アクアリウム
真っ青な空の下。
俺と隆は、空を仰いだ。
しっかりと、手を繋いで。
《アクアリウム》
「オマエら、これいる?」
そう言って、真ちゃんに水族館のペアチケットをもらったのは昨日の事。
元は真ちゃんの友達の友達の友達の知人?が行く予定が行けなくなって。人の手を渡り歩いて数日間の時を経て、巡り巡ってたどり着いたのが俺たちというわけだそうだ。
チケットの期限がいよいよ明日に迫っている上に、そうそう皆んな予定が空いている訳でもなく。
真ちゃんも、万が一俺らが行けたらラッキーなんじゃない?くらいに思ってたんだろう。
ダメ元で聞くんだけどさ。って前置きして見せてくれたのは、水族館のチケットだった。
ちょうど一緒に居合わせた隆も、ぱあっと顔を輝かせてる。
「イノちゃん、明日の仕事は?」
「ーーーオフ」
「っ…ーーー俺も!」
「ーーー行けんじゃん」
「わぁい!」
俺らのやり取りを見て、真ちゃんも豪快に笑った。良かったじゃん!って。
「はじめっから、イノと隆ちゃんが行くためだったみたいだな」
真ちゃんはチケットを手渡してくれながら、無駄になんなくて良かったよ。ってまた笑った。
「ステキなデートをして来てください」
「うん!真ちゃんありがとう!」
「その、友達の友達の友達…の知人のひとにも。ありがとう」
「いや、もう出どころは俺も面識なくてさ。ダチ伝いに言っとくわ!」
そう言ってスタッフに呼ばれた真ちゃんは、手を振って。明日晴れると良いなって言い置いて向こうに行った。
喜び勇んで、側にいるJやスギゾー。この日来ていた葉山君にまで、明日の報告に忙しい隆を微笑ましく眺めながら。俺は受け取ったチケットに視線を移した。
場所とか開園時間とかさ。確認しなきゃなって思ったから。
「ーーーーーーーー…?」
あれ?
「ーーーこんな所あったっけ?」
仕事を終えて、隆と一緒に家に帰って。夕飯食べて風呂に入って。テレビを観ながらいつもの寛ぎタイム。
急に決まった明日の水族館デート。隆は楽しみで仕方ないって様子で、あれからずっとにこにこしてる。
ホントこうゆうところは子供みたい。
そして、可愛い。
俺としては、こんな隆が見られただけで満足なんだけど。ーーーお楽しみ本番は明日なんだけどさ?
まぁ、それはいいとして。
俺はジャケットのポケットに入れていたチケットを取り出すと、隆の座っているソファーの横に腰かけた。
「ねぇねぇ、隆ちゃん」
「ん?なぁに?」
「ーーーこの水族館さ、知ってる?」
「え?」
俺の唐突な問い掛けに、隆は俺の横から覗き込むようにチケットを見た。
「ーーーちょっと遠いんだね」
「そう。高速使って…ちょっと走るけど」
「ドライブデートもできるんだ」
「まぁね?」
「えへへ」
「嬉しい?」
「嬉しいよ?」
顔を合わせて、くすくす笑って。
だからそうゆうとこが可愛いんだ!って叫びたいのをぐっと我慢して。ーーーで、本題に戻るけど。
「この水族館の名前さ。聞いたことないんだけど」
「えー?」
「俺もそんな…水族館に詳しいわけじゃないんだけど…。隆ちゃん、ここ知ってる?」
「んー…?知ってる…ような、知らないような。ーーースマホで調べてみる?」
「さっき見た。そしたらね、載ってることは載ってた。…けど…」
「けど?」
「あんま詳しい事書いてないんだよな。なんか普通さ、イベントスケジュールとか載ってるじゃん?」
「うん」
「なんも無くて。そうゆう情報。場所と時間と、あと画面にバーン!と一言」
「?」
「〝素敵な一日を〟ってだけ」
「ミステリアス」
「な」
「ふーん。ーーー…でもさ?」
「ん?」
「場所がどこでも、イノちゃんと一緒なら…良いや」
「!」
「〝イノちゃんと一緒〟って事がポイントだもん」
ね?って、またにこっと笑う隆。
ーーーデート本番は明日なのに。
可愛くて。そんな事を言ってくれる隆が可愛すぎて。
隣の隆をぎゅっと引き寄せて、胸にかき抱く。隆もすぐに手を回して、くっつく身体は馴染んであったかい。
盛り上がった気持ちは止まらない。
隆の頬に手を添えて早速キスをする。
触れ合うものから、深く唇を重ねていくと。隆が息継ぎの途中で待ったをかけた。
「っ…明日…出掛ける…から」
「ーーーだから?」
「早く寝ないと、ーーーだから」
「なんだよ?」
「ーーー今夜はえっち無し…で。もう寝よ?」
「ーーー却下。」
「ええっ⁉」
「明日揃ってオフだからこそ…だろ?」
「イノちゃっ…」
「多少遅くなっても水族館は逃げねぇって。ほら言うじゃん?」
「え?」
「遠足は、準備からもう遠足が始まってるって。小学校でさ、言われなかった?」
「‼」
「せっかくなんだから、めいっぱい楽しもうぜ?」
ニッコリ笑って見せると、隆も観念したみたいに眉を下げて。でも、その瞳はもう期待と情欲で潤んでる。
絡んでくる両手を受け止めながら、明日のデートに想いを馳せて。
俺と隆は、今夜も身体を重ねていった。
昨夜はベッドに移動してからも抱き合って。先に意識を飛ばしてしまった隆より先に目が覚めたのは、朝の8時ちょっと前だった。
もっと寝坊するかと思ってたのに。
楽しみにしているのは隆だけじゃなくて俺もなんだって、苦笑い。
「隆ちゃん起きて」
隣ですやすや眠っている隆を揺り起こす。すぐにパチっと目は覚めたけど、身体が怠いのか、一瞬顔を顰めて起き上がった。
「立てる?」
「うん…。」
「見て。外、超いい天気」
「ん…ーーーえっ?」
「青空」
「っ…水族館‼」
「ははっ…良かったな、デート日和。シャワー浴びて、行こっか?」
「うん!」
シャワーを浴びて、着替えと準備。
時間もったいないから、朝食だけサッと摂って。コーヒーと紅茶は、それぞれサーモボトルに入れて車に乗り込んだ。
「空いてるといいなぁ、道。そこそこ走るから、いい?」
「いいよ?もう今の気持ちはね、どこまでも行きたいくらい」
「どこまでも?」
「そう!イノちゃんと一緒ならね?」
隆の言葉に勇気をもらって。
俺らを乗せた車は、都心を突き抜けて、その先へ。海沿いへ。
…………………
助かった事に、割と道が空いていて。
途中休憩も取りつつ、目的地付近に着いたのは昼ちょい前頃だった。
「住所だと、もう近くのはず」
「案内とか…ないかな」
スピードをやや落とし気味で、隆と一緒に周りを見回しながら、進む。
この辺は、道幅が広いんだ。
ずっと先まで続く道は、イチョウの街路樹が並んで。初夏の緑が小ざっぱりして見えて。人通りも、車も少なく。…というか、いない。
「なんかねぇ、あのさ?イノちゃん」
「うん?」
「教習所のね?車の。教本に載ってる模型みたいな街並みのイラストあるじゃない」
「うん」
「シンプルなね?ーーーあの街並みに似てる」
「あー…。そうだね、わかる」
「なんか不思議…」
隆の言葉を聞きつつ、さらに車で辺りを探す。それでも、大抵こんな大きな施設ならありそうな、看板の一つも見つからない。
俺は車を道の端に停車して、もう一度あのチケットを取り出した。
住所は…合ってる。海沿いのこの街の、そこの電柱に貼ってあるものと同じだ。
番地が違うか…もうちょい先?
「電話してみようか?俺」
隆がスマホを片手にチケットを覗き込む。ーーーと。
「?」
ーーーーー今気付いた。
これも普通だったら記載されてる筈の電話番号が無い。
「ーーーそんな事ある?」
「印刷ミス…ってゆうか不備か?」
「えー⁇」
取り敢えずもう少し番地が近い所まで進もうと、再び車を走らせる。
ーーーでももう。
なんとなく、狐につままれた…みたいな。そんな空気が車中に漂い始めてる。隆の昨夜のあのはしゃぎ様も、すっかり落ち着いて。
窓の外を熱心に眺めてる。
ここまで来る間に、持ってきたボトルの中身は飲んでしまった。
すぐ先に見慣れたコンビニが見えたから、なんか飲み物買おっか。って、駐車場に車を止めた。
いらっしゃいませ!ってお兄さんの明るい挨拶が、今はなんだかホッとする。
隆になんかいる?って聞いたら、チョコレートとレモンティーを持ってきた。
俺はホットコーヒー。まとめてレジで会計の間、ちょうどいいからお兄さんに聞いてみた。
「この水族館に行きたいんだけど、この辺ですよね?」
「?ーー水族館…ですか?」
「うん。このチケットもらって来てみたんだけど。案内も何もなくてさ、どこなんだろう…って」
「ーーー水族館は…」
「うん」
「この辺は無いです」
「え?」
「僕、ずっとこの街で暮らしてますけど…水族館は聞いたこと無いですよ?」
言葉に詰まる。
目の前のお兄さんも、困惑気味な顔してる。隣の隆も、ぱかっと口を開けて、瞬きもしないで。
ちょっとチケット見せてください。って言ってくれて、お兄さんに見せる。
しばらくじっと住所の部分を見つめたお兄さんは、レジの後ろの棚から地図を取り出して、カウンターに広げてくれた。
「ここが今いる店で、ずっと海岸線が続くんですが。このチケットの番地…この地図で見ると」
「ーーーーー海?」
「…そう、みたいですね」
「……」
思わず顔を見合わせる三人。
なんて言ったらいいかわかんないけど。
「ーーー不思議体験…ってヤツ?」
「そ…ですね」
「なんか…途中からおかしいな…って思ったよね」
お兄さんは、俺らの微妙な空気を察したのか。いい景色の所はありますよ!って、場所を教えてくれて。元気出してください!って、エナジードリンクを二本。おまけにつけてくれた。
必死のフォローが嬉しくて。
さっきまでの微妙な空気も霧散して。
俺と隆は、お兄さんにお礼を言って。
教えてもらった景色のいい場所に向かう事にした。
「あのお兄さんに会えて良かった」
「ホント。あのお兄さんに会う旅だっていっても過言じゃないな」
「ーーーこうゆう時のひとの優しい力ってさ」
「うん。すげえよな」
ひとの力。
人生はきっと、この繰り返しなんだ。
与えて、与えられて。
そんな事をしみじみ考えながら、教えられた小高い丘へ。
ここも緑が綺麗で清々しい。
初夏の青い花が、道端に咲いていた。
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