自由な歌























夜。







「あれぇどした?隆ちゃん、今日はレコーディングじゃなかったっけ」

「ーーーうん」




夜、隆一がインターフォンを鳴らしたのは、真矢の家だった。









イノランと別れて、ぼんやりとした足取りで帰宅したのはもう夜だった。
ずいぶん長い時間をあの駐車場で過ごしていた事になるが。
帰ろうにも目元から涙は次々と零れ落ちて。
拭っても、泣き疲れても。
泣き過ぎて頭が痛くなっても、もはやなんでこんなに泣いているのかよくわからなくなっても。
涙は止まることがなくて。
人通りの多い明るい時間にこんな状態で帰れないと、隆一は諦めて、せめて夕暮れになるまでと、駐車場の隅の壁際に腰を降ろしたのだ。

そしてようやく帰り着いた自宅。
いつもはひとりでもリラックスできる自室が、今日はとても寂しく思えた。
その理由は…考えずともすぐにわかった。

イノランがもう側にいない。
物理的な意味でも、気持ちの部分でも。
恋人同士では、もうないのだ。
これから一緒に過ごす時は、メンバーとしての隆一とイノラン。
親友としての、隆一とイノラン。





「ーーーーーっ…ぅ…うぅ…」




また、涙が溢れる。
ぽたん、ぽたんと。
頬を伝って床に落ちる。

想うのは、別れたばかりの好きなひと。
世界一好きな、ギタリスト。



「ーーーーーノ…ちゃ…」

「イノ…っ…ぅ…うっ…」



どうしてこんな事になってしまったのだろう?
己を問いただしても、出てくる答えはひとつだけ。

イノランの言う通りだった。
イノランの想いに溺れそうだった。

好きだから、くれる想いに応えたいのに。
応える以上の愛情を、イノランはいつだって惜しげもなく与えてくれた。
それはプライベートでも、音楽の時間でも。

ーーー隆が自由に歌えるように
ーーー隆が笑っていられるように


それを与えてくれた彼。
嬉しかったし、愛されていると感じて、くすぐったかった。


しかしある時、ふと考えた。
くれる愛情に、想いに、もしも返せなかったら?
彼が丹精込めて作り上げた曲を上手く歌えなかったら?
返した想いに、もしも彼が物足りなさを感じたら?

彼は愛想を尽かして離れていくかもしれない?
もう一緒にはいられない?





そう考えたら、怖くなった。
お互いどれだけ想い合っているか知っているつもりだった。
でも、当たり前だと思っていたものが崩れたら。
離れるなんてあり得ないと、そんな考えは浅はかだと。


ならば努力をもっと。
側にいるための努力。
愛し愛されるために、もっと自身を研ぎ澄ませて。

その力み過ぎた努力が空回っていると気付かずに。
いつしか隆一は疲弊し始めていたのだ。












突然の来訪にも関わらず、真矢は「わぁい、りゅーちゃんだ!」と、喜んで隆一を迎え入れた。
団欒の時間にごめん…と、玄関先で頭を下げる隆一に。
真矢はいつもの朗らかさで、隆一を家の中に引き入れながら言った。



「うちの皆んなね、今日から泊まりで出掛けてるの。俺はアルバムのレコーディングがあるから一緒に行かなかったんだけどさ。だから数日は俺ひとり、気にしないでゆっくりしてって〜」



テーマパークとか行くんだってさー。良いよなぁ、おとーさんも行きたかったよ。
なんて、隆一をリビングに案内しながらキッチンでガサゴソ何かしているようで。
そんな真矢のあたたかい言葉に、隆一は気持ちがほんのり解けていく気がした。







真矢はコトリ、テーブルに緑茶の湯呑みを置きながら。
りゅーちゃん夜ご飯食べた?と聞いてくる。




「ーーーぅうん、ご飯は…まだ」

「そっか。俺もまだなんだよね」

「真ちゃんも?」

「そう、仕事から帰ったらソファーでバタンキュー。んで、隆ちゃんが来るちょっと前にハッと目が覚めたわけ」

「ふふふっ、そっか」



いつもの屈託ない真矢の語りに、隆一はつい笑顔が溢れた。
ーーーそれを見た真矢は、ここでまたにっこり笑って。
隆一の頭をくしゃくしゃ撫でる。






「よかった」

「ーーーぇ?」

「隆ちゃん笑った」

「ーーーっ…」

「…まぁ、隆ちゃんももう大人だし、俺も無理にあれこれは聞かないけどさ。ーーーでもね、隆ちゃんがここにきた時になんか…わかったんだ」

「ーーー」

「いっぱい泣いて、疲れて、」

「…ぁ、」

「ーーーお腹、空いてるだろなぁって」

「え、お腹…?」



の、タイミングで。



くぅぅぅ…🎶


隆一の腹の虫と。


ぐぅぅぅぅ🎵


真矢の腹の虫が同時に。


その重なるメロディー(?)に。
顔を合わせて、笑った。




真矢がもてなしてくれたのはラーメン。
冷蔵庫にあるもんでごめんね〜という割に、もやしとキクラゲとキャベツ炒め、それとゆで卵。それから黒胡椒をミルでガリガリ挽いて出してくれたちょっとスパイシーな特製ラーメン。
シュワシュワと冷たいサイダーがラーメンと抜群に合って、隆一は何度も美味しい!と言いながらラーメンを食べた。






隆ちゃんはさ、そのままが一番だよ。



真矢の洗い物の手伝いをしながら、真矢が呟いた言葉だ。

そのままがいいと。




「…でも、それじゃあ…さ」

「隆ちゃんはいつだって努力家で、気遣い屋で、優しくって仲間想いで、」

「ーーー買い被りすぎだよ…真ちゃん」

「俺だって隆ちゃんとずっと一緒にいるんだから、隆ちゃんの事知ってるつもりだよ?」


イノランちゃんにだって負けないよ!


そう言って隆一の肩をポンと叩いた真矢は、今度は優しく微笑んでこう続けた。



「美味しい、嬉しい、楽しい…とかさ。そーゆうのに正直で。目を輝かせて歌うたってる隆ちゃんが俺は大好き!隆ちゃんが自由に歌ってる時ってね、きらきらしてるんだよ」

「ーーー俺…?」

「だから俺は隆ちゃんが隆ちゃんらしくいるのに大賛成!そんな隆ちゃんが一番可愛いし格好いいし、俺はずっと隆ちゃんの味方だよ」

「っ…真…」

「ーーーーーイノランもね、」

「…え、?」

「そう思ってるとおもうよ」









ーーー隆、俺はお前の歌声が大好きだよ

ーーーお前の歌が世界一美しく映えるように

ーーーお前が自由に歌えるように

ーーー俺はそんな曲を書き続けたい

ーーー側でギターを奏でたい
















ぱた…ぽたん…っ…



頬を伝う、涙。
もう今日はこれで何度目だろう。
あふれる涙を溢すのは。

でも。
涙の種類は、泣けてくる気持ちは。
さっきまでと違った。





不甲斐なくて、悔しくて、悲しくて、寂しい、さっきとは違う。
この涙は、嬉しい涙。




「ーーー隆ちゃん…」

「ぅ…っ、」



でも、この気持ちは覚えがあった。
嬉しくて、愛おしい。


(そうだ、これは…)


イノちゃんと、想いを通わせて。
初めて好きって言ってくれた時と…
同じなんだ。





















「隆ちゃん、大丈夫?帰れるか?」

「大丈夫。真ちゃんほんとにありがとう」

「そっか?…でも心配だなぁ…。もう暗いから気をつけて帰るんだぞ」

「うん!」




玄関で靴を履く隆一の表情は晴れやかだった。
ここへ来た時とは違う、迷いのない瞳。
元気無く急に訪れた隆一に、真矢はまだ心配だったけれど。
でも、信じればいいのだ…と。
隆一の背中を押した。


外へ出かけた隆一は、もう一度振り返って真矢に言った。




「歌、大事に歌うね」

「!」

「気持ちよく歌うから」

「っ…おう!」

















外へ出ると春の夜空に月と星。
月の周りの雲が明るく光って、ランプシェードのようの綺麗だった。
そんな月夜の道を、隆一は軽やかに駆け抜ける。


一歩、一歩。
彼の家に向かって進む道は月明かりで照らされる。
それに導かれるように隆一の足運びに迷いはない。



「ーーーっ…イノちゃん…」


進むたびに想いは増えて。
増えた想いは、あたたかく隆一の身体の中を巡って、歌声になって解き放たれる。



「っ…」


じんわり、また涙が滲む。
それは彼をどれだけ愛しているか再確認できたから。
自分らしく愛せばいいのだと、わかったから。


ぽとん…


涙の粒が顎先から落ちた。
泣き過ぎて、今日はもう目が真っ赤だろう。




ーーー泣き虫



イノランは泣く隆一を見ると度々こんな軽口を言う。
しかしそれは愛情ある言葉で。
だって言われたあとは、優しいキスをしてくれるから。

























葉山と別れたイノランはタクシーには乗らず歩いて家路についていた。
アルコールは今夜はグラス一杯のみ。
食事は…幾つか頼んだ一品料理を葉山とシェアしながら少しだけ食べた。
…食事どころではなかったところもあったから。

(つか、なんだよ。葉山君の…あの)

(隆一さんを奪いますよって)

(そんなものなんですか?って!)

(泣かせたんですか?って!!?)



「ああ泣かせたよ。きっとあの後泣いたんだろうよ」


(何やってんですか?)


「うるっさい!」




夜道で思わず叫んで、ハッと口を噤んだ。
(きっと)心配して言ってくれたんだろう葉山にこんな事言うのは罰当たりだ。



ーーー隆一さんを泣かせたんですか?



「ーーーーー」



そうだ。
きっとじゃない、絶対だろう。
隆一はひとりきりで泣いたのだろう。
泣き虫な彼は、縋るもののいない場所で、悲しみに暮れたに違いない。


「っ…」


それを想像したらズキンと胸が痛んだ。
別れを告げたのはイノランなのに、その後の隆一を想像して、切なさで心が潰れそうなのは他でもないイノランだった。



「泣き虫なのにな」

「葉山君の言う通りだ」



ーーー何やってんですか?イノランさん。


「…わかってんだよ」


ーーー奪いますよ。



「ーーー葉山君でも、隆は…」




あげない。

…と、自身の呟きに。
イノランは苦笑するしかない。
もうその資格は自分には無いだろうが。
この先隆一が誰と一緒にいようと、もう関係ないのだ。



「ーーーーーはぁ…。格好わりぃな…俺」



諦めなんて…つくはずがないのだ。
あんなに愛したひとを、どうして突き放した?
もっと他に方法は無かった?



のろのろと立ち寄ったいつものコンビニで買い求めた袋をぶら下げて、イノランは自棄気味に歩いた。
苦々しい顔で。

コンビニ袋の中には、いつも買う自分用のコーヒー缶と。
それから。
隆一がよく選ぶ、プリンがひとつ。



この道を進めば、もう家に着く。


































「ーーーっ…りゅ…う?」




イノランは目を見開いた。
玄関先で膝を抱えて座り込む人物の姿に、一瞬願望が見せた幻かとも思ったが。
気配を感じたのか、ゆっくり寝て顔を上げた彼…隆一は。
そばで立ち尽くすイノランを見て、ぎゅっと唇を噛んで立ち上がった。





「ーーー……イノ…ちゃん」

「ーーーーー」

「ぁ、あの…俺」



隆一は必死に言葉を紡ごうとする内に、また目元が熱くなる。
視界が揺らぐ。
瞬きひとつで、また雫が落ちるだろう。




(ーーー泣いてばっかり。…何のために俺はここに来た?)

(イノちゃんに、きちんと伝えたくて来たんじゃないの⁇)




ぐす…
隆一がひとつ鼻を啜った。
ぽたん…と、やっぱり涙が落ちて。
それを手の甲で拭う。
泣き腫らしたことがわかる、隆一の目。
どれだけ泣いたのだろう?と想像すると、捻じ切れそうになる。
そんな隆一を見て、しかしイノランは務めて冷静を装って。
背を向けて鍵を開ける。





「ーーー隆、こんな時間まで出歩いてたんだ?」

「ーーー」

「って、まぁ。俺もそうだけどさ」

「ーーー」

「帰る前に茶でも飲んでく?その後でよければ…」

「ーーー」

「送るから…」






隆一からの言葉は無かった。
心の何処かで言葉を期待したイノランに向けられたのは、言葉じゃなくて。




「ーーーーーーっ…待っ…」

「ーーーっ…!」

「……っ…て…ぇ…」




ぎゅっと、イノランの背後から抱きつく両手。
伝わる温もり。
大好きな匂い。
そして。
愛してやまない、隆一の途切れ途切れの声。



「ーーーーーノ…ちゃ…っ……」

「ーーーーーりゅ…」

「待っ…て、きいて…」

「ーーーーー」

「俺…っ…たの…こと…」

「…ぇ、」

「あなた…の、こと…」

「ーーーーー」




どうか。
どうか、もう一度。
届きますように。





「あなたを…っ………愛してる」





「ーーーーーっ…りゅ…いち…」

「…ぅ…うっ…イノ… ちゃ……ゃだ…よ…」

「っ…」

「離れたく…な……っ…


「ーーー……隆っ…」











抱きしめた身体は、懐かしい匂いがした。
溢れる声は、幾度聞いても甘く蕩けて。
溢れ続ける涙は愛おしさで狂いそうになって。






「ーーー泣き虫」

「…だっ…て、」

「けど、可愛い」

「ーーーっ…」

「隆、」



「ーーーっ…ん、」

「…りゅ、」

「…んっ…ふぁ、」





重ねた唇は、今日の出来事の分だけ、愛おしさを込めて求め合う。
手を繋いで、玄関を潜って。
場所も考えられずに、抱きしめ合って。

濡れた瞳で見つめて、隆一はイノランに言った。






「歌、今度はうたえる」

「ーーーああ」

「今のこの気持ちで歌ったら、」







自由に空も飛べる気がするよ。













END…







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