長いお話 (ひとつめの連載)
隆一の手を引いて、片手に隆一のコートを持って。先程まで居たスタジオの壁際の床に、2人、寄り添って座る。
何をするわけでは無いけれど、くっついて、お互いの体温を感じて。
時々、確認するように見つめ合って、キスをする。
それだけなのに、うっとりする程気持ちが良くて、身体がふわふわ浮かぶようで。
それと同時に、この状況が夢のよう。
ついさっきまで、ここでレコーディングをしていた、メンバー同士なのに。
色んな事が起こり過ぎて、頭がついて行かない。
隆一もそうなのか、何だかぼんやりしている。
屋上からずっと、頬がほんのり染まってて、正直かなりかわいい。
でも、今日の今日でいきなり言われるなんて、嫌かな…と思って、イノランはグッと言葉を飲み込む。
すると唐突に、イノランの胸に身体を預けている隆一が、口を開いた。
「イノちゃん…ドキドキしてる」
「そんなの、当たり前でしょ?」
隆ちゃんといるんだから…。と、回した腕に力を込める。
そして一層深く、イノランの胸に顔を埋めて、「俺ね…」と続けた。
「ずーっと、イノちゃんのこと、好きだった。…でも、色んな事考えて、言えなかった。」
「うん…」
「だったらずっと一緒に居られて、一緒に音楽ができればいいって、思ってた。………ちがう。…思おうと、してた。」
「……うん、俺も。」
「え?」
「同じだよ、俺も…。隆ちゃんが好きだって自覚しても、どうしたらいいか、わからなかった。」
「…うん」
「伝えられて、良かった。」
「うん。…イノちゃん?」
「ん?」
「ありがとう。…大好きだよ?」
真っ直ぐに目を見て伝えられる、感謝と愛の言葉。ほわん…と2人の間に温もりが生まれる。
もっと熱を感じたくて、少しの隙間も遠く感じて、再びぎゅうっと抱きしめ合うと、自然と唇も重なった。
…このまま、とけてしまいそうだった。
陽が射して、室内が明るくなる頃。
寄り添って眠ってしまっていた2人は、眩しい光に目を覚ます。
睡眠なんて全然足りてないけれど、不思議とスッキリしていて。
2人顔を見合わせ、どこか照れ臭いような、初々しい気持ちで笑い合う。
そっと触れ合う、優しいキスをして、身体を離す。
「あー。今日撮影だよな。えっと、9時?」
「うん。…ね、俺眠そうな顔してない?ぼんやりしてるかも」
そう言って、首を傾げて顔を向けてくる隆一に。夕べ飲み込んだ思いは何処へやら。
「かわいいよ?」
「……へ?」
思ってもみないイノランの返答に、変な声が出て来た隆一を見て。悶絶しそうな程、愛おしい気持ちでいっぱいになる。
「変なイノちゃん!でもイノちゃんは寝ぼけた顔してないよ、格好良いよ?」
にこっと笑って、顔を覗きこまれて、イノランは得意のポーカーフェイスも保てずに。らしくなく、顔を赤らめてしまう。
まったく隆一と居ると、心臓がいくつあっても足りないんじゃないか。そんな予感がいっぱいだったが。
目の前でにこにこ笑っている隆一を見て、幸せの予感も溢れてきて。
イノランもつられて、笑顔になる。
そして、まだ言っていなかった事を、伝える事にした。
「隆ちゃん。俺の恋人に、なってください。」
一瞬の驚きと、花のような笑顔ののち。隆一の透き通った声が、響いた。
「 はい 。 」
タクシーで来ていた隆一は、今から家に戻っている時間も無さそうだったから。車で来ていたイノランは、隆一を連れて一旦自宅へと帰る。
夕べはレコーディングでシャワーも浴びていないから、隆一をバスルームに押し込んで、その間に簡単な朝食をテーブルに用意する。
「クローゼットから好きな服探して着ててね。あと朝ごはん、良かったら食べてて」
そう言って隆一と入れ替わりで、イノランはバスルームに消える。
隆一は言われるままにクローゼットをそっと開けると、ぐるりと見渡した。
開けて瞬間に、ふわりとイノランの香りがして。隆一は何だかドキドキした。
ハンガーにかかっている服の中から、薄青紫地に葉っぱの模様が白く染め抜いてあるシャツを手に取る。
袖を通すとサイズはぴったりだった。
それだけの事なのに、昨日の自分とは違う、新しい自分になれた気がして。嬉しくなってしまう。
リビングのテーブルにほかほかと湯気を立てている、コーヒーと緑茶。
焼き立てのクロワッサンがのっていて、隆一はここでもまた、嬉しくなる。
好きな飲み物を用意してくれて、1つの皿にクロワッサンが2つ並んでいるところとか。
自分をちゃんと見てくれている。
隣に居ることを、望んでくれている。
そう思えて。
イノちゃんが、一緒に居て幸せだって思ってくれるような、存在になりたい。例えば彼が、疲れ果てても、傷付いても、癒してあげられる。そんな存在に。
なりたい…じゃない。きっと、なるんだ。隆一はひとり、新しい力がみなぎって来るのを感じて。
ニンマリして、緑茶を啜った。一口飲むと、温かさがじんわり広がって、ほぅ…と息をついた。
「隆ちゃん、すっげえ幸せそう」
いつの間にそこに居たのか。
濡れた髪をタオルで拭きながら、イノランが目を細めて、隆一の方を見ていた。
「イノちゃん」
「あ。待って、そのまま」
「え??」
湯呑みをテーブルに置こうとした隆一に、イノランは慌てたように、向かいの席に座った。
「?なに?…どうしたの?」
訳がわからないという表情の隆一に、嬉しそうに目を細めたまま、イノランもコーヒーカップを手にとる。
「なんか、いいじゃん?こういうの」
「ん?」
「この雰囲気さ。朝の恋人達って感じがしない?」
イノランの思わぬ言葉に、隆一は口をポカンと開けて、まるで時が止まったようで。その反応にイノランは吹き出すと、けらけらと笑い出す。
「もうっ、変なイノちゃん!イノちゃんって、そんな、は…恥ずかしい事、平気で言うんだね?」
プイ、と背けた隆一の顔は真っ赤で。それが照れ隠しだと、イノランにはすぐにわかったから、つい悪戯心がむくむくと湧いてくる。
追い討ちをかけるように、囁く。
低く、甘い声で。
「変になるのは、隆ちゃんだからだよ?ドキドキするのも、隆ちゃんだけだ」
愛おしくて仕方ないという目で、じっと見られる。隆一は正面なんて見ていられなくて。
…というか。これが本当にあのイノランなのかと、思ってしまう。
いつも冷静で、1人一歩引いて、全体を見て。静かに燃える、青い炎のような人だと思っていたのに。
でも今目の前に居るのは。
すごく格好良くて、熱を帯びた恋人の顔で、優しく笑う。
隆一でさえなかなか言えないような、甘い甘い声で、愛の言葉を言う。
こんなに翻弄されるとは、思ってもみなくて。
隆一にとっては、気恥ずかしくても嬉しい誤算だったが。
恋人初日からこれでは。
正直自分がどうなってしまうのか、わからなくて。
少し怖い気すら、してしまう。
目の前には美味しそうなクロワッサン。でも今の隆一には、喉を通りそうにない。
コトリ。と湯呑みを置くと、恨めしそうに、上目遣いでイノランを見る。
「ん?隆ちゃん食べないの?美味しいよ?」
わかっているのか、いないのか。余裕綽々といった様子で、朝食をすすめてくるイノランに、ますます恨めしそうに睨む。
(誰のせいだ!誰の!お腹空いてるのにっ‼」
真正面から熱っぽい目で見られては、落ち着いて食事なんか出来る訳ないのに。
空腹と恥ずかしさで、思わず地団駄を踏みたくなった。その時。
ぐいっと腕を掴まれたかと思ったら、身体が反転して。
あれっ?と思った時にはソファーの上に押し倒されて、上からイノランが見下ろしていた。
よくドラマとかで見る体勢だけれど。いざ自分がされていると思うと、猛烈な気恥ずかしさで、思わずぎゅっと目を瞑ってしまう。
「ーーーーーーーーー……??」
しばらくそうしていたが何も変化が無くて、隆一は訝しみながらも、恐る恐るそっと目を開ける。
(うわっっ……)
先程よりももう少しだけ近づいた位置で。じっと隆一を見つめる、溶けそうな程優しい表情のイノランがいて。
隆一の頬が、瞬時に色付く
胸がドキドキと、うるさい程早くなる。
(なんて顔で、見てんだよっ)
「隆ちゃん…」
「…な……に?」
「仕事行くまで、ちょっとだけくっついても良い?」
「う…うん、い……いよ?」
「ありがと」
ふっ…と笑って、ふわりと隆一を抱きしめる。首筋に息がかかって、くすぐったくて、身を捩った。
「隆ちゃん…良い匂い」
耳元で言われて、隆一の口から吐息が溢れる。それを耳聡く聴きつけたイノランは、満面の笑みで額と額をくっつけて。
「 好きだよ 」
そう言って、陸の上にあげられた魚みたいに、真っ赤になって口をぱくぱくさせる隆一に。
息も止まるような、キスをする。
顔の横に、力が抜けてくたり…と落ちた隆一の手に、イノランは指を絡ませてぎゅっと握り込んで。もう片方の手で隆一の髪を梳くように撫でる。
「っん……ん…っ」
「りゅ…っ…う 」
「は、ぁ…っん…ン」
隆一はあまりの気持ち良さに涙が出そうになって、そっと瞼を開くと。
自分を求めて、舌を絡ませてくるイノランと、間近で目が合う。
その瞬間、隆一の胸が苦しい程に切なくなって、堪え切れなくて。
目尻から、涙が伝う。
吐息混じりの声が、止めどなく出てしまう。
イノランの唇が、よりいっそう深く重なって。もう何も考えることが出来ない。隆一も気持ちのままに、口付けに応えた。
「…ぁ、っあ」
ちゅっ…と音を立てて唇が離れる。
隆一の目尻を伝った涙を、イノランはそっと拭う。
そしてもう一度抱きしめると、掠れた声で言った。
「…りゅう」
「ん…」
「隆…、ホントに、好き」
「うん、」
「隆…。隆一、大好きだよ」
「イノ…」
「ん?」
「………」
「隆ちゃん?」
何か言いたげな顔をしているから、イノランは隆一の目をじっと見つめる。
熱を孕んだ隆一の瞳がゆらゆら揺らぐ。唾液で濡れた唇がゆっくりと動いて、微笑みのカタチに変わっていく。
「イノちゃん、ありがとう。…俺を、」
好きになってくれて。
俺も、もっともっと、イノちゃんを好きになるよ。
俺の知らないイノちゃんに、もっと、会いたい。
……だから。 離れたくないよ。
「離れないよ。離さないから、隆ちゃん」
「うんっ」
再び手を伸ばして、何度目かの抱擁とキス。
それでも溢れる気持ちは、抑えられない。…抑える必要は、もう無い。
もうすぐタイムアップ。仕事の時間。
でも、離れられない。
手を繋いで、人目を忍んで愛し合う。
昨日までの自分達からしたら信じられないくらい、2人はもう、恋人同士だった。
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