白の牢獄〜あなたへ〜
この町には小さい店が建ち並ぶ。
食料品や雑貨店。
飲食の店や服や靴。
診療所、郵便局、銀行、警察。
その他諸々…
わざわざ遠くの街まで行かずともこの町には揃っていて。
シラカバ林の美しさも備わったこの町に住み着く者も多かった。
そんな町の通り沿いにステージを兼ねたレストランがあった。
ステージと言っても客席の片隅に置かれたグランドピアノの横の小さなスペースだが。
しかしそこで度々開かれる小さな音楽会は、この町に住む者にとって楽しみのひとつになっていた。
このレストランのオーナーはハヤマと言う。
栗色の緩やかな髪と優しい雰囲気の長身のこの青年はピアニストでもあるから、店内のピアノを奏でては食事客に音楽のひとときを提供していた。
その店の…ショーウィンドウ。
そこにある時からふと飾られた一本の白いギター。
知る者が見れば、ヘッドに刻まれた刻印でそのギターがどれ程極上かひと目でわかるだろう。
長く弾かれてきたのか、ボディの白の塗装は大胆に剥げていて、地の木目が顔を出す。
ネックもヘッドも細かなキズで覆われていたが、弦だけはきらきら輝いて。
ショーウィンドウのライトを浴びて、そのギターはとても美しく鎮座していた。
ひとり町へ買い出しに出ていたリュウイチは、帰り道何気なしに並ぶ店を眺めていた。
パン屋からは良い匂いがするし、フラワーショップは見るだけでも楽しい。
そんな道沿い、偶然だった。
「…ぁ、」
この店の存在は知っていた。
ここで食事をした事は無いけれど、度々店内から音楽が聞こえていたから。
小さなステージがあるという事は知っていたけれど。
それよりリュウイチの目が釘付けになったのはショーウィンドウ。
飾られた、白いギターだ。
「ーーーーーー……」
イノランは、何と言っていただろう?
以前一度だけ聞いたことがある。
どんなギターを探しているの?…と。
〝ある時旅先で修理に出した。大事なギター。でもその店は盗賊と裏で繋がってる店だった。受け取りの約束の日に店を訪ねたらもぬけの殻だった。俺のギターもろともさ。やられたって思った。馬鹿やったって思った。あんな大事な相棒をよく知りもしない他所の町の店に預けるなんて〟
〝悔やんで悔やんで、諦めようと思っても諦めきれなくて。俺はギターを探すことにした。もう一度巡り会うために。もう一度アイツを奏でるために。それにかかる時間も手間も金も惜しまない。そう決めて旅に出た〟
〝アイツがどんなギターかって?そうだなぁ、塗装は白。だけど年季がいい感じに入って木目が見えてめちゃくちゃ色っぽい。〝F〟の刻印。ヘッドの裏にはサインも書いた。…ちょっと恥ずかしいけどさ、大事な物には名前書いとかないと!ーーーきらきらの弦。すげぇ音たてて鳴ってくれる。ーーー最高のギターだよ〟
〝リュウにも会わせてやりたい。んで、そいつの音色で歌ってくれたら嬉しい〟
「ーーーこの…ギター…」
イノランが言っていたものにそっくりだと。
リュウイチは吸い寄せられるようにショーウィンドウのガラスにくっ付いて、時を忘れてそのギターの姿をじっと見つめた。
「何かご用がお有りですか?」
「っ…え、」
「こんにちは、熱心に見ていらっしゃるから、ついお声がけしてしまいました」
「あ、ご…ごめんなさい、俺…」
「いいえ、こちらこそいきなり驚かせてしまって。ゆっくりご覧いただいていいんですよ」
ショーウィンドウのすぐ横にある戸口から顔を出したのはこの店のオーナー。
穏やかな物腰の青年。優しい微笑みでリュウイチ声をかけた。
「はじめまして、僕はこの店の者でハヤマといいます」
「っ…はじめまして、俺はリュウイチと…いいます」
「リュウイチさんですね。音楽がお好きですか?ギターを熱心に眺めてらして、」
「ぁ、はい。俺は歌うのが好きで」
「そうですか!なんか、そうじゃないかなって思ったんです。ギターを見つめる目が…」
「え、?」
「とてもきらきらしていたので」
きらきら。
歌う事が好きで、そして歌うことへの自由を得る事ができた。
それは誰でもない、鎖を解いてくれたイノランのおかげで。
まだ見知らぬ世界で歌声を響かせる楽しさは、イノランがきっかけをくれたのだ。
そのイノランが探している、白いギター。
同じものかどうかはイノランにしかわからないけれど。
自由を得て、この町へ辿り着いて。
偶然にも引き寄せられるように目に留まったこのギターは。
イノランが探しているものに違いないと思えてならなかった。
「ぁ…あの、聞いても…いいですか?」
「?…はい、なんでしょう」
「ーーーその、」
「はい、何でも聞いてください」
「はい。…この、ギターですが、」
「ーーーはい」
「お値段は…幾らですか?」
「え、」
「どれくらいお支払いすれば、売っていただけますか?」
「ーーーーー」
ハヤマが朗らかな表情を消して目を丸くしている。
随分と唐突な質問をしてしまったのだとリュウイチは恥ずかしくなって唇を噛んだ。…けれど。
この機会を逃したら、もしかしたらイノランの探している大切なギターはもう戻らないかもしれないと思えて。
何より。
初めて役に立てると思ったのだ。
イノランのために。
大好きなひとのために、出来ること。
じっとリュウイチを真正面から見つめたハヤマは、そのままギターの方へ視線を向けた。
そしてさっきまでと同じような穏やかな語り口で話し始めた。
「ーーー僕はこのギターを…いわゆる楽器店で購入した…という訳ではなくて。ーーー連れ出した…っていう方が正しいかな?」
「ーーー連れ出し…た?」
「すみません。よくわかんない表現でしたね。ーーーよかったら店でお茶でも飲みながらお話ししませんか?立ち話もなんですし」
「いいんですか?」
「はい、是非!」
にこっ、と。
ハヤマは微笑んで戸口を開いて中へリュウイチを招いた。
途端に香るコーヒーと焼き菓子の匂い。
隅にグランドピアノと、小さなステージ。
店内は誰もいなかった。
「今日は夕方から開店でまだお客さんはいないんです。ゆっくりしててってくださいね」
「ありがとうございます、すごく…素敵なお店」
「よかったです」
コーヒーと紅茶とどちらがいいですか?と訊かれて、リュウイチは紅茶を選んだ。
カウンターの向こうで紅茶を淹れながら、ハヤマは話の続きをしてくれた。
「とある時に旅先の街で蚤の市に出かけたんですけれど。その市場の真ん中で喧嘩してる人達がいたんですね」
「ーーー喧嘩…?」
「まぁ、だいぶお酒で酔ってるようで。野次馬も多くて普段だったら関わらないような一幕なんですが…」
どうぞ。
ハヤマの淹れた紅茶にはオレンジスライスが浮かんでいい香りだ。
青い花模様のティーカップからゆったりと湯気が漂う。
小皿に盛られてすすめられたクッキーも自家製だとか。
ひとくち飲んで、とても美味しいですリュウイチが微笑むと、ハヤマは良かったですと頷いた。
そして話の続き。
「代金を誤魔化したとか何とかの金銭絡みの喧嘩らしくて。で、その店主がいよいよ激怒し始めて。あーあ…って眺めていたら、店の商品なのか…乱暴に取り出してその客相手に振り上げたのがあのギターだったんです」
「えっ、⁈」
「ひどいでしょ?ギターで殴ろうとしてたんですよ。さすがにそれを見て…。まぁ、当人達は怪我してもそのうち治るでしょうがギターはそうじゃないでしょう?それに罪のない物を凶器にしようなんてあり得ないって、間に割って入ったんです」
「ハヤマさん…が?」
「そうです。これでも音楽に関わってる身ですから、許せなくって。それで殴るくらいなら僕に売れって、半ば強引に奪い取って」
「っ…」
「だから買った値段もあってないようもので。あの人達を黙らせる為に置いて来たお金って具合なので正確な金額は僕もわからないんです。罪のないあのギターを救い出せて良かったって、その気持ちが大きかった」
リュウイチはハヤマの話を食い入るように聞いた。
あのギターが本当にイノランの物ならば。
様々な局面を乗り越えてここにあるのだ。
何度も危険に晒されながら、今こうして存在しているのだろう。
今日初めて目にしたギターだけれど。
愛おしくてならなくて。
「ーーーーー幾らか?って、リュウイチさんはお聞きでしたね」
「はい」
「先程もお話ししたように僕が買った値段は正しいものかわからない。ーーーこのギターがとても極上な物だとも知っていますが、僕が値段を付けていい物ではないと思っています。それくらい、このギターは素晴らしい年季を背負ってここにいる」
「ーーー」
「リュウイチさんと今日出会えたことも、ご縁だと思っています」
「!」
「僕はとてもあなたが気に入ってしまったので」
「ーーー俺…?」
「リュウイチさんにお譲りできたら、僕も嬉しい。僕はギターも弾きますが本職がピアニストなので常にギターを弾いてあげられているわけじゃないんです。ーーー目に留めて、望んでくれたリュウイチさんの元へ行ける方が、ショーウィンドウにいるよりギターも幸せでしょう」
「ーーー…じゃあ…売って…くださるんですか?」
「そうですね。しかしお金はいただけません。適正価格で手に入れた物ではないので」
「えっ…でも、それじゃああまりにも申し訳ないです…っ…」
「ーーーん、じゃあ…」
こんなのはどうでしょうか?と、ハヤマはまた微笑みながら頷いた。
ハヤマの提案は、明日から三日間。
この店のステージでリュウイチが歌うこと。
ハヤマのピアノに合わせて、ディナーショーに出ること。
「いつも歌いに来るアーティストが急用でどうしても来られなくて。急遽歌は取りやめて僕のピアノ演奏だけにしようと思っていたんです」
「!」
「だから三日間リュウイチさんが歌ってくれたら助かるし嬉しいです。出演料の代わりにギターを差し上げる、それでいかがですか?」
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