長いお話 (ひとつめの連載)








撮影スタジオを後にして、地下の駐車場まで歩く。
残りの半日は、ライブまでの間で唯一まとまったオフの時間。夕べも、終幕までもうゆっくりできないね…なんて話していて。
そんな貴重な半日オフをどうするか考えて、結局、2人一緒に過ごす事に決めた。
予定も立てず、その時の気分で。




「お腹空かない?」

「そうだな、朝も結局食べてる余裕が…」

「イノちゃんのせいでしょ?」

「ん?」

「…クロワッサン、美味しそうだったのにな」

「食えば良かったのに」

「あの状況で‼無理でしょう!?」

「何で?」

「……だって…イノちゃんが」


隆一が上目遣いで不貞腐れたように呟くと、イノランは平常心が揺らぐのを感じたが。
ポーカーフェイスを保って、逆に挑発的に口元を歪めて隆一に詰め寄った。


「なに、俺が?」

「え?…だ…だから」

いつのまにか間近に来ていたイノランに、抵抗にもならない、睨んだ目を向ける。

「ナニ?」

「ーーーーーーそんなに見られたら、何にも出来ない!」

「…………」

「イノちゃんしか見えなくなっちゃうっ」

ふわっと、イノランの匂いが濃くなった。ぎゅっと抱きしめられた事に気がついて、胸が高鳴る。
その匂いに、体温に。心地よくて隆一はそっと目を瞑った。


「隆ちゃん、かわいい」

「かっ、…かわいくなんかないよ!」

「そう?俺は、めちゃくちゃかわいいと思うけど?」

楽しげにそう言うと、コンクリートの柱と車の隙間の壁に、隆一を押し付ける。打たない様に後頭部に手を添えると、深く唇を重ねた。


「…ン、っ…っ」


いつ誰が来るかわからない状況に、隆一の霞んだ頭は羞恥でいっぱいで。
声を漏らさないよう、必死にイノランに縋り付いて、ぎゅっと服を掴んだ。
それがかえってイノランを興奮させて、いっそう甘く隆一の唇を奪う。

隆一の顎を混ざり合った唾液が伝って。もう限界というように、苦しそうな隆一の吐息が溢れる。


「ァ、んっ…ンっン…」

「…はぁ、…っ」


イノランはぺろりと隆一の唇を舐めると、頬を染めて息を乱す恋人を、愛おしげに見つめた。


「ほら、かわいすぎて止めらんないよ」


熱っぽい瞳と声でそんな事を言われて、まともに目なんて合わせられない。恥ずかしくて、隆一はイノランの胸に顔を埋めた。
一瞬その行動にびっくりして目を見開いたイノランだったが、震える手で抱き付いている隆一に目を細めて、抱きしめ返す。


「隆ちゃんは、俺にかわいいって言われんのイヤ?」

「……イヤじゃ、ないけど…」

「ん?」

「…恥ずかしい……。」

「じゃあ、いい?イヤじゃないなら。これからも言っていい?」

「ーーーーーー………うん…。」

「ありがと。俺、隆ちゃんのかわいいとこも、恥ずかしがってるとこも全部好きだよ?」

「もうっ!そーゆうのが恥ずかしいの‼」

「じゃあ隆ちゃんもさ、俺の恥ずかしがること見つけて?そうすれば、不公平じゃなくなるでしょ?」

「ええ!?イノちゃんの?なんかあるの?無敵って気がするんだけど」

「なんかあるって!俺すら気付いて無いこと。隆ちゃん見つけてよ」

「んーー…わかった。なんか、あるかなぁ…」

「ふふ、…んじゃ、とりあえず行こっか!メシ食いに」

「わあい!行こう!お腹空いたぁ!」


先程までの艶めいた表情は影を潜め、子供のように笑顔をふりまく隆一に、イノランは感嘆の溜息をつく。
ころころ変わる表情を、見ているだけで楽しくなる。
知らない表情も知りたくて、自分にしか引き出せない隆一を、暴いてみたい。そんな欲求に駆られる。

ずっと想っていた相手と心を通わせることが出来た途端、その次が欲しくなる。…なんて、イノランは自分の欲深さに、苦笑を零した。













イノランお薦めの洋食屋を出る頃、外はもう夜の気配が漂っていた。
冬場だから日暮れも早くて、あっという間に暗くなる。
貴重な2人の時間が終わりに向かっている気がして、隆一は少し寂しくなった。そんな隆一の様子を察して。イノランはそっと手を繋ぐと、そのまま通りの方へ進んだ。


「ちょっと、歩こう?」

「…うん。」



石畳みで有名な海沿いの街並みは、すっかりクリスマスモードで。
長く続く商店街は、イルミネーションで彩られている。
道行く人々もその光に夢中で、2人に気を留める様子も無いから、思う存分クリスマス気分を味わう。

イノランはその光の道の途中で、上へと続く道を歩き出す。その道も派手ではないがイルミネーションが続いていて。聖夜の厳粛な雰囲気を漂わせていた。


「隆ちゃんとこんな風にイルミネーション見るの、初めてだな」

「そうだね、この時期はライブなんかで忙しいもんね」

「ーーーーーーーーーずっとね…」

「ん?」

「綺麗な景色とか見つけたとき、隆ちゃんと一緒に見たいなって、思ってた」

「……うん」

「やっと、叶った。」

「ーーーーねぇ。これからは、ずっとだよ?」

「ん?」

「色んな景色、イノちゃんと一緒に見られるよ?ーーーーーーだって俺…」


隆一はイタズラっぽい笑みで、イノランの顔を覗き込む。


「イノちゃんの、恋人だもん」

「…隆ちゃん、」

「ね?」


首を傾げながら笑いかける隆一に、イノランはもう降参するしかなく。つられて溢れる笑みを止められず、お返しとばかりに、隆一の額に小さなキスを送った。
嬉しそうに、はにかんだ顔を向けるから。
イノランは繋いだ手を、そのまま自身のジャケットのポケットへと入れた。
隆一の頬が、ぼおっと熱をもつ。


「イノちゃん大胆。…なんか照れる。」

「…俺、自分がこんな事するヤツだなんて思わなかった」

「新しい発見?」

「うん。隆ちゃんと居るとびっくりの連続だよ」

「ふふ。いいね、楽しいね」

「ホント、そう。隆ちゃんこれからも俺を、びっくりさせてね」

「うん!イノちゃんもね?」


そんな他愛もない会話を楽しんでいると、いつの間にか天辺まで来ていた。
ここら一帯は西洋の街並みをイメージさせて、なおさらクリスマスムードが満ちている。
数組のカップルは居るものの、ここまで来ると人も疎らだ。
2人は港町を見下ろせる石段に、腰を下ろした。

眼下には、光の粒が散らばったように輝いて。陸と海の境界がよくわかる。海上には船がいるのか、赤や黄や青のライトが尾を引いて、ゆっくり動いている。

2人は何も話さずに、じっとその景色を眺める。
隆一はずっと昔から、イノランと2人で居る時に時々訪れる、無言の空間が好きだった。何か言わなければという焦りが無い。隆一が自然体で存在できる、貴重な時間だった。

しかし今は、自分達が大役を務める目前ということもあるのか。嵐の前の静けさのような気がして、隆一は小さくひとつ身震いをした。












「隆ちゃん寒い?」


思考の波にのまれそうになった瞬間。
低く落ち着いた、最愛の人の声が囁く。びっくりして隣を見ると、優しいイノランの瞳が向けられていた。
隆一はドキンと胸が跳ねるのがわかったけれど、ふるふると首を振った。


「大丈夫。寒いんじゃないから」

「ーーーーーーーーーーこわい?」

「ーーーえ……何で?」

わかるの?

「隆ちゃんの考えてる事くらい解ってなきゃ、恋人なんて務まらないだろ?」

そう言って、隆一の手を包み込んで握りしめる。


「終幕したら、みんなひとり。今回は期限ナシの、独りきり。」

「……うん。」

「俺もこわいよ」

「………」

「…でも、こわい以上に、楽しみ」

「え?」

「ルナシーじゃ出来ない事、いっぱいしてみたい。行けなかった所にも、行ってみたい」

悪戯っ子のように、おどけて笑うイノラン。隆一は毒気が抜かれたように脱力した。

「大体、隆ちゃんこそ、どんどん先行っちゃうでしょ」

「そんな事ないよ」

「あるよ。前回は追っかけんので精一杯だったし」

「ええっ?」

「でもね。今回は、違うから。隆ちゃんと肩並べて行けるくらいになるから」

「イノちゃん…」

急に真剣な顔で、真っ直ぐ見つめてくるイノラン。不意に手を引かれて、強く抱きしめられる。隆一が息をするのも忘れるくらい、その腕に強く包まれて。
目頭が熱くなるのを感じて、慌ててぎゅっと目を閉じる。
すると頭上から優しい声が降ってきた。


「依存して、甘えた関係でいたい訳じゃ無い。ーーーーでも隆ちゃんが辛い時、どうしようもない時さ。俺を呼んで欲しい。終幕したって、俺らの恋人同士の関係が終わるわけじゃないでしょ?」

「ーーーーーーーーーー」

「それに、俺は悲観的になんかなってない。いつかまたーーーーーーーって」

「イノちゃ…」

「だから、もしもそん時が来た時。アイツらに見せつけてやろう?めちゃくちゃ輝いてる俺らをさ」

ね?とウィンクして見せるイノランに、隆一の瞳から一筋二筋と、涙が溢れてゆく。


「ーーーーー俺も、いつか……また、」

「うんっ」

「イノちゃん…」

「ん、」

「…イノ、」

「ん?」

ーーーー側にいて。


微かな掻き消えそうな小さな声で。でも込められた願いは、切ない程に強いもの。涙に濡れた瞳に見つめられて、耐えられるはずなんてなかった。


「決まってんじゃんっ」


隆一の両腕が絡み付いて唇が重なる。
初めての、隆一からのキス。イノランは喜びでいっぱいで、すぐに自分からも隆一を求めた。


「っ…ん、…イノ…」

唇を解くと、泣き濡れた目元にもキスを落とす。くすぐったそうな隆一の微笑む声が聞こえると、顔を覗き込んだ。

「イノちゃんありがとう」

「こちらこそ、ありがとう。だよ?」

2人でクスクス笑って、暗闇でもわかる嬉しそうな表情をみていたら、また堪え切れなくなって、触れ合うキスを繰り返す。
間近で重なる隆一の瞳の奥に、微かに揺らめく色を見つけて。イノランの心が激しく高鳴る。ドキドキとうるさい程で、冷静な思考を邪魔していく。

隆一もそれを望んでくれているのか?

イノランは、その問い掛けを込めてもう一度、隆一の瞳を見ると。また、ゆらりと艶やかに色めくのがわかって。
ゴクリと息をのんで、高ぶる気持ちを抑えて言った。



「隆ちゃん…最後の、ライブの日」

「ん?」

「ライブが終わって、スタッフ達と、打ち上げが終わったあと…」

「?うん。」

「ーーーーー隆ちゃん、俺の家に…来て欲しい。」

「え?ーーーー……あ……」


真剣なイノランの、たどたどしいけれど真摯な言葉に。隆一はその意味する事を、理解して。瞬時に頬が染まる。
その初々しい隆一の反応に背中を押されて、自分の望む決定的な、言葉を言った。



「隆ちゃんを、抱きたい。隆ちゃんの全部が、欲しいよ。」


不覚にも自分の手が震えているのに気付いて、心の中で己を叱咤する。
すると顔を真っ赤にした隆一の唇も、小さく震えているのを見て、愛おしい気持ちがこみ上げる。
だから、出来るだけ怖がらせないように、ゆっくりと問うた。


「…イヤ?」

ぶんぶんと首を振る隆一。
それを見て、ひとまずホッとする。

「………怖い、よね?」

その問いにしばらく逡巡した隆一は、コクリと小さく頷いた。
当然だとイノランは思った。
恋人になったとは言っても、2人の時間はそれまでの、メンバーとしての時間の方が遥かに長くて。それに。
好きになった相手の性別なんて、関係無いと思っているけれど、初めての事への不安が、無い訳じゃない。

けれども、とイノランは思う。
始めから全て上手くいくなんて思っていない。音楽だって、そうだったはずだ。失くしてはならないのは、相手への尊敬と、愛情。

思った事をそのまま隆一に伝えたら、強張った身体が脱力して、笑顔が広がった。
そっと頬に指先を添えて、もう一度問いかける。


「隆ちゃん…いい?」


隆一は頬に添えられたイノランの指先に、自身の指を重ねる。そしてゆっくり頷いた。


「いいよ、イノちゃん。……俺も」

イノちゃんと、ひとつになりたい。


「隆ちゃん…」


光輝く夜の庭で、2人の影は隙間の無いほど重なって。
しばらく、離れることは無かった。







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