白の牢獄〜あなたへ〜
夜闇に包まれた町に飛び出したリュウイチは、昼間見たショーウィンドウの前に立っていた。
シラカバの林に囲まれたこの町は、夜になると散策できる場所は無くなってしまう。
シン…と静かな町を、シラカバの白い幹がぼぉ…と浮かび上がるばかり。
この時間は開店している店は無い。
数メートル先のパン屋は、もうこんな時間から仕込みをしているのか灯りがもれているが、あとの店舗は看板を外灯が照らすだけ。
「ーーー…」
このレストランもそう。
ショーウィンドウの天井から小さなオレンジ色のライトが照らす。
そしてそこに鎮座していた白いギターは無い。
ハヤマが店の奥の部屋にギターを移動させてくれたからだ。
〝リュウイチさんにお渡しするまで、責任持って大切に保管しておきますね〟
帰りがけに微笑みながら言ってくれたハヤマの姿を思い出す。
ギターの代わりに置かれたぴかぴかと光るサックスを眺めていると、また視界が滲んで頬を雫が伝う。
イノランとのやり取りで、もうどうしようもなくなって。
それでもイノランから貰ったストールだけは握りしめて寒空の下へ飛び出した。
ぐちゃぐちゃで、ズキズキ痛む胸の内を抱えて。
足を止める場所は、ここしかなかった。
「…ぅ、っ…イノ…ラ……」
「ーーーーー…っ…めん…」
「ごめ…ね、っ……ノ…」
大きなお世話だった…?
どうするのがよかった?
手助けなんて、そもそもイノランには要らなかったのかもしれない…?
「ーーーっ…嫌われ…たら……」
「……俺……」
歌う意味も、もう…
カタン。
「ーーーーーリュウイチ…さん?」
「…っ、」
戸口を開ける小さな音の後に聞こえたのは、昼間と同じ、穏やかなひとの声。
ーーーしかし今は、その表情に戸惑いの色を含む。
こんな夜更けに、しかも泣き崩れたリュウイチの姿を認めて慌てたのだろう。
「リュウイチさん、ですよね?…どうしたんですか、こんな深夜に…」
「ーーーハヤ…」
「…それに」
「……マ…さ」
「ーーーーーこんなに泣いて…」
しゃがみ込むリュウイチに合わせて、ハヤマは膝を着いて姿勢を下へ降ろす。
そしてそっとリュウイチの手に触れて顔を顰めた。
氷のように冷え切った手先。
「冷え切ってるじゃないですか、」
「ーーーっ…大丈…」
「何言ってんですか、大丈夫じゃないでしょう!ーーーとにかく入ってください、暖まらないと」
「…でも、」
「困った時はお互いです。それに僕たちはもう知らないひと同士じゃないでしょう?」
ぐいぐい手を引かれて、昼間過ごしたカウンターの奥の長椅子にハヤマはリュウイチを半ば強引に座らせた。
すぐ側には暖炉がある。
じんわりと温もりを感じる。
泣き腫らした目でぼんやりと赤く燃える火を見つめていると、柔らかい毛布がふんわりと落ちて来た。
「ハヤマさん…こんな…お世話になって、」
「いいんです。とにかく風邪引いたら大変です。ーーー風邪なんか今引いたら、」
「…」
「歌えなくなってしまいますよ」
「ーーーーー」
「ーーーリュウイチさん?」
〝歌〟と聞いて言葉を飲み込んで動きを止めてしまったリュウイチに、ハヤマは心配気に顔を覗き込む。
一旦は止まっていた涙が再びリュウイチの頬を伝落ちているのを見つけると、堪らずにその身体を抱き寄せた。
それは泣きじゃくる子供を慰めるような抱擁で。
「ーーーリュウイチさん…」
「ーーーーーっ…ハヤ…俺…」
「いいですよ。泣いていいです」
「…っ……」
「お話も聞きます」
「ーーー…ぅ…っ、んぅ…」
「だからどうか、心休めてください」
ホゥ…ホゥ…
林の奥から、夜の王者、梟の声が聞こえる。
「ーーーーー……」
すやすやとやすらいだ寝息が聞こえる。
長椅子に横たわって眠るリュウイチは子供のようにあどけない寝顔で、ハヤマはそっと微笑んだ。
「ーーー」
泣き疲れて、しゃくり上げながらも話を聞かせてくれたリュウイチ。
その話の内容を聞いたら、このまままた寒空の下帰すことはできなかった。
彼は待っているだろう。
行方を言わずに飛び出して来たリュウイチを心配しているに違いないだろうけれど。
それでも、だ。
リュウイチの彼の為に力を尽くしたいという健気な気持ちが沁み入った。
それはうっかり涙ぐみそうなくらいに。
しかし彼の気持ちも…解らなくはない、とも思うのだ。
直接聞いたわけではないから、彼の気持ちは憶測に過ぎないのだが。
リュウイチを守ってあげたい、出来ることなら自分だけを見て欲しい。
そんな気持ちを彼は抱えて思い悩んでいる気がしてならない。
だってそれ程に、リュウイチは綺麗なひとだから。
見た目や声だけでなく、心持ちや魂が…だ。
出会ったばかりのハヤマの目から見ても、それは同じように感じるくらい、リュウイチは綺麗なひと。
例えば今回のふたりの出来事がハヤマの考えに当て嵌まるのだとしたら、彼…イノランは今頃は己の抱える独占欲や嫉妬心で自責の念に駆られている筈だ。
サラ…
ハヤマはリュウイチの髪をそっと撫でた。
暖炉と毛布の温もりで、リュウイチはぐっすりと眠る。
さぞ泣き疲れたのだろう。
「ーーー僕も乗りかかった舟…」
「今回のことは僕も一枚かんでいますから、力にならないと…ですね」
「…ん、」
リュウイチがわずかに身動いだ。
毛布に擦り寄って、少しだけ表情が和らいだように見える。
「大丈夫。ーーー大丈夫ですよ、リュウイチさん」
「あなたの気持ちは、きっと彼に届きます」
「ーーー届くように、歌うんです」
「僕も微力ながらお手伝いしますから」
「…だからどうか今は、ゆっくり眠ってください」
トントンと、深夜の店のドアを叩く者がいた。
今夜はもう眠れないな…と、あのまま長椅子の側でリュウイチに付き添っていたハヤマは、片手に持っていた本を静かに閉じると傍に置く。
ちらりと見たリュウイチはいまだ深く眠っているから、起こさないようにそっとその場を離れた。
カチ。
カチャ。
「ーーーはい、」
ドアの隙間から戸口に人影を認めて、ハヤマは抑えた声で声を掛けた。
そこにいたのはひとりの青年。
初めて見るひとだけれど、ハヤマには彼が誰だかがすぐに分かった。
こんな夜更けに閉店中のレストランを訪ねてくるひと。
しかしここがレストランだけではなく、音楽を奏で、音楽を楽しむ場だという事は音楽好きならば噂のひとつも聞いているだろう。
ショーウィンドウに飾られるサックスもそれを物語る。
時間のせいだろうか、彼はひどく恐縮していた。
「申し訳ない、こんな夜中に」
「いえ、まだ起きていましたから」
「ーーーそうですか、ご対応いただき感謝します」
「いいんですよ。ーーーどうかされましたか?」
リュウイチさんを探しているのでしょう?とは、まだ聞かなかった。
聞かなくともわかるが、彼が言い出すまでは言わないつもりだ。
ハヤマはそっと彼を見た。
夜目でもわかる、男らしいひとだと思った。
髪や、服装や、声。
立ち姿や、表情のひとつひとつが、男くさい色気があるというのか。
格好良いひとなのだとハヤマは思った。
しかしどこか焦燥感がある。
それはそうだろうとも、ハヤマは思う。
居なくなった最愛のひとを探しているのだろうから。
「ーーーひとを探していまして、こちらにお邪魔していないかと…思いまして」
「何故、こちらだと?」
「お恥ずかしいのですが、ちょっとばかり言い合いをしてしまって。その中でそのひとが…」
「ーーー」
「歌を歌う…という話をしていたもので。ーーー自分の知る限りでは、この町で音楽を楽しめる場所はここしかないだろうと…」
「そうですか、それで」
「はい。ーーーあの、」
「はい?」
彼は一度言葉を区切ると、少しばかりバツが悪そうに俯いて。
「俺が悪かったんだ」
「ーーー」
「全部」
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