白の牢獄〜あなたへ〜
ハヤマからの提案。
それは言うなればリュウイチにとって初めて〝働く〟と〝その対価を得る〟ということだった。
驚きと躊躇いを見せつつも、その後にしっかりと頷いたリュウイチ。
自身の歌が価値あるものとして受け入れられて、そしてそれがイノランの為に自分が出来ることだと考えれば。
初めて人前で歌うことに緊張も怖さもあるけれど、それを上回る喜びが大きかったのだ。
持ってみますか?と、ハヤマは飾られたギターを持たせてくれた。
両手に受け止めた楽器の重みに、あるはずの無いぽかぽかした温もりを感じる。
ーーーそっと、ギターを裏返してヘッドの裏を見た。
「!」
擦れていてはっきりはしていないけれど、それは確かに黒い線で書かれた文字。
その文字に彼の名前の字面を重ねると…リュウイチには読み取ることができた。
〝INORAN〟
リュウイチはぎゅっとギターを抱きしめる。
じん…と、胸の奥が熱くなる。
偶然か必然か。…いや、必然な出会いだったのだろう。
彼の宝物を見つけられたのだ。
「待っててね、」
「ギターも嬉しそうですね」
「ほんとうに、ありがとう。ハヤマさん」
「それはこちらこそですよ」
「一生懸命歌います」
「一緒に演奏できるの、僕はすごく楽しみです」
「はい!」
それでは明日からよろしくお願いします。
ハヤマにギターを返して、ぺこりと頭を下げて店を出ようとするリュウイチに、もう一度ハヤマは声かける。
「ーーーそこまでするのは…何か大切な理由があるんですか?」
「!」
「話したくなければ無理には聞きません。でも、ちょっと気になって」
「ーーー大丈夫、」
「はい」
「このギターをずっと探しているひとがいて…。渡してあげたいんです、俺の手で」
「ーーー誰が…って、聞いてもいいですか?」
「はい」
「ーーー」
「大切なひと」
「ーーー」
「俺の好きなひと。ーーー愛してるひと…です」
………………………………
宿屋の一室。
買い出しに出たリュウイチの帰りが遅いから、イノランは少々心配気に戸口を気にしていた。
過保護だよな…と自身に苦笑しつつも、リュウイチの事になるとどうしようもない。
つい数ヶ月前まで外へ出た事がなかったリュウイチだ。
守ってあげたいという気持ちは消える事がないのだ。
「大人なのにさ、リュウだって」
リュウイチのことを考え出すと、気持ちはいつだって溢れ出す。
守りたいという想いが、いつも最後には愛おしさを孕む。
いつからこんな自分になってしまったのかと思う程、だ。
しかし時折その気持ちに独占欲を自覚すると、イノランは慌てて頭を振った。
「ーーー自由に生きていけるように側にいるって約束したのに、側にいる俺がアイツを束縛なんかしたら意味ないだろ…」
その眼差しを、その微笑みを、その声を。
自分だけに向けて欲しい…なんて。
リュウイチが日々少しずつ色々な表情を見せてくれるようになったことは喜ばしい事なのに。
それが外の世界へ向いていく事に、淋しいと感じてしまうのは…
「ーーーこんなの、心が狭い奴だよな…」
「我が儘で自分本位の、」
「俺のみっともないヤキモチだ」
こんな時は情け無い顔しか出てこないのに。
リュウイチの前では何でもないような顔をして格好付けてしまう。
あの白の牢獄から連れ出した時のように、手を繋いで、半歩前を歩いて。
振り向いた時に見せてくれる綺麗な笑顔に微笑み返す。
余裕のあるふりをして。
…けれど、そんな自身の気持ちに綻びをみせている事にイノランは気付いていた。
「ーーー俺はどうなりたいのか」
「リュウ、と」
どんな風に過ごしてゆきたいのだろう。
上手く答えが出なくて、イノランはまた苦笑してがしがしと頭を掻いた。
カチ
かちゃ、
「ただいま」
思考の奥に入り込んでいたら、小さな鍵の開く音の後に帰宅の挨拶が聞こえた。
「イノラン?ただいま、お買い物してきたよー」
コトン。
籐で編んだ買い物籠をテーブルに置く音に続いて、軽やかな靴音をとことこ鳴らしながらこちらへ近付いてくる気配。
イノランは今までの弛緩していた佇まいを整えると、帰宅したばかりの待ち人を迎えるため椅子から立ち上がる。
そのタイミングでイノランの姿を見つけたリュウイチはぱっと嬉しそうに駆け寄った。
「おかえり、買い物ありがとう」
「ぅうん」
「頬が赤いな、寒かったか?」
「風はね。でも、お日様があたってる場所はあったかいよ」
「そっか、」
左手を伸ばして、リュウイチの手を捕まえる。
優しく引き寄せた身体は陽だまりの匂いがして。イノランはそっと抱き寄せると黒髪に唇を寄せた。
ーーーこの口付けは内緒。
リュウイチには見えないキス。
「ーーー」
白の牢獄から旅立った日。
最初のキスはすでに交わした。
外の世界に解き放たれたばかりのリュウイチがあまりに綺麗で心奪われて。
これから一緒に歩む愛するひとへ、必ず幸せにすると誓いを込めて。
あの日の口付けはキャンディの甘さと共に記憶に残る。
でも、それきり。
新しい世界に目を輝かせて、日々新しい事に出会うリュウイチを見たら…
躊躇ってしまうのだ。
触れて、愛を囁くことが。
驚かせて怖がらせてしまうのではと、伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。
「ーーーふふっ」
腕の中で擦り寄るリュウイチは猫みたいだ。
温もりを追いかけて、落ち着く匂いを求める猫そのものだ。
ーーーリュウイチにとって、自分はどんな存在だろう?
イノランはいつしかそんな事を考えていた。
(飼い主…とか?ーーー)
(ふざけんな、冗談じゃない)
(少なくとも俺は、リュウをそんな風には思ってない)
(保護者?…兄弟…友人…ただの旅の同行者…?)
違う。
ーーー違う…と、イノランはぎゅっとリュウイチを抱きしめる腕に力を込める。
「ーーーイノラン…?」
「ん?」
「どぅ…したの?」
「ーーー」
「?」
「なんでもないよ」
「ーーー」
「リュウ」
その日の夕刻。
リュウイチが買い込んできた食材で、宿屋の部屋の備え付けの小さなキッチンで夕食を作る。
籐の籠の中にはジャガイモやニンジン、タマネギ。
今夜はそれらの野菜で作るポトフだ。
大きめに切った野菜とベーコン、香り付けの月桂樹の葉をコトコト煮る間に、リンゴとキャベツをヨーグルトで和えたサラダを作る。
パンもリュウイチが町で買って来てくれたから、温めてひとつづつ皿に乗せた。
「イノラン、俺運ぶね」
「ありがとう、リュウ」
「いつも思うけどイノランはすごいね、お料理も上手だし美味しいし」
「旅生活も長いから、自炊も多くなって趣味になったんだよ」
「ーーー俺も出来ること増やしていきたい」
「リュウはこの生活になって出来ることすごく増えてきただろ?」
「…そっかな」
「そうさ。俺も助かってるし、そんなリュウの姿を見ているのも楽しいし」
「…だったらいいな」
「ーーーああ、」
「イノランの力になれたらもっといいのにって思う」
「ーーーーー」
「?…イノ?」
「…や。何でもないよ、冷める前に食おう」
「うん、いただきます」
「いただきます」
〝イノランの力になれたらもっといいのにって思う〟
リュウイチのこの言葉を聞いた時。
イノランはすぐに頷いてあげることが出来なかった。
それどころか。
イノランの胸に燻る想いがまた顔を覗かせる。
リュウイチを独り占めしたい。
側にいてくれたら、それだけでいい。
ーーーそれは束縛だ。
苦い想いに、イノランは夕食の味があまり感じられ無かった。
夕食の片付けをふたりでしている時に。
リュウイチはハヤマと交わした出来事について、明日から三日間夕刻に出掛ける事を告げなければと話を切り出した。
もちろん、ギターについてはまだ内緒。
三日間歌を歌い、ついにはギターを手にした時に全てを話し手渡したかったから。
だからイノランには、社会勉強のため自分の歌で少しだけれど働いてみたいと。
今日その働き場所を見つけたと。
三日間だけ夕刻から数時間出掛けたい事をイノランに告げた。
応援してくれると思っていた。
できる事をひとつひとつ増やしていく事で、イノランの手助けになれればと思っていた。
守られるばかりではなく。
側にいて、隣を歩く事に、相応しくなりたいと思っていた。
リュウイチが初めて愛した、大好きなひとだから。
ーーーーーなのに…
「イノラン、」
「ーーー」
「ね、イノラン?ーーーあの」
「ーーー」
「俺、歌」
「ーーー」
「歌っても、いいでしょう?」
「ーーー…」
「ーーーーーイノ…」
何も言わなくなったイノランに、リュウイチは背筋がぎゅっと縮こまる気がした。
もしかしたら何の相談もなしに決めた事に怒ったのかもしれないと。
でも、引くわけにはいかないのだ。
見つけることが出来た、ギターを手に入れる為。
リュウイチはもう一度、イノランに告げる。
行って来てもいいでしょう?と。
すると、ずっと押し黙っていたイノランが漸く発した声は。
酷く低くて、冷たい。
リュウイチが初めて聞くイノランの声だった。
「ーーーーー何…勝手に…決めてんだ」
「ーーーぇ、」
「働く?…歌う場所を…見つけた?……何言ってんだ」
「ーーー…イ、ノ…」
「…まだ世の中のこと…よく知らないくせして何言ってる。甘く見んな。どこで歌うか知らないけどな…騙されてんじゃないのか?」
「…っ…違…」
「は?」
「ーーーっ…ハ…ハヤマ…さんは、そんな…騙すとか…無いよ!」
「ーーーハヤマ?」
「俺の話…丁寧に聞いて…くれて、一緒に演奏…楽しみって…言ってくれて!…音楽…を…」
「ーーーーー」
「音楽を…大事にしてるひとだもの!」
「ーーーーー」
胸がズキズキと鳴って、頬を紅潮させて。
いつの間にか涙が滲んでいた。
イノランに誤解された事が悲しくて、それを上手く説明できないことがもどかしくて。
ぐっと言葉が詰まってしまう。
その時に。
イノランはまたは潰れたような声で言った。
「ーーーリュウ…お前、」
「ーーー」
「ハヤマ…って、誰だ」
「…ぇ、?」
「ーーーそいつに…聞かせたのか?…歌、を。」
「っ…」
「微笑ん…で、側に」
「ーーーイノ…ラン…」
「ふたりでいたのか…っ…⁉︎」
「ーーーっ…イノ……違…っ…」
「俺以外の奴に笑いかけたのかよっ…‼︎‼︎」
ガンッ‼︎
手に持っていたマグカップを乱暴にテーブルに叩き置いたイノランに、リュウイチはびくんっ…と肩を揺らして顔を強張らせたが、ぎゅうっと唇を噛んでイノランを見据えた。
相談もしなかった、自分が悪いところもあるだろう。
イノランに比べたらきっと世間知らずもいいところ。
呆れられても無理ないだろう。
心配してくれてのことかもしれない今のイノランの態度に傷付くなんてまちがっているかもしれない。
それでも。
溢れ落ち続ける涙はなに?
締め付けられる胸の痛みはなに?
「ーーーーーっ……ヤマ…さ…は、そん…な…じゃな…」
「ーーーーーっ…」
「ーーー…俺……は…違……のに…っ…」
「ーーー」
「ーーーっ…イ……ノラ…」
違う。
ちがうの。
話を聞いて。
音楽を好きなあの人を悪く言わないで。
あの人はただ力になってくれるだけ。
願いを叶える為に背中を押してくれた人。
何も知らないのは自分。
ひとりじゃ何もできないのは自分。
だからそれを打破したかった。
踏み出したかった。
自分ができるただひとつのこと。
歌うこと。
その歌で。
あなたのそばに居続けたくて。
居させてもらいたくて。
相応しくなりたくて。
あなたがくれる愛情に。
返したくて。
愛してるって。
堂々とあなたに言えるように。
でも。
自分のした事で。
あなたを傷付けてしまったのなら。
「ーーーっ…ごめ…な…さ…」
「……」
「イノラ…ごめ…っ…」
涙で掻き消えそうなリュウイチの声が夜闇に消えた。
長い時間がいつの間にか経過していたようだ。
洗い途中の食器はいまだそのまま、時折蛇口から滴が落ちる。
最後はもう、ごめんなさいと嗚咽まじりの謝罪の言葉を繰り返し繰り返し…
それを聞くたびに灼け付きそうな罪悪感がイノランの胸を抉った。
取り返しのつかない態度と言葉をぶつけてしまったと自覚する。
頭を冷やさねばと一度寝室に引っ込んだイノランが暫くしてリビングに戻るとリュウイチの姿はなかった。
「ーーーリュウ?」
「…リュウイチ…っ……リュウ!」
「ーーーーーっ…」
戸口に目をやる。
ドアのそばにあるコートハンガーに掛けてあるリュウイチのストールが無くなっている。
そう、イノランがプレゼントした赤いストールだ。
あったかいと嬉しそうに頬擦りしていたリュウイチ。ストールだけを握りしめて外へ出て行ったのだろう。
「ーーーっ…リュウ…」
勢いよく外へ出る。
しかし暗い夜道は静まり返り、人っ子一人いない。
「……リュウ………」
戸口からの長い影を伸ばして、イノランはその場に項垂れた。
あの日のリュウイチを想う。
あの時も彼は言っていなかっただろうか?
〝とっても嬉しい。でも、いつも…イノランにプレゼントしてもらってばかり〟
きっと彼は余りある与えられる愛情に慣れていなくて、いつだって済まなそうな微笑みで、言っていたのだと思う。
だからこそだろう。
自分にできることを増やしていきたいと言っていたのは。
そんなリュウイチの気持ちを…
「…俺が…踏みにじった」
愛おしくて。
独り占めしたくて。
自分ではない誰かの側で歌い笑顔を見せることに嫉妬という感情に支配されて、苛立ってリュウイチを泣かせてしまった。
「ーーー再び自由を奪ったのは俺だ」
シャラッ…
あの牢獄で見た、リュウイチを繋ぐ鎖の音が聞きえた気がした。
白の牢獄から自由にさせてやりたいと連れ出したのは…他でもない自分だというのに。
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