リュウ
◻︎◻︎INO
「隆ちゃんの部屋にお邪魔すんの久しぶり」
「ね。いつ以来だっけ」
「んー…」
見慣れてはいるけれど、だいぶ久方ぶりの隆の家。
白いコートのポケットから鍵を取り出す隆の仕草を眺めながら、くるくると記憶を掘り起こす。
でも。ホント、いつの事だったか思い出せないくらいだ、ここに来るの。
すると隆はくすくすと微笑んで。
「でもね、別に大きく変わったところは無いよ」
ずーっと忙しくて模様替えもゆっくりできてないしね。
そう言って、カチリと小さな施錠を解く音と共に俺をドアの中へと招いてくれた。
「どうぞ、散らかってますが」
「お邪魔します」
他人の部屋ってのは、たった一歩踏み込むだけでそのひとの空気になるから不思議だ。
外では微かに香る隆の匂いとか、気配とか。ここにはそれが集まってる。
それに包まれて、俺は内心、どきどきしてる。
俺が密かにそんな事を考えている間にも、隆はリビングのカーテンを開けたり、ソファーの上のクッションを整えたり、そのままキッチンに向かって(おそらく湯を沸かしてくれてんのかも)忙しい。
そうだよ。
隆は体調悪くてドラッグストアにいたんであって、本当なら早くベッドで横になりたいのかもしれないのに。
それを俺が看病するって押し掛けたせいであれこれ気を遣わせてるみたいで…
「隆」
「ん?」
「いいよ、そんな本調子じゃないのに動き回んなくて」
「…でも、」
「看病って、押し掛けたのは俺なんだし」
「…」
「隆の部屋にお邪魔してるっていっても、俺はさ、」
「…」
「客っていうんでもないんだから」
客。
そう。
客じゃなくて。
俺は。
…俺は、
じゃあ、なに?
カチ。
…チチチ
ぼ。
キッチンの戸口でそう言った俺をじっと見つめていた隆は。
今まさにコンロにのせようとしていたホーローのポットに蓋をすると火にかける。
青いガスの火が赤いホーローのポット底を包んで、その様子に隆はまたそっと微笑んで俺に話しかけた。
「寒いし、あったかいの飲みたいじゃない?」
「ーーー」
「イノちゃんにも、淹れてあげたいもの」
ね?
そう言って、隆は今度はにこっと笑う。
「俺は風邪っぽいから緑のお茶。イノちゃんは珈琲?紅茶?」
「ーーーあ、」
「あ」
「え?」
「…冷たいのがよかった?アイスコーヒーとか」
「いや、」
「…」
「珈琲いただくよ。熱いの」
「うん」
ふんわりと、また微笑んで。
手元を動かしながら、隆が笑う。
久しぶりに隆と会って、まだ数十分の間だけれど。
隆がこんなにいろんな表情で笑いかけてくれることに、今さらながら感心…というか。
すごく俺って幸せな奴なんじゃないかって、気がついて。
「ーーー…いちど…離れたからこそ気がつけたのかもな…」
「ぇ?…なぁに?」
「ん?ぁあ、いや」
なんでもないよって、今度は俺が微笑んでみせたら。
隆は大きな目をぱちぱちさせると、きゅっと唇を噛んで俯いてしまった。
…俺、なんか変なこと言ったかな。って、ちょっと心配になったけど。
俯く隆の頬がほんのり赤くなっているのを見つけて。
体調悪いせい?とも思ったけれど。
恥ずかしそうに伏せる目元とか、初めて見たから。
「なんでもないよ」
そんな言葉を言いつつも、俺は胸を高鳴らせながらも良いように解釈することにした。
隆の、初めて見せてくれる表情の訳を。
◻︎◻︎隆
…変だ。
さっきから。
さっきというのは、イノちゃんとばったり会ってから。
変っていうのも、イノちゃんがじゃなくって。
…俺。
店でイノちゃんの持つカゴに飲み物やらプリンを入れる時も。
買ってあげるって、イノちゃんが会計をしてくれている横顔をそっと見た時も。
店から家までの、歩き慣れたいつもの道が、いつもと違って。
イノちゃんと並んで歩くだけで、アスファルトの道が、まるでふかふかふんわりした真綿の上を歩いてるみたいに感じた事や。
ポケットから鍵を取り出すだけの指先が、なんだか縺れてしまって変な感じで。
ーーー部屋に、イノちゃんがいるって。
それだけなのに。
(どうしてこんなにどきどきするの?)
ずっと顔を突き合わせてきたメンバーなのに。
寄り添ってギターを弾いて歌ってきた俺達なのに。
ーーーこんな風にふたりでいることだって、今までもあった筈。
それなのになんでなんだろう?
(イノちゃんの方を真っ直ぐ見られない)
手を動かして、足を動かして。
なにかの動作で誤魔化して。
ぎこちなさは体調が悪いせいにして。
ふとした時に重なり合う視線にとてもじゃないけど耐えられなくて。
香り立つ白い湯気でもいいの。
俺と彼の隙間に、小さな隔たりをつくることが出来るなら。
(なんで?)
(だってずっと、ステージの上ではしてきたことなのに)
(ずっと一緒に、いた筈なのに)
なのに今はこんなに。
照れてしまって、恥ずかしくって。
側にいるだけなのに。
どきどきして。
どきどきして。
ーーーあぁ、どうしよう…
熱、上がってきたのかも。
頭がくらくら…
顔があつい。
目元も…あつい。
気怠い感じがいよいよ全身に回って。
俺はどうやら、手に持っていた熱々のお茶入りのカップを。
落としたみたい。
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