長いお話 (ひとつめの連載)
円陣を組んで、メンバー5人、顔を突き合わせる。
いつも以上の想いが、流れ込んでくる。色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざって、窒息しそうだ。
隆一はゆっくり呼吸をすると、語りかけるように言った。
「最後です。これ以上ないくらいでいきましょう。
ーーーーーーーーーーーーー……でも、いっこだけ、言わせて。」
凛とした隆一の表情が、一瞬、揺らぐ。4人の視線が、隆一に注がれる。
「俺は、4人の演奏でなければ、ルナシーの歌は、歌わない。」
キン…と空気が張り詰める。
隆一は躊躇うことなく、言い放つ。
「でも、いつか。…いつかまた、歌う日を、諦めない。諦めたくない。」
隆一の言葉が、4人の。今一番弱い、心の部分に突き刺さる。
その傷は、強い痛みと、甘美な疼きとなって。もう治らない傷跡になる。
たとえ、忘れてしまったとしても。
清々しい表情で、4人をじっと見つめてくる隆一。
メンバー達は余計な力が抜け落ちたように、吹っ切れた気持ちになってきて。
あぁ、あの頃から、変わらない。と諦めにも似た、笑みが溢れる。
ライブハウスで、4人で初めて隆一の歌声を聴いた時から。
その揺るぎない瞳で、笑顔を向けられた時から。
全てを断ち切るなんて、無理なんだ…と。
4人の音と隆一の歌声は、一緒に在って。そして、いつかまた。それぞれを渇望してしまうのだろう。
言いたいけれど、言葉にできなかった、いつか未来の可能性を。
隆一は言葉にしてくれた。
きっとそれが、自分の役割だと思っているのかも知れないけれど。
こわいのは、隆一も同じだってことが、微かに震える指先と、噛み締めた唇でわかって。
熱く、痛いくらいの想いが、メンバーの胸に湧き上がる。
歓声がひときわ大きく、5人を包む。
いつも思う。身体が浮くような感覚。
音の波に乗って、ふわりとセンターに立つ。
隆一の第一声が響いた。
その後は、夢中で。
ただ、全身全霊で。想いを届けた。
正直。必死で、あまりよく覚えてなくて。気がついたら、もう最後の曲で。
メンバーみんな、汗だくで。
ステージから見える、ファンの子達の泣き顔が、よくわかって。
あぁ、ホントに次が最後なんだと、実感して。
不覚にも、景色が揺らめくのがわかって、ぐっと唇を噛んで、耐えた。
(俺が泣いたら、ダメだ。)
真矢のカウントで、全員が跳ぶ。
銀テープが舞う。
隆一はその輝く光景を、目を細めて眺めた。
…きれい……
このままずっと、歌っていたい。
「っ……」
また視界がブレ始める。
熱くなった目元は、さらに潤んで、咽喉を刺激する。
声がうまく出せなくて、歌詞がとぶ。
(だめだ、声がつっかえる…っ…もう最後なのにっっ!)
その時、隆一の隣にするりと寄り添ったのは、イノランで。
隆一の持つマイクに向かって、ギターを弾きながら、歌う。
隆一が驚いたように見つめると、イノランが視線を向けにこっと微笑んだ。
そしてネックを支える手を隆一の目元に伸ばし、涙を拭う。
(大丈夫 ‼ ここにいるから、隆ちゃん歌って ‼ )
そう言われたみたいで、隆一の瞳にスッと力が戻る。
イノランはずっと隣にいてくれて。
スギゾーとJもセンターに集まる。
終わりが近い。
残響が消えなければいいのに。
このまま、ずっと…
ピアノのメロディーが静かに流れ出す。
熱かった身体が、さぁ…っと冷めていく。
繋いだ手と手。
すごいなと、思う。
初めて会った人とも、躊躇いなく手を繋いで、ひとつになれる。
たったひとつ。ルナシーが好きという事実だけで。こんなに大きな力が生まれる。
そう再認識した途端、隆一の涙腺が再び緩む。
ゆらゆら涙で、照明が滲んで。慌てて上を向いて、堪えるけれど。
もう、無理だった。
隆一の頬に涙が伝う。
イノランがこちらを見ているのがわかって、それだけで十分で。
潤む声も、もうどうでもいい。
「せーのっ‼」
跳んだその足が、地に着かなければいいのに。
いつもステージをすぐ後にするのは、隆一とイノラン。
行く先々で、スタッフから労いの声がかかる。それをひとつひとつ丁寧に、挨拶を返す。
頭からタオルを被ったまま、隆一は足早に楽屋に滑り込んだ。
バタンとドアを閉めた途端、堪えていた涙が、溢れ出す。
寂しい、恋しい、苦しい、愛おしい。
隆一は、立っていることも保てずに、その場に崩れるようにペタンと座りこみ、声をあげて泣いた。
普段の隆一なら、こんなこと絶対しない。常にバンドの窓口として、感情を乱すなど、しなかった。
それがこのバンドを保たせる、ひとつの自分の役割だと、自負していたから。
でも今は、そんな事も考えられなかった。
不意にドアがノックされる。
数回の後、控えめにドアが開かれ、隆ちゃん?と声がかけられた。
隆一の様子が気になったイノランが楽屋を訪れたのだ。
「ーーっ」
目に入ったのは、床に座り込んだ隆一の背中。
しゃくりあげる度に肩を震わせて、その姿がとても小さく見えて。
イノランは後ろ手にドアを閉めると、背後から隆一を抱きしめた。
一瞬、隆一の身体がビクリと跳ねたが、すぐに力が抜けていく。
「隆ちゃん」
イノランの声が隆一に染み込んで、それだけで、安心する。
「隆ちゃん、よく頑張ったね。ちゃんと伝わったよ?皆にも、俺らにも」
「ーーー…っの…ちゃ…」
「皆、スゲー良い顔してたじゃん。それってさ、悲しいだけの最後じゃなかったからだよ」
「ーーーーーー……」
「きっと、〝いつか〟っていうのが信じられたんだ。ーーーー隆ちゃんが、言葉にしてくれたおかげ」
そう言って、隆ちゃんこっち向いて?と。隆一の身体を反転させる。
兎のように瞳も頬も赤く染めた隆一と、目が合って。
イノランは可笑しくて笑ってしまう。
「さっきまでステージの真ん中で歌ってた人じゃないみたい」
くすくす笑いながら言うイノランに、隆一は俯いて、イノちゃんの意地悪…。と呟いた。
イノランは目を細めると、今度は正面から隆一を抱きしめる。
「うそ。隆ちゃんには、ありがとうしか言えない。一緒に音楽やれて、幸せ。俺、隆ちゃんの声にベタ惚れだもん」
そんな事を言われて、嬉しくてくすぐったくて、笑みが溢れてしまう。そうしたら更に言葉が続いて、隆一は真っ赤になった。
「もちろん、声だけじゃないよ?心も身体も、隆ちゃんの全部が好き。……早く、欲しいよ」
降って来たのは、そっと触れる優しいキス。
次々と与えられるイノランの愛情に、隆一はされるがままに、すっかり脱力してしまった。
「シャワー浴びといで?アイツらもそろそろ戻って来るよ」
「うんっ」
「ゆっくり温まりなね」
「うん」
「じゃあ俺、自分のとこ戻ってるから」
「うん、イノちゃんありがとう」
「ん?全然。こちらこそ」
そう言い残して、イノランは隆一の楽屋を後にした。
スタッフ達を交えての打ち上げは、いつもと少し違った雰囲気はあるものの、おおいに盛り上がった。
メンバー達もそれぞれ、スタッフ達の輪に入って談笑する。
ずっと一緒に走ってきてくれた人達がほとんどで。
寂しい気持ちはあるけれど。
これからはソロとして、また一緒に仕事をする事になる人もたくさんいて。
5人に感謝の想いが込み上げる。
支えられている事に改めて気づいて、一人ひとり言葉を伝えていく。
宴会も半ばを過ぎると、皆アルコールがだいぶ回って、あちこちで笑い声が起こる。
メンバー5人だけのささやかな打ち上げはライブの翌日にしようと、以前から約束していた。それは間もなく海外に飛ぶ、スギゾーとJの見送りも兼ねていた。
隆一はそっと人垣を抜け出すと、冷たい緑茶の入ったグラスを持って一息ついた。
元々あまりアルコールに強い方ではなくて。皆のペースで付き合っていると、疲労感がどうしても出てしまう。
隆一はジッと会場の光景を眺めた。
はじめはたった5人で、何もかもこなしていた。
それが今ではこんなにたくさんの人々が関わってくれている。
ひたすら上だけを見て。
眩しい程の、駆け上がる階段の途中で得た。たくさんの出逢い。良いものも、悪いものも。あったけれど。
これからは上ばかりではなくて、前を向いて、続いていく道を大切に進みたい。出逢えた大切なものと一緒に、感謝を込めて。
ポンっと肩をたたかれて、隆一はハッとする。
「…J?」
「ブレイクタイム?」
「そう、いつものね」
Jはグラスを片手にニヤリと見下ろしてくる。
隆一が見上げると、どこか落ち着かない雰囲気で。目が合うと慌てて逸らされる。
「どうしたの?J」
隆一の問いかけに相変わらずそわそわした様子で。何か言いたいのに、言えないでいる感じだ。
まるで小学生がそのまま大きくなったみたいで、隆一は少し笑った。
「何、笑ってんだよ」
「だって、J 面白いんだもん」
一番大きいくせに、一番末っ子みたい。なんて言ったらますます臍を曲げそうだから、笑みだけ洩らして、言葉は飲み込む。
そんな隆一に観念したのか、ため息と共にJが口を開いた。
「今日お前が言ったこと。さ」
「ん?俺?」
「円陣組んだ時、言ったろ」
「あーー…うん。」
「あれさ。」
「うん」
「ーーーーー救われた…つーか。」
「え?」
「いつかわかんねーけどさ、行き着いた先の、楽しみが出来た。っていうかさ」
「……」
「多分、アイツらも。そう思ったよ」
「………」
「ありがとな。隆一」
そんな事を言われるなんて、思ってもいなくて。隆一は面食らって、たっぷり数秒経って、口を開いた。
「俺もね……」
「ん?」
「はじめは、言っちゃいけないって思ってて。」
「……」
「でも、言う勇気をくれたの、イノちゃんなんだ」
「…アイツ?」
「勇気をもらったら、もうこれは言わなきゃって。そうしないと、悲しいだけの、最後になっちゃうなって。
…それは、望んだ終わりのカタチじゃないもんね」
「お前…」
「どういう言葉で言おうか、ここ数日ずっと考えてたんだけど…結局、」
当日、あの場所で勝手に言葉が出てきたんだ。
そう隆一は恥ずかしそうに言うから、Jもつられて照れ臭くなる。
バンドの存続について考えるときJを悩ませたのは。メンバーの出す音、そして隆一の歌声を失う事だった。
もう二度とコイツらと共に、音楽に身を沈めることは叶わないのかと。
心にポッカリ穴が空いたみたいだった。
認め合っているから。
それは、生涯変わらない想いだろう。
でも、そんな心の空白を。
いとも簡単に隆一は消し去った。
いつか。なんて保証は無いけれど、隆一の言葉だけで、満たされた。
隆一に、心ひそかに感謝した。
そして、キッカケを作ったという幼馴染にも、仕方ねえから、感謝してやるか。と口角をあげた。
「こうなったら頑張らねー訳にはいかねーじゃん?」
「そうだよ?もしかしたら、俺のソロライブにJがゲストって事もあるかもよ?」
「…マジかよ」
「ゼロでは、ないよ?」
「んじゃ、その逆も…」
「然り。」
「ハハッ!!いいじゃん!」
「ね、色んな事できたら…」
「良いねえ!!」
声をあげて、笑う。
2人は緑茶とウォッカで、乾杯した。
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