クリスマス イヴ
クリスマスプレゼントは何がいい?って恋人に訊かれたら。
一緒にいたい、って。
俺は迷いなく答えるよ。
《クリスマスイヴ》
「これこれ!なぁ隆!これなんかすげぇ良いと思うよ」
「えー?どれ?」
「ほらこんなの。アイツの好きなブランドでしょ?」
「あ、そうだね。イノちゃんがよく身につけてる…」
「ね!ほら、今冬の新作だって!いいんじゃない⁉︎」
「ーーーーースギちゃん…」
「それともこっちのがいい?」
「ね、スギちゃん」
「アッシュカラーも良いけど、やっぱアイツは黒かなぁ」
「スギちゃん!」
「アクセサリーもさ、新作のがいっぱい…」
「スーギーちゃん‼︎ってば!」
隆一は思わず声を荒げてしまって、ハッとして口を慌てて噤んだ。
自身のスマホを駆使して、半ば必死にあれやこれやと薦めてくれるその真意を隆一は理解しているから。
しかしそのスギゾーの勢いに申し訳ないと思いつつも遮らずにいられなかった。
「ありがとうスギちゃん。でも、大丈夫だから」
「ーーー隆…」
少々複雑そうな笑顔を浮かべて礼を述べる隆一に、スギゾーは小さな溜め息を吐きながら眉を下げる。
隆一の見せる笑顔が本心からじゃ無く、スギゾーを気遣ってのものだと気が付いたから。
隆一は嘘の笑顔が下手だ。
というか、溢れる感情を誤魔化す事がそもそも上手くはないのかもしれない。
嬉しく喜びの気持ちがいっぱいだと、まるでそこに無いはずのフリフリの仔犬の尻尾が見えるようだし。
怒ったら(相手によるのだろうが)よく通る声で拒絶の言葉は必至。
悲しい時は(これも相手によるのだろうが) ぽろぽろと屈託なく涙を溢す。
オフィシャルな場では上手くこなす隆一も、それが彼の全てではない事をスギゾーは知っていた。
ーーーそしてそれが顕著になる相手が誰なのか…も。
「帰って来れないの?アイツ」
「ーーーん。そうだね」
「クリスマス休暇とか無いの?」
「ーーー多分ね。だって、そりゃそうだよ。ソロツアー真っ最中なんだもの」
「…ま、な」
「それでもいいよって送り出したのは俺だから」
「ーーー」
「クリスマスだから帰ってきて、なんて言えないよ」
そう言った途端、目の前のスギゾーが。
「やっぱ寂しいんじゃん」
と、少々不貞腐れたように呟いたのには隆一も苦笑するしかなかった。
隆一とイノランが恋人同士になって、もう幾つかのクリスマスを越えてきた。
イヴからずっと一緒にいた年もあったし、25日が終わる寸前でやっと会えた年もある。
ひとつとして同じではないふたりのクリスマスの想い出は忘れられない。
それでは今年はどんなクリスマスを迎えられるだろう?と、秋が過ぎた頃から期待で胸がいっぱいだった隆一にイノランが告げた言葉。
それを聞いた途端、胸の内がしゅるしゅると萎んでいく感覚を隆一は感じていた。
〝今年の冬は海外でツアーやるかもしれない〟
仕事帰りの隆一を迎えに来たイノランが駐車場に向かう道すがらに言った言葉に。
隆一は思わずぴたりと足運びが止まってしまった。
目の前にもうイノランの車って場所で足が止まった隆一。
きっとその心情を、イノランは予測していたのだろう。
もしかしたらいつ切り出そうかとも、ずっと考えていたのかもしれない。
目をぱちりと開いて、力無くダランと下がってしまった隆一の手を、イノランは苦笑しながらぎゅっと繋いで。
もう片手で助手席のドアを開けると隆一を押し込んだ。
「帰るのは年明け、一月の真ん中あたり…か、」
スギゾーとスタジオで別れてからの帰り道。
タクシーの車窓からの景色をぼんやり眺めながら、隆一はひとり呟いた。
きらきらしたクリスマスの装飾の街並み。
アーティストならば(アーティストでなくとも、誰もがきっと) こんな街並みを眺めたらクリスマスソングを思い浮かべて口ずさんだりしてしまうだろう。
隆一だって今までクリスマスソングを作曲しては歌ってきたのだから。
「ーーーーーでもな…」
今年は様子が違う。
ステージならば歌い上げられるこの時期の特別なクリスマスソングも、いざプライベートで気の向くまま…となるとそんな気分にはなれなかった。
「ーーーはぁ…。」
つい、溜息。
こんな気分になってしまう理由は、自分自身わかり過ぎるくらいにわかっている。
イノランが今年のクリスマスはいない。
何だかんだと忙しいこの季節、今まではどうにかお互い都合をつけてちゃんと側にいる事ができたから。
ーーーだから。
恋人同士になって初めての離ればなれのクリスマス。
寂しいと思うのも仕方がないのかもしれない。
〝クリスマスとニューイヤーの瞬間は絶対電話するよ。…会えないけど、隆の声を聞いて迎えたいよ〟
〝プレゼント、向こうから送るよ。何がいいかリクエストがあったら教えてな〟
「ーーープレゼント…なんて、」
〝ーーーだから、隆〟
「欲しい物なんて無いよ」
〝ーーー隆、〟
「物なんていらない」
困った顔して笑うイノランに、隆一は本当は、こう突きつけてやりたかった。
言ったって、それはイノランを困らせるだけで。
この仕事をしている以上仕方の無いことだけれど。
「一緒にいたい」
時同じくして、海の向こうのイノラン。
ソロメンバーと共に初めての地でのライブツアーの真っ最中。
海外での、それも小さなライブハウスを駆け巡る音楽の旅。
予定通り、準備した通りにいかないのは日本でのライブでも経験があるけれど。
その比率が国内でのライブとは比べものにならないくらいに、一筋縄ではいかないツアー。
けれどもそのアクシデントも楽しむ心の余裕を持って、イノランバンドはその音旅を着実に進めていった。
「あ、」
夕飯の買い出しに、メンバーひとりと小さな町のマーケットに繰り出していたイノラン。
両手に買い物袋をぶら下げて、今夜の宿へと帰る途中の町並みで。
それまでメンバーと談笑していたけれど、ふと。
視界に入った、きらきらとしたイルミネーションに包まれた街路樹を見て。
ぴた…と。
上を見上げたまま、イノランは足を止めた。
「?」
じっと上を見たまま黙ってしまったイノランに。
一緒のメンバーは首を傾げて問いかけた。
「イノランさん?」
「ーーーーーあ、ああ。ごめん」
ハッとして。
イノランはそれでもなお、上を見上げたまま。
ごめんと、微笑みながら言った。
「ほら。クリスマスツリー」
「ん?ああ、もうクリスマスだからなぁ」
「ね。もうすぐだな」
「夢中でツアーやってると、ちょっと忘れるな」
「はははっ、ーーーーーな」
ーーーじっと。
そんな会話を交わす間も、イノランはクリスマスツリーから目を離さない。
きらきら光るちいさな灯りに心奪われたみたいで。
光の向こうの、何かを見ているみたいで。
メンバーの彼は、何気なさを装って尋ねてみた。
「ーーーなに、プレゼント届けたいひとでもいるの?」
「んー?」
このイノランがそう易々と答えるとは彼も思っていない。(何しろはぐらかすのが上手いバンドリーダーだから)
でも、なぜだか訊いてみたかったのだ。
こんなにまで、まるで恋焦がれるように小さな光を見つめる訳を。
言う筈ないだろうなぁ…と思っていた。(仮に何か答えてくれたとしても誤魔化しだろうと)
でもこの時のイノランの言葉は、シンプルでかつ、素直なものだったのだ。
「会いたいなぁ…って、」
「え?」
「思ってさ」
「ーーーーー誰に?」
「…あのさ。クリスマスに会いたいって言って、ここでスギゾーさんに!とか俺が言ったら驚きじゃない?」
「いいじゃないっすか!クリスマスに本家メンバーに会いたいって素敵だと思うけど?」
「本家メンバー…。まぁ、間違いじゃないんだけど…。ーーーでもクリスマスツリーだよ?きらきら光るイルミネーション見て恋しがるって、ふつう恋人相手にじゃない?」
「っ…恋しがる…!ええっ…⁈イノランさんが恋しがる⁇恋人に⁈そんなことあるんすかっ⁈」
「ーーーあのね…」
「マジっすか⁈」
「…すげぇ俺が冷酷な奴みたいな感じじゃん」
「だ…だって‼︎…ーーーへぇ、そんな…気持ちに…今…ーーーそうなんですね」
「いいでしょうが!クリスマスツリー見て、遠く異国の恋人に想いを馳せても」
「まぁ、そうですよね。今年はこっちでツアー中だから…」
「一緒に過ごせないもんねぇ、今年は」
「…そっか。ーーーじゃあ、向こうの方もさぞかし寂しい思いを…」
「(向こうの方って…コイツも知ってるひとなんだけどね)…言うなよ。そう思って切なくなってたんだから」
「そうですよね。ーーーでも電話くらいはするんでしょう?クリスマスプレゼント送ったり」
「ん、まぁね」
「クリスマスは一緒に過ごせないってわかってて送り出してくれた方なんでしょう?絶対、絶ーっ対!こっちから出来ることしてあげなきゃダメですよ!」
「…なんでお前に説教されんのさ」
それかどうします⁈クリスマス休暇作っちゃいます⁇今からスケジュール変更可能っスよ⁈
クリスマスに東京帰っちゃいます⁈イノランさん‼︎
ーーーなんて真顔で言うメンバーに、イノランは苦笑して否定する。
そんな考えは、日本を発つ時にすでに頭を過った事。
それでもそうしないのは、いってらっしゃいと笑って送り出してくれた隆一の想いを受け取ったからでもある。
隆一に抱えさせてしまった我慢とか、寂しさとか、切なさとか。
無駄にしてはいけないのだ…と。
プレゼントのリクエスト…と隆一に言っておいたけれど。
それへの返答は、クリスマスを目前にした今でも来る気配が無い。
イノランはこっちへ来てから一度も恋人と繋がらないスマホをぼんやり眺めながら、考えていた。
「ーーー俺から言いだした事だけど、ぶっちゃけプレゼントって…」
「物って、わかんないんだよな」
今までお互いの誕生日や、それこそクリスマスに。
互いの好きそうな物、密かに欲しがっていた物、似合いそうだなぁと思った物。
そうゆうのはプレゼントし合って、喜び合ってきたけれど。
ーーー出し尽くした感…というのか。
物は。何が喜んでくれるのか、迷う部分もあった。
「ーーーーー物じゃ…ないのがいいのかな」
イノランは、ふぅ…と恋人の顔を思い浮かべる。
好きなひと。
誰よりも、大切だと思えるひと。
好きになって、好きになってくれて。
今この瞬間も、会いたくて堪らないひと。
今回のツアーだって、どんな機材トラブルも、例えばアクシデントも。
そんなのは平気で。
仲間と一緒の音旅だと思えば、それすらも楽しみで。
ーーーでも。
たったひとつだけ、ふとした瞬間に心がグッと詰まるのは。
海の向こうの、隆一。
クリスマスを一緒に過ごしてあげられない今年の冬。
彼の側にいてあげたいと、もどかしさが募る。
ーーーいってらっしゃい。
そう言って送り出してくれた隆一は笑ってた。
…でも。
あの時の笑顔は、本心のものだったろうか。
「ーーーーー違う、きっと」
自惚れかもしれないけれど。
「俺が逆の立場だったら、そうじゃない」
「本心は。隠すだろうなぁ…」
プレゼントは?
そう訊かれたら。
物じゃない。
高価なアクセサリーでも、美味いワインでもない。
そうじゃない。
「一緒にいたいって、」
「ーーーーーそれだけだ」
〝プレゼントは何がいい?〟
隆一は、イノランからのその問いに答える気は無かった。
言ってしまったら、それは彼を困らせるだけだとわかっていたから。
だからクリスマスまで隆一からは電話もメールもしなかったし、もしイノランから連絡があったとしても、プレゼントの話題になったら上手くはぐらかすつもりでいた。
そしてそんな日々を過ごす中、世の中はクリスマスイヴを迎えたのだ。
「隆一さん、どうぞ」
今日の仕事の帰りがけに葉山が隆一に手渡したのは小さなパティスリーの箱だった。
チョコレート色の四角い箱にはクリスマスらしく赤のリボンが飾る。
その下の華奢な金色の英字の箔押しを見て隆一は目を丸くした。
「葉山っち…。これって、すっごく買うのが大変な…」
葉山が手渡したのは、予約のできない洋菓子店のケーキだった。
クリスマスケーキでさえも並ばないと手に入らない、買えたらラッキーなものだ。
「ちょうど通りかかったもので…。隆一さんにって思って」
「ーーー通りかかった?」
「え?ええ、たまたま」
「嬉しい」
「そうですか、それなら良かったです」
「ありがとう。すごく嬉しいよ」
「ーーーーーはい」
はにかんでその小さな箱を見つめる隆一を、葉山はそっと微笑みを浮かべて相槌を打った。
上手く誤魔化して説明ができなかったなぁ…と内心頭を掻いて。
たまたま、通りかかった…では、とても並べるような行列では無いから。
けれども。
ーーー知っていたから。
今年はイノランがいないと。
別にそれで隆一が寂しがっていると訊いたわけでもないし、本人から言われたわけでもないけれど。
ーーー知っていたから。
隆一が実はとても寂しがりで、それを飲み込んでしまうって事を。
だから自分にせめて出来る事を…と考えた時。
葉山にとって長時間並ぶという事は何でもなかったのだ。
〝隆一さん、いい夜を〟
帰りがけに葉山がかけた言葉。
隆一は帰路につく間、何度もそれを反芻した。
「いい夜を」
「ーーーいい夜、かぁ」
玄関を潜ってリビングに着くと。
隆一はテーブルにケーキの箱を大事そうに置いて、その足でバスルームに向かう。
今夜はとても寒かったのだ。
帰りのマネージャーの車はエアコンが効いて暖かかった筈なのに。
家に着けば今夜はひとりなのだと思うと…
気持ちの問題なのだろうか?
がらん…とした冷蔵庫の様な気分になってしまった。
「ーーーぅ、わぁ!」
風呂上がり。
部屋はほんのり暖かく。
葉山に頂いたケーキの箱を開けると、小さなひとり分のホールケーキが入っていた。
大きなひと粒苺がてっぺんに。その周りには様々なベリー類やナッツが散らばって。
砂糖菓子の赤い服のサンタがちょこんと座ってる。
鮮やかな赤色に見るからに元気が出そうで、こんな贈り物をしてくれた葉山に隆一は改めて感謝した。
「ーーーイノちゃん、葉山っちに感謝だよ?」
少しばかりふくれるフリして。
でもだからと言って、責めるつもりなんて毛頭ない。
音楽は自分達にとって、それだけ大切なもの。
時にはそれを優先して、自分の気持ちは後回しに。
そんな時もあるのだ。
でも…。
けれども。
こんな特別な夜に、ほんの少しだけ我儘になっていいのなら。
「会いたい…な。ーーーイノちゃん…」
隆一の一番欲しいプレゼント。
何より望むくせに、強請る事はできないプレゼント。
誰もいない部屋で、隆一はそっと呟いた。
と、その時だ。
pipipipi
「ぇ、」
唐突に鳴り響くのは隆一のスマホ。
通常よりこもった音に聴こえるのは、まだ鞄のポケットに入れたままだからだ。
隆一は慌てて先程まで携えていた鞄に駆け寄って、鳴り続けるスマホを取り出して、その画面を見て息をのんだ。
「ーーーイノ…」
pipipi…
pi。
「ーーーーーは、はい…イ、」
『隆?』
「ぅ、うん。イノ…ちゃん?」
『よかった、出てくれた!』
「っ…うん」
『隆ちゃん、仕事は?』
「いま、帰ってきたところ」
『そっか。ーーーお疲れ様。寒かっただろ?』
「ーーーぅ…っ…うん。平気、」
『そう?ーーーあったかくするんだぞ』
「うん、ありがとう。ーーーイノちゃんは?そっちもイヴでしょう?今夜はライブは?」
『ーーーああ…。ーーーうん、』
「?」
『ん、それがね。ーーー空けた、今夜の予定』
「ーーーライブやめたの?」
『クリスマス休暇ってのかな。今夜は休んじゃえって、みんなで』
「ーーーっ…」
『メンバーみんな、それぞれにゆっくり過ごしてるよ』
「ーーーそ、なんだ」
クリスマス休暇。
初め、この日もライブをするつもりで会場の仮予約はしていたのだ。
けれども例の買い出しに同行したメンバーのひとりが、イノランが日本に恋人を置いてきている事を知って。そしてそれを憂いている様子のイノランを見て。
それなら休んじゃいましょう!
今夜はみんなでクリスマス休暇です‼︎
そう言って。
さっさと仮予約中のライブハウスに連絡を入れて、今夜の予定を白紙に戻したのだった。
「ふふっ、面白いねぇ。イノちゃんのメンバー」
『面白いよ。一緒に巡ってると退屈なんてしないぜ?』
「ふふふ、」
『ん?』
「いいね。ーーーよかった。イノちゃんがすっごく楽しそうで」
『ーーー』
「充実した日々を送っているね」
『ん、それはね。隆ちゃんのお陰でもあるんだよ?』
「ーーー俺?」
『送り出してくれた。いってらっしゃいって、笑ってさ』
「ーーー」
『ありがとな、隆』
「ううん、」
『ーーーだからね。今夜はこうして、』
「ぇ、?」
『クリスマス。電話越しだけどさ。話したり…。ーーー本当はすぐに会いに行きたいけどね』
「っ…イ、ノ…」
『一緒に過ごそう』
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