長いお話 (ひとつめの連載)
日付けが変わって間もなく、宴はお開きとなり、この頃になると幾らか減っていた関係者達も、帰り仕度を始める。
メンバー達も、明日もう一度会う予定だからと、挨拶もそこそこ会場を後にする。
隆一は珍しく緊張していた。
あんな大勢の前でライブをこなすくせにと、自分を鼓舞するも。さっきから、身体の芯が震えてしまってしかたない。
その理由は、わかりすぎる程自覚している。
最後のライブの後、俺の家に来て欲しい。
隆ちゃんの全部が、欲しいよ。
先日イノランに請われた言葉を思い出して、隆一は顔が熱くなるのを感じた。まるで、ついさっきのライブがずっと前の事みたいに。今はこの先起こるだろう事で、胸がいっぱいだった。
人が疎らになった打ち上げ会場の壁際で。スタッフと話し込んでいるイノランの横顔を、隆一はぼんやりと眺める。
その内イノランは、軽く会釈をしてスタッフと別れると。隆一の視線に気付いていたように、真っ直ぐ進んで目の前で歩を止めた。
イノランはじっと隆一を見つめると、優しい穏やかな笑みをうかべる。
言葉は無いけれど、その瞳は雄弁に語っていて。
隆一は、しばらく俯いて。でも決心して、小さく確かな頷きを、イノランに返した。
マネージャーに明日以降の確認と挨拶をして、2人でタクシーで会場を後にする。
さっきからずっと、心ここに在らず…ぼんやりした隆一に、イノランはそっと苦笑をこぼす。
「ここでいいです。」
イノランの声が車内に響く。
隆一はハッと我に返って、意識がクリアになるのを感じて。
促されるまま、タクシーを降りた。
タクシーが見えなくなるまで、隆一は夜道を見つめ続けていたが。そっと右手に触れた、イノランの左手に引かれて、建物の中へと入っていく。
エレベーターの中でも、まともにイノランの顔を見ることなんか出来なくて、隆一はずっと俯いたままで。
ただ、壊れそうな程に鳴り続ける心臓の音が、イノランに聴こえなければいいと。
それだけを、今は願っていた。
「隆ちゃん、先、お風呂入ってきな」
部屋に入って、キッキンで湯を沸かしながら、そう勧めてくるイノランの言葉に甘えて、すぐにバスルームに入る。
外から、寝巻き置いとくよ~と呑気な声がして、湯を浴びながら隆一はひとり笑った。
「イノちゃん、お先に」
「うん、ドライヤーとか適当に使ってね。あとテーブルに置いてあるよ」
そう言い残すと、入れ替わりでイノランはバスルームへ向かった。
「テーブル?」
首を傾げてリビングへ行くと、ホカホカと湯気を立てた緑茶の入った湯のみがあって。
それを見て、隆一の心がほわん…と緩む。
きっと隆一の緊張を和らげようと、甲斐甲斐しく先回りしてくれるイノランに。
申し訳無いやら、嬉しいやら、照れくさいやら…。
この部屋に漂う湯気のような、あたたかな空気に。いつの間にか、震えていた身体はすっかり解れていた。
髪を乾かしてリビングでお茶を啜っていると、背後からイノランの楽しげな声が聞こえた。
「隆ちゃん、緑茶似合うよね」
「ホント?美味しいよ、ありがとう」
「俺もね、たまに飲むよ」
「身体にも良いしね。俺は毎日」
「いっときさぁ、スギちゃんだったか、Jだったか、カテキン推しがすごくて」
「あははっ!そんな事あったね、粉末緑茶とか…」
「そうそう」
ふふっ…と軽やかに笑うと、イノランの眼差しとぶつかった。
隆一はもう苦しくなるような緊張は無かったから、穏やかな表情でイノランを見つめた。
会話が急に途切れて沈黙が流れる。
本当は今日のライブの事とか、話すべき事があるんだろうけれど。
全て上部だけの会話になる事が、わかりきっていて。
正直今は、それどころでは無かったから。
緊張しているのはイノランも同じなんだって事が、すごくよくわかる。
聴こえる筈ないのに、イノランの早鐘を打つような鼓動が、空気を伝って来て。まるで感染したみたいに、隆一の鼓動もまた、どきどきとうるさくなる。
そっと、イノランが動いた。
隆一の背後まで来ると、後ろから抱きしめる。
風呂上がりのあたたかい身体に包まれて、なんだか幸せな気分になる。
抱きしめているイノランの腕に力がこもって、耳元で囁かれた。
「隆ちゃん。…いい?」
その腕の感触に。
欲を滲ませた、優しい声に。
隆一は目眩を感じて、縋りつくように頷いた。
「いいよ。」
ベッドサイドの明かりだけ点いた、仄暗い寝室で。イノランはベッドの縁に座ると、隆一の手を引き寄せる。
引かれるまま、隆一もイノランの隣に腰をおろした。
オレンジ色の控えめな明かりが、イノランの表情を映し出す。それを見て隆一は、コクンと息を飲んだ。
優しいけれど、熱を帯びた瞳で。情欲を隠さない男の顔で、隆一を見る。
( イノちゃん…かっこいい…)
ぼんやりそんな事を考えていたら、頬を捉えられ、唇が重なった。
想いを伝え合って、もう何度もしてきたキスだけれど。今のは、ちょっと違う。
この先へと、続くキスだから。
何度も深く舌を絡めて、求められる。
いつの間にか、ベッドの上に押し倒された状態で。それでもなお、唇を重ねて。吐息の混じった声が、止めどなくこぼれる。
「っん……ふ、っ…ぅ」
「……っはぁ」
イノランの手が、隆一の寝巻きのボタンに伸びて、ひとつひとつ外していく。急に外気に晒されて、隆一の身体が強張った。
イノランは暖めるように、そのはだけた身体に手を這わせた。
「あっ…イノちゃ、」
まるで自分じゃないみたいな甘ったるい声が出てしまって、隆一は咄嗟に口元を手でおさえた。
「隆ちゃん、声、聴かせて?」
「やだっ、恥ずかし…よ」
「声、聴きたいよ。我慢しないで」
そう言って、首筋を舐めて。
指先で胸の先端を刺激すると、隆一の身体が、びくりと反り返った。
「アッ…ん、ん…っ」
「…っ声、すげ…かわいい」
「ぁっ…イノ…っイノちゃん…」
頬をりんごのように染めて。
溢れそうな程、涙で目を潤ませて。
これ以上ないくらいの甘い声で、名前を呼ばれて。
目眩がする。初めて見た、乱れる隆一の姿から、目が離せなかった。
全ての感覚が隆一に奪われる。
夢にまでみた、愛しい恋人の身体に。
自分に縋って甘く喘ぐ、その声に。
もう、夢中だった。
隆一の服を全て脱がせると、イノランも服を脱ぎ去る。
覆い被さるみたいに、隆一を抱きしめる。
素肌が触れ合って、とてもあたたかくて。微睡んでしまいそうで、自然と瞼が落ちてくる。
「…イノちゃん…あったかい」
「ん、ヤバイね。めちゃくちゃ、気持ちいい」
「なんか…眠くなっちゃうね」
「ダメだよ?寝ちゃ。」
「ふふっ」
「ね、隆ちゃん」
「ナニ?」
「…もっと先まで、進んでいい?」
「今更でしょ?ーーー…良いに、決まってるじゃん」
イノちゃんのばか。そう言った隆一は、恥ずかしそうに微笑んで、自分からイノランを引き寄せて、唇を重ねた。
………………………
「…ぁ……あんっ、そこ…っや」
隆一自身を刺激しながら、丁寧に後ろも指先で慣らしていく。
なるべく痛みが無いように、辛くならないように。急く気持ちを必死で抑えて、隆一の身体を溶かしていく。
「痛い?」
「んっ、ん…」
ふるふると首を振って、涙を溜めた瞳で隆一が見上げてくる。
「隆?」
「…も、…痛く、ない…から」
「ん…。」
「イノちゃんっ…」
隆一は両手を広げて、イノランに縋りつく。もう大丈夫だよ…という合図だとわかったから。
怖がらせないように、もう一度ぎゅうっと抱きしめた。
「隆っ…」
指を引き抜いて、隆一に自身をあてがうと、ゆっくりと押し進める。
指とは比べられない熱さに。隆一は甲高い声をあげた。
「あっ、ぁあっ…」
「りゅっ…う…」
「っい、…の、」
「隆っ…っ」
やっと、繋がって。息を乱して。
イノランは上から隆一を見下ろすと。
涙をたくさん流して、目を閉じて。
半開きの口から、吐息をこぼして。
髪も無造作に散って。桃色に染め上げた頬も身体も。
何だかもう、全てが美しくて、かわいくて、愛おしくて。
繋がったまま、イノランは破顔して囁いた。
「好きだよ、隆ちゃん」
「…イノちゃん」
「隆、……一緒に、ね?」
「うんっ…」
ゆっくりと腰を動かして、隆一を攻めたてる。
はじめは力が入って、身体を固くしていた隆一だったけれど。
次第に艶やかな声が漏れはじめ、動きも早く、深くへと変化してゆく。
「っ…や…っあっ、あんっ…」
隆一の口元が動いて、何かを言いたそうにしている。
「りゅうっ…どした?…」
「っ…ぁ、はぁ…っ」
口を動かしても、喘ぎ声しか出てこない。イノランは動きを抑えると、隆一の顔に耳元を寄せた。
「隆ちゃん?」
「……の、」
「ん?」
キス、して?
微かな声と、花が開くような笑顔に強請られて。イノランの理性は、瞬く間に崩れ去る。
隆一の身を引き起こし、膝の上で抱きしめる。もっと深くまで入り込んで、隆一が悲鳴のように喘いだ。
下から突き上げながら唇を重ねると、貫くような快感が走って。
何度も何度も、キスを繰り返した。
「隆っ…りゅ…うっ」
「…あっ、、ァン、…んっ」
イノランが隆一の唇を吸う度、背中に回した隆一の手が、無意識に爪をたてる。
その小さな痛みさえ気持ち良くて、止めることなんかできない。
目の前の存在が、愛おしくて堪らない。
「イノちゃっ…もぉ、わかんない、くらい…好きっ…だよ」
「っ隆、…俺…も、」
「ん…っん…」
「お前…だけだっ」
…………………
物音でイノランは目を開けた。
まだ窓の外は暗くて、朝ではない事を知る…が。
ビュウウ…と音が響いている。
( 風の音?)
風が強いようで、良く目を凝らすと、外の木が大きく揺れているのがわかった。
黒い木の影がどこか不気味に感じて、イノランは小さく身動ぎすると。
胸に抱き込んだ恋人の髪が、ふわ…と頬を掠めた。
「隆…」
イノランの表情が、ふっ…と優しい笑みに彩られる。
長い年月、ずっと恋い焦がれてきた大切な人と。やっと、結ばれて。身体を重ねる事ができて。
泣きたくなるくらい、幸せで。
愛しい恋人の、恥じらいながら自分を求めてくる姿に。
加減なんて出来るはずもなくて。
ただただ夢中で、隆一を抱いた。
( 隆ちゃん、ごめんね )
身体を気遣う余裕も無くて…
スヤスヤと眠る隆一の頬に、そっと指を這わす。なめらかな頬を撫でて、そのまま色付く唇へ。
イノランの鼓動が、またドキドキとうるさく鳴りはじめる。寝かせておいてあげたいのに、抗えなくて。引き寄せられるように唇を重ね合わせた。
「…ん……」
隆一の瞳がゆっくりと開く。
その様子があまりにも綺麗で、全部閉じ込めたくて、更にキスを深めていく。
「ぁ……ん…」
「…ンッ…隆…」
「ふ、ぅ……ぁっ」
含みきれない唾液が、隆一の唇から伝って、イノランはそれを舐める。
いつしか覆い被さる格好で、キスに没頭していった。
「隆…かわいい」
「はぁっ…」
ちゅ…と唇を離すと、隆一の濡れた瞳と目が合って、正直我慢できない。もう一押しで、また求めてしまいそうな自分を。イノランが必死に留めていたとき。
隆一がそっと、イノランの左手をとって、その甲に口付ける。
「イノちゃんの手。この指で綺麗なギターの音が出るんだね」
「…隆ちゃん」
「すごく好き。すごーっく、大事。…俺、イノちゃんの手、守るからね?」
「手?どうやって…」
イノランの問いかけに隆一はにっこり微笑むと、指先を絡ませて、手を繋いだ。
「こうして、手を繋いでいれば…守れるでしょ?」
ね?と小首を傾げてはにかむ隆一。そんな可愛らしい事を言う恋人に…我慢出来なくて。
指先を隆一の唇に、押し入れる。
「舐めて?隆ちゃん」
「ンッ…ぁ」
「ギターも勿論だけど、隆ちゃんを愛してあげるのにも、必要な手でしょ?」
「ん…っ…ギター…大事…でしょう?」
「大事だよ?ーーーでも、隆ちゃんだって大事だもん。 俺にとってギターと隆ちゃんは、もう切り離せない。…俺に、必要なものだよ」
イノランがどれ程、ギターを弾くという事を大切にしているか、愛しているか。ずっと見てきたから、わかる。
隆一にとっての、歌う事と同じように。
それは、自分を生かすもの。生きている証。
イノランは、それと同じように、隆一を大事だと言う。必要だと言った。
隆一の目から、涙が伝う。
「…隆?」
嬉しい。嬉しくて、死にそうなのに、言葉が見つからない。
こんな気持ち、知らない。
こんなに誰かを好きになれるなんて、どこまで堕ちるんだろう。
隆一は込み上げる気持ちを、どうにも出来なくて。もどかしくて、苦しくて。
イノランに抱きつく事しか出来ない。
「イノちゃんっ…もっと、したいよ」
「隆ちゃ…っ」
「俺の全部…イノちゃんにあげる」
「ーー…っ」
「…俺はイノちゃんの。…だよ?」
極上の、目眩をおこすような言葉を。
隆一は惜しげも無くイノランに囁く。
「もっと…抱いて」
イノランは目の前にある、愛しいその身体に再び手を伸ばす。すると隆一の表情が瞬時に変わる。
愛する人に愛される、艶やかで、幸せに満ちた。イノランを虜にする、その笑顔に。
イノランは箍を外して、めちゃくちゃに隆一を抱いた。
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