長いお話 (ひとつめの連載)
翌日からはまた仕事だ。
朝から夜まで、忙しい。
日付が変わる前に、イノランは隆一を家へと送った。
「イノちゃん、いっつもありがとう。送ってもらって」
「全然!しばらくは無理だけどさ、落ち着いて時間が出来たら、またどっか行こう?」
「うんっ!」
嬉しそうに頷く隆一を見て、こみ上げるものを感じる。
イノランは隆一を引き寄せると、そっと唇を重ねた。温もりを感じて、すぐに離れる。
「…イノちゃん」
「仕事中は出来ないから、今のうちに、隆ちゃん補充。」
「……キス、いっぱいしてるのにね」
「足りないよ。フルになることなんて無いんじゃない?」
「そうだね…。俺も足りない。ーーーー…ね。イノちゃん」
「ん?」
「今のじゃ、足りない…。ライブ乗り切れるくらい…もっと。」
ゆっくり目を閉じて、キスを待つ隆一の姿が、あまりにも煽情的で。
いとも簡単に、イノランの心に情欲の火がつく。
せまい車内に、お互いの吐息と水音が響く。鼻にかかった隆一の小さな声が漏れる度に、背筋が強張るくらいの快感が走る。
「ンッ……ァ、ん…」
「…っは、」
「…んっ……んぅ」
イノッ…
隆一の涙で潤んだ目が見上げてきて、イノランは止まらなくなりそうな心を何とか抑えて、身体を離した。
「は…ぁ、…」
大きく息をついた隆一は、同じように息を乱すイノランを見上げた。
「もっともっとって思っちゃうから、やっぱ足りないね。でも、気合い十分。」
「ん。俺も」
「歌うよ。」
「弾くね。」
顔を見合わせて笑い合う。
「じゃあ、また明日ね」
「うん、隆ちゃんおやすみ」
「イノちゃんも、おやすみ」
バイバイ、と手を振って別れる。
……………
部屋に戻った隆一は、シャワーを浴びようとバスルームに直行する。
そしてイノランから借りたシャツを手に、キレイにして返さなきゃな…と思う。
明日クリーニングへ…と思いかけ。フト、それよりも…とシャツをまじまじと眺めて考え直した。
自分の手で、丁寧に洗ってキレイにアイロンをかけて、ピシッと畳んで返した方が、もしかしたら喜ぶかもしれない。
そんな事を考えて、隆一は目を細める。
「よし!そうしよ。」
隆一は洗剤を手に取ると、どこか楽し気にバスルームへと入って行った。
今日は朝から忙しい。
分刻み動かないと、回れなくなってしまう。
終幕とあって、通常よりも様々なところから仕事の依頼があり、しばらくこんな状態が続きそうだ。
来週からは、いよいよライブのリハーサルも始まる。
物思いに耽る余裕も無く、メンバー達は皆、忙しなかった。
隆一は3件の仕事を終え、一旦事務所へ立ち寄った。これから夜、もう1件の仕事が入っている。
微妙な空き時間が出来たから、ここで少し、休憩できる。
事務所の控え室に入ると真矢が居た。
「よお!隆ちゃんおつかれ!!」
いつもの真矢の朗らかな笑顔に、隆一はホッとして挨拶を交わした。
「真ちゃん、まだ仕事?」
「そうそう。この後もう1コ取材~」
「俺と一緒だ。ちょっと休みに来た」
そう言いながら真矢の向かいの席に座って、持って来た紅茶を啜る。
真矢は大きく伸びをして、あ~あ。と溜息をついた。
「ライブ前だってのに、こんな忙しくなるなんてな。やっぱ、違うんだよな。ただのライブじゃない。」
「ん…なんか、周りもね」
「来週のリハまで、休みねぇしさぁ
」
「…仕方ないけどね」
「まあ…なぁ」
「うん……」
やるせない空気が流れて、何となく会話が途切れた。この2人には、珍しい事だ。
しばらく訪れた沈黙を破るように、真矢は殊更明るく口を開いた。
「そういや、この前さ。久々にアイツらと呑みに行けて、すげえ嬉しくてさ!」
「…チコクした日?」
「アハハ!そうそう。なんか久々、本音とかも言えたりしてさ。
良かったよ。ライブ前にああいう時間とれて」
「 うん 」
「でもさ。あのキッカケは、隆ちゃんとイノだよ。」
「?…俺達?」
「レコーディングの歌入れの時。あの時5人まとまった気がしたじゃん」
「うーん…。別に、何もしてないけどな」
「いーや、2人で何か無言の会話してたろ。あの空気にあてられた訳だ。俺らは」
「ええ~!?」
「仲。良いもんなぁ」
「ふふっ、仲良いですよぉ」
「仲。良いでしょ?」
突然背後から聞こえた声に、隆一と真矢は驚いて振り返ると、にこやかに笑うイノランの姿があった。
「イノちゃん!」
「よお!イノおつかれ~」
「おつかれ!いいねぇ、なんかほのぼのしてるね~」
そう言ってイノランは、2人の肩をポンポンとたたく。
「ライト サイド オブ ルナシーだから、俺ら」
真矢は豪快な笑いを響かせて、ちらっと時計に目をやった。
「さて。そろそろ父さんは行かないと。隆ちゃんは?あとどんくらい?」
「俺も、もう少ししたら出る。」
「イノは?」
「俺はここで取材。その後フォトチェック」
「ああ~みんなお疲れだ、風邪ひくなよ!」
そう言い残して、真矢は事務所を後にする。
「真ちゃんっていいねぇ…無くてはならないね」
「あ、わかる。ホントに、お父さん。人生にずっと居てほしい」
くすくすと顔を見合わせる。
すると思い出したように、隆一は紙袋をイノランへ渡した。
「イノちゃん、これ。ありがとう」
「ん?何?これ」
「貸してもらった服」
「え、もう?早いね。いいのに急がなくて…って、何。すげぇキレイに包んであるんだけど!」
まるで店でラッピングされたように。ピシッと整えられたシャツに、イノランは目を丸くする。
「えへへ。夕べ、お洒落着洗い用の洗剤で手洗いして、アイロンかけたんだぁ!で、せっかくだからラッピングもしてみた」
どう?という目を向けてくる隆一に、イノランは嬉しそうに笑みを浮かべると、隆一を抱き寄せた。
今誰も居ないから。内緒だよ?
そういいつつ、隆一の髪を優しく撫でる。
「隆ちゃんありがとう、夕べ疲れてんのに…こんなキレイにしてくれて。」
「喜んでくれたなら、良かった」
声の端々にも、照れと嬉しい気持ちが滲み出ているのがわかって。イノランは頬擦りするみたいに、隆一を包み込む。
今日はもう触れ合えないと思っていたから、尚更、嬉しい。
仕事中はしないと2人で決めたけれど、偶然訪れた2人きりの時間。
どうしても近くにいたくて、寄り添ってしまう。
しかし時計に目をやると、もう行かなければならない時間で。残念そうに呟く隆一。
「もう、行かなきゃ」
「そっか。でも少しでも会えて良かった」
「うん!」
「じゃあね、また明日?も会えるね!」
「うん、また明日ね」
「…じゃ、隆」
目の前が暗くなったと思った瞬間、優しく触れ合う唇。
不意打ちをくらって、顔を真っ赤にする隆一と、それを見て満足気なイノラン。
「もう何回もキスしてんのに、なんでいっつも、そんな可愛い反応してくれんの?」
「だっ…だって!いきなりするから…」
「いきなりじゃなくても、いつも可愛いけど?」
「うぅ~…」
「ん?」
ますます顔を赤く染めて、ちらっとイノランを見る。
「……イノちゃんのキスが好きだからに決まってんじゃん」
「え?」
「だぁから!イノちゃんのキスが好きって言ったの!恥ずかしい!俺もう行くからね!!」
そう言ってズンズンとドアの方へ向かう隆一を、ポカンとした顔でイノランは見て。そんなイノランに反撃とばかりに、ニッコリ笑って言い去った。
「俺、キスしてる時のイノちゃん、すっごく好きだよ? じゃあね!行ってきまぁす!」
パタンと閉じられるドアを呆然と見守って。頭の中で隆一の言葉を反芻して、イノランはひとり顔を赤らめた。
「うわぁ…照れる…」
今、誰か来られたら絶対困るくらい顔が緩んでいるのがわかる。
顔が熱い…
心の中は、嬉しくて、あたたかくて。
イノランは熱くなった顔をなんとか抑えようと、そっと目を瞑る。
脳裏に浮かぶのは、やっぱり愛しい恋人で。まるで今、目の前に隆一がいるように、密やかに呟いた。
「好きだよ。隆ちゃん」
いよいよ明日ライブを控えて。
隆一は自宅のリビングのテーブルにCDを並べていた。
今まで自分たちが出してきた、ルナシーの音源達。
危うさや、狂気を備えたファーストから。ゆっくりと闇の中を彷徨うように創り上げられた、ルナシーの世界。
いつしかその音は、光や輝きを纏って。目を開けていられない程、真っ白で。
その先が、見えなくなってしまって。
いよいよルナシーは眠りについて。
5人は、長い長い、旅に出る。
決して安易な道ではないだろう。
辛くても、苦しくても。もう5人一緒ではない。怖くて、明日を待つのが恐ろしい夜だって、訪れるはずだ。
それでも決して、諦めたくはない。
いつかまた、5人で音楽を創り上げる。そんな日が、来るかどうかなんてわからない。来ないかもしれない。
でも、諦めない。
ルナシーがまた、目を覚ます日を。
隆一はいつの間にか、テーブルに置いた手が、小さく震えているのに気がついて、苦笑する。
明日自分は、どんな歌をうたうのだろう。
正直隆一は、自分でも想像がつかなかった。
感極まってしまうだろうか。
涙で声が出なくなってしまうだろうか。しかし隆一は首を振る。
(それはダメだ。)
最後まで、最後の一瞬まで、声を届ける。きっとファンのみんな涙を流すだろう。
ヴォーカリストは、そんな彼らへの微かな光にならなければならない。
発する声のひとつひとつが、長い長いトンネルの先に見える、小さな出口の光みたいな。
そしてそれは、自分にとっても、メンバーにとっても、希望になるのだ。
隆一は口元に柔らかい笑みを浮かべる。
(せいいっぱい、歌おう。)
隆一の根底にあるもの。
歌うことが大好き。
音楽が大好き。
それを伝えよう。
ファンへ、スタッフへ。
そしてメンバーへも。
そこまで考えて、フッと右側にいる
ギタリストの、顔を思い浮かべる。
大好きな音色を奏でる、とても優しい、大切な人。
《 隆ちゃんが辛い時、どうしようもない時は、俺を呼んでほしい。》
ありがとう、イノちゃん。と心の中で呟く。
誤解されることが多いけれど、隆一は本当はとても寂しがり屋で。強いだけではなくて。
人知れず後悔したり、落ち込んだり。ひとり涙を流したり。…それをひとりで耐えてしまう。
きっとイノランは、そんな隆一を知っていて。仕事ではどんどん突き進む隆一だけれど。
プライベートで弱った時は、頼ってほしい。甘えてほしい。ひとりで抱え込まないで。その弱さを俺には見せて、と。
「ありがとう、イノちゃん。俺も…」
そんな存在になりたいよ。
イノちゃんが弱った時、側にいたい。
依存したいわけではない。
甘えきった関係ではいたくない。
一緒にいて、生み出されるものを、大切にしたい。
もっと研ぎ澄まして。
一緒に高め合いたい。…キラキラした宝石を、作り上げるみたいに。
ねぇイノちゃん。
ルナシーのRYUICHIとして、あなたの隣に立つ最後の日。
忘れないよ?
INORANの刻む音。
SUGIZO、J、真矢、メンバーの音。
景色。LUNA SEAの全て。
うまくみんなに伝えられるか、わからないけれど。
100%以上の歌をうたうから。
熱気に包まれる。大歓声が聴こえる。
たくさんの音が混ざり合って、まるで地面が揺れるよう。
足をしっかり地に着けて。
前を見据えて。
心震わせて。
全てを届ける。
さあ。最後の、幕があがる。
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