ーーーーーりゅ…」
頭に響いたのは都合のいい空耳だろう。
俺が描いた幻聴だろう。
でも。
抗えない、その微かな声に。
俺の指先は、目が逸らせないまま無意識に伸びる。
冬の寒空のやわらかな陽射しの中でも赤く映る隆の唇に。
そっと触れる。
熱のせいだろう。指先が拾う感触は、少しだけかさついて。
でも、熱い体温。
形のいい隆の唇のラインをなぞるように触れると、くすぐったいのか。
「っ…ふ、」
ぎゅっと手のひらが枕の端を握るように、まるで猫が丸くなるみたいになって。
俺の指先も、隆の手が一緒に包んで。
「隆?」
眠っているんだろうけれど、すり…と。
頬に触れる感触。
「っ…」
ここはこんなに穏やかで緩やかな空間なのに。
俺の心臓だけはばくばくと煩くてたまらない。
せっかく眠った隆が起きちまうんじゃ無いかと必死に抑えるけれど、どうしようもない。
深呼吸して、別の事を考えて。
どうにか意識を逸らそうとする俺の前で。
こんな時に…だ。
「…ん…」
「ぇ?」
「ーーーーーんっ…ぅ…」
「…隆……お前…」
ツ…
ぽろ。…
泣いてる。
俺の指先を頬に擦り寄せたまま。
隆が涙を溢してる。
閉じた瞼と睫毛の隙間に雫が玉になって、目尻を伝って次々と落ちる。
落ちた雫は枕に吸い込まれて、隆の黒髪の先も少しだけ濡らしてる。
泣くな泣くなって思いながらも、心のどこかでは俺の前では泣けよって思ってる気がするって、さっき思っていたことが現実になって。
(ーーーヤバい…)
隆のこんな顔、知らない。
知らないから、今それを目の当たりにして。
身体が震える。
(ーーーどうしよう…本当に…)
守ってやりたい。
愛おしい。
見せたくない。
誰にも。
こんなふうになってる隆は。
「ーーーーー隆…」
「なんで見せてくれるんだ?」
「そんなお前、今まで一度だって」
「見せてくれた事なかったじゃないか」
「ーーーなぁ…それは、」
「俺だけ?」
ーーーそう、
イノちゃんにだけ…
…だよ?
都合のいい空耳だって幻聴だって。
もう、そんなのどうでもいい。
「ーーーーーりゅ、ぅ」
ガタ…ン。
椅子から立ち上がって。
隆に捕まったままの手はそのままに。
隆の肩を押した。
白いシーツに黒髪が散って、片手で撫でるように指先を埋めた。
「ーーーーーもう俺たちは」
「自由になっていいんだ」
だから見せて。
「隆」
「触るよ」
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