短編集・2
甘い香りがした。
美味しそうで、手を伸ばした。
2月14日。
チョコレートの日。
世の中は、ピンク色やらハートやら。
ともすれば、むせ返りそうな一日。
元々、甘い物を進んで手に取る方ではない俺。
でもこの日ばかりは、そうも言っていられない。仕事に行けばスタッフ達からのチョコレートが、気付けば山積みになっていて。それに加え、事務所に届くたくさんの贈り物。
毎年有り難い思いをいだく反面。さて、この大量のチョコレートをどうしようか…と思案に暮れる。
今日はルナシーのライブのリハーサル。
ツアー中だからライブとライブの間にリハとキャンペーン周り。それからソロ活動の仕事も入って、なかなかの多忙な日々だ。
今日も午前中から数日後のライブに向けて曲順の確認をしつつギターを鳴らす。
まずは軽く通して曲間の繋ぎをどうするか…楽器隊で試行錯誤を繰り返した。
我等がヴォーカリスト。
隆はまだここにはいない。
彼は朝イチで別の仕事に行っていて、昼間には終わって俺らと合流する予定だ。
昼休憩を挟んだら、午後は隆も交えて頭から通してのリハ。
集中しているとうっかり忘れてしまうが、小休憩でスマホを弄ったりすると思い出す。
今日がチョコレートの日だって事。
そして否が応でも期待してしまう。
恋人からのチョコレート。
ひと月ほど前に味見をさせてもらったら美味かった。
音楽以外にも創作意欲全開の、俺の恋人。
今まで色んな物を器用に製作してはプレゼントしてくれて。俺はその度に感心しては、惜しみなく向けられる愛情にますます恋人を愛おしく思うのだ。
「イノラン食べる?」
後ろから声がして振り返ると。
真ちゃんがにこにこしてチョコレートの入った箱を差し出していた。
小さいのがたくさん並んでいる。
一瞬、せっかくなのに悪いかな…と思ったけれど。
ごめんね。と心の中で謝って、少しの我儘を言わせてもらう。
「んー…今はいいや。ありがと真ちゃん」
「そう?スタッフの女の子達から貰ったんだけど。…ーーーあ!そっか、わかった」
「ん?」
「一個めは隆ちゃんからじゃないとな!」
「え…」
あれ?顔に出てる?
「隆ちゃん手作りするって言ってたもんな。イノラン愛されてんなぁ」
わはは!と笑いながら、真ちゃんは他のスタッフの方へ行ってしまった。
…俺ってそんなに解りやすいのか?
そう。隆からの手作りチョコレート。
俺が甘味が苦手だからって、わざわざ俺用に用意してくれると言っていた。しかも中にはテキーラを仕込んで。
「………」
いけないと思いつつも、顔が緩む。
だって仕方ないよな。
好きな相手。大本命からのチョコレートなんて、きっと全世代共通の歓びだと思う。
緩んだ顔をどうにかしないと…と。テーブルに置いたコーヒーを口にする。
冷めたコーヒーだけど、苦味が広がって心なしか目が覚める。
するとその時、廊下が騒がしくなって入ってきた。
「おはようございまーす!みんなお待たせ!」
待ち人。
隆がマネージャーと一緒に到着した。
その途端。
ふわっ…
「?」
なんだ?
今すごく、いい匂いがした。
周りのメンバーやスタッフを見ても、いつもと変わらない。
到着したての隆と和やかに話してる。
なんだったんだろうと、俺も隆に歩み寄ると、俺に気付いた隆が満面の笑顔で声を掛けてくれた。
「イノちゃんおはよう‼」
「ん。隆ちゃんお疲れ様」
一歩、隆が俺に近付いた。
そしたら。
ふわっ…
まただ。
さっきのいい匂い。
甘い、柔らかな…
ーーー…隆から香ってる?
「?ーーイノちゃん?」
ちょん。と、首を傾げて隆は不思議そうな顔。
俺が何も言わずに隆を見ていたからか、覗き込んでくる。
「イノちゃーん⁇」
「っ …あ、ごめん」
「変なイノちゃん」
イマイチな反応をする俺を大して気にせずに。隆はくすくす笑いながら、他のメンバーの方へ行ってしまった。
昼休憩を挟んで、通しのリハが始まる。曲順と繋ぎ、どんなアレンジにするかが主な確認箇所。数日後にライブを控えているから、皆全力では無い。隆の歌も程良く力を抜いた軽やかものだ。
( でも、好きなんだよな。その歌い方も )
時折、目を瞑り。気持ちよさそうに歌ってる。
まるで空を歩くみたいに。
雲の上を跳ねるみたいに。
ギターを弾きながら隆の歌に心地良く浸っていると。
あ…まただ。
鼻先を掠めるように香る、甘い匂い。
咄嗟に隣を見た。
するとさっきまでマイクスタンドを握っていた隆の手が、大きく宙を舞っていた。
その度に、ふわり…と香る。
( いい匂い )
他のメンバーはというと、やっぱりさっきと同じ。何も感じては無さそう。
( ーー俺だけ?)
こんなにいい匂いなのに。
気付かない訳無いと思うけど…。
もしかして、好きなヤツにしか感じない匂いとか、そういうのだったりして。
そんな訳無いと思いつつも、甘い香りに酔いしれる。
鼻腔が擽られる度、胸が高鳴るのがわかる。
( 終わったら隆に聞いてみよう )
うわの空でリハをする訳にはいかないから。騒つく心を断ち切るように、俺はギターを掻き鳴らした。
「隆ちゃん」
リハが終わって解散になった夕暮れ時。帰り仕度をする隆に近付いた。
俺の声に振り返って微笑む隆。
ふわ…。と、あの香り。
「…やっぱり。隆ちゃんだ」
「え?」
「隆ちゃん。何か、スゲエいい匂いするんだけど…。なに?」
「匂い?ーーーぇ…どんな?」
「んー…なんか甘い匂い」
「甘い?ーーーなんだろう…。どの辺からかな」
「皆んなは気付いて無さそうだったけど、俺はすぐわかったよ?隆ちゃんが入って来た時から」
「へぇ~?」
くんくんと、自分のあちこちを嗅ぎ始める隆。その様子はまるで仔犬みたいで、とっても可愛い。
「なんだろう…香水はつけないし。…今朝も…チョコレート作りの仕上げしてたくらいで…」
「チョコ?」
「う?ぅ…ん。ーーだって、今日はさ」
急に恥ずかしそうに視線を逸らす隆。
ヴォーカリストから、恋人に変わる瞬間。
ほんの一瞬の間に、頬を染めて恥じらう姿を見せてくれる。
「チョコレートの日」
「…うん。ーーイノちゃんに…約束したもん」
「ん。」
そうか。それでか。と、やっと心で頷けた。
チョコレートの移り香だったんだ。
でもだったら、それこそ皆んなが気づかないのは何でだろう…と不思議だったけれど。
好きな相手の事だからこそ気付けた、微かな匂いだったんだと。そう思う事にした。
「ねぇ、隆ちゃん」
甘い香りが、美味しそうで。
俺はそっと手を伸ばす。
隆の手首を掴むと。
びっくりした顔が、次第に潤み始める。
次の展開への期待が、隠せなくて。
俺は微笑んで、帰りの喧騒の中。
静かに隆の手を引いて。
誰もいない、別の部屋へと進んで行った。
「イノちゃんっ …ね、まだ……」
「ん?」
「まだ皆んな、いるよ」
「わかってる。ーーーだから、バレないようにな?」
さっきまで居た、スタジオの隣の隣の向かいの部屋。よくメンバーが仮眠に使う大きなソファーや給湯設備なんかがある部屋に、隆と入り込んで。
入ってすぐ、隆を抱きしめる。
「ホントだ」
「え?」
「ここまで近付くと、チョコの匂いだってわかる」
「ホント…?」
「うん。ーーー美味そう」
「え~?イノちゃん、甘いの苦手なくせに」
「苦手だよ?」
「っ !…」
ドサリ。…と、隆をソファーに押し倒す。
「でも、隆ちゃんだけは別」
「ーーーイノっ …」
「いい匂い…全部、食べたい」
催促するように隆の頬に唇を落とすと。物足りなさそうに、観念するみたいに、隆の両手が俺の肩に絡み付いた。
「…ン…っ ふ…」
「っ …」
「ふ…っ …ぁっ …」
「はぁっ …」
仮眠室に響く、吐息と水音。
チョコレートの匂いに包まれながら、隆とのキスをたっぷりと堪能する。
くちゅ…と唇を吸うと、俺の襟足に絡んだ隆の手の爪がぎゅっと食い込んだ。
「ぁん…ン…」
同じ階の部屋からは、メンバーやスタッフ達の談笑が微かに聴こえてくる。
まだ帰らずに、チョコレート談義で盛り上がっているのかもしれない。
隆のシャツの裾から手を差し入れながら、耳元で囁く。
「大きい声出しちゃダメだよ」
「ん…っ ぇ…?」
「こっちの声も向こうに聴こえる。こんな事してるって、気付かれちゃうよ?」
「!」
バッと口を手で抑える隆。
でもそんな制止も、すぐに無駄になるって知ってる。
隆の身体の隅々まで愛したら、いつだって止めどなく声が溢れるから。
色付いた胸の先を口に含んで、しつこいくらい舐め上げる。もう片方は指先で刺激してやると、早速声は抑えられないようだった。
「ぁっ あ…やぁっ …」
「我慢できない?」
「っ …だっ…て…そこっ ばっかり」
「ん…?ーーーじゃ、こっちも」
指先を下へと持っていって、服越しに隆自身に触れると。触れただけで、ビクリと身体が震えるから。俺もつい、意地悪くなる。
ジーンズの中で硬くなっている俺自身を、隆のそこに擦り合わせた。
「ン…ぁんっ …」
「っ りゅう…」
「ゃ…も…だめっ …イノちゃ」
隆の声が切羽詰まっているのがわかって、服を汚す前にジーンズを抜き取る。我慢出来ずに溢れたものが、隆の先端を濡らしていて。掬い取って後孔に柔らかく塗り込むと、張り詰めた俺自身でゆっくりと貫いた。
「んっーー …」
隆が身体を揺らす度、チョコレートの甘い匂いが撒き散らされて。
目眩がしそう…。
「ンッーーーイノちゃんっ …」
繋がったまま隆が抱きついて、すぐ側に隆の潤んだ顔。赤く染まった頬と濡れた唇が、可愛くて堪らない。
肩を上下させた荒い呼吸の隙間で、隆は微笑んで言った。
「…イノちゃん」
「ーーー…ん?」
「ーーーーーね…美味しい?」
「ーーっ 」
隆の言葉で、身体がカッと熱くなって。一気に隆を攻め立てる。
声を抑えるなんてやっぱり無理で。隆の口から、気持ちいい声が溢れ出す。
「りゅうっ 」
「ぁんっ …あ…あっやっ…あん…」
「お前っ …最高…」
「あっぁ…イノちゃ…っ …」
「んっ …」
「ーーーー大好きっ …」
上り詰める瞬間、隆はまた微笑んでくれて。途切れ途切れの声で聞かせてくれた、それは。
最高級のチョコレートなんか目じゃ無い。
俺にとってはこれ以上無い。世界にひとつの、チョコレートみたいな隆だった。
夕焼け射し込む部屋で、やっと一息ついた俺たち。
名残惜しくて、何度もキスを交わしていた時、思い出した。
「…声。めちゃくちゃ出してたな」
「う…。だって…止められないもん。…どうしよう聴こえたかなぁ…」
「ーーまぁ、大丈夫だよ。向こうも騒がしかったから。気付かないって」
「ーーーーーイノちゃん…すごいから」
「ん?ーー気持ち良かっただろ?」
「またそーゆう事!」
「俺は最高だったよ?隆ちゃん、すっげえ美味かった」
「だから!そーゆう事言うな!」
「俺だけ隆ちゃんの匂いに気付いたから、俺だけのチョコだよな?」
「ーーーーホント不思議。何でなの?」
「さぁ、わかんねえけど。ーーーー隆ちゃんの事愛してるからじゃない?」
「ーーーもぉ」
せっかくイノちゃん用にチョコ作ってあるのに。もうお腹いっぱいって感じじゃないの?
なんてブツブツ不貞腐れる隆を、もう一度抱きしめる。
「作ってくれてるチョコだってもちろん楽しみだよ。隆ちゃんありがとう、俺めちゃくちゃ幸せ者」
「ーーーーー今夜、泊まるでしょ?」
恥ずかしそうに見上げる隆の顔。
今日これからの期待に頬が染まってる。
また愛して良いって事だよな?
「もちろん」
君とこの夜を。
end…? ↓
J・スギゾー・真矢は。
「…スタッフ達、先に帰って良かったな」
「ああ…」
「隆の声がどんだけ響くか、アイツら忘れてんじゃねぇの?」
「ーー家帰るまで待てなかったんだな」
「まあ、今日はね。しょうがないんじゃない?」
「バレンタインだし」
「そうそう」
「……」
「……」
「……」
「隆の声。すごいな…」
end
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