短編集・2















「隆、知ってる?」




初春の、まだ冷たい風が吹き抜ける空。
眼下の森の中に、ちらりと薄紅や白の小さな梅の花の点々が見え始める頃。

今日も晴天を飛ぶ隆一を呼び止めたのはスギゾー。
にかっ!と、人懐っこい笑みを浮かべて。

ねぇねぇ、隆。と。





「スギちゃん」

「ね、隆」

「なぁに?」



スギゾーは物知りだ。
空の事、音楽の事。
とりわけ、ひとの世界の事を4人の中でも誰よりも知っている。
お洒落や流行にも詳しいから、スギゾーは空の上の者の中でも一際目立つ存在だった。
そんな彼が何かを教えてくれようとする時、隆一はいつも興味津々で聴き入るのだ。





「今日ってさ、知ってる?何の日か」

「ーーー今日?…えと、今日って、」

「2月14日」

「2月14日…?」

「そう。なんの日か」

「え…。ーーー水曜日…?」

「水曜日!まぁ、その通りなんだけどね」

「何かあるの?今日」

「バレンタインデー」

「ーーーーーーバレンタイン…デー?」




器用に両手でハートマークを作って見せて、スギゾーは隆一の耳元で囁いた。




「チョコをあげるんだよ。好きなひとにさ」

「ーーーーーえ、?」














午前中の空の仕事を終えて。
隆一は海上をひとっ飛び、ひとの街まで。
今日も午後はイノランと葉山と共にスタジオで曲作りがある。


ーーーそんな、風を切って空を駆ける隆一は、スギゾーの言葉をぽつりぽつり呟いた。




「ーーー好きな、ひとに」




〝好きなひとだけじゃなくってさ、お世話になったひととか、友達にもあげたりするんだけどね〟



「ーーーって事は、空の皆んなや、葉山っちにもあげていいんだよね」


〝それから、やっぱりバレンタインって言ったらさ〟


「ーーー」


〝好きですって、告白したり。恋人にプレゼントしたり〟


「ーーーーー恋人、」


〝うってつけでしょ?隆には〟


「っ…」


〝好きなひとに、あげられるじゃん〟




きゅっと、胸が高鳴る。
好きなひとと言われて思い出すのは、彼しかいないから。




「イノちゃん、」


名前を口にするだけでどきどきするひと。
愛して、愛されて。
それを隆一に教えてくれたひとのこと。














スタジオに到着すると葉山が待っていた。
おはよう、と。いつもの挨拶を交わすと、隆一はちらりと部屋を見渡す。
その様子を見た葉山は微笑んで、こう言った。




「イノランさんは、今日はちょっと遅れます」

「!」

「来週予定だった仕事が前倒しになって。今、取材に行ってますよ」

「そ、なんだ」



何も言っていないのに全部葉山にはバレている様で、隆一はそっと頬を染めて俯いた。
そして。



「イノランさんが来るまでゆっくりやってましょう。書きかけの譜面を進めましょうか」

「うん、そうだね。そうしよ…ーーー



そうしよう!と言いかけて、隆一はパッと顔を上げた。
ちょうどいいと思ったから。

何かって。




「ね、葉山っち!知ってたら教えて欲しい事があるの」

「え、?」

「いい?聞いても」

「僕にわかることなら、」



なんでもどうぞ!と。
葉山は持ちかけたペンをコロンとテーブルに置いて。
身を乗り出して問い掛けてくる隆一に、再び微笑んで頷いたのだ。



















「チョコレート?」

「ーーーうん、」

「ああ、バレンタインのですか?今日は2月14日ですもんね」

「やっぱり葉山っちも知ってるんだね」




あのあと、隆一に教えて欲しいと請われてショッピング街に出たふたり。
イノランが仕事から戻るまでに…という時間制限付きだから、葉山は道すがら隆一の話に耳を傾けた。
隆一とこうして並んで街を歩く事に新鮮さを感じながら、隆一から出てくる2月14日や、チョコレートやなんかの単語を聞いていると。
自然と行き着くのは今日、バレンタインデーの事。
そしてその贈り物を渡したいと隆一が考えている人物に心当たりがあり過ぎて、葉山は微笑ましく思ってそっと目を細めた。




「ーーーどんなだって、喜びますよ。イノランさんは」

「そっ…かな」

「そうですとも。だって隆一さんからなんですよ?イノランさんの大好きな」

「…葉山っち」



恥ずかしそうにぎゅっと唇を噛んで。
でも、嬉しそうに。
出来る事なら、この様子もそっくりそのままイノランに見せてやりたいと葉山は思うのだった。




「さて。でも、こんなのあげたいなぁ…とか、ありますか?」

「チョコ?」

「はい。バレンタインのチョコとひと言で言っても、そりゃあもう色んなのがありますから」



ほら。
そう言いながら葉山が隆一を連れてきたのは百貨店のチョコレートの催事場だ。
もっと色んな店を細かく探せば、宝探しさながら隠れ一級品チョコレートもあるだろうけれど。
今日がバレンタイン初体験の隆一には、せかせかあちこち歩き回りよりも、ぎゅっと一箇所でたくさんのチョコレートと出会えるこんな場所が良いのではと選んだのだ。

今日がバレンタイン当日とあってか、駆け込みで買いに来るひとで催事場内は平日でも混雑気味で。
さらにはずらりと並ぶ色とりどり、形も様々なチョコレートに、隆一は目を丸くした。





「ーーーーーすごい…」

「圧倒されますね」

「…ね。ーーーこの中から見つけるの…。選べるかな」

「隆一さんが思う、イノランさんの好きそうなのを」

「イノちゃんが好きな…」




隆一は器用そうだから、手作りでも良いのかもしれないと、葉山は最初考えたけれど。
なんと言っても今日が当日だし時間もあまり無い。
今年は隆一の選んだもので、来年は手作りに挑戦してもいいのかもしれないと思う。




「どうしよう…。これは悩んじゃうね」

「これだけあればね、仕方ないです」

「ーーーん、でも…」



きょろきょろ見回しながら隆一はチョコレートの隙間を歩く。
どれもこれも珍しそうで美味しそうでもあるけれど。
悩み始めた隆一の目に映ったのは、ハート型のチョコレート。
小さなハートのチョコがコロコロと箱に入って、赤いリボンがかかっている。
ある意味、シンプルで王道で、誰から見ても一目瞭然。
〝好き〟な気持ちが込められていると。



〝好きなひとにあげるんだよ〟



スギゾーも、両手でハートマークを作って見せてくれたし。
隆一はその箱を手に取って、傍らに立つ葉山に微笑んだ。




「これにする」

「ーーーハート形ですね」

「ん…。ちょっと恥ずかしいけどね」

「良いんです。すっごく良いじゃないですか」

「ほんと?」

「隆一さんの愛情の塊って感じがします」






















「お疲れ〜」



夕暮れ時。
別件の仕事を終えたイノランがスタジオに顔を出した。
和気藹々と談笑していた葉山と隆一に駆け寄って、混ぜてよ!とばかりにふたりの間に椅子を引き寄せた。



「おかえりなさい」

「イノちゃんお疲れさま」

「ん、ふたりもお疲れ!」



今日の予定任せきりになってごめんね、と。イノランは手を合わせる。



「お仕事だったんだから、そんなの気にしないでくださいよ。逆に僕たちがお疲れ様って言うほうです。ーーーそのお陰で、ね?隆一さん」

「え?ーーーうん。ね?」


ね、ね?と、顔を見合わせて、目配せして。
なにやら自分がいない間に仲良さげにいい雰囲気になっていたらしい葉山と隆一を見て。
イノランはちょっと面白くなさそうに肩を竦める。
さらにそんな様子を見た葉山はくすくす笑って、じゃあ僕は…と席を立つ。



「もう後片付けも済んでますから、施錠だけしてきてくださいね。僕は先に…」

「え?もう帰んの?」

「はい。お先にお暇いたします」



ふたりが見守る中で鞄を手に持った葉山は、戸口への行きがてら、隆一の耳元で…そっと。



(きっと喜びますよ)



「葉山っち、」

「では、お先に失礼しますね」

「ん。お疲れ様、またね!」

「はい」

「ーーーあ、葉山…っ…」



ぱたん、と。
スタジオの戸が閉じる瞬間。
隆一は葉山を追って、その隙間から通路へ滑り出た。



「待って、」

「ーーー隆一さん、」

「ね、あのね。今日はーーーーー」

「ーーー」

「買い物、付き合ってくれてありがとう。葉山っち」

「いいえ、隆一さんのバレンタイン初買い物にお付き合いできて僕も楽しかったです」

「うん!ーーーでね。バレンタインって、好きなひとにあげるっていうのもあるし、」

「ーーーはい」

「お友達とか、お世話になってるひとにもあげるって、聞いて」

「ーーー」



「はい。これは葉山っちに」

「え、」

「いつもお世話になってるし、葉山っちも、俺の大好きなひとだし」


…イノちゃんとはちょっと違う好きだけど…。と、小さく呟くけれど。
葉山はなんだか、とてもほんわか、幸せな気分になって。
ブルーのリボンのついたチョコレートの小箱を受け取って。




「ありがとうございます。嬉しいです。…僕も、」

「ん?」

「隆一さんのことが大好きですよ」


お返しのチョコをあげたいと思ったけれど、今それは手元に無いから。
ーーーこんなことが部屋の中にいる隆一の恋人にバレたらえらい事だと思いつつ。
海外では挨拶だものな…と言い訳して。

そっと。
隆一の額に、触れるだけのキスをした。





「ご馳走様です」

「葉…っ…ぅ、うん!」

「イノランさんと。良い夜を」

















「ーーーずいぶん葉山くんと仲良くなって…」

「え?」



隆一が葉山を見送って、部屋に戻ってパタンと戸を閉じた途端。
テーブルで頬杖をついて不貞腐れた声を上げたのはイノランだ。
もちろん、葉山は大切なメンバーだし、イノランも葉山が大好きだし。
隆一と葉山が親密になったって、別にそれは困ることではない。ユニットの結束を強める意味で、仲良くなる事は良いことなのだが…


ーーー面白くない。ーーーという複雑な感情は、隆一の恋人として仕方がないのだ。






「イノちゃん…」

「わかってるさ。葉山くんはメンバーなんだし」

「そうだよ」

「仲良くなれば、それだけ曲もライブもいいものができる」

「ん、」

「ーーーわかってんだけどさ…」



いじいじ…。
不貞腐れの後は、いじけ。
普段のイノランらしからぬ、そんな様子は。
やきもちなんだと、それは隆一にさえもわかるもので。


(ーーーど、しよ)



嬉しいと思ってしまうのだ。





「…ぇ、と」

「ん、?」

「あ…。ーーーイノちゃん、これ」

「え」



後ろ手に隆一が隠していたのは、赤いリボンがついた箱。
それは中身を見なくても、バレンタインデーの贈り物だと一目でわかるもので。
イノランは。
自分の鼓動がえらく派手に音を立てていると気が付いた。



「ーーーりゅ、」

「初めて選んだんだ。ーーーバレンタインの、チョコレート」

「ーーー初めて、」

「そ。ーーーイノちゃんが初めて」



緊張からだろうか。
小さく震える隆一の手から渡されたその箱を受け取った途端、イノランは歓喜で震えた。
またひとつ、隆一の初めてを自分がもらえた喜びで。



「隆、」

「イノちゃんにあげる」



気恥ずかしそうにはにかんだ隆一の周りに、ゆるく空気が回る。
ふんわり、ゆるゆると。
春の色を巻き込んだ、あたたかい風が。

そう、まるで。



(抱き合ってるみたいにあったかくて、気持ちいい風)





好きだよ



そんな隆一の声が混じっているみたいで。
イノランは、片手でチョコレートの箱を持ったまま。
隆一の身体をぎゅっと抱き寄せた。





「ありがと、すげぇ嬉しい」

「ぅ、うん」

「ーーーな、隆?」

「…ん?」

「バレンタインは、チョコレートを贈って、贈ってもらって。ーーーそれから、」

「なにするの?」

「ーーーん。飯食いに行ったり、遊びに行ったり」

「デート?」

「それもいいよな」

「うん、楽しそう!」

「俺も隆とならなんだって楽しめるよ」

「ふふっ、俺も」




くすくす笑う隆一の振動が、イノランにも伝わって。


(ああ、ここに今いてくれてんだなぁ)


そんな幸福感に溺れそうになる。
隆一の体温に、匂いに、声に、風に。
自分だけが触れられる、隆一の深部にも。





コト。

(なんの音?)

(…ああ、イノちゃんがチョコの箱を置いた音…)




…ちゅっ、




「…ぁ、」

ぴちゃ、ちゅ…っ…



「ひぁ…っ…」

「バレンタインはさ、」

「ーーーーーぇ、」

「俺はやっぱり、隆に触りたいな」

「っ…」




キスの後、布越しに隆一の身体に触れる。
もうすでにツン…と固く勃った乳首を、シャツの上から意地悪そうにイノランは弄る。
布越しの指と舌先での愛撫はいつもよりもどかしくて、あっという間に隆一を蕩けさせてしまって。
がくがくと脚が震えて、イノランに縋り付くしかなかった。




「ーーーっ…ぁ、んん…っ…ゃ」

「気持ちイイ?」




カタン。

かさ…



「?」


朦朧とした頭で聞いた音は、どうやらさっきの箱を開ける音。
片手で隆一を抱きしめたまま、イノランはハート形の小さなチョコを取り出したのだ。




「せっかく隆が選んでくれたチョコレート」

「…ぁ、」

「もらうね」



ころ。

イノランはやっぱり意地悪そうに微笑みながら、チョコを一粒自身の口に入れた。





「美味いし、」

「ぁ、」

「甘い」

「ーーーイ、」

「ほら」




チョコレートを分け合うキス。
小さな塊が、舌先の隙間で絡んで溶けて。



「っ…ん、」

「…り、ゅ」

「ふ、」



こくん。

溶けたチョコレートを、隆一の喉が飲み込んで。
それを合図に、イノランは隆一を強く抱きしめた。



「ぁ、」

「ーーー外ではこんなのも、」

「っ…あ、ぁ…」

「気持ちよくていいだろ?」



お互いジーンズの中で勃ち上がったそこを。
今日はスタジオの中だから、服の上から擦り合う。
また、いつもと違う感覚。快感。
ぐいぐいと擦り付けてるだけなのに堪らなくなって。
服を汚す前にと、急く気持ちを抑えながらジッパーを下す。



「…っ…ん、」

「隆っ…」


取り出したふたりのものを、ぎゅっと重ねて扱く。
耐え難い快感に、隆一の爪がイノランの腕に爪痕をつけた。


「ぁっ…あ、ゃ…も、」

「イイ…よ…っ、」

「イノちゃ…っ…」

「ーーーりゅう…っっ…」



「ーーーーっ…ぁ……ぁ…っ…」





くっ…と、背中を仰け反らせて。
声にならない嬌声のあと。





「…んっ…好き」


「大好き…っ…」





果てた瞬間、隆一は自分から唇を重ねた。
溢れた涙は、気持ちの結晶。
キスも、身体を重ねる事も。
そして特別な一日の過ごし方も。
イノランに教えてもらったことが、またひとつ。


こんな自分を見せられるくらい。
あなたを愛しています、と。



隆一は、生まれたての名も無い風に。
想いを込めた。






























「どうでした?昨夜は」



「葉山っち」

「イノランさんと過ごせました?」

「うん、ありがとう!とっても幸せな夜だったよ」

「そうですか、良かったです」






「ね、葉山っち」

「はい?」

「ーーー葉山っち、昨日さ。ーーー俺に、」

「?」

「…あの。帰る時に、おでこに…」

「あ、」

「…キスって、なんでしてくれたの?」

「ーーーああ、」



チョコレートをもらった時の、額のキス。
まさか葉山自身、してしまうなんて、思いもよらなくて。


でも。




「ありがとうって、意味でしょうかね」

「ありがとう?」

「はい。感謝の意味のキス。隆一さんと出会えた事とか、一緒に音楽ができたり…あとは、僕にまでチョコレートをくれて」

「ーーー嬉しいって、思ってくれたの?」

「もちろんです!」

「!」

「そうゆう意味のキスもありますね」

「そっか!」


「ーーーと、あとは」

「?」



ーーーこれは言ってもいいのだろうか?と、葉山はちょっとだけ迷った。
でも。


思った事は事実だから。





「可愛いって、思ったので」







end



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