長いお話 (ひとつめの連載)
初めて知ったのはバンドに加入して少し経った頃。
それから二度目に知ったのは…
入院している、病院のベッドの上でだった。
「9月…29日。…」
隆一は自宅の壁に掛かっているカレンダーの、その数字の部分を指でなぞった。
つい二週間前はまだまだ暑い陽気だったのに。9月も20日を過ぎた頃から急に秋めいて涼しくなってきた。
「もうすっかり…秋だな」
怒涛の入院生活を無事に終えた春先。
それからの隆一は、体調の面では至って好調な日々を送っていた。
「ーーー…」
ーーーイノランの記憶については、まだ戻ってはいないのだけれど。
それでも恋人同士という関係を取り戻した二人。記憶を失くした隆一に、焦りもせずに寄り添うイノラン。
隆一を急かしたり…なんて決してせず。
ゆっくりでいい。…と、微笑むイノラン。
そんなイノランに、隆一は確かに救われて。本当なら不安定なはずの心も、とても穏やかだった。
退院の後もお互い時間を見つけては寄添い、囁き合って二人で愛を育んでいた。
そんな折に今年も訪れた、9月。
9月が隆一にとって特別なものになったのは、実は入院中の事だった。
…………………
「りゅーう!どうよ?具合は」
朝の回診と朝食を終えた隆一がベッドの上でテレビを観ていた時。
数回のノックの後にひょっこり顔を出したのはスギゾーだった。
「スギちゃん!おはよう」
「ん。顔色良さそうだな」
「うん!朝ご飯も美味しかったよ?」
「そりゃ良かった」
ニカ!っと笑って見せたスギゾーは、持ってきた鞄を棚に置きながら隆一に尋ねた。
「イノは?」
「イノラン?ん…いつもはもう少しすると来てくれる…」
「そっか」
「ーーー毎日朝早くから来てくれて。…イノランだって忙しいだろうなって思うのに」
「ーーー」
「嬉しいけど…申し訳ないな…って」
「ーーー」
僅かに眉を下げて、今ここにはいないイノランを思いやって微笑む隆一。
そんな隆一を見て、スギゾーはやれやれと肩を竦めた。
「ーーー相変わらずの」
「ん?」
「気遣い屋りゅうちゃん」
「っ…」
「いいじゃん。いいんだよ、隆」
「…スギちゃん」
「イノだって、それが今一番したい事なんだよ」
「え…?」
「隆に寄り添っててあげたいんだよ。きっと義務とかじゃ無くて、イノは最優先で今したい事なんだ」
「っ…!」
「だからさ?隆」
「ーーーうん?」
「そーゆうのは、遠慮なく受けとって良いと思うよ?だって、隆はどうなの?イノに寄り添われて、迷惑?」
「そんなことないっ‼」
「ーーーん。」
「ーーー嬉しいんだ。イノランが、会いに来てくれて」
「ーーーーーーーな?」
「っ…?」
「隆も嬉しいなら、いいじゃん?遠慮なんかすんな。この際イノに甘えちまえ!その方が、イノも喜ぶよ」
「ーーーーーうん」
「ん!よし」
やっといつもの笑顔で頷いた隆一に、スギゾーは満足げに口角を上げると。
たった今持って来た鞄の中から数冊の本を取り出して隆一に手渡した。
「ーーースギちゃん、これ…」
「ルナシー データブックってヤツ?それから昔のインタビュー集。まあ、なんかの役に立つかなって、持ってきてみた。こんなの読んで記憶が戻れば世話ないんだけど。知識として隆の役に立てば…なんて思って」
スギゾーの目が、いつもの変わらない優しさで隆一を見つめる。
ーーー急にこんな事態に陥った大切な隆一。
ーーー何かしてやりたい。
ーーー力になりたい。
そう思うのは、イノランに限った事ではなく。
スギゾーも、真矢もJもだった。
前触れなくふらりと訪れては、隆一の顔を見て帰って行く。
アイツら来過ぎ…なんてぶつぶつ洩らしていたイノランに、隆一は苦笑したものだ。
ーーーけれど。隆一は嬉しかった。
イノランも、口には出さなかったけれど。こうして足繁く通ってくれる彼らに、感謝していた。
「スギちゃん、ありがとう。これ読んでみるね?」
「ん、まあ、基本的な事とかは載ってるからさ。イノの好きなもの嫌いなもの、出身地とか誕生日とか」
「うん!」
隆一がまたにっこり頷くのを見て。スギゾーはホッとしたように肩をおろして、置いたばかりの鞄を手に取った。
「早々で悪りい。もう行くね?」
「あ、仕事?」
「うん。これ届けて顔見たいなって思って」
「ありがとう、忙しい朝に」
「いいんだよ。隆?俺らにも遠慮なんかすんなよ」
「っ…!ーーーーーうん」
「よし。ーーーんじゃ、行くね?イノももうじき来るだろ?」
「うん!スギちゃん行ってらっしゃい」
「行ってきます。また来んね!」
慌ただしさを残して、スギゾーはまた帰って行った。時間にしたらほんの十分にも満たないくらいだけれど。
メンバー達が来てくれる時は、イノランの時とはまた違った元気をもらえるのだ。
「ーーー」
隆一は、たった今スギゾーが置いていった本のページを開く。
目次を見て、探すのはイノランの項目。
目指すページを開くと真っ先に目に飛び込んできたのは、昔のイノランの写真。
逆立てた長い黒髪。人形のように綺麗に施された化粧。
今のイノランとは、本当に別人のように見えるけれど。微笑んだ時の口元や瞳は、やっぱりイノランだな…と隆一は思った。
「ーーー神奈川県…秦野市ーーーーー誕生日…9月…29日。…」
隆一はその数字の部分を、そっと、指でなぞった。
隆一が退院して。
終幕後の日々の日常を始めて、初めての秋が訪れた。
実はここ最近の隆一。
どこかソワソワ…落ち着かない。
じっと考え込んだりしていたかと思えば、イノランを見ると慌てて視線をずらしたりする。
「?」
ーーーはて。
俺、何かしたっけ⁇
…と。イノランはそんな場面に出会う度に首を傾げて、ソワソワした隆一を目で追った。
「隆ちゃん」
「えっっ⁇」
「…そんな驚くなよ…」
「あ、ご…めん」
「ね。俺なんかした?隆ちゃん最近ちょっと挙動が変…」
「っ…へへへへ変じゃないよ!変じゃない!いつも通り!」
( …変じゃん )
「体調も絶好調だし、元気だよ?やだなイノランったら心配性~」
えへへ…って薄ら笑う隆一は、そのくせ視線はイノランから外れている。
嘘をつくのが下手な隆一。それは記憶がどうこうなる以前から健在だった。
( なんか隠してんな… )
そうイノランはすぐに見抜いたが。かと言って必死に何かを隠している( らしい )隆一に詰め寄るのはちょっとな…と思う。
それがポジティブなものか、ネガティヴなものか。それは隆一を見れば、どちらか…なんてすぐにわかった。
隆一を取り巻く空気…と言うのか。
イノランから視線をずらす時の、僅かな表情の変化とか。
誤魔化すときの言葉選びとか。
( なんか、あったかい )
照れを含んだ、そんな空気。
長く隆一と一緒にいるからこそ判断出来ることだ。
ーーーそれならば…と。
( よくわかんねえけど、待ってよう)
隆一の心に秘めたそれを、見せてくれるのを、イノランは密かに楽しみに待つ事にした。
毎年この時期になると。全国のファン達から、イノランへの誕生日プレゼントやメッセージがたくさん届く。
今年の誕生日はライブ等の予定は無いけれど。それにも関わらずお祝いを届けてくれるファン達に、イノランは心の中で感謝した。
( まずはたくさん曲を作って…ライブして…)
全国のみんなに会いに行きたいと、イノランは思う。
( 来年はツアーもできたらいいな )
ルナシーと並行していたソロ活動は。やはりスケジュールの面で制約がかかる場面も、どうしても発生していた。
それはそれで、限られた時間の中で。自身の為になる部分ももちろんあったけれど。
終幕して、大きな母体から離れた今は。
良い意味で、大きく深呼吸が出来ている気がした。
音楽にかける時間を、全て自分の音楽を突き詰める事にかけられる。
しかしそれは逆に、止める者がいないという事。
今回はここまでと、自身で線引きをしないと、かかる時間は膨大なものになってしまう。
ーーー新しい一年にしよう。
色んな事を、ひとりから始める。
ひとりから始めて、仲間を増やして。
自分の、唯一無二の音楽を。
事務所の、たくさんに積まれた贈り物を見て。イノランは新しい気持ちが生まれるのを感じていた。
pipipi…pipipi…
唐突に、イノランの携帯が鳴り響いた。
pi
「はい、隆ちゃん?」
『あ、イノラン?今ヘイキ?』
「うん。どしたの?」
『今日、仕事?』
「うん。今事務所」
『そっか。…あのね?』
「うん」
『今日…この後か、明日。空いてる?』
「え?あぁ、うんとね。今日は…夕方から空いてる。明日も一日空いてるよ?」
『ホント?あ、じゃあ、今日の夕方から明日一日、会える?』
「うん、もちろん!いいよ?」
『嬉しい!じゃあ、イノラン仕事終わったら…』
「ん…隆ちゃん家行こうか?」
『ーー来てくれる?』
「いいよ」
『っ…!待ってる』
「うん。じゃ、終わったらまた連絡すんね?」
『うん!イノランお仕事頑張ってね!』
「ありがと。ーーーじゃあ、またあとで」
pi
「……」
( ーーーヤバ… )
今の会話を反芻して。
嬉しさで歪む顔をどうにも抑えられない。
好きなひとからの突然のお誘い。
嬉しく無いはずがない。
( よし)
今日の仕事を一気に終えて、隆一に連絡しよう。それから、途中で何か差し入れを買って行ってあげよう。
そんな予定を思い描いて、俄然やる気が湧いてきた。
「イノランお疲れ様!いらっしゃい」
「こんにちは隆ちゃん。お邪魔するね」
「どうぞ!」
笑顔で迎えられたイノラン。
靴を脱いだ途端に、早く早くと手を引かれて、隆一にリビングに連れて行かれた。
なんだなんだと思いつつ、勧められるままにソファーに座る。そして、あ!と思い出して。玄関に置いてきてしまったパン屋の紙袋の存在を隆一に伝えた。
「嬉しい!イノランありがとう、一緒に食べようね!」
なんて満面の笑顔付きで言われるものだから。
なんだかこれから何が待ち受けているのかわからないけれど。
隆一と一緒にいられる事が嬉しくて仕方がなくなってきた。
「ーーーで、隆ちゃん今日はどうしたの?」
コーヒーを運んで来てくれた隆一にお礼を言いつつ。イノランの隣に腰を落ち着けた隆一に問いかける。
すると隆一はちょっと目を泳がせて、照れくさそうに唇を噛むと。
暫くして意を決したのか、イノランを見つめて切り出した。
「ーーーイノラン、もうすぐお誕生日…でしょ?」
「え?…ああ、うん」
「入院中にね?スギちゃんが俺らの本、たくさん持って来てくれて…。で、知ったんだけど」
「ーーーうん」
「お祝いしたいなって思って、色々考えたんだけど」
「…隆ちゃん、そんな…いいんだよ。知っててくれただけで嬉しいよ?」
「ううん。だって誕生日知っちゃったらお祝いしたいって思うの当たり前でしょ?」
「ーーーん。ありがと」
「…でね?記憶を失くす前の俺も、きっと色んなお祝いをイノランにしてたと思うん…だけど。」
「うん」
「まだしてない事ってなんだろう?って考えたんだけど…わかんなくて。ーーーで、思いついたの」
「?…うん」
「今年の俺からのお誕生日プレゼント」
「ーーーうん」
「ーーーイノランの願いを、ひとつ叶えてあげる」
「っ…ーーーえ…?」
「なんでもいいよ?俺に出来る事。あ、でも、なんか物理的にとか規模的に無理とかゆうのは…ムリかも…だけど」
なんかある?どんなのがいい?ーーーなんて、きらきらした目でじっと迫られて。イノランは平静を装ったが、内心は大騒ぎだ。
( ーーーそれって…どんな贅沢だ?)
( こんな素敵でこれ以上ないプレゼントってあるか?)
( 隆に、願いをひとつ )
( 叶えてもらえるなんてさ )
ーーーこんな事、そうそう身に降りかかる事なんて無い。
この際、すごい願いを!
後々後悔しないような、すごい事を!
ーーーなんて、ついつい邪な考えが頭を過ぎる。
( いやダメだ。ここで暴走したら隆に嫌われてしまう。それだけは絶対にダメだ。そりゃ隆と、普段は出来ない…つか、さすがに引かれるだろって事させてみたいけど!でもそれじゃ、いくら願いを叶えてくれるって言ったって、この機会を利用してするのは良くない…気がする。それで隆が嫌な思いとかしたら元も子も無いだろ。せっかく誕生日プレゼントって用意してくれた提案なんだから、後々良かったって思えるものにしたい。俺だけじゃなくて、隆にとっても。ーーーって事は…どんなのがいい?)
「ーーーイノラン」
「え、あ?」
「すっごい、考え込んでるね」
「あ…」
悶々と自分の世界で悩むイノランを見て、隆一はくすくす笑う。
イノランはバツが悪そうに頭を掻くと、苦笑を浮かべて言った。
「ダメだな。こーゆう時って欲が出て。決断力皆無で」
「ふふふっ、イノランそんなに願いがあるの?」
「そりゃ…そうだろ。隆ちゃんと叶えたい事なんか、山のようにあるよ」
「イノラン素直!ふふっ…いいよ?聞くだけ聞いてあげる。全部言ってみてよ」
「ダメだよ。隆ちゃん絶対引くもん」
「引かないよ。いいから言って?誕生日の特権だよ」
「ん…ーーーじゃあ、ホントに言いたい放題言うからな?呆れろよ?」
「あはは!わかった、呆れてあげる」
期待に満ち溢れた隆一の顔を見て。イノランは恥も外聞も投げ捨てて。さっき思ったたくさんの願いを、隆一に全て言い放ったのだ。
ーーー隆の歌が聴きたい。隆とデートしたい。隆と手を繋ぎたい。隆と美味い物食って、いい景色見て。隆を抱きしめて、キスをして。めちゃくちゃに隆を抱いて、泣かせて、求めさせて、俺だけを見てほしい。朝も、夜も。側にいたい、いてほしい。隆の全部が欲しい。
「ーーーーー引いた?」
「っ…てない」
「ホントに?」
「ーーー…うんっ」
「隆ちゃん」
「引かないよ。ーーーそんなにたくさんの願い…嬉しいもん」
「え?」
「嬉しいよ、イノラン」
「ーーー」
「だって、好きって思ってくれてるから…でしょ?」
「ーーーっ…」
「だから…嬉しいっ…」
隆一の手が伸びて、イノランに縋り付く。ぎゅっと抱き付く隆一を、イノランはすぐに抱きしめ返して離れない。
ーーーそして、抱きしめてすぐに、イノランは思った。
( ーーーなんだ。すげえ…シンプルな事だ )
( 色んな、細々した事は後でいい。ーーーそうじゃなくて )
( 隆が、ここにいてくれるだけで…いいんじゃん)
ーーーあの事故で、離れ離れになる事も無く。記憶は無くとも、再び恋人同士になれた。それだけで…
「ーーーな、隆?」
「うん?」
「プレゼント、決まった」
「え…ホント?」
「うん」
「…なぁに?」
少しだけ身体を離して、見つめ合う。
すると蕩けるように優しい顔のイノランが、隆一の瞳をじっと見る。
恥ずかしくて、思わずそらした顔も、イノランに捕まって。頬を包まれて、逃げられない。
「っ…なに?」
「あのな?」
「…うん」
「隆と一緒にいたい。ーーーそれだけだ」
「!」
「それが俺の一番の願いだって、今気付いた」
「イノラン…」
「隆とずっと一緒にいられたら最高だ」
「イノっ…ーーーうん!」
( ーーーそうか。一緒にいられれば、全部叶うんだ。…って、ズルイかな?)
待ってるように、目をトロンとさせて見上げる隆一。隆一もきっと、全部わかっているから、こんな風にイノランを見つめる。
ーーーいいよな?
欲しくて、薄く色づいた隆一の唇を奪う。触れて、深く重ねると。隆一の鼻にかかった甘い声がこぼれた。
「っん…」
「りゅ…ーーー待ってた?」
「ぅんっ…ン」
「ーーーーりゅう」
「っ…ぁ、っ ん」
こんなになったら、もう止まらない。
きっとイノランが望んだ事全て、これから先叶うのだろう。
キスだけですでに蕩けきった隆一をソファーに横たえて。
両手を広げて待つ隆一が、イノランに微笑んで言った。
「全部あげるよ?イノラン」
お誕生日おめでとう…と。
happy birthday INRN.
end
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